86. とある男女のその後(2) (???side)
邸に到着した二人は、一番上の主室に戻ってきていた。
そういえば、この部屋であの憎き女神そっくりの少女と会談をしたが……どうしてあの時王子を魅了しなかったのかが自分でも不思議ではならないリーズだ。
あの時に彼を魅了しておけば、あの女神モドキから運命の人を取り返すことができていたというのに。
部屋の入口までやって来た二人は、しかしリーズが室内へと一歩足を踏み入れただけでコンスタンツは廊下にとどまっていた。
「今日からここはあたしの部屋よ。あんたはその辺の部屋を適当に使って。あたしたち、他の場所に行く必要なんかないわ。あんたがあたしをあの人の妻にしてくれるんでしょ。あ、ついでに楽にできる服も持ってきて」
「もちろんです。かしこまりました」
扉が閉まり、階段を下りていく音がした。
やがて、再び部屋を訪れたクレルモンが持ってきた夜着を受け取ったリーズは、彼がまた階段を降りていったことを確認すると、内側から鍵をかけた。
「どうしてここにいるのは男ばかりなのよ。サラの代わりに誰かおねだりすればよかったわ」
自分の使用人は誰がいいだろうか。一瞬偽女神のことが頭をよぎったリーズであったが、すぐに首を振りその考えを打ち消した。
やはり、彼女が自分にかしづく優越感よりも、あのリヒトを奪った女に瓜二つの顔が近くにあるという嫌悪感が上回る。
やはり、夜が明けたらクレルモンにサラを連れ戻させるしかない。そうして、あの女の座っている椅子を奪うのだ。
ドレスから先ほど受け取った服に着替えたリーズは、そのまま仰向けにベッドへと大の字で倒れ込み、ほくそ笑んだ。
(これですべてうまくいくわ! あの小娘の座っている席はもとからあたしのものだったんだから!)
そういうわけで、すっかり疲れて寝落ちしてしまったリーズだが、不思議なことに夜に目を覚ましてしまった。
珍しいこともあるものだな、と思いつつも興奮のあまり眠れないのだと結論づけた彼女は、しかし目の前の光景に固まってしまった。
「おはようございます、リーズ」
「どうしてあんたがここに……っ!」
一月で一番明るい満月の光が、室内を──そしてその侵入者の顔を照らしていた。
彼女の目の前に立っていたのは、コンスタンツ・クレルモン。先ほど彼女を牢から連れ出してくれた、この館の主だ。
けれど、彼はリーズが魅了したのだ。自分の言う事を聞いてくれるはずだ。
そう信じていた彼女は目の前の光景が受け入れられなかった。
ベッドの上のリーズが恐怖におびえるかのような声を上げたが、しかしコンスタンツがそれに動揺することはない。
「あんたはあたしに魅了されたはずじゃ──っ! そもそも鍵はっ!」
「合鍵ぐらい私が持っていないとでも? もっとも、鍵なんてなくても私にかかれば開錠は簡単ですが。それに魅了? 貴女が魅了のスキルを持っているとわかっている私にかかるとでもお思いですか?」
そうクツクツと笑うコンスタンツ。
彼の目に映るのは、恐怖におびえるリーズの顔だ。けれど、リーズ本人は恐怖が顔に出ているとは思っていない。
重ねていえば、彼女はこの状況を現実とは受け入れられずにいた。
「し、知っていれば魅了のスキルにかからない? いつかかかるはずよ。だって、アタシの魅了は特別で、前世に神様から貰ったものなのよっ!」
「おっと。そうですか……今の言葉は撤回しましょう。私は魅了にかかっていないのではないのです。私はとうの昔に貴女に魅了されていました。きっと魅了されていなかったら、貴女の世話をここまで焼こうとも思わなかったでしょう」
あの王子にもそう伝えたのを覚えていますよね? そう聞いただけで怒りが湧いてきたらしいリーズ。
