失敗
結果なんてどうでもいい
無責任を推奨しているのではない
仕事や試験の結果は成果を出すことが求められている
ここでいうのは、本当の自分を生きることについて
魂の目的は自分を生きること、自分であること
自分の好きなこと、やりたいこと、ワクワクすることの結果
自分だけの人生を創造する
自分を表現して生きる
そう伝えてきた
「創造」「表現」という言葉
それは何かの作品を作ったり、芸術的な活動をしなければならないと限定するのは誤解である
SNSに毎日自分の情報をあげることだけが表現じゃない(それが心からの喜びならいい)
目に見えるように、誰かに評価されることだけが創造じゃない
必ずしも外側に表現し続けなければならないこともない
ブレずに自分でいればいいのである
本当の自分で生きて行動すればいいのだ
誰かに見せなくても、三次元に形として残らなくてもいい、ということが言いたいのである
もちろん、SNSで活動したりアーティストとして発表するのもいいのだが
ただ、方法、手段をそれに限らなくともいい
自分のやりたいこと
例えば、世界中を旅するバックパッカー
経験を手記にしなくても、YouTuberとして発信しなくても、旅するだけでもいい
世界を旅することが自分の喜びなのだから
旅の道中での経験が魂を進化させ、世界の波動に影響を及ぼすことにもなる
成功も失敗も無い
人生も同じ
失敗の人生なんて無い
生きて経験すること、唯一無二の存在として行動することが目的なのだから
それがもう既に「創造」で「表現」しているのである
良い作品や良い結果なんてものは、後から評価した人により違う固定観念である
自分自身が、“今、ここ”を情熱のままに生きているなら、“良い人生”だ
仕事で成功して、富と名誉を手にして、たくさんの人に愛された人生だけが素晴らしい人生だというのは思い込み
山奥で売るつもりではない最高の作品を試行錯誤して作り続けることに情熱を燃やす人もいる
誰にも評価されない自分だけの挑戦で意味のわからない記録更新に命をかけている人もいたりする
それらが結果的に世に出たり評価されることもあるし、されないこともある
世間の評価なんてどうでもいいのである
いつだって魂の導く過程なのである
何がどう転ぶのかなんて、わからない
すぐにお金になるかとか、商売にできるかとか考える
上手に表現して、収益化する必要はない
貨幣制度の奴隷の経済至上主義社会
世のため人のためになる物事は自然と豊かになり繁栄する
魂の喜びは宇宙の喜びなのだから
目に見える結果で良い悪いの判断なんて浅はかだ
本当の自分で生きる喜びの人生が、創造することで表現していること
自分を生きる
人生を楽しむ