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75.不穏な噂

「公爵夫人、お招き入れてくださり、ありがとうございました」

「わたくしは何もしておりませんわ、殿下」


 私のすぐ隣に座ったレオン様と、いつも通り私の正面に車椅子を置いて座っているお母様が、笑顔でそう言葉を交わす。


「いえ。夫人が許してくださらなければ、私はこの邸に入ることすらままなりませんでしたから」

「……そうでしょうか? たとえ殿下とはいえわたくしは……いえ、何でもありませんわ」


 二人とも表面上は本当に笑顔なのだけれど、お母様はレオン様の記憶を覗いているのだろう。


 そしておそらく、今しがたお母様が口にしかけたのは、婚前の男女が二人きりになるのはいけないという話なのだろう。

 そんなことを考えながらコッペパンを口にしていると。


「夫人。ところで」

「何でしょう?」

「ブレシアと王都に帰らせていただきたいのですが」


 レオン様がそうお母様に言えば、お母様もまた当然の反応をする。


「なぜでしょう? わたくしは夫から、貴方たちを会わせないように、と頼まれていたのです。それなのに、その頼みを破ってこうしている意味、聡明(そうめい)な殿下でしたらご理解いただけるかと」


 ああ……この二人と同じ机を囲っているのがちょっと怖い。お母様ってここまで怖い人だったっけ?

 いや、本来であれば国に報告しなければならないほど強力なスキルを隠し通している上に、仮病まで使っているのだから、相当に肝は座っているのかもしれないけれど。


「ですが、貴方様は娘の婚約者。何か理由があるのでしょう? その理由次第では王都に帰すこともやぶさかではございませんわ」


 そう言ってスープをほんの少しだけ口に含むお母様。

 一瞬の沈黙が流れた後、次に口を開いたのはレオン様だ。


「では。夫人のお眼鏡にかなうかはわかりませんが、事情をお伝えいたしましょう。実は今、リーズという女性が王都中の貴族の邸という邸に押し掛けておりまして」

「えっ!?」


 声を上げたのはお母様ではなく私だ。

 しかし、なぜここに来てリーズが出てくるのだろう? 以前の夜会でリーズは王宮に出入り禁止になったし、娘のサラも似たような状況のはず。


 そして何より、豊穣時代のことを悪く言うとの噂は聞くけれど、クレルモン様のお屋敷にいたはずだ。


「そう……それだけでは判断いたしかねますので、もう少し話を聞かせてくださいますか?」

「もちろんです。彼女はブレシアが王都を去った途端に活発に貴族の邸を訪れるようになりまして、そこにはクレルモン公ではなく、ロッテルダム公が共にいる、と」


 お母様はたぶん、ある程度わかった上であえて訊いているのだろう。うん。


 それはさておき。レオン様の言葉に、一瞬私は自分の耳を疑った。聞き間違いではないか、と。

 けれど、それは勘違いだったらしい。


「それで?」

「端的に言えば、公爵はサラがいかに私の婚約者にふさわしいかを声高に触れて回っているようなのです。このままではロッテルダム公爵家の評判が地に落ちるかと思いまして。ですから、公爵を止めるためにもブレシアには王都に帰って来てほしいのです」


 そこまで聞いて私はゾッとした。もしかしたら、いやもしかしなくても、このままではレオン様の婚約者がサラに替わってしまう可能性がある。父ならやりかねない。

 何なら、周囲からの評判が悪かろうと気にせずやってしまいそうだ。


「それは本題ではないのではありませんか?」

「そうですね。お恥ずかしいながら、これは本題ではありません」


 そう屈託(くったく)のない笑顔を浮かべるレオン様。美しい……ではなくて!


