第六十八話 黒い噂
俺がオルレア帝国へと来てから、さらに半年が過ぎた。その間、国境沿いで小さな小競り合い等はあったようだが、大きな戦いは一つもない。
しかし…。
「国境沿いで待ち構えますか?」
「いや、帝国の領土へと足を踏み入れられるのも癪だろう。国境沿いに兵を敷いて、近付いて来たところを迎え撃つ」
「それでは、魔術の良い的となってしまいますぞ」
宰相、皇帝、騎士団長が会議室で話し合っている。他にも偉そうな身なりをした者達がいるが、彼等が口を挿むことはない。
そして現在、ついに戦争が始まろうとしていた。
オーレン王国が各国へと兵を派遣し始めたのだ。攻めてくるルートは全部で三通り。オルレア帝国の北方、西方、南方から攻めてくる。
オルレア帝国の東方は、帝国の領土を通過するか回る必要がある。そのため、協力を取り付けるのに時間が掛かるのだ。リリア達が先に情報を伝えたことで、皇帝が東方の国へと根回ししていた。なので今回の戦争に、東の国は参加はしない。
オーレン王国以外は小国。いくつかの国が合同で兵を出しているとはいえ、自分達の国の守りを疎かにする訳にはいかない。なので、それほど膨大な戦力を投入できない。
そこで、オーレン王国は前もって自分の国の兵士を派遣したのだ。兵力として、そして何より、その国が裏切らないように監視する目的で。
「打って出ると言っても、こちらは国一つ。出せる戦力には限度があります」
「向こうもそれが分かっているから、足並みを揃えてくるはず。何処か一つに戦力を集中させると、他の防衛線が突破される恐れがあります」
「それは分かっておるが…だが、このまま正面からぶつかっても、ジリ貧となるのは目に見えておる」
オーレン王国だけならば、まだオルレア帝国の方に分がある。こちらは戦争によって大きくしてきた国だからだ。一人一人の兵士のレベルが、他の国よりも高い。
だが、他国と同盟を組んで来るとなると話は大きく変わってくる。こちらは攻められる場所を、たった一国で全て守る必要があるからだ。
最初から守る場所を減らすという選択肢もある。ようするに、帝都から離れた土地を捨てるということだ。これならば、小さな場所を守るだけで済む。
しかし、皇帝は一切そのようなことは考えていない。その方法では、たとえ守り切れたとしてもオルレア帝国の力が大きく落ちることとなる。
そして逆に帝国の領土を手に入れた周辺国は力を付ける。
さらに言えば東側の国と不戦協定を結んだとはいえ、帝国の力が落ちたと分かれば攻めて来る可能性は十分にあった。そうなればいよいよ、全方位を敵に囲まれることになる。
「足並みを揃えられる前に、周辺国に攻め入ると言うのはどうですか?」
「それは駄目ですね。防衛に入られれば、確実に時間稼ぎをされます。その間に帝都は陥落させられるでしょう」
ああでもない、こうでもないと話し合っているが、一向に良案は出て来ない。そもそもがかなりの戦力差。そう簡単に覆すことができる程の状況ではない。
「セインの作った武器を使えば、間違いなく兵士の人数差は覆すことは可能。いずれは対応されるだろうが、その前に敵の部隊を崩してやればいい」
騎士団長の意見は、基本的に正面から戦い勝つという方法。
「それでは結局、魔導士達への対処になっていないではないですか。いくら歩兵や騎兵を倒せるとしても、遠距離から攻撃できる魔術を相手にしては、その武器も意味がないではないですか」
「…うむ」
それに対して、宰相は魔導士達を警戒している。実際、戦争で一番脅威となるのは魔導士による魔術だ。
歩兵や騎兵がどれだけ多くても、その数の差を遠距離から安全に覆すことが可能。攻撃範囲も広いので、全員で回避することもできない。
距離を詰める前に、確実に数を減らされるのだ。
オルレア帝国にも勿論魔導士の部隊はいる。しかしながら、オーレン王国も同レベルの魔導士の部隊を所持しているのだ。
その上今回は、他の国の魔導士も戦場へと出てくる。
「ふむ…」
「どうしたものか……」
次々と案を出しては否定され、案を出しては否定されていた二人は、ついに考え込んでしまった。皇帝も先ほどから、何一つとして発言していない。
その重苦しい空気に耐えかねてか、周囲にいる何人かが荒い呼吸をしている。
