粘着商売
剣術道場は人里離れた所にあった
とはいえ朝にここを立てば
昼には江戸の大手門に着く
内弟子はいないが近隣の百姓が門下生となり
食うに困らぬ程度の月謝を得ることが出来た
道場主・南木景樹は三十路を迎えたばかり
徳川の治政で天下泰平の世にあっても
剣士としての志は高く
武の極みに届かんとして邁進する日々を送っていた
今は道場にある囲炉裏の傍で
師である父に伏して教えを乞うていた
「父上、明鏡止水とは如何に」
先代の道場主であった父・南木十兵衛は古参の剣豪
かつて御前試合に置いて負けを知らず
武の頂点にある剣聖とも噂され
今は弟子でもある息子の前に座り
火箸で炭をつついていた
十兵衛は答える
「言葉にして解るものではあるまい」
穏やかな口調ではあったが
景樹は気が凍るのを感じた
囲炉裏の炭は小さくパチパチと
爆ぜて火花を散らせている
「隙あらば打って参れ」
十兵衛は低く呟いた
まるで些細な日常茶飯と
言わんばかりの口調だった
あいかわらず炭をつつき
特に構えるわけでもなく
視線も合わせない
されど景樹
座ったままの初老の剣豪に
隙を見出すことが出来ない
死ぬ気で行かねば殺される
剣聖と謳われた父上に半端な技は許されぬ
景樹は武を問われているのだ
身命を賭して応えなければならない
「御免」
南木景樹
居合抜く
先の先を取り
上段より振り下ろす、真向斬り
南木十兵衛
避けもせず
受けもせず
全く微動だにせず
景樹の一撃、頭に受ける
ざく。
吹き出る血飛沫
前のめりに倒れる十兵衛
いやいやいやいや!
微動だにしなかったっすよね?
普通に斬られてんじゃん!
避けるとか受けるとかしろよ!
「………父上?」
微動だにしない
マジで死んでる
やばいやばいやばい!
「………隠さねば」
景樹は思う
自分が父殺しで叱責を受けるのは構わない
武の道、剣の道に生きる者には仕方のないこと
しかし父は剣聖と謳われた武人
このように無様な死にざまが噂されては
御魂も成仏なさりますまい
決して道場に来る門下生が減り
ただでさえ少ない謝礼が……などと
そんなふざけた理由ではござらん
そう自分に言い聞かせながら
景樹は父を担ぎ
裏山に行き
古井戸に捨てた
囲炉裏の周りの血飛沫は
明日までに拭っておかねばならん
裏山より戻った景樹は
道場の引き戸を開けた
囲炉裏には死んだはずの
古井戸に捨てたはずの
父・南木十兵衛が
頭より流れる血もそのままに
火箸で炭をつついていた
「あ………い……ひぃ……ひぃぃぃ!」
言葉が出ない景樹
暗い部屋ではぼんやりと
囲炉裏の明かりが十兵衛を照らす
ざんばら髪が血に濡れて
生気のない顔に纏わりついてる
「………痛いのう」
十兵衛は低く呟いた
景樹は足が震え立つのがやっと
思考も体も膠着したまま動けない
「………あのさ、真剣使うの酷くない?竹刀でよくね?」
ぐるりと十兵衛の首がまわり
髪を揺らして景樹に顔を向ける
「………それに、いきなり斬るとかある?」
「い、いちおう御免と」
「………普通はさ、隙あり!とかだよね」
「そんなに違いは…」
「あ~、こんな息子に育って頭痛いわ~」
「……」
「あ、頭痛いのは斬られたからか!ぶひゃひゃひゃ!」
「……」
「とりあえず明日からどうしよっかな」
「……」
「ま、したいことをするか、死体だけに、ぶひゃひゃ!」
ざく。
とりあえずもう一度斬った
あと首も落とした
念入りに裏山で焼いた
黒焦げになった遺体を確認し
道場に戻った景樹だが
一応遠目から囲炉裏を確認
大丈夫だ
誰もいない
裏山へ何度も往復したせいで疲れた景樹は
囲炉裏の傍で一息ついた
パチパチと爆ぜる火花の中から
十兵衛の声がする
「燃やしたから灰、炭ませんてか?ぶひゃひゃ!」