【短編】無表情な昭和の女中さんを笑顔にさせてみた。
親というのはいつも勝手だ。
俺のため、というが実際は『子供のために行動している自分が好き』なのだろう。
そうでなければ、俺の意見だって聞くはずだ。
彼女との出会いも親の自称お節介から始まった。
※※※※※※
「お手伝いさん、雇ったから」
母さんが電話から言い放った一言は俺を数十秒間フリーズさせた。
「え、なんで?」
「あんた大学出てからおじいちゃんの家で一人暮らししてもう五年でしょ。部屋汚くなってるでしょ。わかってる。だから、母さんはお手伝いさん探してきたの。今時のお手伝いさんはご飯とか作ってくれるんだってすごいよね」
まくしたてるような母さんのマシンガントーク。
「いや、別に綺麗だけ――」
「嘘つきなさいそういってあんた部屋にゴキブリ飼ってるでしょブイチューバーは若い男の一人暮らしはみんな飼ってるって言ってるんだから」
言葉の弾幕が厚すぎて何も言えねぇ。
「そういうわけで明日の十時にそっち行くからね」
「急すぎだって!」
「いーじゃんいーじゃん。彼女とかいないんだから、どーせ暇なんでしょ」
そりゃそうだけど。
「んじゃ、あとよろしく」
「あ、ちょっと!」
……切れた。
ま、いっか。
お手伝いさんがきたら、事情を説明して断ればいいだけだ。
生来、どちらかといえばポジティブな俺はそんな風にかるーく考えてた。
※※※※※※
翌日、俺はお手伝いさんを部屋で待っていた。
お手伝いさんが来るまで残り十分。そろそろかな。
部屋の窓から外を眺める。目の前は小高い丘、そして、その上には古びた神社が街を見守るように建っていた。
土岐守神社だっけ。神隠しとか変な噂があるから初詣でも人気がなく、どこか廃れた印象の神社だ。
今日も参拝客一人もいないじゃんとか思いながら眺めていた。
「ふわぁ~」
陽気な春の日差しのせいで眠気に誘われて大きくあくびをした。
その一瞬、目を離した。――再び神社のほうを見ると、今時、時代錯誤の風呂敷を背中に背負った一人の少女がいつの間にか現れていた。
あれ? どこから現れたんだ?
腰まである長い金髪、ボロボロの着物からでもわかるふくよかな胸、遠目からでもぴしっと伸びた姿勢とみすぼらしいながらも強い意志を感じさせる眼差し。これだけ目立つ容姿をしているのに今まで見たことがない。
ということは外国人かな。それにしては妙に年季の入った着物だけど。
新しいお手伝いさんが来るまで暇だったこともあり、つい少女を視線で追ってしまう。
少女が社の前で丁寧な所作で二拝二拍一拝した後、目をつぶり熱心に何かを祈っている。14、15歳くらいの年齢にしては珍しいくらい信心深い。
五分ほど経ち、ようやく目を開けた少女の目の前を猫が通り過ぎていく。
『にゃー』と挨拶するかのように鳴いた猫を見て、少女はほんのわずかに唇の端を上げて、――笑った。
どくんと心臓が高鳴った。
か、可愛い。
一瞬、息が止まったかと思った。
再び元の無表情になってしまったが、脳裏には彼女の笑みがいつまでも残り続けた。
会話してみたい、お近づきになりたい。そればっかり思うようになったが、さすがに接点がない以上、声をかけても不審者として通報されるかもしれない。
少女は手元の紙に視線を落として――、動きが止まった。
……ん? どうしたんだ?
完全にフリーズしている。
しばらくすると周囲をきょろきょろと見渡して、また動きを止めた。
なにかを探しているようにも見える。
……お手伝いさんというから勝手に中年女性を想像していた。だけど、まさか。
壁掛け時計に目を向けると、約束の時間を十分も過ぎていた。
あの子が……お手伝いさん!?
あんなに若いなんて。
結局見つからず、少女が視線を落とす。無表情でわかりにくいが困っているようにも見える。
……仕方ない!
