002話-03 親友
「ち、ちびるかと思った……」
ほの暗い水が股間から噴射される様を想像して、そうならなくて良かったと思う。人前で放尿するのはそれはそれでいいものだが、バニ様の研究施設を汚したらさらに叱られるだろう。
「でも……」
怖かった。怖かった、が。
「心配してくれた」
怖さの中に温かさがあった。ウチとエムジを本気で心配してくれた。ヱレームと出会った経緯を説明したら、発見内容よりもまずウチらの心配をしてくれた。開発者なのに。有益な情報のはずなのに。
(その分更に叱られたけど)
そんな危険な目にあって! と。ヱレームに出会うなんて基本ありえないが、そうでなくてもクロムシェルは回帰機構も存在するし道は複雑でネブルに帰れなくなる可能性もある。
そうなったらどうするのだと、少し涙声になりながら、バニ様はウチらを叱ってくれた。
(ありがとう。バニ様)
叱られてありがとうも変だが、自分達を心配してくれる人がいるのはうれしい。
バニ様はウチの両親の友人だ。親を亡くしたウチを拾って育ててくれた。おそらくは、本物の子供の様に愛情を注いで……。
ネブルいちの開発者で、本当はすごく忙しいはずなのに、ウチはバニ様と遊んだ記憶を沢山持っている。エムジとバニ様、この二人の存在が両親のいないウチをここまで明るく活発な人間に育ててくれたのだ。
(頭痛以来めっちゃマイナス思考になってる気がするけどね)
ともあれ、無事に帰ってこれた。その無事とバニ様の愛を噛みしめながら、ウチは廊下を歩きだす。
【軍学徒校、二階廊下】
『──とにかく、先にエムジちゃんの外骨格を修理しちゃうから。アンタは夜にでも仮想接続室に来なさい。いい、絶対よ? 来ないと明日のアルマ実習を受けさせないのはもちろんのこと、穴という穴を全部開発しちゃうからね──開発者の名にかけて』
開発者の風上にも置けないセリフを残して消えた兎男と暴力ロボットを見送った後、ウチは一度部屋に戻り学徒用の服に着替え、再び軍学徒校内を練り歩いた。
(アルマ実習か……)
開発は正直めっちゃされたい。というかさっきウチ、何で自分は変態なのか疑問視してたけど結構バニ様の影響が多いのでは?
特別な体験は無かったけど、日頃のバニ様の言動から影響を受け、今日にいたるのではないだろうか。少なくとも両親いた時のウチは普通だったはずだし。
まぁいいや。問題はウチの変態性ではなく、明日のアルマ実習。
(正直行きたくない……)
行きたくはないが、行かなくてはいけない。このタイミングで実習拒否とか完全に軍の規律違反だし、また極刑になってしまう。それに軍平志望者にはウチの親友もいる。ウチ一人が逃れたところで大切な人を失う恐怖が消える事は無い。
とりあえず何となく親友に会いたかった。エムジとバニ様、ある種閉じた世界だった家庭という空間から軍学徒校という開けた空間に来て、初めてできた友人、親友。ずっと一緒にいたいと思う、大切な人。
(午後は確かメトローナ教官のヱレーム学だったはず。まだ一時間あるか)
皆昼食を食べている頃だろうか? 学食にでも行けば会えるかな? 彼女は食いしん坊だし。
ウチは行きかう学徒仲間を交わしながら廊下を闊歩する。軍事区画はその性質上、ネブルにおいて唯一種礼序列が適応されない区域である。そのため居住区域と違い多種多様な所属が同じ目線で生活し会話し合っていた。
その光景は一般市民からすれば奇異であろう。元々軍に特に思い入れの無いウチだが、この空気だけは好きだった。
