002話-02 軍学徒校学長
【正午前 《クロムシェル》内部 5361階層】
鋼の壁に鉄板を刺しただけの様な階段に、昇降機は接触、ウチらは鉄板へと足を移し、また更に下へと階段を進んだ。
はば1m程の階段に柵は無い。左は壁で、右は完全に中空である。
遥か下方、崖のふもとには無数の明かりが灯っており、何やら生物が生息している気配が感じ取れる。
「エムジ、肩貸すよ」
「……ん、ああ頼む」
固い武骨な腕を首に回させ、エムジの腰に手を回す。鉄の匂いと、微かないい香りが鼻孔を撫でた。
(こんな事がなけりゃエムジと密着するチャンスなんて巡ってこないから、本来は役得なんだが……。こんな事はもう二度と起きてほしくないな)
ボロボロのエムジを見ながらシミジミ思う。二人とも無事に帰れたのは奇跡だ。ただ問題はこの後──
「バニ様怒るだろうなぁ」
「いっそ、このまま身を隠したい気持ちだよ」
「お前の故障は修理してもらわないとダメだろ。バニ様しか直せないんだし」
「しゃーねぇな。あぁ気が重い」
「ウチも謝るから二人で怒られよう……」
「お前だけ怒られてくれねぇかな? 俺はお前の無断脱階層に付き合わされただけだし」
「うぐ……その節は本当に申し訳ない……」
返す言葉もございません。
クロムシェル内を下る事15分程、ようやく階下が見えてきた。鉄板式の階段は次第に板へと変わり、最後はスロープとなり、ある建造物の屋上へとなだれ込んだ。
時刻は12時。正午の少し前だった。
* * *
──ネブルは白と黒から始まった。
歴史書を信じるならば創世は今から九世紀前。白き種と黒き種が長い対立の末同盟を結び、『大空洞』に居住を構える事で結成された混合種の集落──それがネブルだ。
ネブルは≪種礼序列≫と呼ばれる身分格差の元に運営されており、今も他種族を取り込む事でその規模拡大を続けている。
序列一位より白い肌を持つアリゴル種と黒い肌を持つネアンディル種、次いで第二位マニョン種、第三位クォーテ種、第四位パニマリ種、第五位ペティン種──以下、多数。
ネブルが創世してよりの移民の順序がほぼそのまま序列へと転化している形だった。
人口15万人、敷地面積五キロ平方メートルを超えるネブルは、正にクロムシェルでも稀有な巨大都市だ。第一から第九居住区が存在し、種礼序列に則ってその住み分けがが成されている。
ウチの種族であるユーラニア種は下位。とにかく多種多様なヒトリディアムの集合体で構成されるのがネブルという超巨大集落だ。
『年』という他の集落には見られない不思議な時間区分の概念を採用しており、一年は365日、一日は25時間、『大規模紫外線照射招致』を12時間と30分ごとにオン・オフし、『明』と『黎』を区切り生活リズムを構築する事が、ネブルの古来よりの習わしだった。
そんな──居住区の中でも序列五位までが居住可能な第一居住区に隣接する形で、軍部施設はその威容を露わにしている。
ウチが通う軍学徒校も、その軍部施設の一端に立地しているのだ。
【軍学徒校 学長室】
「──いやいや。ご機嫌麗しゅうだわね、シーエムジ」
御劒学長は背もたれにかかり、修羅の形相で天を仰いだ。
(バニ様に怒られる云々の前に、こっちを解決しないとなぁ)
無断脱階層の罪への言及。避けては通れない道だ。何で今朝のウチは無断脱階層なんかしたかね? 違反だって知ってるじゃん。
でもまぁ、今回は収穫もあったし何とかなるだろう。とりあえず神妙な顔をして発言の機会を待つとする。……隣を見るとエムジが不貞腐れた態度で突っ立っていた。いやいや、とりあえず一緒に反省してるポーズして? 悪いのは全面的にウチだけどさ。
学徒を育成する学校の長に与えられた一室は飾り気こそ無いものの、反射するほど透き通った銀色の壁に囲まれており、小狭くも窮屈さを感じさせない作りだった。
かといってリラックスしまくってる隣の相棒程、ウチはふてぶてしくない。十中八九許されるだろうという確信はあるものの、発言の機会をミスれば話がややこしくなる。
軍学徒校の学長にして、新人兵士育成を一手に担うマニョン種の女性──御劒景織子。