慌てて俺は家を出て神社に向かう。
※※※※※※
「はぁ、はぁ」
階段を上り、神社にたどり着いた。一刻も早く会いたくて走ったから息が切れてきつい。
えっと、あの子は――いた。
鳥居のそばで呆然としている少女に近づく。
「はぁ、はぁ……こ、こんにちは」
なるべく怖がらせないように優しくあいさつしたつもりだったが。
「――っ」
ほんの僅かに少女の体が震えた。
しまった。汗だくで息が切れてる大人の男なんて少女からすれば不審者にしか見えないじゃないか。
「驚かせてごめんね」
「……」
「窓から君のことが見えたから急いで駆けつけたから息切れしちゃってさ」
「……」
「あのさ?」
「……」
止まってる。ナウローディングって感じだ。
そんなに俺の顔が怖かったか? どちらかといえば間抜け面って言われるんだけどなぁ。
「君がお手伝いさんだよね?」
『お手伝いさん』という言葉に反応して少女の目に理性の光が宿る。
「申し訳ありません。見慣れぬ洋装だったので戸惑ってしまいました」
洋装って……。言い方が古風だな。普通のTシャツとジーパンなんだけど。
「私は楠様のご紹介で参りました女中のミツと申します」
楠? ああ、母さんの旧姓だったかな?
なんで、わざわざ旧姓で登録したんだろう。
そもそも『女中』だなんて古い表現だ。どこの人間だよ。
一瞬で様々な疑問が浮かんだが、母さんの気まぐれだろうと深くは考えなかった。
「俺は橘裕也だ。来てもらって悪いんだけど――」
そのとき、ミツの足を見て気づいた。ぞ、草履!? しかも、使い込まれているように年季が入ってる。
まるで江戸時代の住人みたいだ。
訝しげな俺を見て、ミツは何かに気づいたようにハッとなり、地面に正座した。
「ご主人様。申し訳ありません」
土下座!? え、なんで!?
「このような都会は初めてでして。地図は受け取っていましたが、学がないため迷ってしまいました」
「あ、いや、別にそこはどうでもいいんだけど」
「この仕事を首になれば、もはや行くところはありません。なので、なにとぞお許しを」
「お、大げさな」
「決して大げさではありません。私は親兄弟を亡くしました。もう行く当てもありません」
は、背景が重すぎる。嘘だろ? と思ったがミツの表情に悲壮感が漂いすぎている。もし、俺がミツを雇わないと知れば、近くの川にダイヴすること間違いなしだろう。
……仕方ない。
まずは家に案内して落ち着かせてから、その後のことを考えよう。
「別に怒ってないよ。ただ、その靴だと動きにくくないかなって思っただけだ」
「靴? ……ああ、西洋の履物ですね。都会では草履もそのようにおっしゃるのですか?」
『おいおい、田舎でも草履は靴だろ』とツッコミを入れようと思ったが、あまりにも真剣な顔のミツを見て『あれ? マジで言ってる?』と判断して結局言えなかった。
どれだけ田舎なんだよ。山奥から来たのか?
母さんはこんな子をどこから見つけてきたんだよ。
「うちに着いたら靴くらいやるよ。確かお祖母ちゃんの靴が何足か余ってたはずだ」
「……」
「どうかした?」
なんでフリーズしてんの?
不思議に思っていたそのとき、
「そんなものいただけません」
ミツは表情を変えず、詰め寄ってきた。近くで見た彼女の顔は幼いながらも整っており、女子特有の甘い匂いがした。
不覚にもちょっとドキドキする。
こんな中学生位の女の子にきゅんとしたなんて知られたらまずい。動揺を悟られないように冷静な顔で取りつくろう。
「大したものじゃないから」
「いえ、いただけません。その理由がありません」
「でも、ちょっとは履いてみたいんだろ?」
「……」
「履いてみたいんだろ?」
「……いいえ」
ちょっと迷ったな。質素な服装をしていてもオシャレに興味が無いわけではないようだ。あとで無理やりにでも渡してやろう。
「とりあえず、うちに行くか」
「はい」
ミツが歩き出そうとした瞬間、足がふらついた。
「大丈夫か?」
「大丈夫です。申し訳ありません」
とは言うものの顔色が悪いように見える。無表情だからわかりづらいけど。
「そういえば、どこから歩いてきたんだ? すぐそこの駅前から歩いてきたにしては疲れてるみたいだけど」
「横浜から汽車を降りてこちらに向かいました」
汽車? 電車の間違いだろうけど、……横浜から?
「え!? 隣の県じゃん! さすがに遠すぎだろ!」
「いえ、二日しかかかりませんでしたから」
いや、二日もかかってるだろ。
でも、そういうことなら異常な疲労もわかるというものだ。おそらく立っているのも辛いだろう。
よし!
