第三話 異世界初戦闘
体を軽く動かしてみると、今まで意識を失っていたので少し怠さが残るが、動かすこと自体に問題はない。それどころか身長や腕の長さ等が何もかも変わってしまったというのに、まるで自分の体のようだ。いや、俺はセインの記憶も持っているから自分の体だったな。
「おっ! やっと来たか」
俺が体の動きを確認していると、一人の男がそう声を上げた。それを聞いた他の男達も出口の方を見る。
「ガキどもの準備をしろ! これから全員引き渡す」
「ボス! すぐに!」
やって来たのは他の男よりも明らかにいい装備を装着している男だった。体も一回り大きく、その巨躯に相応しい大きな斧を背負っている。身長も190センチ以上はあるかもしれない。
さらにその後ろから小さな男が入ってきた。小さいと言ってもボスと比べればであり、横幅だけで言えば丸々と太ったその腹はボスよりも大きい。
「こいつらですか?」
「ああ。この三人だ」
後から入ってきた男が、俺達を値踏みするかのように見る。
…というか、三人?
「さっさと出てこい!」
俺が彼の言葉に疑問を覚えていると、一人の男が檻を開けて白髪の女の子へと手を伸ばす。
「嫌っ!」
「お姉ちゃん!!」
男の手は白髪の子ではなく、その後ろにいた黒髪の女の子を掴んで引っ張る。彼女は抵抗するも、力尽くで引っ張り出されてしまった。
白髪の女の子と同様に可愛い顔立ちをしており、黒髪も艶があってとても綺麗だ。瞳も髪と同様の色をしている。服がボロボロで、泥や血で汚れているのがアンバランスで余計に目立つ。一応見た目怪我はしていないようなので、返り血だろう。
お姉ちゃんと呼んでいたので、恐らく白髪の子の姉だろう。彼女はどうやら背中にピッタリと隠れていたようで、俺からは見えていなかったようだ。
白髪の女の子は姉を助けようと手を伸ばしていたが、その手や足は震えており、彼女に届くことはなかった。
「ふむ。なかなかいいですね。これなら少し色を付けてあげますよ」
「高く買ってもらうために、綺麗にしておいたからな」
ボスともう一人の男が話し合っている。男は奴隷商人なのだろうか? まあ俺の敵であることには違いないか。
彼女達の服と体の綺麗さがアンバランスなのは、彼等が少しでも高く売るために気を配っていたかららしい。
セインの記憶からリストア伯爵家の者達の顔を思い出すが、どの者達と比べてもこの二人は将来有望だと分かる。彼女等がある程度丁重に扱われていたのも、この可愛らしい顔なら頷けるというものだ。
「お前も来い!」
白髪の子も外に出されていたようで、檻に残された俺へと手が伸びてくる。
「なに」
言葉が途中で途切れる。手を伸ばしてきた者の顔を、思い切り殴りつけてやったのだ。
男はそのまま後ろにいた者を巻き込み、壁際まで飛んで行った。殴った場所は大きく陥没し、顔中の穴から血を吹き出してした。すでに死んでいるのは一目で分かる。
明らかにやり過ぎだったな。もう少し力を抑えて殴ったとしても、一撃で彼の命を奪うことができただろう。
俺は初めて人を殺した。日本では殺したいと思う人はかなりいたし、実際会社の者達は俺が退社する際に殺そうかと迷ったほどだ。だが、結局は誰一人として殺すことはなかった。それは偏に、日本人として意識で踏み止まっただけに過ぎない。
素手で人を殺したというのに、今の俺には何の感情も湧いてこなかった。この世界が日本と比べて、いや地球と比べても、命が簡単に奪われる世界だからだろう。
それともう一つ、セインの受けた仕打ちを覚えているからだ。
彼は目の前で母を、父の正妻に殺されている。母は彼を逃がしたが、逃げる彼の背後からは何度も悲鳴と物音が響いていた。執拗に母を刺していたのである。正妻が差し向けた者達から逃げ、彼は力尽きてあの地面で倒れた。
彼の意思は何一つ俺の中に感じないのだが、今でもリストア家の者達への殺意や復讐心といったものは残っている。
敵は殺さなければ、こちらが殺される。それが魔物等ではなく、人間だったとしても…。
「そいつを殺せ!!」
「「「おう!!」」」
殺された部下を見て、ボスが他の者達へと命令する。そして自分も背負った斧を構えた。
俺は気にせず動く。ボスは分からないが、この部下の者達は弱い。複数で向かって来ても相手にならないだろう。
「がっ!?」