例えば神格化された《正統血種》の一つである白い肌のアリゴル種に対し、序列下位の外来種、ユーラニア種のウチが「やっほー玲ちゃん、ちゃんとパンツは脱いでるかーい」などとセクハラをしても「おっすシーエじゃん、俺はノーブラ派だっての。ばーか」と射殺されるどころか笑い話で済むのだ。
軍において序列を決めるのは種礼序列ではなく階級。二年次の軍学徒であるウチにとって、教官などでもない限り軍学徒校には同階級と後輩しかいないから気楽なものだ。
(まぁそのトップである御劔学長からさっき極刑言い渡されそうになったけど)
紙一重すぎる。どこにも気楽な要素がねぇや。
と、本棟から学食のある南方第一別棟をつなぐ連絡路に差し掛かった時だ。不意に曲がり角で肉塊と激突した。
そう、肉塊と呼ぶにふさわしい女性の胸と。
「わわわッ、いったぁ! いたいた! いたぁ!」
超痛がるやんと思って相手の無事を心配してみたら、どうやら痛がってるわけではないらしい。ウチを発見したとの意味みたいだ。だってその相手が……
「ミカヌー!」
ウチの大好きな、親友だったから。
褐色肌に白い短髪の少女は淡い桃色の学徒用スラックスに黒いへそ出しランニング姿で汗を拭いている。
少女の名前はミカイヌ・ゾゾ。軍学徒校の入学式で仲良くなって以来一年、同じ釜の飯を共にするウチの同期にして親友である。友達は多くとも、親友と呼ぶほど近しい人間はミカイヌくらいのものだ。
細長い30cm程の耳を頭部から左右に垂れさせ、湯水のごとく汗を流すジ彼女は種礼序列22位『ハリガネ種』のヒトリディアムだ。ちなみに独特の体臭がハリガネ種の特徴らしいが、ウチは今まであまり気にした事は無い。むしろ嗅ぐと安心する、暖かい香り。
「相変わらずミカヌーは可愛いねー。お、髪飾りがおにゅうじゃん。似合ってるぞー」
会いたかった親友に会えてホッとする。ただ明日、この娘がアルマに行くんだという不安も同時に……
(あんな攻撃食らったら、誰だって死ぬよな……)
エムジの背中を貫通した刃。どうしてもあれに貫かれるウチや親友、友人達を想像してしまう。思考がどんどんとマイナスの方向に──
「え、あ、うん。ありがとー。これお母さんが進級祝いに買ってくれてね、似合ってるでしょ──じゃないよッ?!」
マイナス思考に陥ってたら突如怒られた。何事だろうか? というか、その髪飾りお母さんのプレゼントか……。いいな、お母さん生きてて。仲が良くて。
羨ましいと同時に暖かい気持ちにもなる。ミカヌーには幸せでいて欲しい。家族との時間を少しでも大事に。
「もーシーエちゃんぼーっとして!! 午前の最終調整どうしたの?!」
最終調整……? あれ、何か聞き覚えがあるけど記憶がアヤフヤだ。ミカヌーの様子から多少重要な情報な気がするが。
「うわぁ……。完全に忘れちゃいましたの顔だよねそれ……。ねぇシーエちゃん、明日からアルマ実習なのは流石に覚えてる?」
「当たり前だろ。ウチがどれだけアルマ実習楽しみにして"た"と思ってんだよ」
今や過去形である。……しかしアルマ実習と最終調整。あ……
「……ならね。今日の昼までに、自分の《誤差同期記録》に、明日使う夬衣守実習機の情報をね、読み込んでおくようにって、トドロキ教官が言ってたのは覚えてる?」
「初めまして馬鹿と申します……」
思い出した。クッソ重要な情報じゃねーか。今のウチならいざ知らず、今朝までのウチはアルマ目指してたんだよな?? 何でそんな重要な情報忘れる? 頭大丈夫かウチ。
夬衣守、アルマにて活動するのに必須となる寄生型兵器。とある理由にて電子汚染を免れる、パワードスーツ。これの使用には個人差があり、各個人の情報を同期しておかないと正常に動作しないのだ。仮想訓練ではバーチャル夬衣守を何度も使用したが、明日は初の本物の夬衣守での実習。誤差同期記録をしておかないと夬衣守に搭乗すら出来ない。