「――って、えええええ」
ミツの足と胴体に手を回して持ち上げた。俗にいうお姫様だっこというやつだ。
「な、なにを!?」
「だって、その草履じゃ歩けないだろ? だったら、こっちのほうが早いって」
「い、いえ、でも! 重くありませんか?」
「え、何が? 羽毛かと思ったよ」
嘘です。
女の子だから軽いだろって考えたけど意外に重かった。おそらくミツが背負った風呂敷の中身が重いんだろう。
でも、『重いからやっぱ歩いて』なんて男のプライドに賭けて言えない。
ま、家は近いからなんとかなる!
……たぶん。
※※※※※※
「はぁ、はぁ、はぁ」
よ、ようやく家にたどり着いた。膝が今までにないくらいガクガクしてる。
「大丈夫ですか?」
「全然大丈夫!」
汗だくだくで説得力皆無だけど俺の精一杯の笑みを見て、ミツは何も言わなかった。うぅ、気をつかわれるなんて情けない。
そういや、大学出てから運動なんてしてなかったからなぁ。ここまで体力が落ちてるとは思わなかった。……今度の休みにランニングでもしよう。
「ご主人様。お水です」
「ああ、ありがと――ってすごく年季が入ってる!」
この手触りはアルミじゃないな。まさかブリキ?
「す、すみません」
「ああ、いや、ちょっと驚いただけだから。……ん、冷えてて美味い! 最近エナドリばっか飲んでたから逆に新鮮だったよ」
「えな、どり」
「エナジードリンクの略だけど。え、聞いたことない?」
「えなじー、どりんく」
めっちゃおうむ返ししてくるじゃん。
「エヴォリューション」
「えぼりゅーしょん」
「東京特許許可局」
「とうきょうとっきょきょきょきょく」
言えてない。
「ぷっ、くくく」
「……」
無表情で睨んでくるミツ。ちょっとからかいすぎた。
「ごめんごめん。舌が回ってないミツが可愛くてさ」
そう言うと、ミツの動きが止まった。やがて言葉の意味を理解したらしく、顔が一瞬で赤く染まった。
「は? 可愛い? そ、そんなこと言われたことないのですが」
「顔つきとかめっちゃ整ってる! 足も細くていいねぇ!」
「……」
またフリーズしてる。
「いつもより肌がノってるねぇ!」
「……」
「え、やばい。無理待って。尊すぎて仏壇に飾るレベル!」
それでもかまわず褒めていると、
「……」
げ、無言で泣き始めた!
……またあの笑顔が見たかっただけなんだけど。やりすぎた。
「ほんっとごめん! マジでやりすぎた! いや、若い女の子と話すの久々だからついやりすぎた!」
「こちらこそ、泣いてしまってすみません。褒められることに慣れてないので」
褒められ慣れてないって虐待でもされてたのか? ……よく考えればこんな若い時から仕事をしてるってことがおかしい。普通なら学校に通う年だよな。
どうやら苦労してきたみたいだ。
ミツへの同情から目頭が熱くなるのを感じた。
もっと優しくしてやろう!
決意を新たに目一杯優しい目を向けると、ミツは居心地が悪そうに視線をさ迷わせた。
「あの、こちらがご主人様の一軒家ですか?」
気まずい雰囲気を変えるようにミツは話題を変えた。
「元々はうちの母方の祖父さんが暮らしてたんだけど亡くなってさ。誰も住む人がいなくて解体する話も出たんだけど俺が働いてる会社がこの近くで家賃かからないってことだから仕方なく住むことにしたんだ」
「今時洋風なんてご立派ですね」
こっちは都会だから大体の家は洋風だけど。……今時日本家屋のほうがめずらしいだろ。
「そんな立派じゃないって。古くて広いだけだよ」
「古いなんて! そんなことありません。初めて文化住宅というのを拝見しました。私が働いていた場所でも日本家屋ばかりで洋風なんてはいからなところはありませんでした!」
はいからって。言葉のチョイスが古いなぁ。
「このような屋敷で働けるなんて」
「いや、そのことなんだけ――」
「ご主人様」
ミツが改めて俺に向き直り、真剣な眼差しで頭を下げた。
「ど、どうかした?」
「この度は私のような若輩を雇っていただいてありがとうございます。全身全霊で務めさせていただきます」
こういうこと言われると、『やっぱ雇えません』って言い出せないじゃん。
「……こっちこそよろしく」
ま、仕方ないよな。俺一人でも十分だったけど二人のほうが部屋の片付けもはかどるしな。
