第十六話 アスルム商会の息子
この街で売られている奴隷を全て見たので、もうこの街には用がない。次に向かうのは冒険者の街であるフルールだ。
俺達は馬を買うために厩舎へ向かっていた。この街には奴隷を買うために馬車で来るものが多い。重量的に追加で購入する者や、アクシデントによって新たな馬と交換する者等は一定数いる。そのため、売用の馬を育てるための大きな厩舎が存在するのだ。
馬の売買は、そこが一手に担っている。初めに奴隷よりも馬へと目をつけ、大きな厩舎を作って独り占めしたのだ。商人としてかなりのやり手なのだろう。
「止まれ!」
俺達が道を進んでいると、鎧を着た一人の男が走って来て目の前に立ち塞がった。さらにもう一人の男が走って来て、後ろへと回り込む。
「何の御用でしょうか?」
リリアがそう尋ねる。剣の柄には手をつけていないが、いつでも抜けるような体勢を取っていた。クロは未だに自然体だが、相手が剣へと手を伸ばしたら躊躇わずに剣を抜くだろう。
そして、俺も自然体である。そもそもこんな街中で、二人が近くにいるのに大剣を振り回せるわけがない。
それでも拳聖のスキルを持っているので、素手でも戦えるのだが。下級ドラゴン相手に実験してみたが、拳で勝つことはできたので何も問題ないだろう。
「そこの奴隷を、俺に売ってくれないか?」
声のした方を見ると馬車が止まっており、そこから一人の男が出てくる。
歳は二十前後だろうか? 緑の長髪を後ろで束ね、服装はこれでもかと装飾を纏って成り上がりの金持ちといった印象を受ける。
「誰だ?」
「おおっと!! まさか俺を知らないとはな」
俺が尋ねると、彼はかなり大げさな反応をしてこちらを見る。明らかにこちらを見下しており、かなりイラつかせてくれる奴だ。
クロなんて今にも飛び出していきそうなので、俺が彼女の腕を掴んで押さえているくらいだ。本当に感謝してもらいたい。
「俺はアスルム商会の商会長…その息子のブルムだ!」
見事にドヤ顔を披露してくれているが、その商会を全くもって知らない。
この世界において最大の商会はオルト商会、その次がリンデブルク商会である。この二つの商会がトップ争いをしており、三番手以降は規模がかなりかけ離れていた。つまり、殆どの店舗がこの二つの商会の下部組織という訳である。
俺が知っているのは三番手までだ。それ以降の商会は一切知らない。
全く売る気はないのだが、そもそも彼にリリアを買えるとは思えない。どれだけ商会の金を使えるかは知らないが、かなりの金を持っているのだろう。
だが、彼女は現在レベル44だ。国どころか世界でもトップクラスの強さを持っている。果たしてそんな彼女の価値はいくらであろうか?