「ですが、このままではサラもまた自分の娘だという公爵、そしてリーズに私はブレシアとの婚約を白紙に戻されてしまいそうなのです」


 そう必死にレオン様がお母様に伝えてくれている様子が、何というか嬉しい。

 ……自分の婚約継続の危機なのは嫌だけれど、それでも。


「……わかりました。殿下の気持ちはしかと受け止めましたが、ブレシア本人はどうなのですか? 彼女は本当に王都に戻ることを望んでいるのですか?」


 お母様の視線が私のそれとぴったり重なる。けれど、お母様の心配には及ばない。

 そう考えていたことがお母様にはお見通しのようで。


「……わかりました。ブレシア、貴女は殿下の隣にいたい、と。そういうことなのね?」


 心の中が覗かれるのがこんなにつらいものなんて。今の今まで何かあれば使っていたけれど、これからは父やお兄様でもやめた方がいいのかもしれない。


「はい。私はレオン様の隣以外もう考えられないのですっ」

「私からもお願いします。ブレシアを……」

「あら、殿下。それは旦那様におっしゃってくださいな」

「それでは(らち)が明きません。公爵はサラが聖女だと繰り返すだけで……。ブレシアのために、今度の冬至に王都の大聖堂で石板を触らせてやりたいのです」


 お母様の顔色が変わった。お母様のスキルを使ってもわからないことがあるのかもしれない。


「冬至……来週末ですか。けれど、娘はまだ十八になっておりませんわ、殿下」

「クレルモン殿が特別に、ブレシアに石板を触る許可を出してくれた」

「まあ……殿下は娘が好きなものと、クレルモン様の相性が悪いとご理解していらっしゃらないのですか?」


 どうやらそこまで筒抜けだったらしい。仕方がない。

 けれど、別に王都に戻りたいのは、レオン様のお言葉はレオン様だけのものではないのだ。


「お母様。私からもお願いします」

「ブレシア、貴女は領地に閉じこもっているように、とカディーからそう言われたでしょう?」

「それは私のマナーがなっていないから、というお父様の勘違いからの発言ですわ。お母様がお父様に大丈夫だとお伝えくださったら私も王都に戻れるのです」

「そう……」


 私の提案に、頭に手をあてて少し考え込むお母様。私が心を読もうとすると、思いっきり威圧された。お母様の心を読むのダメ、絶対。


 しばらくして、お母様は再び姿勢をもとに戻した。


「わかりました。ブレシア、行ってらっしゃい。カディーへの連絡についてはわたくしに任せてちょうだいな」

「えっ? 私が言うのもあれですが、よろしいのですかお母様?」


 私が重ねた質問に深々と頷くお母様。

 よくわからないけれど、とてもありがたい。


「公爵夫人、ありがとうございます。これで公爵を止めることができます」




 そういうわけで、その日の朝食を終えた私は、馬車で再び王都に向かうことになったのだけれど。


「レオン様? 馬はよろしいのですか?」

「何人か騎士を連れて来た。彼らが馬をもとの場所まで乗り継いでくれるはずだ。途中で乗り換えてきたとは言ったが、国内の騎士の詰所(つめしょ)から借りた馬だから安心するといい」


 そういうわけで行きとは違い、レオン様と同じ馬車に乗って帰ることになった私。

 それも、王都に行った時と同じように、隣り合って座った上に手を繋いだ状態で、である。


「ところでレオン様、リーズさんが皆に迷惑をかけているというのは本当ですの?」

「ああ。それもどうやら、魅了にかかったと思わしき人物も数人いるとの話だ。まだサラはスキルを得ていないはずだから、十中八九リーズの仕業だと思う。それも、君の父親と一緒にいるのが目撃されている」

「えっ、お母様はお父様のことを信じていると言っていたのですが」


 父はやはりダメらしい。やはり、父が母の仮病を言わないのも、スキルを秘匿しているのもリーズに見とれているからではないだろうか?


「どうやら二人して吹聴(ふいちょう)しているらしい。サラが本物の聖女だとな」

「誰もサラがスキルを使ったところは見ていないのですよね?」


 私の確認に頷くレオン様。すでに魅了されている人もいるというし、これはまずい傾向ではないだろうか?

 そう不安に思いながらも、今私にできることといえば馬車に乗って王都に帰ることだけだ。


 けれど、レオン様が隣にいてくれる。それだけで大丈夫な気がした。




 こうして途中、行きと同じ宿に泊まった私が到着した先は、王宮だった。


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