002話-04 懐疑的な思考
【聴衆大講堂】
「──尊きアルマへの到達、それは我がヒトリディアムの悲願である」
ネブルの意思である《十七委員会》直下で、軍を動かす最高司令の声は、地位と反して非常に若々しく、みずみずしさすら感じさせるものだった。
聴衆大講堂──軍と第一居住区画との境界線に建てられた巨大な講堂であり、ネブルが主催する重要祭事のほとんどがこの講堂で行われていた。一般人と軍人が唯一交わるこの講堂は、専ら政治的に強い意味を孕むことが多く、主に一般民へのプロパガンダを多分に含んでいる事がままあった。
(十七委員会。さっきエムジも御劔学長に言ってたな。学長やバニ様ならいざしらず、ウチのお世話ロボットのエムジが十七委員会と何の関係が?)
周囲を見渡しつつ、ウチは先ほどの学長とのやり取りを思い出す。後で詳しく聞いておいた方がいいかもしれない。
講堂の収容人数は一万人。三段構造になっており、普段は閉鎖されたままの下段も、本日の催しは街抗換装士任命式というネブル全体の式典なため解放され民衆が大挙していた。
中段に一般軍人および後方に軍学徒、そして最上段はステージとしての機能を果たしており、軍の重要幹部、及び《街抗換装士》と呼ばれる衛兵がずらりと並んでいる。
ウチは後方にてその式典を眺めていた。とても不快な音を垂れ流しながら。
グゥゥゥ
そう言えば昼飯を食べていない事を思い出した。今朝極度のストレスを受け、ウチの食欲は一切なかったのだ。今は何も食べたくないし、何も喉を通る気がしない。
それなのに───
(腹は、鳴るんだなぁ)
ウチのお腹からはグゥグゥと不快な音が鳴り続ける。精神が参っているというのに、体の方はすこぶる健康な様だ。
一部の軍人は式典を邪魔する間抜けな音に出所を探して睨みを利かせている。どうかバレません様に……
「──我々はこのネブルに生まれ、ネブルに育ち、ネブルに死ぬ。何代、何十代、何百代と続いてきた伝統であり、同時に我々ヒトリディアムの誇りでもあった。だがしかし、我々はアルマを知った。無数の資源、果ての無い空間、全てのしがらみから解き放たれたその理想世界は、正に我々ヒトリディアムにこそ相応しい天上の地、理想郷である。軍はこのアルマへの到達を諦めはせず、またその妨害をしてやまないヱレームを滅ぼす事を、誓っ──」
グゥゥゥ
「ぷッ」
(ああ、笑いを堪えなかった人がついに……あと何か皆チラチラ見てる。うわぁ、教官に睨まれてる人もいる……皆ごめんよ……)
こんな音鳴ってたら誰でも気になるだろう。本当に申し訳無い。特に笑ってしまった軍学徒はあとでお仕置きだろう。幸い知った顔だったので個人的に謝りに行こう。
……ウチは人に見れらる事には快感を覚えるたちの人種だが、この様な注目のされ方は別に嬉しくない。
「──多大なる貢献を果たした右、ルシュブルエ・ハートボイルを《第九街抗換装士》に任ずる」
最高総司令は最上段の壇上にて勲章状を読み上げるや、講堂内の一般聴衆から歓声が沸き上がった。一般大衆にとってアルマは夢の国。そんな夢の国へ到達すべく日夜戦う軍事組織《街抗》、そしてその最前線で戦う騎士──《街抗換装士》は、民にとってまさに英雄であった。
(ガス抜き……かな)
今朝まではウチも大衆の一人だったのだろう。元々街抗換装士には興味無かったのでここまでテンション上げられたかは不明だが、少なくともアルマに夢見ていた人間の一人だった事に違いはない。
