第六章 奴隷の彼女
ペイルは本当に小さな村だった。五十人位しかいないんじゃないかと思えるほどである。村に入るのも見張りがおらず、簡単に素通りできてしまう。
完全に田舎といった様子で、周囲には少しばかりの建物と畑がある程度だ。子爵の収める領地にある村と考えても、かなり小さいのではないだろうか…。この大きさの村を作る必要が何処にあるのか…。
「アイテムボックス」
俺がスキルを発動すると同時に、空間に小さな隙間ができる。これは商人の上級職である豪商のスキルだ。異空間にアイテムをいくつか保存できるというもので、商品や大金を運ぶ商人には必須のスキルといえる。
商人にはアイテムボックスの下位互換であるアイテムポーチというスキルが存在するが、思った以上に収納量が少なくて使い物にならなかったのである。三人分ならば問題ないのだが、奴隷を買って五人分となったことにより足りなくなったのだ。
アイテムボックスから小さな鞄を取り出し、それぞれで一つずつ持つ。アイテムボックスはあまり人目の付くところで使いたくなかったので、こうやって事前に必要なものを入れた鞄を人数分用意しているのである。
「こんなところに宿なんてあるの?」
クロが俺の腕に自分の腕を絡ませ、下から上目遣いにそう尋ねてくる。
初めてあった頃には随分シロの後ろに隠れられていたのだが、今では問題なく視線を合わせて話すことができるようになった。三年も一緒にいたからな…。少し距離が近い気はするが、注意する程ではない。彼女は確かに美少女といえる容姿をしているが、まだ13歳の子供である。
流石に日本で二十数年生きた俺が、彼女に抱き着かれたところで取り乱したりはしない。そもそも今でこそ彼女は少し恥ずかしがるが、最初の一年は三人で一緒に水浴びしていたのだ。抱き着くくらい今更である。
大人の女性といった身体つきをしているリリアに同じことをされると流石にどうなるか分からないが、今のところ彼女がクロと同じようにベタベタとくっ付いてくる気配はない。
因みに、断じて残念とは思っていない!!
「ご主人様、どうやら宿等はないようですね。一人、二人なら泊めてもいいと言っておりましたが…」
リリアが先に村人に尋ねてくれていたようだ。流石は優秀な奴隷である。彼女を買ってからは、料理や洗濯等の雑用も全て彼女がやってくれるようになった。奴隷ではあるが、命令せずとも進んで使用人のような仕事をしてくれる。
「宿がないならもう少し進むか」
「そうですね。進めるだけ進んで野営でいいかと」
そう言って俺の側に立つ。彼女は現在俺の護衛をしているのだ。態々護衛なんてしなくても、ここの人達が俺達をどうにかできるとは思わないのだが…。彼女は戦闘時以外は常に俺の側にいるようにしているらしい。
レベル上げをする前、戦う力を持つ前から側にいる。以前は魔物が出るたびに、自らの体を盾にして俺を守ろうとしていた。命令されていたならば分かるが、命令もしていないのに命を張って助けようとするとは思わなかった。
勿論奴隷にそのような強制はできない。この世界の奴隷は二種類存在する。一般的な奴隷と犯罪奴隷だ。そして、一般的な奴隷は人権が認められているのである。つまり奴隷に非人道的な行いをすれば、主人が法によって裁かれることとなるのだ。
犯罪奴隷は重い犯罪を起こした者達が落とされるもので、こちらは法によって人権を奪われる。これらは人間族に対する法であり、亜人は一般的な奴隷でも非人道的な扱いを受けていることがあるらしい。
強制されていないので、奴隷は主人の命令に背くことができる。それは非人道的な命令に対してであり、普段から命令を無視しているような奴隷は犯罪奴隷にまで落とされることがあるという。
「近い!! 早く行こ!」
クロが俺に近付いて来たリリアを遠ざけ、俺の腕を引っ張る。リリアはすぐに定位置まで戻って来るが、彼女はそれ以上文句を言うことがない。言っても無駄だと、この二年で分かっているからである。一度だけ言うのは、彼女なりの微笑ましい小さな抵抗だ。
「見て」
「あれ…」
俺達が村を突き進んでいると、村娘達がこちらを見てヒソヒソと話し始める。誰を見ているか等分かりきっている。彼女達が見ているのはシロだ。