※※※※※※
「んじゃ、中に入ってくれ」
「おじゃまします」
玄関で埃まみれの家具を見て、ミツは何か言いたそうだった。
「た、たまただから」
「はい」
信じてなさそう。
「ここがキッチンな」
「流しにゴミが積み重なっていますが……」
「一人だから主食がカップ麺なんだよね。たまたまだけど」
「はい」
心なしか言葉が冷たい。
「ここが居間。10畳くらいあるから家で一番広い場所だな」
「ゴミが散乱してますが」
「最近掃除してなくてさ。たまたまだけど」
「はい」
視線が痛いんだけど。
「ここが俺の部屋。基本的にここは掃除しなくていいから。じゃ、次ね」
「一瞬だったのでよく見えませんでしたがすごいゴミが積み重なっていたような」
「ちょっとちらかってるからさ」
「……」
無言で見つめないで。
「あといくつか部屋があるんだけど封印してるからとりあえず置いておいて」
「封印? 片付いていないからですか?」
「……多少な」
「安心しました」
「え、なんで?」
「思った以上に仕事がありそうです」
……たまに掃除してるんだけどね。
掃除した日とかに来てくれればそれなりにやってるってわかるんだけどなぁ。
「最後にここが応接室な。一応来客があったらここに案内することにしてんだ」
この部屋はちょっと自信がある。
なにしろ爺さんが死んでからほとんど利用してないから綺麗なままだ。
「坂敷きの床、西洋の家具……。ここは洋間ですね」
「まぁな。……一応他の部屋も洋間あったけどね」
汚くてそれどころではなかったということか。
「壁に絵が飾っています。これはイルカの絵ですか?」
「そうそう。イルカに支配された人類の未来の絵ね」
「こちらは?」
「AIが描いたピカチュウ」
こういう資産価値が高い絵や調度品が置かれていて、壊すと大変だから触れないように応接室には来ないようにしていた。
だから、綺麗なんだけどな。
「あ、お茶淹れてくるからそこのソファーにでも座っててくれ」
「……はい」
どこか戸惑った表情のミツを置いて、俺は部屋を出た。
※※※※※※
お茶を淹れるの久しぶりだから急須の場所がわかんなくてちょっと時間がかかってしまった。
ノックをしてから応接室に入り、
「悪い悪い。お客さんってあんま来ないから――」
ちょっと固まってしまった。
「……え、なんでソファーの脇で正座してんの?」
「洋間は初めてなので勝手がわからなくて」
「普通に座ればいいと思うけど」
「はい。では、失礼して」
どこかぎこちない動きでミツはソファーに腰を下ろした。
「……!?」
体が沈むという感覚に慣れていないらしく、ミツは慌てて立ち上がった。
「ソファーも座ったことないのか?」
「申し訳ありません」
さすがにおかしくない?
いや、でも、めちゃくちゃド田舎ならあり得るのか?
うーん。でも、嘘をついてるように見えないしなぁ。そもそもそんなどうでもいい嘘をつく理由なんてあるかなぁ。
「あの。これから勉強いたしますので」
しまった。ミツに不満があるみたいに勘違いされた。
「ああ、ごめんごめん。別のこと考えてた。とりあえず明日からってことで構わないかな」
「はい、もちろんです」
「改めてよろしく」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
和やかな雰囲気だ。お互いに良い関係が築けそうだ。
「……」
「……」
あれ? もう解散って感じの流れじゃなかった?
「えっと、まだなんかある?」
「いえ、特にありませんが。私の部屋はどこでしょうか?」
「え、私の部屋?」
「はい、住み込みの女中ということで紹介させていただいたのですが」
……聞いてない。
そういえば、行く当てもないとか言ってたもんな。当然暮らす場所もないことは明白だ。
でも、一つ大きな懸念がある。
「私としては納屋でも構いませんが」
「いやいや、そういうわけにはいかないだろ。使ってない部屋があるからそこを使えばいいよ。でも、その前にさ」
「はい、なんでしょうか?」
「その、見ての通り俺一人暮らしなんだけど、本当にいいの?」
「何がですか?」
「いや、だから、俺と二人きりだけど」
「住み込みの女中なら一般的だと思います」
そんな呆気なく言うもん?