「ごめんなさいじゃ済まないよ馬鹿ぁ!」
ミカイヌが超怒ってる。返す言葉もない。
「アルマ実習は私達換装士科の必須科目だよ? 受けられなかったら正規換装士になれないんだよ?? 今までの努力が全てパーなんだよ……」
「仰る通りです……」
「シーエちゃんはクルクルパー過ぎるよ!」
「ウチもそう思います……」
換装士科というのはアルマを目指す軍学徒が所属する学科だ。いずれは街抗という組織に所属する、換装士という役職になる。この街抗に所属してないとアルマに出られない、つまりはアルマ探索が出来ないので、両親の夢を継ごうと決意していたウチはこの科に所属していた訳だが……今朝の無断奪階層といい、行動が非合理すぎる。謎。
「あーあ、終わったよシーエちゃん」
親友は追い打ちをかけてくる。いっそのことアルマに行かなくて良いならそれはそれでとか思うけど、それはウチが臆病になったからで……ミカヌーだけアルマに送るのは正直怖い。ウチがアルマに行くよりも、怖い。
だって、ミカヌーは──
戦闘力も、学力も、とてつもなく低いから。
親友を馬鹿にしたい訳ではないが、軍学徒校から平等に下された評価をひも解くとミカヌーの成績は残念極まりない。いや学力はウチも低いので人の事は言えないが。勉強しろよウチ。
普段は成績なんてと笑い話にしていたが、今朝のヱレームを見る限りそれは不安要素でしかなく……
(せめてウチが、側にいて守らないと)
ウチごときでどうにかできるかは解らないが、一応これでも戦闘実技はクラストップなのだ。今朝の敵も夬衣守を装着していればもう少しマシに戦えただろう。
アルマに行く親友を守りたい。これはウチの素直な願いだ。もう二度と、両親の時の様な思いはしたくない。帰ってこないかもしれない親友を待つなんて。
「仮想接続室はもう閉まっちゃったから、再調整はもう出来ない。これでアルマ実習も受けれない。そしたら来年換装士試験も受けれないし、換装士試験は17歳の時一度だけのチャンスだから、もうシーエちゃんは換装士になれないね。換装士になれなきゃアルマに行く権利は手に入らないし、シーエちゃんはもうアルマに行けない。あー、残念だけどシーエちゃんがクルクルパーだからしょうがないよ。クルクルパーゆえの賜物だもの。今までありがとうね。シーエちゃんと一緒に頑張った日々は」
「待って! ミカヌー!!」
ウチは悲痛な叫び声をあげた。何故か追い打ちをかけまくる親友に対して。
親友が、ミカヌーが、遠くに行ってしまいそうで。ウチを置いてアルマに、行ってしまいそうで。両親みたいに、帰ってこないかもしれなくて。また、取り残されてしまいそうで。
しでかした罪の重さに叫んではみたものの、状況が改善する事は無い。
何を、やっていたんだ、ウチは。
無断奪階層などして極刑にされかけて、エムジを死の危機に誘い込んで、おまけに親友を守る事すら出来なくて。
お前は、何をしていたんだよ、シーエ・エレメチア。
通りすがる、ウチをみて笑う軍学徒が不安と後悔を加速させる。
「……。……はぁ」
どん底に沈むウチを見て、親友はため息交じりに肩をすくめた。
「全く、私に感謝してよ、もう」
「……感謝?」
何だろうか。
「そ。どーせシーエちゃん忘れてるだろうと思ってね、私の調整の時にさ、真屡丹研究室用にシーエちゃんが夜調整させて貰える様にって──頼んでおきました!」
「……マジで?! アンタはやっぱり良い娘だよ!」
