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婚約者である公爵子息ニック・ラングトンから、男爵令嬢リリアン・ピケティへとソレが告げられたのは、街のカフェで2人でお茶をしていた時だった。

カフェのバルコニー席から臨む、カフェに併設されたガーデンの緑豊かな景観は、リリアンの目を楽しませた。

ただリリアンの向かいに座っていたニックはその景色に目もくれずに美しいかんばせをいつになく青くして、運ばれてきた紅茶に手もつけようとしなかった。

どこか落ち着かずソワソワとした様子で何度も深呼吸し、おもむろに立ち上がると、リリアンに向かって頭を下げた。



「すまない………婚約を解消して欲しい。君以外に想う相手ができた。」




リリアンは頭の中でその言葉を反芻し、パチパチと何度も瞬きした後、こちらに頭頂部を向けるニックを凝視した。そして口元に手を当て、



「まぁ!」



とだけ返事した。


本当は嬉しくて仕方なくて。湧き上がる衝動を抑えきれず、今、このカフェにいるお客様全員に教えて回りたいくらいだった。

リリアンは今なら苦手なワルツも軽やかに踊れる気がした。

嬉しくて声が弾むのを抑える為に、返事する声も僅かに震えてしまった。

それがニックには、驚きとショックのあまり声が震えたのかと思ったのだろう。

更にリリアンに向かって深く、頭頂部どころかうなじが見えるほど深く頭を下げた。

実はニックが告げた言葉は、リリアンにとって寝耳に水というわけではなかった。




「ニック様には貴方以外に想う相手がいらっしゃるのよ。やはり貴方のような血筋では……ねぇ。」



1ヶ月ほど前、嫌味ったらしくリリアンにそれを教えてくれたのは、『公爵子息であるニック様は、貴方には相応しくない』と常日頃からリリアンをバカにしていた、伯爵令嬢3人娘だった。


それぞれ父親が国の要職についており、マーセル学院の中等部に通う伯爵令嬢の中でも財力において抜きん出た存在で、ただし家格は良いが性格には難がありという……良くも悪くも目立つ3人組だった。


あわよくば立場を代わり、ニックの婚約者という地位を得たい3人の目はいつもギラギラしていて、よくもそこまで熱意を持てるものだなとリリアンは思っていた。

3人のうちの誰かがニックの婚約者に成り代わった場合、友人関係は簡単に瓦解するのだろうとも。



ただいくら『似合わない』とか『立場をわきまえるべき』と言われようと、貴族の結婚は親が決めるもので恋愛結婚なんてまれ。その上、家格が下位なだけによほどの理由がない限り、リリアンの家から解消したいと思って出来るものではない。

リリアンは、出来ることならふざけた理由で決められた婚約を解消したいとずっとずっと思っていた。



そう、リリアンはニックに対しておおよそ恋愛的な感情を持ち合わせていなかった。

なにせニックと婚約を結ぶに至ったのも、双方の父親の『学生時代の口約束』から始まったものだからだ。

ニックの父親とリリアンの父は国の貴族なら必ず通うマーセル学院で出会い、何の因果かウマが合い、大親友になった。

互いに幼少期から決められたパートナーがおり、最初こそ冗談で『子どもが出来たら結婚させよう』なんて軽い気持ちで言っていたのが、結婚して2年の差はあったが互いに子どもに恵まれ、夜会で酒が入った時ーーーとどのつまりが酒のせいで理性の部分がおかしくなったとリリアンは見ているがーーー学生時代の話に花が咲き、約束の話を進めちゃおうか!なんてことになり婚約が決められたと。

婚約の話をその経緯と共に7歳の誕生日に聞かされた時は開いた口が塞がらず、7日間、父親と口を聞かなかった。

ちなみにリリアンの下に3つ下の弟がいるので、相続関係に問題はない。




ラングトン公爵家と言えば、王の覚えもめでたく国の宰相や重役を勤める者を何人も輩出したような名家。かたやピケティ男爵家は、山沿いの農地を領地としている片田舎の貴族。緑豊かな土地だが目ぼしい観光地があるわけでもなく、国の食をすべて担っている大領地というわけでもなく、地味に細々と暮らしているような。


そもそも家の調度品も公爵家と男爵家では格差があり、公爵家の家具は王室御用達の家具職人に依頼して作られたようなものばかり。飾られている絵画も、著名な芸術家が描いた風景画や、家族を描いたもの等、男爵家ではまったく手が出せないような高級な物ばかり。


このようにあまりに家格や財力に差がありすぎるので、ニックとリリアンが婚約しているのが、他の令嬢達からしたらトンビに油揚げとられたようで、気に入らないのは無理もなかった。



「ほら、あの方よ。」



そんな令嬢達もニックの想い人には強く出れないので、どうやら立場の弱いリリアンに当て擦りをしていたようだ。

令嬢達の視線の先には、世事に疎いリリアンですら知っている女の子がいた。

王弟の娘であり王太子の従姉妹、マリア・ブライト。

リリアンの2つ年上であるニックと同じ年齢の、マーセル学院高等部2年生。

陽に透けると白金にも見える美しいミルクティベージュの長い髪、長い睫に縁取られた青い瞳、ピンクの小さな唇。この世の美しいもの、可愛いものを全部集めたような美少女で、ニックと同じ家格である公爵家の令嬢。

2人がひっそりと幾度となくカフェでお茶をしているのを見た人がいて、影で噂になっていたらしい。


マリアは、リリアン達がいる中庭に面した渡り廊下を1人で歩いていた。

ふと、視線に気づいたらしい彼女がリリアンの方に振り返る。そして視線の主に気づいた彼女はハッとしたように目を見開いた後、ばつが悪そうに困ったような顔をしてリリアンに向かって会釈して、逃げるようにその場を去った。