……今時の若い子って積極的なんだな。
「わかった。それなら案内するよ」
やばい。女子と二人きりなんて。ドキドキが止まらない。
※※※※※※
妹が泊まりに来たときに使っていた部屋に案内した後、俺は居間でソファーに座って一息ついた。
久々に若い女の子と話して緊張した。
なにしろ、俺の職場はほぼ男だけだからなぁ。
でも、どこの田舎から出てきたんだってくらい世間知らずだったな。
今時、洋間って言い方も古臭い。
普通はリビングとかいうだろ。
母さんはどこから探してきたんだ。
そう思っていた時、スマホが震えた。
お、母さんだ。
「もしもし?」
「お手伝いさんきた? どうなの?」
電話に出るなり、いきなりのマシンガントーク。
耳がキーンとくるんだけど。いつかこの超音波でガラスを割りそうな勢いだ。
「ああ、ミツのことね。なんかすごい世間知らずなんだけど」
「……誰? ああ、アンタの彼女? いつの間に彼女なんてできたのに。そういう報告は全然しないんだからいつ紹介するの?」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。俺が言いたいのはお手伝いのミツのことだって。すごい若いんだけど義務教育終わった年なんだよね?」
「そんな若いお手伝いさんが来るはずないでしょ」
言われてみればそうだ。
じゃあ、俺、知らない女の子を家に入れちゃったってこと?
え、それって誘拐じゃんか。
犯罪をしてしまったかもという恐怖から心臓の鼓動が早くなり、冷や汗が背中を流れる。
「といってもお母さんもどんなお手伝いさんが来るかわかんないんだけどね楠のおばさんが」
「悪い母さん、また今度!」
話の途中で通話を切り、ミツのところに向かう。
※※※※※※
ミツの部屋のドアを数度ノックした。
「はい」
すぐに返事が返ってくる。や、やばい、緊張してきた。もし、警察に通報ということになったら土下座して許してもらおう。
「お邪魔します」
覚悟を決めて足を踏み入れた。……よく考えれば女子の部屋に初めて入ったな。さっきミツの部屋になったばかりだからまだ自分の家って感覚のほうが強いけど。
「どうかしました?」
座布団の上に正座したミツが小首を傾げる。机の上には書きかけの手紙が置かれていた。
「いや、実はさ」
そのとき、手紙に書かれていた一文が目に入った。
『昭和6年』
「は!?」
「え、どうかしましたか?」
「あ、いや、ごめん。手紙の文が目に入ったんだけどさ」
「構いません。特に大したことは書いていないので。よろしければ、ご覧になりますか?」
「あ、ああ、それなら」
再び目にした文はやはり先ほどと同じだった。
「しょ、昭和6年?」
何かの間違いだよな? という目でミツを見るが。
「はい、今は昭和6年ですが」
……は?
「今は令和だけど」
「令和? 聞いたことがありませんが」
嘘をついてる様子はない。
よく考えれば、服装も着物だし、駅から神社まで歩いて来たり、ソファーの座り方もわからなかったり、住み込みの女中が一般的だと言ったり、妙なことが多すぎる。
ということは……ミツは昭和から来た?
「ご主人様?」
「あ、えっと、ごめん。スマホというか、携帯電話とか持ってないの?」
「すまほ? けいたいでんわ?」
……決まりだ。今時スマホや携帯を知らない現代人はいない。
「いや、なんでもない」
ここは未来なんだ。といってもミツは信じないかもしれない。そもそも昭和よりも発展した街並みを見てるはずなのに『都会ってすごい』くらいの感想しかなかったからなぁ。
ま、そのうち自分でおかしいと気づくだろう。そのとき、俺も真実を教えてやればいいか。
「ところでその手紙って誰に書いているんだ?」
「これは前のご主人様にこの度、紹介していただいたお礼の文です。……もっとも向こうからしたら厄介払いが出来たと思っていらっしゃるようですが」
「いや、そんなことないだろ」
「……お気遣いありがとうございます。ですが、ご覧の通り、異人の血が混じっている私を女中に欲しがる家なんてありませんから」
昭和の価値観だとミツの金髪は不吉とか思われていたしれない。
でも、今は違う。
金髪や茶髪の人たちがいても髪を染めているんだろうなって思って気にしない。
「我が家にはこういう名言がある。『よそはよそ。うちはうち』ってな。ミツみたいな可愛い子が来てくれて俺は嬉しいけどね」
「……」
あ、フリーズしてる。
「おーい」
「……そ、そういうお世辞はやめてください」
「いや、お世辞じゃないけど」
「このようなボロの着物を身にまとった私が可愛いわけありません」
「着物は別に関係ないと思うけど……」
でも、着物は確かにぼろい。
なんか使い古しの布を縫い合わせて無理やり着物にしましたというボロさがある。
「他の服はないの?」
「前の屋敷にいた際は余計な反物がありませんでした。それに縫う暇もなかったので」
「縫う!? え、それお手製の着物!?」
