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公爵家のダイニングルーム。
マホガニー製の大きなテーブルを両家の家族全員が囲む。
ニックの腫れ上がった頬にはガーゼが当てられており、その上から自分で氷のうを当てて冷やしながらも同席していた。
本来ならそこまでの怪我なら部屋で休んでいても良いはずだが、今回の騒ぎの要因となった本人が席を外して良い訳がない。
リリアンの父のピケティ男爵は簡単に事情は聞いていたようだが、ニックの状態までは聞いていなかったようで、お前がやったのかと言いたげな物凄い視線をリリアンに向ける。
男爵一家が到着してすぐダイニングに案内されたので説明する暇もなく、リリアンはその視線に対して必死に目配せし、頭を振って否定した。
ただ公爵夫人も掌に包帯を巻いて登場したので、男爵も何かを察したようだった。
美味しそうなディナーが並んだテーブルを前にして、公爵夫人は包帯が巻かれた掌で椅子に座っているリリアンの腕をがっしりと掴むと、離そうとしなかった。
公爵の隣の席に用意された椅子に座ろうともせず、必死に腕を掴む姿はおもちゃを欲しがる子どものようだった。
「嫌よ!せっかく可愛い娘ができると思って、楽しみにしていたのに!婚約解消したら娘ではなくなるじゃない!」
確か気に入ったものの前では素直に気持ちが表現できないと聞いた筈だけれど、一度性格がばれたことで箍が緩んだのか、公爵夫人は大きな声で気持ちを吐露すると、尚いっそうリリアンの腕を強く抱き寄せた。リリアンは最早されるがままだった。
「いや、ほら、いくらでも娘のように扱う方法はあるだろう?可愛がっている令嬢だと茶会で紹介したり。サロンに呼んだり。」
婚約を解消するにあたり、原因はニックにあるのでどのように賠償するか双方で話し合おうとしたところで、婚約解消の旨を認めた書類を前にして公爵夫人がごねたのだ。
公爵家には息子であるニック1人しか子どもがおらず、夫人はどうしても娘が欲しかったらしい。
「あの……マリア嬢と婚姻を結べば、マリア嬢が娘となるのでは。あの令嬢は才媛と聞き及んでおりますし……。」
公爵と夫人の会話にリリアンの父であるピケティ男爵が口を挟むと、公爵夫人はキッとピケティ男爵を睨んだ。
「私はこの子が気に入ったんです!」
埒が明かない。
公爵も半ば呆れたように眉を下げると、公爵夫人に問いかけた。
「どうして君はそこまでリリアンのことを気に入っているんだい?」
公爵の問いかけに、同席している皆が頷く。
公爵夫人は腕から手を離すとそのままリリアンの頭を抱き寄せ、恥ずかしそうに顔を赤らめて告げた。その様は恋する少女のようであった。
「昔………飼っていたワンちゃんにそっくりでしょう……?」
「ワン………ちゃん………。」
まさかのことに、リリアンは絶句した。
夫人以外の皆の視線が、壁に飾られていた公爵家の家族を描いた絵画に移る。
そこには公爵家の一員と共に、大きなチョコレートブラウンの毛色の、可愛らしいと言えなくもない犬が描かれていた。
その絵画はニックが5歳の時に描かれたもので、チョコレートブラウンの犬はその翌年に老衰で亡くなったと聞いていた。
その後に皆の視線がリリアンに戻り、皆が一様に納得したような顔をして、『あぁ…』と小さく声をあげた。
同席していた弟だけが、明後日の方向を向いて口を自分の肘の内側で覆い、必死に笑いを堪えていた。身体が小刻みに震えており、まったく隠せていない。
公爵夫人が解消に『うん』と言わないから、話が先に進まない。
リリアンとしてはもうヤケっぱちになっていて、もうどうでもいいから早く終わって欲しいとただただ思っていた。
その状況に、一石が投じられた。
公爵が1つの提案をしたからだ。
「サイラス、男爵家を相続するのは同席しているその子なんだろう?」
公爵が男爵と、同じテーブルについているリリアンの下の弟の顔を見る。
「あぁ、この子が次の男爵となる。」
男爵は急に振られた話題に答えたものの、この場に置いて急にどうしたのかと訝しげな顔で公爵を見る。
公爵は頭を掻いた後、公爵夫人とリリアンに視線を向けてテーブルの上でぐっと拳を握った後、告げた。
「ならば我が家に嫁いで来る予定だったリリアンを、婚約は解消した上で我が家の養女として迎え入れたいが良いだろうか。」
公爵が考えた今回の件の落としどころだった。
その意見に光明を見出だした公爵夫人の表情がパアッと明るくなった。
逆にリリアンはと言うと、公爵の言っていることが理解できず目を白黒させた。
「リリアンを養女に?」
夫人はなんて良い意見だと言いたげに1人で盛り上がり、嬉しそうにリリアンから離れて手をポンと叩いた。リリアンは自分の意思は関係なく進んでいく展開についていけず、半ば呆れていると、公爵夫人はリリアンの頭を再びかき抱いて力強く答えた。
「私の娘としてリリアンを立派に育てて、ニックより良い嫁ぎ先を見つけてあげますからね!」
まだ決定したわけでも、男爵が了承したわけでもないのに、今まで見たこともないような極上の笑顔で言われたら、公爵からの意志確認の時に『公爵家の養女になりたくない』なんて言えず、ほぼ脅しに近かった。