一番近くにいた男の膝を蹴り砕く。
そして手に持っていた粗雑な作りの剣を取り上げ、他の者達へ振るう。
「ぐぁ!」
「くっ!」
部下二人を斬り捨てる。剣の振り方も分からなかったので雑に振るったが、やはり駄目だな。剣の粗悪さも原因の一つだろうが、二人の切り口は捩じ切れたようなものだった。力尽くで斬ったのが誰の目にも明らかである。
「何なんだ! テメェはよ!」
激昂したボスが斧を大振りに振り下ろす。
「がっ!?」
「遅いな…」
斧の一撃はそれほど早くなかったため、楽に回避することができた。膝を砕かれて蹲っていた男にその斧が命中するのは予想外だったが…。
「先にあっちか…」
すでに檻の外へ出されていた姉妹が部下に捕まっており、ナイフを向けられていた。そして、そのナイフを持った男と視線が合う。
「そこまでにしておけ! 動くとこいつらが死ぬことになるぞ!!」
視線が合ったからか、俺にそう怒声を浴びせる。俺が二人を見てしまったことによって、人質とされてしまったようだ。いや、見る前からナイフを向けられていたか…。
「…っ」
「…」
ナイフを向けられた二人は、瞳に涙を浮かべながらこちらを見ていた。その表情は助けて欲しいと物語っているが、歯を食いしばって堪えている。
自分達の状況が分かっており、俺に迷惑をかけまいとしているのだろう。
「はぁ…仕方ないか」
俺はそう言って、持っていた剣を地面に突き刺す。今の俺なら二人を助けることは容易だ。態々見捨てるような真似はしたくない。
「はははっ、さっさと大人しくしていればよかったのに…よお!」
武器を手放した俺を見てボスが笑みを浮かべ、そのまま斧を振り上げる。
振り下ろす斧はやはりとても遅く、簡単に回避できた。
「衝波!」
回避と同時に拳を振りぬく。…勿論、姉妹を人質に取っている男に向かって。
衝波は遠くの敵に衝撃を伝えるスキルで、武闘家が持つ唯一の遠距離攻撃だ。遠距離と言っても精々3メートルほどしか届かないが、攻撃が放たれる速度は上位のものである。
素手だと油断していたこともあり、ナイフを持った男は衝波をまともに受けて吹っ飛んだ。ピクリとも動かないので、死んだのだろう。衝波はそれほど強くないスキルだが、流石に320レベルの一撃には耐えられなかったらしい。相手が低レベルというのも要因の一つだろうが…。
「さて、残りは…衝波。お前だけだな」
「な…何なんだよ、テメエはよぉ」
後ろでこそこそと逃げようとしていた奴隷商人に衝波を当て、最後に残ったボスを睨みつける。
彼も俺の強さの異常を察して、すでに及び腰になっていた。
全く…190センチ超えの巨漢が12歳の少年にビビってる図ってどうなんだ?
年齢や体格なんて関係なくステータスの差でこうなっている訳だが、日本で暮らしていた名残からかどうしても違和感を覚えてしまう。
「竜爪」
俺が放った蹴りから三本の衝撃波が飛び、ボスの体を四つに分ける。
ボスだった肉が地面に落ちると同時に、その後ろにあった洞窟の壁が視界に入った。
「流石…上級職の拳聖のスキル。簡単に使っていいものではないな」
軽く足を振っただけなのに、壁には大きく三本の抉り取られた痕が残っている。彼の体を貫通して尚この威力。下手に使うと事故では済まなくなる。
俺は人を殺しても何とも思わなかったが、それは相手が敵だったからだ。無差別殺人のように、一切関係ない者達まで殺したいとは思わない。
「そういえば…」
「ひっ!」
「…!?」
姉妹のことをすっかり忘れていた。大丈夫だったかとそちらを向くと、二人は地面に座り込んでいた。俺の顔を見て小さく悲鳴を上げている。
ずいぶんと怯えられているな…。まあ、この惨状を見ればこうなるか。
素手で人を殺してたしな。今の俺はあの男達より怖い存在だろう。
「…」
「お、お姉ちゃん」
声が聞こえたので見ると、黒髪の子がこちらへと近付いて来ていた。表情に少し怯えが混じっているが、しっかりと俺の顔を見ている。
「その…。ありがとう」
俺の目の前まで来て、か細い声で絞り出すようにそう言った。
「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
俺がそう尋ねると彼女は走り出し、妹の背に隠れる。そしてそこから少し顔を出し、微かに笑みを浮かべて小さく頷いた。