彼はかなり格好良く成長したため、どの街に行っても注目されるのである。横にいる俺には目もくれず彼に眩しい視線を送っているのを見ると、未だに少しだけ精神にダメージを受けるが…。
村を抜けて先へ進む。リストア領と違い、アノーブル領はそれほど大きくはない。子爵に与えられる土地など、それほど広くはないのだ。アノーブル邸があるオウラまで半日もあれば着くことができる。
木々に囲まれた中、一本の道が続いていた。道と言っても、足元の雑草が処理された程度のものだが。
「ん? 何だ?」
茂みがガサガサと動き、そこから猪が出てくる。野生の動物が出てくるくらいはよくあることなのだが、その猪の体には小さな矢が刺さっていた。明らかに獣以外の何者かから襲われている。村からも離れているし、流石にここまで獣を狩りに来る村人はいないだろう。
「ガギャ」
「ッギ」
「ギギ」
猪を追いかけて、茂みの中から三匹のゴブリンが現れる。
「邪魔です」
出てくると同時に、リリアの持っている戦斧によって上半身を刎ね飛ばされた。戦斧を振るう速さ故か、ゴブリン達は悲鳴を上げることすらなかった。
「ゴブリン如きが」
「プギャッ!」
そう吐き捨てて、彼女は再び俺の側へと戻って来る。戻って来る途中でゴブリンの死体へと冷たい視線を送り、怪我をしていたはずの猪が悲鳴を上げて慌てて逃げていった。
リリアは敵に対して俺以上に容赦がない。
彼女は村を魔物に襲われ、命辛々数人の村人と逃げたところで、今度は盗賊に襲われたのだ。男は皆殺しにされ、女は奴隷商に売り払われた。
彼女は魔物に襲われた時点で左腕を失っていた。そのため、他の女性達が売れていく中で彼女は売れ残っていたのだ。世界全てを殺そうとするような冷えた視線も、売れなかった原因だろう。
店で見た彼女は、俺に殺気の籠った視線を向けていた。店主も扱いに困っていたようで、かなり安い値段で売ってくれたのだ。おかげでもう一人奴隷を買うことができたのだが…。
俺は彼女の左腕を、上級回復スキルである完璧なる癒しで治療した。これは大神官のスキルで、神官の中級回復スキル程度では左腕の再生まではできなかったのである。
腕を治してからも、彼女は俺に対して冷たい視線を向けていた。だが、彼女が俺に手を出すことは一度もなかった。恐らくだが、自分にとって敵かどうか見定めていたのだろう。俺が敵だと判断されたならば、彼女は俺に襲い掛かっていた。
奴隷が主人を自分の手で殺すことはできない。なので襲われたところで何も問題はないのだが、彼女ならば成し遂げてしまうかもしれないと思えるほどの迫力があったのだ。
今では柔らかな微笑みを向けてくれるが、敵に対して向ける視線はあの頃から衰えていない。
余談だが、クロが彼女にしつこく突っかからないのも昔の彼女を知っているからである。クロとシロはリリアよりも圧倒的にレベルが高かったにも拘らず、怯えて近付いて来なかったのだ。その時のことを覚えているのだろう。
「そろそろ疲れたぁ」
「姉さん…」
クロが甘えたように言う。彼女の職業は剣鬼でレベルも50のため、この程度で根を上げるような身体能力はしていない。ただただ甘えているのだ。シロもそれが分かっているので、彼女を諫めようとする。
「そうだな。今日はここまでにしよう」
「やった!」
別に急いでいる訳ではないし、どの道何処かで夜は明かす必要がある。それにアノーブル家への復讐は俺の私怨によるものだ。彼女達に無理をさせる気はない。
俺の言葉に、早速リリアが野営の準備を始める。俺がアイテムボックスから寝袋を人数分取り出すと、シロが彼女が集めた枝の周囲に敷いていく。
「周囲を探索してくる」
「クロも行く」
クロが俺の隣に並ぶ。
「疲れたんじゃないのか…」
「回復した!」
俺の言葉に彼女はそう返す。魔物が出る可能性もあるので、武器は持っていく。最初に使っていた斧は、金に換えたのですでにない。今持っているのは1.5メートルくらいはある漆黒の大剣だ。クロが携えた剣も同じく真っ黒で、こちらは剣にしては少し刃が細い。
二つ共…というより俺達が持っている装備は、レベル上げついでに手に入れたかなり強力な装備である。
クロと二人で、危険や水の有無を確かめるために歩き出す。