彼女の噂が広まれば、間違いなく各国が手に入れるために動くだろう。国や大貴族、それこそ二大商会も。アスルム商会がどれだけ金を持っていようが、勝てる相手ではないだろう。
「興味ない」
「なっ!?」
クロが一言で簡単に切り捨てた。彼女にも主要な商会のことは教えてある。だが教えたのは俺なので、俺と同等かそれ未満の知識しか持ち合わせていないだろう。
「お前達! 無礼だぞ!!」
そう男が怒鳴ると、男の周囲にいた他の男達が俺達を囲む。まだ剣に手を掛けていないが、こんな人目のある道で何をしようというのか…。
それに無礼と言われる意味が分からない。
たとえ商会長であろうと、彼等は平民である。金を持っているというだけで、決して貴族などではない。金の関係で、貴族達からチヤホヤされる場合もあるが。
彼は恐らくそのタイプなのだろう。親が金持ちで周りからチヤホヤされ、自分が貴族か何かだと勘違いしているのだ。
「おとなしくその女を差し出せば、痛い思いはせずに済むぞ」
そう言いながら手を上げると、俺達を囲む男達が一斉に剣に手を掛ける。
リリアがそれに反応しようとするが、彼女の腕を掴んで止めた。剣に手を掛けたが、まだ抜いてはいない。これだけの人の前だ。俺達から先に剣を抜くのは、流石に拙い。
そもそも売ってくれから、差し出せに変わっていた。奴隷は主人の所有物扱いなので、これではただの強盗である。自分のことを貴族だと勘違いしているようだが、貴族だからといってなんでもやっていい訳ではない。
犯罪を犯せば普通に捕まる。特にこれだけ人の目があるのだ。証拠をもみ消すことさえできない。
「渡す訳がないだろうが…」
「貴様っ…」
呆れながらそう言うと、この状況で逆らうとは思っていなかったのか顔を真っ赤にして睨みつけてくる。そして上げていた手を下ろした。
それが合図だったようで、周囲の男達が一斉に剣を抜く。勿論こちらも彼女達の腕を離す。それがこちらの合図だ。
「がっ!」
「ぐっ!!」
「ぐあっっ!?」
剣を抜いた男達が次々と倒れていく。剣を抜いて手加減を一切する必要がなくなったので、勿論クロもリリアも手を抜かない。
倒れた男達は首を斬り落とされ、肩口から胸へかけて深く切り裂かれ、誰も彼もが助かる傷ではないのが一目で分かる。
「な…な…」
残ったのはこちらを見て、青い顔で尻もちをついているブルム。そして、彼を守るために近くに残っていた二人。
囲んでいたのはたった六人だったので、ここまで一瞬の出来事だった。
「ひっ!!!」
俺達がそちらへ視線を向けると、ブルムが頭を抱えて地面に蹲った。
護衛としての意地か、それとも恐怖からか。どちらかは分からないが、咄嗟に残りの二人がブルムの前に出て剣を抜く。
いや、抜いてしまった。
「斬鉄」
クロが一気に彼等との距離を詰め、剣を振るう。
声を上げる間もない。一人は普通に首を刎ねられ、もう一人はスキルによる一撃で鎧ごと胴体を切断された。
キンと金属音が響く。構えた剣で咄嗟に防御しようとしたのだろう。男の剣は半ばから刃を切断されていた。折られたのではなく、斬られたのだ。
「や…やぇて」
地面に蹲り、震えたまま小さな声でそう呟くブルム。
貴族であれば、こちらが先に攻撃されたとしても殺すのは問題である。彼自身は命令しただけであり、戦闘に参加していないからだ。戦闘に参加していた場合、貴族でも殺して問題はない。戦闘中に貴族かどうかの判別が困難だからである。
しかし、彼はただの商人の息子に過ぎない。襲われた訳であるから、殺しても罪には問われない。勿論それは殺していいという訳でなく、この場合は衛兵等を呼んできて捕らえてもらうというのが普通である。
俺は彼の下へと近付いていく。未だに小さな声で命乞いをしていたが、足音が近付くにつれて震え声すら聞こえなくなった。
「ご主人様、私がやりましょうか?」
後ろから聞こえるリリアの声に首を横に振る。
彼はこれでも商会長の息子らしい。そして金があるということは、捕まえたとしても金ですぐに出てくることが可能ということだ。
まだ子供なら許せるが、どう見ても二十前後の男である。その息子の傍若無人っぷりを考えると、親が散々甘やかしたのだろうと分かる。
躊躇うことなく犯罪に手を出したということは、以前にも似たようなことを経験しているのだろう。金で解決されたか、それとも親がもみ消したのかは分からないが…。
金を持っているということは、影響力があるということだ。とても厄介な相手であり、俺達の邪魔になる可能性は高い。
「これでいいか」
首のない男が持っていたのであろう剣を拾い上げる。大剣はアイテムボックスの中にあるので、態々出すのが面倒なのだ。
街中で振り回すのは向いていないので、街に入ってすぐに収納済みである。
「俺達は、敵に一切の容赦はしない」
彼の背中にそう言ってやり、俺は手にした剣を首元へと振り下ろした。