あの様子から見ると、マリアの方もリリアンがニックの婚約者なのを知っているのは間違いない。

リリアンと彼女では、家格において勝ち目はない。

リリアンに対して勝ち誇ったような笑みを浮かべるような勝ち気な令嬢ではなく、婚約者がいる相手なのをわかっていてニックと共にいることを気後れするような少女なのが、先ほどの行動から見て取れた。


そんなわけでニックに別に想い人がいるのを知っていたので、彼の発言は『今更』で、『やっと言う気になったのか』と思えるものだった。

むしろ噂は今や学園中に広まっているのに、知られていないと思っているのがまずおかしい。いや、だからこそ自分の口からリリアンに言うべきだと思ったのかもしれないが。



「勿論、君の事を嫌いになった訳じゃない。君以外の女性に想いを寄せてしまった僕が悪いんだ。責任はとる。」



顔を上げたニックが深刻な表情で美しい緑の瞳をまっすぐリリアンに向けると、再度頭を下げる。

ニックもまた、その美しいものを集めたような美少女マリアとお似合いの、美丈夫だった。

黒い髪、整った鼻梁、薄い唇、そしてスラッとしながらも制服のシャツの上からもわかる筋肉質の身体。

打ってかわってリリアンは、よくあるチョコレートブラウンの髪に、まぁ可愛い…かなぁ?と言えなくもない顔。ただしニックと並ぶとあまりに不釣り合いで、リリアンからしたら、最初は一緒にいる時は常に顔を隠したくなるような気持ちにさせられた。

家だけでなく、顔にも格差があるのかと。

マリアとニックが一緒にいるところを想像したら、とてもお似合いだと思った。



「顔を上げて下さい。」



リリアンは緩みそうになる頬を引き締めると、そうする必要もないのだけれど、ニックに対してなるべく冷たく見えるような表情を浮かべた。

普通の令嬢なら他に好きな人がいるから婚約解消をしてくれと言われたら、怒るに違いないと思ったからだ。

言われた通りに顔を上げたニックは、リリアンの演じた表情に気づくと、動揺したのかビクリと肩を震わせた。



「お互いのお父様とお母様になんと説明したら宜しいでしょうね。」



ダメだ、表情が緩みそうになるのを我慢できない。

俯いてにやつきそうになる口元を手で隠しつつリリアンが今後の対処を考えていると、ニックはやや演技がかった調子でその足元に跪き、ポケットからハンカチを取り出して差し出した。



「すまない、君を悲しませたね。」



いや、悲しんでませんが。


どうやら俯いたリリアンが泣きだしたと思ったらしく、ハンカチをリリアンの目元にそっと触れさせた。

リリアンはこのロマンス小説に出てくるヒーローのような言動をするニックのことが、実は苦手だった。

想像して欲しい。

ピクニックに誘われて湖畔に行き、木陰でサンドイッチを食べていたら、強い風が吹いて髪が舞い上がった。その時に、



『ふふっ、イタズラな風さんだね。』



なんて笑顔で言われて、自分の髪をかきあげられて見て欲しい。

思わず鳥肌が出て、食べていたサンドイッチを吐き出すところだった。

それを演技ではなく素でやるのだから、それを苦手とするリリアンからしたら手に負えない。


その上、公爵家に嫁入りするなんて、王家に連なる高位貴族との社交、公爵夫人としての役割等、想像するだけで負担がかなり多く、領地で領民と農作業する方が楽しいように思えた。

なので、むしろ婚約解消を言われるのを心待ちにしていた。だから解消を言い渡された時は、解放感で踊り出したい気持ちだった。


勘違いした彼に気を遣い、一瞬違う方向を見て欠伸をする要領で目元を若干潤ませて視線を彼に戻せば、ニックは眉を下げて、今度は親指の先で僅かに潤んだリリアンの目元をぬぐった。

ゾワリと背筋が粟立つ。


あぁ、鳥肌が出た。



さりげなくその手を払うと、ニックはまるで自分が被害者のような悲壮な目をリリアンに向けた。

あの伯爵令嬢3人娘がこの場にいたら、『貴方の立場でニック様を悲しませるなんて!』と言うに違いなかった。



「君のことを気に入っていた母は、君が婚約者でなくなると悲しむだろうな。」



思うところがあるのか悩ましげに目を伏せて呟く彼の言葉に、リリアンは耳を疑った。

相変わらず何もわかっていないんだな、と思った。

ニックの母がリリアンを気に入っている様子は、空を舞う塵ほどもなかった。

泥にまみれた路傍の石くれが宝石箱に入っているほどあり得なかった。


婚約者なので勿論、公爵家で催されるお茶会やパーティーに招待される。

そこでリリアンが少しでも流行遅れの衣装を身に付けていよう物なら、パートナーであるニックに恥をかかせるつもりかと言いたげな物凄い視線をリリアンに向ける。

苦手なワルツをとちろうものなら、同じようにこれでもかとリリアンをねめつける。

招待客の名前を間違えようものなら、リリアンをねめつける。


ともかくリリアンが失敗するたび、口には出さねど物凄い目で自分を見てくる公爵夫人が苦手だった。

それをニックに相談しても、『気にすることないよ。』とか『可愛いから君の失敗が気になるんだよ。』とか、何の役にも立たない慰めをもらう。

これでは将来の嫁姑関係が絶望的で、旦那が自分の味方になってくれる将来も期待できないと、悲観したものだ。

ちなみに公爵夫人とリリアンの微妙な関係を下の弟ですら気づいていて、気づかないニックの代わりに心配してくれていた。

ニックとの関係が解消されれば、公爵夫人から解放されるという喜びもあった。

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