さっきからめちゃくちゃ辛辣だったのはこのためか。正直アルマ行きも怖いが、ミカヌーだけ行く方が数倍怖い。ウチは親友のたわわな胸に抱き着き、顔をうずめた。
暖かい。柔らかい。生きてる感触がする。ウチはまるで壊れ物を触るかのような優しい手つきで、ミカヌーの背中に手をまわした。
失ってしまった命がある。取り戻せない時間がある。もう二度と、抱き着くことが出来ない相手がいる。
両親に想いを馳せながら、ウチは大好きな親友の命を堪能する。何故ウチはこんなに憶病になったのか。確かに両親は亡くなったが、それははるか昔の話だ。最近は思い出して泣く事も無くなったはずだが……
もっともっと沢山の大事な命を、ウチは失っている気がする。
何故だか解らない。漠然とそう感じる。今朝の頭痛以来、記憶にない変な感情が時折頭を支配する。忘れてはいけない記憶があった気がするんだ。ずっと覚えていたいと思った人がいた気がするんだ。何なんだろうか。この感情は。
その変な感情と、ミカヌーとエムジがどうしても重なる。二人共まだ生きている。今度こそ、ウチが守るんだ。失わないんだ。失わせないんだ。悲しみを、増やしたくないんだ。
「ちょとはこれに懲りて、まじめに座学とか受ける様にしなさいね」
「……そうだな」
元々頭痛以来座学は真面目に受けようと決めていたが、その決意はさらに固まった。どこで重要な情報を聞き落とすか解らない。自分の身も、大切な人の安全も守るためには知識は有用なはずだ。
……そういえばさっきバニ様、夜仮想接続室に来いと言ってたな。あーこれミカヌーが言ってくれてたのか。だから夜行かないと明日のアルマに行けないっていう。
バニ様なんて超目上の人、一階の軍学徒であるミカヌーが交渉するには勇気がいたろう。重ね重ね、親友には感謝だ。
「ありがとう。ミカヌー」
「えへへー。感謝してよね?」
「マジする。後でミカヌーの好物おごる」
「ホント!! じゃあチョコレートが良い!」
甘い物好きのミカヌーはそれだけではしゃぐ。そんなものでミカヌーの笑顔が見れるならウチはいくらでも散財する覚悟がある。
「──さてと。それじゃシーエちゃん。そろそろ急がないと式典に遅れちゃうよ」
「式典?」
ウチにはまだまだ聞き逃した情報がある様で。……これからの数日、日常生活に不安しかない。
あぁそういえばさっき学食に向かう途中、人とはずっとすれ違いっぱなしだった。元々ウチは学食にミカヌーがいるだろうと思って向かってた訳だが、今はまだ昼飯時。あんなにも大人数が学食から離れていくなんて不思議だ。まるで皆、どこかに向かってるように。
「まぁた忘れてるぞね……。今日は13時から大講堂で《街抗換装士任命式》でしょ」
「あーなるほど」
完全に失念していたが思い出した。重ね重ねこのタイミングでミカヌーに出会えてよかった。このイベントもスルーしてたらまた御劔学長に何言わるか……
(ていうか「あーなるほど」って、さりげなくアナルって単語ぶち込めて良いな)
肛門自慰も大好きです。まる。以前ミカヌーにオススメしたらドン引きされた。その良さを教えてくれたのはバニ様なんだがな。
ネブルには複数の種族が混在しているので、元々その種族が使っていた言語が他の種族にも定着するケースがある。不勉強なウチにはアナルがどの種族の言語だかはわからないが、本来は「肛門の」という助動詞だったはずだ。肛門そのものを指す単語はアヌス。しかし何故か大衆にはアナルの方が広まってしまった。
まぁ言語なんてそんなものだ。
「はー。ミカヌーに会えて良かった。完全に失念してたわ……とりあえず向かうか」
「うん。そうしよー」
ウチらは仲良く並んで、聴衆大講堂へと歩みを進めた。