どうしてこうなった。
後日、リリアンが婚約解消を言い渡されたあのカフェのバルコニー席に、3人の男女が集まって丸テーブルを囲んでいた。
ニック、リリアンそして、マリアだ。
ニックとリリアンの婚約解消、ニックとマリアの婚約成立、リリアンの養子縁組。
駆け巡った3つニュースで学院は大騒ぎで、もう2週間も経つというのになかなか落ち着く様子がない。
リリアンは学院内を歩いているだけで不躾な好奇な視線を浴び、公爵家にお近づきになりたい男子が声をかけてきたり、詳細な話を知りたい噂好きの女子生徒に囲まれたり、もう散々だった。
特に公爵令嬢となる自分と親しくなれば、王の覚えめでたいラングトン公爵家と縁続きになれるかもしれないと、打算のもとに近づいてくる男子には辟易していた。
ニックとマリアもあまりの騒ぎにまいっているようで、店員が紅茶とケーキをサーブして去り3人だけになると、ようやく肩の力が抜けたようでほぅと息を吐いた。
流石にニックの顔の腫れはもう落ち着き、もとの美しい青年に戻っていた。
美青年と美少女が並ぶと壮観で、リリアンはやはり自分が婚約者でいたのは釣り合わないと改めて思った。
「リリアン、こちらマリア・ブライト公爵令嬢だ。」
「お話しするのは初めて……ですね。」
マリアが紹介を受けて、かつてのことを思い出したのかどこか困ったような顔をしてリリアンに頭を下げる。
マリアとは学院の廊下で会ったきり。
ニックの家とマリアの家の婚約締結の時も、リリアンはまだ厳密には公爵家の養子にはなっていない為、ラングトン家とブライト家同士の話し合いには参加していない。
だからマリアと直接話をするのは初めてだった。
同じパーティーに参加しているのを見かけたことはあるけれど、パーティーではだいたい家格の合う仲の良い令嬢達で集うことが多いので、仲の良いグループの違うマリアとは、パーティーでも会話したことがなかった。
「初めまして。リリアン・ピケティと申します。」
リリアンが公爵家に養子になるには面倒な手続きがあるらしく、もうしばらくかかるようだった。
2ヶ月以内には可能とのことで、公爵夫人が嬉々として部屋の準備をしているとニックづてに聞かされた。
リリアンが公爵家の養子となれば、ニックと結婚するマリアはリリアンの義姉となる。けれど端からみれば、リリアンはマリアに婚約者を奪われた形になる。
公爵夫人の要望から複雑な関係になってしまい、リリアンはどんな顔をすればいいのかわからずとりあえず愛想笑いを浮かべる。
互いに何を話せば良いかわからず困ったような表情でまごまごしていると、不意にテーブルに横から影が落ちた。
店員が戻って来たのかとリリアンは影の主の方を見上げ、そのまま固まった。
「バルコニー席が貸切だと聞いたから、どんな人間が借りているのかと思えば、ニック達だったとはね。」
リリアンの視線の先に居たのは、マリアの従兄弟でこの国の王太子ブレナン・ティヴァインだった。風でなびく金の髪が、陽光を受けてキラキラと光って見える。その瞳の色は王家の血族の者の特徴なのか、王弟の娘であるマリアと同じ青色。
マリアと顔つきは似ており、違うのはマリアはたれ目気味だが、ブレナンは切れ長の目なこと。
綺麗な顔をしており、ブレナンとニックとマリアという綺麗所が揃った光景は更に壮観で、場違い感が半端なくて、リリアンは小さく身を縮めて存在を消したくなった。
ブレナンの後ろでは従者らしき壮年の男性が、邪魔したのを謝罪するように必死にペコペコと頭を下げていた。
「ブレナン殿下、急に来て驚かせないで下さい。店員を使いにして席に加わっていいか先に尋ねるのがマナーでしょう。」
「悪い悪い。そうだな、君たちは今は時の人で、人目を避けたい時期だったな。」
ニックの非難する声に全く悪気なさそうに笑いながらブレナンは返すと、勝手に近くに置かれていたテーブルセットから椅子を引きずってきて、リリアンの隣に腰を下ろした。
身勝手な行動にニックが大袈裟に頭を抱えてため息をつく。
そこで気配を消していたリリアンに気づいたブレナンは、頬杖をついて横にいるリリアンを見つめた。
「確か、リリアンだったかな。元ニックの婚約者。」
ブレナンは目尻を下げ、面白そうに口角をあげる。リリアンは、右隣にいる笑っているはずのブレナンからほのかな圧を感じ、まるで蛇に睨まれたカエルだった。
マリアとの気まずい空気は消えたけれど、だからといって更に緊張する王太子には会いたくなかった。
ブレナンとはパーティーでニックの婚約者として挨拶したことはあるけれど、マリアと同様にプライベートな会話をしたことはなかった。
「ブレナン殿下、改めて紹介します。僕の妹になるリリアンです。」
「あぁ、話には聞いている。公爵夫人の大のお気に入りとか。パーティーでは何度か挨拶したな。これからよろしく頼む。」
絶対によろしくしたくないです。
「よろしく……お願いいたします。」
リリアンは必死に口角をあげて笑顔を作り、ブレナンに向き合った。けれど心の奥では全力でブレナンの事を拒否していた。
ブレナンをみていると、何だか嫌な予感がして背筋が粟立つ気がした。
どうしてこうなった!!
3話で完結となります。ご覧いただきありがとうございました。