長い髪を下着の代わりとして躰に縛るのが風習の種族なため、黒い肌が服に隠れ、はた目からは短髪に見える。片手しか無い左腕で細長いキセルを唇の端に引っ掛け、もくもくと煙をあげさせながらほぼ動くことなくウチらを観察していた。
唯一、背もたれの隙間から顔を出す長い尻尾だけが、扇風機のようにぐるんぐるん回っている。
ぺしぺし革製の椅子が音を鳴らしていた。
空気が重い。はよ本題に移ってほしい。と──
「さて。ラロ秘書官、さっさと状況を報告してちょうだい」
思っていた矢先、御劔が隣の男性秘書官に呼びかける。
「本日未明、シーエ・エレメチア軍学徒は軍規第45条を犯し、≪指定階層≫の無断脱走を決行。その際昇降機に何らかのハッキングをかけた形跡があります。また12:05、軍学徒校管轄調査塔屋上へ戻ってきた所を捕縛、その後速やかに学長の元へと搬送され、今に至る次第であります」
ラロと呼ばれた秘書官は無機質に告げた。──脱走。それが此度のウチの罪。ウチとしては脱走する気など全く無く、ただ探索がしたかっただけだがクロムシェルに入る時点でネブルから出たという扱いになり、結果脱走という罪になる。
軍隊において脱走など重罪中の重罪だが……ほんと今朝のウチは何を考えていたんだ。いや、知ってる。というか覚えている。何も考えて無かった。
(改めてヤベーな今朝のウチ)
ラロ秘書官の解説に御劔学長は「そうね」と答える。その上で。
「シーエムジ、内容の虚偽について、異議申し立てはあるかしら?」
「特にありません」
「あらそう。それは実に愉快だわ」
御劒学長は机へと片手で器用にほおづえをつき、深いため息を吐き出した。それとほぼ同時に隣のエムジはあくびをかます。なぁもう少し緊張感もって? やりづらいわ。
「ねぇシーエちゃん。随分と息苦しそうね。楽にしなくて平気かしら?」
にこり、と学長は不気味な笑顔を作り尻尾を揺らす。嫌な予感するなぁ。
「いえ」
「息苦しいのなら遠慮はいらないわ」
と、学長はウチの答えなど無視し──
「すぐにオデコでも呼吸が出来る様にしてあげるから」
冷たく光る銃口を向けてきた。あ、これまずい。無理やり話ねじ込まないと。
「み、御劔学長! 聞いて下さい! 実は此度の探索で有意義な発見をしまし」
「黙って反省していろ糞ッ!!」
火花が散った。
5.2ミリの弾丸はウチの頬をかすめ、つぅ、と赤い血がしたたり落ちる。
(思ってた以上にやべぇ罪だなこりゃ)
──と、思考する間もなく今度はエムジが懐から小型火薬拳銃を取り出し学長へと向けて構える。しかしすぐにラロ秘書官が電磁拡散銃を両手で二丁抜き、ウチら二人に照準を合わす。互いが互いに銃口を向け会う膠着状態、そこにエムジの怒号が加わった。
「おいやめろ御劔ッ、シーエを撃つたぁどういう了見だ?! その銃をおろせッ、お遊びが過ぎると笑えねぇぞ!」
柄にもなく真剣に叫ぶエムジ。今日はやたらとウチを守ってくれるな。
「シーエ軍学徒。貴様はこれで、何度目の≪無断脱階層≫を犯したのか、そのミニマムな脳みそでちゃんと数えているのかしら? 一の次は零か? 零の次はまた一か? 違うな。記念すべき三回目だ、おめでとう」
学長は銃を構えたまま唇だけで器用にキセルを蒸かし、煙を味わうこともなく続ける。
「ふふ。ラロ秘書官を見てごらんなさい、似たような条例読まされすぎて既に諳んじれるわ」
三回目、と学長は強調した。三回目に何があるのだろうか。不勉強なウチには解らない。何故、ウチは勉強をしないのだろう? 少なくとも今のウチは情報収集は好きなのだが……。
「指定階層の無断脱走は重罪。軍学徒としての資格はく奪じゃすまない、差別序列への格下げが基本よね。だか仮初にも軍人の端くれである貴方は、差別序列に格下げこそされど今日まで問題無くのうのうと生きてこれた。だが三度までだ。三度も禁を犯すような救えない糞野郎は、文字通り救いようのある糞になってもらう。これは厳格なる決まりだ。≪腐葉土化の刑≫か≪養殖物培養素体の刑≫──シーエ軍学徒、貴様はどっちの糞がお好みかしら?」