「もちろんです」
「すごい! え、ちょっと触っていい?」
「ど、どうぞ」
「自分で縫うなんてすごいなぁ」
興奮しながらミツの着物をじろじろと見ていると、
「あの!」
「え?」
「あまりいい出来ではないので、その、は、恥ずかしいです」
ミツの顔がポストみたいに真っ赤だ。……ちょっと無遠慮に見すぎた。
「ごめん。つい。……だって、お手製の着物なんて初めて見たからさぁ。着物って一般家庭で作れるんだなぁ」
着物を作れない俺としては十分な出来だと思うけど。
「私としてはご主人様の服のほうがすごいと思います。とても手縫いとは思えない完成度の洋服です」
ごく普通の恰好なんだけど。
「……」
じーっと見られてる。
「ちょっと触ってみる?」
「で、ですが」
「さっき俺もミツの着物を見てただろ? お互い様ってことでさ」
「そういうことでしたら」
ミツは至近距離で背伸びすると、Tシャツに書かれた『五条悟の正体は天竜人!? 最新話で判明。DX日輪刀に隠された真実』をじっくりと見つめる。
「文字の刺繍がすごいですね」
「そ、そうかな」
「はい、勉強になります」
うぅ、さっきのミツの気持ちがわかる。
ここまで距離が近いと手や胸が当たっていて、否応なく女の子の体を意識してしまう。
「よく見れば縫い目が均等ですね。すごい技術です」
ただのミシンで大したことないと思うけど。いつもは冷静なミツのキラキラした目を見て、それを言うのは無粋だ。
お、そうだ。
「よかったら、ミツも着てみるか?」
「……はい?」
「実際着たほうがわかるだろ」
「ですが、洋服なぞ、着たことがないので」
「んじゃ、いい機会だな。……ちょっと待っててくれ」
「え、あ!」
ミツの返事を待たず、部屋から出た。
正直、これ以上ミツに触れられるのは限界というのもあった。でも、それ以上に着物以外を着たミツと言うのも見て見たかった。
※※※※※※
戻ってきたとき、ミツは借りてきた猫のように大人しく正座していた。
「ご主人様。やはり私には」
ミツが言い終わる前に、
「お待たせ。サイズがわからなかったから、『もうダサいからいらない。うちももういっぱいだから、てきとーに保管しておいて』って置いていった妹の服をいくつか持ってきた」
テーブルの上に妹の服を置いた。制服、ワンピース、メイド服などファンションモンスターの妹ならではのラインナップだ。
一瞬でミツの瞳の色が変わった。
「……洋服というのは手触りも絹みたいな滑らかさですね。これがモダンなんですね」
とても優しい手つきで持ってきた服を撫でた。
どの時代も女の子ということだろう。やっぱり興味があったみたいだ。
「じゃあ、まずは制服でも着てみる?」
「え、あ、それは」
「いいじゃん。はい、これ」
無理やり制服を手渡す。かなり迷いながらも好奇心には勝てなかったようで恐る恐る制服を広げた。
「すごい繊細な出来ですね。それに……随分と小さい帯がついてますね」
「それリボンな」
「?」
どうやら制服の着方がわからないようだ。
「……すみません、上流階級の方なら上手く着こなせるのですが」
まだ洋服が一般的じゃないのか。
「なら、こっちの服着てみる?」
「い、いえ、そっちは足が露出しすぎでは?」
メイド服はやっぱり早いか。
ち。ちょっと見たかった。……でも、今まで洋服を着たことがない昭和の人に制服やメイド服は難しいみたいだ。
俺が着て手本を見せてやるわけにはいかないしなぁ。
ミツが気軽に着れるような服があればいいんだけど。
「あ」
これなら今のミツに最適じゃないか。
「これとかどうかな?」
「これならなんとか。ですが、このような上等なものを」
「そういうのいいからいいから」
強引に服を持たせて、俺は部屋から出た。
※※※※※※
しばらく部屋の外で待っていると。
「あの」
ドアが少しだけ開き、ミツの顔がにょきっと生えてきた。僅かに見える肩の肌色がまだ着替え中であることを示していた。
「え、どうかした?」
内心のどきどきを隠しつつ問いかけると。
「やはりこれは私には不釣り合いでは? なぜなら髪の色と合いません。黒髪のほうが映えると思うのですが」
めっちゃ早口じゃん。
「いや、ミツのほうが似合うよ」
「ですが」
「綺麗な金髪してるんだから、もうちょっと自信もっていいと思うけどな」
「……」
あ、またフリーズした。
「……そういう冗談は困ります」
「いや、別に冗談じゃないけど」
「金髪は私には似合わないので綺麗ではないと思います」
「そんなことないって。ミツは瞳の色がちょっと青みがかって金髪に映えるよね」
ミツはじっと俺を見つめると、何かを言いたそうに口を開けて――。
「……」
そのまま無言でドアを閉めて引っ込んだ。……今度こそ怒らせてしまったかも。
※※※※※※
あれから二十分。
ぜんっぜん出てこない。
本気で怒ったのだろうか。いや、だとしたら何か言ってくるはず。
ということは何かあったのか!?