会議室に呼吸音が響く。本人達にはそれを気にする余裕がないのか、全く気付くことはない。
「? どうかしましたか?」
会議室の扉がノックされ、宰相が一番に反応する。
「セインさんにお客様です」
扉越しに、兵士の声が聞こえてくる。どうやら俺に客人のようだ。果たして、誰なのだろうか。
皆の視線が俺へと集まる。
「誰だ?」
「客人の名は?」
俺が尋ねると、宰相がさらに言葉を重ねる。
「一人はリリアさんです。デール、ビビアが情報を持って来たとのことで…」
兵士の言葉を受け、宰相が再びこちらへと視線を向けた。どうするか? と、視線でこちらへ尋ねているのだ。
「重要な情報の可能性もあります」
「分かった。案も出尽くして、会議も詰まっていたところだ。一度休憩にしよう」
俺の言葉を受けて、皇帝がそう告げる。
その言葉を皮切りに、宰相が部屋の外に待機していた侍女へと指示を出す。気分転換ができるように、紅茶か何かを用意させるつもりなのだろう。
休憩の一言で空気が弛緩したからか、皆が一斉に安堵の表情を浮かべていた。息が詰まっていたのか大きな溜息を吐き出す者、外の空気を吸いに行く者までいる。
それを尻目に、俺は兵士の案内でリリアの下まで行く。
「セイン様!」
「久しぶりだな」
情報を持って来たどころか、どうやら当の本人達まで来ていたらしい。
リリアだけが来たのだと思っていたのだが…。
「二人ともどうしたんだ?」
「それが……」
デールが代表として話し始める。やはり内容は、オーレン王国のものであった。
情報を集めてくれたのは、上級貴族であるフランソワ伯爵の娘であるシルベーヌ。彼女からもたらされた情報だ。
オーレン王国は国にいる全ての兵士を、今回の戦争に投入するつもりらしい。
その間に他国が攻めて来たらどうするつもりなのか…。普通は防衛のために、少しでも国に戦力を残しておく。相当オルレア帝国を潰したいらしいな。
当初は、俺が伯爵であるリストア家を壊滅させたことを帝国に押し付けるために始めた戦争だと思っていた。だが、それにしては戦力の投入の仕方が異常。元々帝国を狙っていたのは間違いない。
つまり俺が原因なのではなく、俺はただ切っ掛けにされたにすぎないということだ。
それは問題ない。
だが、問題なのはその後の話。
「噂か…」
「ああ、まだ確証は得ていないようだ。しかし、状況を見る限り……」
「可能性は高いな」
オーレン王国は今回、全ての兵士を投入すると言った。それは王を守護するための近衛兵も含まれているらしい。王を守る必要があるのだから、近衛兵は兵士の中でも最も力を持つ存在。少数精鋭の兵士である。
たった五人で王を守っている。そのような大事な者達まで派遣するという。
そしてここからが問題なのだが、いないはずの近衛兵が王の周囲を守っているようなのだ。つまり、公表されていない者達がいる。これは公表されている近衛兵ですら、知らされていない事実である。
数は全部で三人。つまり、近衛兵は元々八人いたということだ。
そして次に噂の方。
国王が自身の子供達を最前線に向かわせた。そして戦いが得意ではない、つまり城に残った者達を何処かへ幽閉しているという噂だ。
この噂は城の従者の中で広まっているものだという。実際に、従者達はその者達の世話をしなくていいと言われ、それからずっと姿を見ていないらしい。中にはすでに殺されているという噂まであるようだ。
俺がリーラから話を聞いた限りでは、オーレン王国の国王はそれなりに親馬鹿だと感じた。その王が自身の子供を戦場に、それも最も危険な最前線に送るはずがない。それに幽閉の話も。火のない所に煙は立たぬと言うが、今回の件は特にきな臭さを感じる。
オーレン王国内で何かが起きている。リーラの話していた国王と今の国王の様子が違うことを考えると、例えば誰かが成り替わっているとか…。
そして怪しいのは、存在を隠していた三人の近衛兵も同じ。同じ近衛兵にまでその存在を隠しておく必要はないだろう。それに三人だけ残して、他の者達を戦争に送り込む。
自身の守りは三人だけで事足りると言っているようなものだ。それだけ手練れという可能性も十分にある。
何にしろ、この戦争は何かとても厄介なことになりそうだ。