前者は死刑であり、後者は指一本動かせぬ全身拘束で無期懲役みたいなものだ。いずれにせよ極刑である。
(三度で極刑……か)
苦笑いが出る。何で軍学徒の校則も、ネブルの法律も知らないんだウチは。罪を犯してる自覚があるならその処罰は調べるべきだろう。そもそも夢があって軍平を志願してるのだから、罪を犯すべきですらない。自分の行動の矛盾に困惑する……。
だが、今すべきことは過去への後悔ではない。現状への対処だ。規則は後でしっかりと頭に入れよう。
「三度の件は知りませんでした。ウチの勉強不足です。申し開きもありません。……ただ、今回はそんな事よりも見ていただきたい映像があるのです」
「そんなこと、だと?」
さっきとは違いウチの言葉は遮られない。これは行ける。交渉のチャンスだ。……学長は何か驚いたような顔をしている。
「はい。そんな事です。ウチの命や刑罰なんかよりよっぽど重要な、ネブルにとっての大発見があります」
命より重要というのはあくまで軍人目線の話であり、ウチ個人としてはもちろん命の方が大事だ。しかし今は命乞いをしている場合でもない。先に情報の有用性を伝えよう。
「……大発見とは大きく出たな。それで? その内容は?」
「クロムシェル内にて活動するヱレームに遭遇しました。本来ならネットワーク端子が入ってこない、クロムシェルにて、です。エムジの傷はそのヱレームとの戦闘の痕ですね。またこの戦闘の際に一度電子汚染されたエムジと、エムジの電子銃が何故か汚染を回復させるという不思議な現象も起きました」
「!!」
学長は目を見開いて反応する。よし、食いついた。
「その一部始終を撮影した映像を、今エムジが持っております」
「……そう、なら早くその映像を──」
「ですが、それには条件が」 と、今度はウチが学長の言葉を遮る。
「ウチとエムジの無罪放免を約束してくれるなら、お渡しします」
これに対し当然学長は「ふざけるな!」と声を荒げる。しかしここはウチも譲れない。生き残るために必死だ。
「了承頂けないならエムジごと映像を破壊します」
ウチはエムジのホルスターから電子銃を抜き取り、エムジに向けて構える。「はぁ!?」とエムジが困惑してる。
すまんなエムジ、これブラフだから。交渉失敗したらウチだけ極刑なるから安心してくれ。……そうなったとしても、ギリギリまで抵抗は続けるけど。
しかし映像あるし何とかなるとか軽く考えていた無断奪階層の件が、まさかここまで重くなるとは……。しんどいなぁ。
「……っ!」
学長の顔に一瞬焦りの表情が浮かぶ。行けそうだ。
「御劔ッ! シーエの言っている事は本当だ。このディスクに映像が入っている」
エムジは腰のスロットから一枚のディスクを取り出し、話を続ける。
「現状においてネブルも──真屡丹さえも知り得ない映像だ。政治なりなんなり、利用価値はいくらでもある。《十七委員会》すらひっくり返せる様なネタだ」
必死に援護射撃してくれるエムジ。……しかし十七委員会をひっくり返す? 何の事だ?
今は言及はよそう。ウチもエムジに乗っかり引き続き交渉を。
「という事です御劔学長。どうですかね? ウチらの無罪放免、検討して頂けませんか?」
学長は少し考えた後──
「いいわよ。はやくそのディスクを貸しなさい」
と呟いた。
よし!
「いや──ディスクは渡せない」
しかし今度はエムジが異を唱える。おいどうした?
「渡してコピーされれば取引の意味をなさない。《ニューロンデバイス》から直接アンタの強化網膜に同じ映像を流させてもらう。アンタも元換装士だ、換装手術は受けているはずだろう?」
確かに一理ある。ウチらの無罪放免は今のところ口約束だ。ディスクを取られて無かった事にされたらたまったもんじゃない。
エムジは腰のホルスターから《入出力ケーブル》を巻き出す。しかし──
「調子に乗るなよゴキブリキ」
学長の眼が怪物の口腔のごとく見開かれる。
「私が約束をたがえるとでもいうのか。侮辱も大概にしろ。真屡丹に作られた機械風情が、人であるこの私に意見すると? ふざけるな。ウィルスに感染でもしたら洒落にならん。ディスクごと渡せ」
……機械、風情?