慣れない環境。新しい職場。じっくり考える余裕がない展開。よく考えれば、トラブルが起きる原因は盛りだくさんだ。
「ミツ? えっと、大丈夫?」
声をかけるが、返事はない。
……仕方ない。
「開けるよー」
慎重にドアを開けて部屋の中に入る。
えっと、ミツは……いた。
着物……ではなく、浴衣を着て鏡の前に立ち尽くしていた。
そう、俺が手渡したのは洋服ではなく、浴衣だった。
これなら着物に近いからミツにもなじみやすいと思ったのだ。
案の定、着つけは問題なさそうだ。
……うん、よく似合ってる。
でも、それならなんで固まってるんだ?
しばらく観察していると。
「……」
無言で一回転。相変わらず無表情だが、どうやら気に入ってくれたようだ。
「よかったらそれやるよ」
声をかけるとミツがびくりと体を震わせた。
「……」
恒例のフリーズだ。
「……いつからそこに?」
「え、一回転したあたりからだけど」
「そう、ですか」
恥じるように顔を赤らめて俯いた。
「あ、でも、可愛かったよ」
フォローのつもりで言ったのだが、ミツはますます小さくなった。
失敗したなぁ。……ミツの返事を待ってから入ればよかった。
「そ、それでさ。その浴衣、妹が使ってたんだけどサイズが小さくなったからって着なくなったんだ。よかったら使ってくれよ」
「……」
一瞬、瞳に喜色が宿る。しかし、すぐに色は失ってしまった。
「誰も使ってないし、よく似合ってたからさ。使ってくれよ」
遠慮しているかと思い、再び言葉を続ける。
「……なんでここまでしてくれるのでしょうか?」
「これから女中としてお世話になるからね」
それにつらい環境に対しての同情もある。
でも、なによりも。
――笑った顔がもう一度見たかったから。
でも、恥ずかしがったり喜んでくれるけど全然笑ってくれない。
「女中は仕事なので当然です。むしろ雇っていただいたけでも感謝しています」
ミツは丁寧に頭を下げた。真面目だなぁ。俺が好きでやったことだからもう少し気楽に考えていいと思うんだけど。
「……」
ミツは俺の顔をじっと見つめると、申し訳なさそうに視線を下げた。
「どうかした?」
「これほど優しくされたのに表情がなくて申し訳ありません」
どうやら本人も自覚があるようだ。
「こんなとき、どんな顔をすればいいのかわからなくて」
お、この台詞は! あれを言うべき場面!
「笑えばいいと思うよ」
決まった。最高のキメ台詞だ。
これで笑わないはずがない。はずだが。
「いえ、笑うのは不謹慎ではないでしょうか? 女子たるもの軽はずみに愛想をふるまうものではないと思います」
貞操観念が強すぎる。一刀両断。現実は残酷だ。
でも、あきらめきれない。
「いいじゃんかよぉ。笑った顔が見たいんだよぉ」
しまった。つい本音が出てしまった。
「わ、私の?」
「可愛かったらもう一度見たいんだよ」
「……またそういうことを言って」
「とにかく頼むよ。お願い! 頭なら下げるからさ!」
「ご主人様が女中に頭を下げないでください」
「だったら笑ってくれ!」
ミツは呆気に取られたように目を丸くした。
笑顔のためにここまでするとは思っていなかったのだろう。予想外の出来事にミツは完全に固まっていた。
「ですが」
「頼む! なんなら鼻でうどん食べるからさ」
なおも懸命に頭を下げる俺を見て、ミツは能面のような表情を崩し、ほんのわずかに唇の端を上げて、
「……仕方ない人ですね」
かすかに笑った。
「あ、今笑った?」
すぐに元の無表情に戻るミツ。しまった。そのまま黙っておけばよかった。
「いえ、笑っていません」
「笑ったって!」
「笑っていません」
『あれ? 本当に笑っていなかったのかな?』ってレベルの迫真の宣言に一瞬、本当に笑っていなかったような気すらしてきた。
いやいや、そんなことありえない。
あの笑みだけは絶対に忘れない。
なにせ恋の始まりのような胸の高鳴りを感じたのだから。
あれ? もしかして、俺恋してた?
