折られた梅の枝
なさけなく折る人つらしわが宿の
あるじ忘れぬ梅の立ち枝を
新古今和歌集
今回は先に和歌の考証をしましょう。この歌は新古今和歌集の神祇歌という部の二番目に掲げられていて天神様自らが詠んだものだとされています。同様に一番目は日吉明神、三番目は春日明神の眷属、四番目と五番目は住吉明神が詠んだものが並んでいます。こういう歌を「神詠」というそうで、作者名はなく、この歌の場合は次のような後書きが付いています。
『この歌は、建久二年(1191年)の春のころ、筑紫へまかれる者の、安楽寺(後の太宰府天満宮です)の梅を折りて侍りける夜の夢にみえけるとなむ』
迷信だと思う人はそれでいいんですが、『人の情というものも知らずに、京からはるばるわたしを慕って、福岡まで飛んで来てくれた梅の高く伸びた枝を折るとは恨めしい』と日本三大怨霊の一人に夢で言われたら、さぞ怖いでしょうね。
ご存知の方も多いでしょうが、後の天神様=菅原道真が『流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて』
こち吹かばにおひおこせよ梅の花
あるじなしとて春を忘るな
拾遺和歌集
と詠んだことが話の発端です。飛梅についてはWikiにこういう記述があります。
『伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)。一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす太宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという』
桜、松、梅に慕われていたんですね。ここまでは穏やかな感じですが、平家物語の中にふつうは読まれない天神信仰に関連した『安楽寺由来事付霊験無双事』という長い記事があって、そこにもこの和歌とその由来が記されています。
『サレバ今ノ平家滅給テ後、文治之比、伊登藤内、鎮西九国之地頭ニ、下リタリケルニ、其郎従ノ中ニ、一人下郎、無法ニ安楽寺ヘ乱レ入テ、御廟ノ梅ヲ切テ、宿所ヘ持行テ薪トス。
其男即長死去シヌ。藤内驚テ、御廟ニ詣テヲコタリヲ申。
通夜シタリケルニ、御殿ノ内ニケ高キ御音ニテ、
情ナク切人ツラシ春クレバ主ジワスレヌヤドノムメガヘ
不思議ナリシ御事也。昔今ノ物語シテ、平氏泣々下向シ給ヘリ』
≪もう平家が滅んだ後、文治時代(1185年~1190年)に伊登藤内が九州の地頭に任ぜられたが、その郎従に一人の下郎がおり、その者が無法にも安楽寺に乱入し、天神様の御廟の梅を切って、宿所に持って帰り、薪にした。
その男はすぐに死んでしまった。藤内は驚いて、御廟に詣でて起こったことを申し上げた。
通夜をしていると御殿に気高いお声で、
情けなく切る人つらし春くれば
主忘れぬ宿の梅が枝
何とも天神様の為されることは不思議なことである。過去現在の話をして平家の人びとは泣く泣く下っていった≫
いろいろ違いがありますが、箇条書きにすると、
① 建久二年(1191年)と文治之比(1185年~1190年)とずれている
② 平家物語の方が情報量が多く、具体的
③ 和歌が違っていて、複数の伝承があったと考えられる。折った/切った時期が歌で明示されているかどうかで、地の文も違うのか。
④ 天神様は新古今和歌集では夢に出て来るだけなのに対し、平家物語ではリアルで声が聞こえている。
⑤ 何より梅の枝を折った/切った者を死なせているか否かで大きく違う
どっちが本当にあったことかなんて、もちろんわかりませんが、平家物語は怨霊としての天神様に引っ張られ過ぎていると思います。怨みがある人もない人も、天皇や貴族をお構いなしに呪い殺し、清涼殿に雷を落とすようなスケールの大きな怨霊が下郎を相手にするのもちょっとどうかと思います。
「情けなく切る人つらし」と歌い掛ける存在がおどろおどろしく人を死なせるのは変だと思いませんか? 夢で恨み言を言うくらいが似合ってると思いますし、さっきも言ったようにそれで十分ぞっとするんじゃないでしょうか。
では、またです。……え? 物語はどうしたですか? もう二種類もホラーを見せましたよ。
これを書くに当たって、次の論文を参考にさせていただきました。
「延慶本平家物語における天神信仰関連記事をめぐって」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/53/0/53_53_68/_pdf/-char/ja
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