一瞬覗かせた怒りの感情を学長に悟れらる事は無かった。危ない危ない。
エムジは機械だ。それはウチも御劔学長も知っている共通の認識だ。そしてネブルの人々が機械に不快感や恐怖を持っている事も知っている。なんせアルマは機械に、ヱレームに支配されているのだから。ウチだってさっき殺されかけたんだから恐怖を感じている。
しかしエムジはウチにとっては家族なんだ。機械か人かなんて関係無い。エムジはエムジだ。好きな人を侮辱されても怒りを隠せるほど、ウチは人間が出来て無い様だ。まぁ今回はそれがアダにならなかった様で何より。
エムジは「……。わかったよ」と呟き、ディスクを渡す。学長の言う通り、約束が守られれば良いが。
時間にして15分。無言で時折表情を剣呑に歪ませながら映像を眺め続けていた学長は、区切りのいいところで停止し顔を上げた。
「……ふむ。なぁラロ秘書官。いつまで目障りな機械と小汚い訓練兵を私の前に立たせておく気だ。そもそも何故呼んだ? 私も暇じゃない。用が無いなら即刻立ち去ってもらえ」
お、このセリフは……
(無罪放免……かな?)
……ふう。何とかなった。いやぁここまで苦戦するとは。
っていうかコレ、たまたまクロムシェルでヱレームに出会ってたからよかったものの、何の発見も無くネブル帰ってきたらウチ普通に極刑だったやん。
ヱレームに会って死ななかったのも運が良かったけど、そもそもヱレームに出会えた事自体も運が良かったのか。二人共死なずに今があるのはマジで奇跡じゃないか。
(一生分の運を使い果たしたかもわからんね)
ウチは頬から垂れる血をぬぐい、舐めた。口内に鉄の味が広がっていく。味覚を通して感じる、ああぁ生きてるなって実感。
まったく、ウチのお肌が傷物になっちゃったぜ。……エムジにはブツブツよばわりされた肌だけど。
とりあえず学長の気が変わらない内に学長室から退出しようと、ラロ秘書官に促されるまま急ぎきびすを返した。本当に、濃い一日である。まだ昼前なんだから驚きだ。
しかし、ちょうど扉のノブに手をかけようとしたら所で……扉がひとりでに開いた。
そして一匹のウサギと鉢合わせる。
一匹のウサギと。
「ぎゃあああああああああ!! アタシの外骨格が!!」
突如としてウサギの絶叫が学長室に木霊した。
ウサギ──そう、ウサギなのだ。もちろんウサギと言っても本物ではない。本物のウサギはとうの昔に絶滅している。目の前にいるのはウサギの可動式機械仮面を装着したヒトリディアムである。
ウサギ頭巾の人は学長室の扉を開けるや、ボロボロのエムジを眺めたまま絶叫し続けていた。
「酷い酷い酷い酷すぎるわ!! どうして?! なんでなの?! これは現実かしら! なんでアタシの《人型外骨格》ちゃんがこんなにボッコボコになってるのよねぇ?!」
喋り方は女性だが声は確実に男性。いわゆるオカマと言うやつだ。これがウチが両親を失ってからの親代わり、両親の古くからの友人でありエムジの開発者でもある──
「バ、バニ様……」「真屡丹……」
ウチらはただ名前を呼ぶ事しか出来なかった。
「ちょ……バニ様、こ、これには結構深刻な事情が……悪いのは全部ウチなんでエムジは見逃してやって……」
「そうなんだよ、全部シーエのせいなんだ! 俺は悪く無い」
お前はもう少しウチを労わって?? 泣くよ?
バニ様はウチらの言い訳には聞く耳も持たず、表情をマスクに隠したまま、ひたりひたりと距離を縮めて来る。怖い。
あ、ヱレームほどの怖さは無いけどね? 温かい怖さだけどね?? でも怖いわ。
「えっと、事情が……ついでに凄い発見も……」
「──ダーメ」
あーもう完全に怒ってるやつやんこれ。一難去ってまた一難。マジ今日濃すぎだろう。まだ昼前だよ?
「何言っても許さない♪」
ともあれ、ウチらの第二ラウンドの火ぶたは切って落とされた様だ。