しかし今のウチには、この式典がなんとも胡散臭く感じられて仕方が無いのだ。狭い空間で暮らしている、階級に縛られている大衆へのガス抜きに。
いつかアルマ行くから皆今はネブルで我慢してね? みたいな。
「いつの日か、悲しみなき世界、アルマに到達せんために──」
壇上ではお偉いさんが演説を続けている。何人かは目を輝かせて、何人かは退屈そうに、そしてウチは……懐疑的な目で、その崇高な演説を聞いていた。
朝出会ったヱレームが頭に蘇る。あんなものに人類は勝てるのだろうか。それに、勝てたとして───
エムジの背中を突き破って出てくる、鋭利な刃が頭から離れない。
「どれほどの犠牲が出るんだよ……」
小声でつぶやいた言葉は、演説の雑音と、ウチの腹の雑音にかき消された。
悲しみの無い世界を手に入れるために、どれほどの悲しみを積み上げるつもりなのだろうか。まだアルマに行ったことの無いウチには想像もつかなかった。ただただ恐怖だけが、心をがんじがらめにして──
* * *
【軍学徒校 本棟第12講義室】
「──知っての通り、アルマは地獄だ」
(ですよねー)
20人程の軍学徒を前にして、教官は先ほどの演説とは真逆の内容を語る。理想郷、悲しみなき世界、アルマ。それを地獄と。
(アルマが天国なら、制圧にこんな時間かかってないはずだしな)
不勉強なウチには詳しい事は解らないが、少なくともウチが今の年齢になるまでの17年、アルマ制圧に関して大した進展はない。具体的な数値は調べてないが毎年多くの街抗が戦死しているとも聞く。そりゃ、あんな殺戮機械がうじゃうじゃいる世界、死ぬなって言う方が無理だ。
(父さん母さんも、アルマで……)
悲しみとも恐怖とも怒りとも解らない感情で上がる心拍数。何が『悲しみなき世界』だ。ウチのこの悲しみはアルマのせいで生まれたんじゃないのか。ウチの最愛の人は、アルマの化け物に殺されかけたんだぞ。
……今朝の一件はマジでトラウマになってるな。心療内科とかあったっけ軍学徒校。少なくともバニ様に精神的ケアは期待できそうもない。もしその能力があったとしても身内相手ではあまり良い治療にはならないだろう。薬くらいは出してくれるかもしれないが。
「ヱレーム──アルマに生息するこの化け物共がどれだけ凶悪、残忍、そしてクソッタレかを、アルマを事実として目指す君たち《街抗》志望の軍学徒は知らなければならない」
教官の語る内容に動揺する軍学徒はいない。皆知っているのだ、先ほどの演説がいかに優しい夢物語で、現実はいかにシビアか、そして自分たちが戦うべき相手が──現実だという事を。
(ウチも、知ってたはずなんだがな)
やはり直にヱレームに遭遇した経験は強烈だった。どれだけ講義で聞いていて、仮想訓練で戦っていようと。
あれほどまでに恐ろしい相手とは……
それはそうと。
グゥゥゥゥゥ
ウチの腹は相変わらず不快な音を出し続けていた。周囲の軍学徒も、たまに教官もこちらを見る。ごめんなさい不可抗力です。
(シーエちゃんシーエちゃん、私携帯食料持ってるからこっそり食べる?)
(さんきゅーミカヌー。でもやめとくわ。授業中に食事とかNGだし、今は食欲無くてな)
(……うそ、シーエちゃんがまともな事言ってる)
ウチはどこまで不真面目だったのかね? 正論を言ったはずなのにミカヌーに驚かれる。ウチらの小声話は腹の音にかき消され、幸い教官には届いて無い様だ。
(それだけお腹鳴らせてて、食欲無いの?)