けれど、相も変わらず彼女の身体は無意識の恐怖のためか、動かない。
「な、何よっ! いちいちあたしを困らせる言い方をして、そんなに楽しいのっ!?」
「そうですね。貴女の気持ちが私の方を向いてくれているのはとても嬉しいですよ。ああ……」
そう言ってコンスタンツは、右手を顔の前を通過させた。
すると、彼の髪の色はみるみるうちに黒から燃えるような赤に変わっていった。
「──!?」
「貴女……いや、お前を騙すのは本当に楽しかったよ。俺はずっとお前の側で見守っていたんだ。決して見捨ててなどいない」
リーズは完全に、固まった。彼女の目の前にいるのは、見間違いようもない。
「久しぶりだな。覚えているだろう?」
「に、にぃ……い、や」
そう。彼女の目の前に立っているのは──。
「リーズ、私だ。お前の兄だ。おっと、叫ぶなよ……下の階にいる信徒たちが起きては可哀そうだ」
「っ!」
燃えるような赤の髪に、灰色の瞳。
彼が眼鏡をはずし、遠くへと投げ飛ばせば、それはまるで最初から存在していなかったかのように跡形もなく消える。
「そういえば、お前は忘れていたかもしれないが、その瞳の色を変えたのは私だったな。この意味が、わかるか?」
コンスタンツの発言に、リーズは怯えるように目を見開いた。
リーズは、自身の瞳の色が嫌だった。双子の兄と同じ、灰色の瞳が嫌だった。
彼にいやらしい視線を向けられるのが、嫌だった。
やがてその男はリーズの前から消えた。
──娘などという置き土産を、一生消えない汚点を残して。
そんな兄のかわりに現れたのがコンスタンツ・クレルモン。同じく、目の前の男だ。
瞳こそリーズの嫌いな灰色だったものの、落ち着いた黒い髪は前世の兄を思い起こさせた。
そんなコンスタンツにリーズが好感を抱くまでに時間はかからなかった。
「嫌……嫌よ……戻さないで……」
「目の色を赤に変えてやったのも私のスキルだ。戻せないわけがないだろう?」
「やめて……。それにスキル、どうしてにい……あんたがスキルを」
「男がスキルを使えるのはおかしい、とでも? そう思うのも仕方ない、か……」
「うっ!」
コンスタンツが右手を握ると、苦しみ出すリーズ。
やがて、室内に響いていた声が止むと、彼女の赤い瞳は灰色に戻っていた。もちろん、リーズ本人がその事実に気づくことはない。
「スキルを使えるのはシュトー神に選ばれた聖女だけ……というのは迷信だ。それに、私はお前に魅了されているのだから。……遠い、遠い昔から」
「とおい、むかし……?」
「ああ。私はお前に魅了されたんだ、ルーチェ。そして、お前に魅了のスキルを与えたのも私。私の本当の名前は──」
その名を聞いたリーズはついに口すらも固まってしまう。
その歪な片想いの果てにあるものは。
「お前のことがずっと好きだった。だからお前の兄、それも双子の兄に生まれることができて、お前のすべてになれて、光栄だ。これからは私のことだけを考え、決して私から逃げようなどとは、私以外の男の、人間のことなど考えようとは思わないように。ひとまず、今宵は私のことをよく思い出してもらわないとな」
そう言って放心状態のリーズに一歩、また一歩と近づき、その着衣に手をかけるクレルモン。
翌朝、一人の召使が邸の最上階の部屋に鍵がかかっていることに気づき、中から何も聞こえなかったために王宮に報告したが、部屋の中はもぬけの殻だったという。
☆☆☆☆☆
ベッドのシーツが一夜にして赤黒く血の色に染まっていたこと。
コンスタンツ・クレルモンが、そして王宮の地下牢に閉じ込められていたリーズがいなくなったこと。
こうしたことから、様々な憶測が飛び交ったものの──。
それでもなお、二人の行く末を知る者はいない。