その自覚をしたとき、物語は始まった。
※※※※※※
「で、お手伝いさんはどうなの?」
「ああ、すごく助かってるよ」
「あんたねぇお手伝いさんにばっかり迷惑かけないで自堕落なんだから子供のころのことを思い出すわぁあのころも」
話が長くなりそうだ。
「続きはまた今度で――」
「あのころのあんたは可愛かったわぁそういえばあのときね」
聞いてない。
無理やり通話を切ってしまうと怒りそうだから、あえて切らずにそのまま放置して部屋から出た。
そのうち話疲れたら満足して通話を切るだろう。その前に気づかれる可能性もあるけど。
丁度そのとき、廊下を雑巾掛けしてるミツに出くわす。
「あれ? 浴衣は?」
なんで前のぼろい着物着てるんだ。
ミツは掃除の手を止めて俺を見つめる。
短い時間だがミツのことを見ていたからなんとなくミツの感情がわかる。どうやら、なんて言えばいいか困ってるみたいだ。
「……もしかして、気に入ってなかった?」
「いえ、違います」
「え。だったら、どうして?」
「……それは、あのような綺麗な着物を着ていると落ち着かないので」
よく見れば、ミツの頬がほんのわずかにゆるんでる。
わずかな表情の変化だが、フリーズばかりしていた頃のミツに比べるとはっきりとわかる変化だ。
そして、もっと変化を望む俺もいた。
「よし、じゃあ、服を買いに行こう」
「仕事があるので」
「じゃあ、今日は休みで」
「それはどうかと思います」
「いいじゃん。俺が雇い主だし」
無表情ながらもわずかに呆れた気配がただよってくる。
でも、仕方ない。
俺はミツにもっと色々としてやりたいんだから。
「これからもよろしく」
「はい、こちらこそ」
昭和から突然来た少女。もしかしたら、また突然、元の時代に戻ってしまうかもしれない。
そうしたら、この出会いも無意味になるかもしれない。
たとえ、何もかも無意味だったとしても。
それでも残るものがあるはずだ。
※※※※※※
「そもそもお手伝いさんなんて本来は必要ないんだからね今回は先方がどうしてもっていうから。昔、お祖母ちゃんが世話になったミツってお手伝いさんの親戚の方からの提案なの」
「あんたと面識ないはずなのに『あんたのお手伝いさんを手配させてくれ』って遺言なのよ。で、ここから更に不思議なんだけどそのお手伝いさんの手配はミツさんが全部したらしいんだけど、誰に依頼したかお孫さんもわかんないみたいなの」
「あんたともう一度出会いたいって言ってたみたいだけど、あんた面識ないんだよね? って聞いてる?」
※※※※※※
それから数年後。
いつものように窓から土岐守神社の境内を眺める。
一人で。
ミツはもういない。
彼女には彼女の時代があり、俺には俺の時代があった。
俺自身納得は出来なかったが、ミツは『幸せを貰ったから』と言って戻っていった。
もう二度と会うことはないだろう。
そう思っていても気が付いたら神社を見ていた。
そんな俺を心配して母さんはまたお手伝いを雇ったらしい。
誰が来ても胸の穴は塞がらない。
相変わらず人がいない境内だ……と思ったら、誰かいた。
金髪で着物の美少女。
俺に背を向けていて顔はわからないが、それでも僅かな希望に心臓が高鳴る。
「ミツ!」
慌てて部屋から出て神社に向かう。
※※※※※※
「はぁ、はぁ」
引きこもっていたせいで数年前よりさらに体力が落ちていた。
酸欠で頭がくらくらする。
それでも、一刻も早く会いたかった。
俺のほうに気づいた彼女を振り向いた。
長い金髪が風になびく。
どこか懐かしい匂い。
「はぁ、はぁ……こ、こんにちは」
初めて出会った頃のように驚かせないように声をかけた。
「――」
目を丸くした後、にっこりとほほ笑んだ。
青い空の下。初めて出会った頃とは別人みたいな笑顔。
「私は曾おばあちゃんの遺言で来たお手伝いの美知です。これからよろしくー」
どこかミツと俺の面影が残る顔立ち。
「なんか曾おばあちゃんの遺言で着物着ていけって言われたんだけど、なんで?」
俺と彼女の出会いは無意味ではなかった。
確かに残ったものを見て、俺も笑った。
氷屋から氷を買わずに電気の力で冷やす冷蔵庫に驚くシーンやガスレンジの電子ケトルにハマるシーンを書いていたらシーン数が増えたのでカットしてたら遅くなりました。
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