(あーちょっとね。時間ある時に詳しく話すよ)
ヱレームの危険性、明日アルマに行くミカヌーにはしっかりと伝えておきたい。伝えた所でどうなるものでも無いが、少なくとも緊張感を持つことは出来る。……いやミカヌーの場合逆に緊張して動きが鈍るか? 次の授業は仮想訓練だから、そこでミカヌーの動き見てから判断するか。
「さて、このヱレームだが、一体どこで産まれていると推測されている。答えてみせろセロルティア軍学徒」
「はい……。アルマの南東500kmに滞留する『機都』です」
右目のある位置から何故か花を咲かせた少女は、機械の様に抑揚の無い淡々とした声で受け答えした。
「そうだ。座っていいぞセロルティア軍学徒」
立ったままの少女を着席させ、教官は続ける。
「我々ネブルの《観測委員会》はアルマ500km圏内、《儕級階層》に電子汚染がるつぼ状に発達した特異点を発見した。億を軽く超えるヱレームの爆発的集合体、我々はそれを便宜上、機都と呼称している」
教官の説明に合わせ、空間一帯を往来する立体画面の内容が切り替わっていく。
機都──数億、いや数十億のヱレームが集合して形成された異形の都市。その外観がモデリングされモニターに表示された。
(数億のヱレーム……)
もうどう考えても、そんなもの攻略のしようが無い。それこそ、《救世主》でも存在しない限り。
だから両親は、救世主伝説に縋ったのだ。それくらいしか、道がないから。
(いるかも解らない救世主のせいで、ウチは取り残されたのか……)
救世主伝説。複数の集落から発見されているその伝承には、共通の記載があった。人の心を持つヱレームが、人類に味方してアルマを取り返してくれるのだと。
この伝説が多数の集落から見つかっている事から両親はその救世主伝説を信じ、救世主を探しにアルマに旅立った。そして、二度と帰る事はなく……
(救世主なんていなければ、ウチは取り残されなかったのかな)
種礼序列は下位で、生活はそれなりに厳しかったしそんなネブルの環境に不満もあったが……正直、軍学徒になって序列のしがらみから解放されても両親に会えない寂しさが紛らわされる訳ではない。
どんなに貧乏でも、どんなにつらくても、大切な人と共に生きれるのならそっちの方が良いに決まっている。愛に勝るものなんて、この世にあるものか。
命は、一度失ったらもう二度と帰って来ないというのに。
いつだって、失ってから気が付くんだ。その大切さに。そしてどれだけ願ったって、もう取り戻す事は出来なくて。二度と会う事も、声を聞く事も、抱きしめてもらう事も出来なくて。
(アルマなんて、救世主なんて夢を見なければ)
ほの暗い感情に支配されながら、ウチは講義室中央のスクリーンを眺めていた。
「正直、アルマにこれ以外の機都が、一つあるいは複数存在するのかも、機都がどのような経緯で誕生したのかも、そもそも機都が何なのかさえも未だに解明はされていない。だが、確かな事が一つある。我ら《街抗》の長期的目的、設立の悲願はそう──この機都をアルマから駆除する事にある、という事だ」
教官が指を鳴らすと、ホログラムにヱレームとのアイコンを伴い金属繊維で構築された奇形生物が多数表示される。
「……ッ」
そのおぞましい見た目を目の当たりにして、ウチは再び恐怖に襲われる。今朝のヱレームは未知式だったが、似た様な凶悪なメンツが講義室には勢ぞろいしていた。
こんなもの達から、アルマを奪還する? 馬鹿げてる。
「──ではミカイヌ軍学徒」
「は、はいっ」
隣の親友が指名され立ち上がった。急に指名されたためか多少慌てている。
「次は思考問題だ、ミカイヌ軍学徒。アルマにおいて過去遭遇履歴に登録されていない未知のヱレームに突如遭遇したとしよう。いかに対処する?」
「え、えと」
ミカヌーは今までの授業で書き留めた分厚いノートをめくり、答えとおぼしき文言を探す。
「奴らが引き起こす《電子汚染》を受けないよう、汚染の恐れがある機械兵装を特定し、遠ざける事であります!」
が、しかし──
「論点がぼけているぞ。違う」
教官には否定されてしまう。
「それは出撃前、基地における軍備の段より注意すべき点だ。アルマ臨戦時においてチェックしていては遅すぎる」
「あ……えと」
「思考問題と言っただろう。ノートや教科書には書いていないぞ」
「あ……」
「もういい座れ」
「すみません……」
しおしお、と悲しそうに耳をへたらせてミカイヌは座り込んだ。教官も意地悪な問題を投げかけるものだ。ノートや教科書に載ってる問題ですら危ういミカヌーに、載ってすらいない問題を出すとは。
(でもたぶん、そういった状況が多発するんだろうな)
その度に臨機応変に動けないと自分の命が無い。自分だけで済めばまだ良い。同じ隊の仲間や大切な人の命も守れないかもしれない。
今朝のウチなんて、授業で習った事ほぼ役に立ってなかった。まぁ、普段のウチが不真面目すぎて授業内容覚えてないせいもあるけど……。これからはしっかり聞こ。
周囲から聞こえるささやく様な笑い声。ミカヌーのノートが人一倍分厚い事をウチは知っている。彼女が非常に努力家であることも。その努力をあざ笑う周囲の空気には不快感を覚えたが、それだけミカヌーが危うい存在であることも事実だ。
願わくばこの『恥』の感情をバネにして更に勉学に励んでくれれば良い。
「じゃあ、橙子軍学徒。代わりに答えてみろ」
教官はミカヌーから視線を外し、クラスいちの優等生へと質問を投げかける。
クラスいちの優等生、未納橙子、白い──とにかく真っ白い少女だ。白銀の髪やシミひとつ無い肌は勿論、眉毛や瞳に到るまで白く、華奢な儚さと高貴さが相まってすこぶる美しくウチの眼に映った。
唯一色づくのは、揃えられた前髪から生える立派なピンクの二本角のみ。
白い少女は可愛らしい口を開いて、
「《汚染値》を計測し《ネットワーク端末》の位置を特定、すみやかに対応した連携陣を形成する事です」
と、戦う意思を示した。ダメだ。それでは──
「ほぅ、それは何故だ?」
教官が求めていた答えなのだろうか、満足げに白銀の少女に詳細を求める。
「如何なる形状のヱレームだろうと、躰のどこかに必ずある《ネットワーク端末》のみを迅速に破壊する事が肝心だからです。更にこちらが打ち合わせが出来ない状況下で連携攻撃をしなければならない場合、目標を一点に絞る事が極めて効果的だからでもあります」
「うむ、そうだ。連携攻撃の理屈までよく理解できているな。流石学年主席だ、橙子軍学徒」
教官は満足げに首を上下に振る。ゆっくりと、吟味するかのように。
いいのか? 本当にその解答で。
「いえ。当たり前ですわ教官殿。この程度を答えられなくては、夬衣守換装士は務まりませんもの」
「ふ、頼もしいことだ。座っていいぞ」
橙子軍学徒は腰を下ろす。と、同時に
『はっ、天才は手厳しいよなぁ。外したバカが聞いてるってのに』
あざ笑う小声がどこかから聞こえる。
『ちょ、アラギくん。君の声も聞こえてるよ』
『お前も頭使えって。聞こえちゃ困る事を言われる馬鹿が、悪いだろ、ふはっ』
「……」
全部聞こえているミカヌーは静かに一人、ノートの端を握りしめた。他の軍学徒の倍近く分厚くなった、彼女の努力の結晶を。
そしてウチは──
「……違う」
ぽつり、と否定の単語をこぼしていた。
「……ほぅ、シーエ軍学徒、何が違うのかね?」
ウチの独り言は教官に聞こえていた様だ。教官は怒るでもなく、あざ笑うでもなく、好奇心を持った目でウチを見つめる。
完全に無意識に出た言葉だが、折角だからしっかりと答えるとしよう。この軍学徒たちの中で恐らく唯一、本物のヱレームの恐怖を味わった身として。
「先ほどの、橙子軍学徒の回答です。いや、全部が違う訳じゃないんですけど、完全には合ってないっていうか……」
普段のウチなら自分から声を上げることなどなかったろう。今のウチだって、普通に授業が進行してればわざわざ発言などしないはずだ。
親友が傷つけられ苛立ったのか、未納さんの回答に危機感を覚えたからかはわからない。ただ、横にいるミカヌーにウチの言葉は聞いていてほしかった。
「驚いたな……。実は私も同じ意見でな。今しがたの橙子軍学徒が回答した問題には、未だ補足できる点がある。答えてみろ」
「はい」
ウチは一呼吸おいて──
「逃げるべきです」
そう、告げた。
そうなのだ、逃げるべきなのだ。あんな殺戮機械からは。過去遭遇履歴に登録されてるかとか、そんなことは関係無く。
戦わずに、逃げるべきなのだ。