002話-01 昇降機でのひと時
『ママー、アルマってどんなところなのー?』
『あらあら、面白いご本を読んでるのねシーエちゃん。アルマはー……うーん、そうね、夢と希望が詰まった世界かしら』
『ゆめときぼー?』
『そう。幸せと喜びに満ちた世界。悲しい事もつらい事もない、すっごく広い自由な世界。美味しい食べ物もいっぱいあるのよ』
『美味しい食べ物! すごい! ねぇママ! ウチもアルマに行きたい!』
『そうね、私も早く行きたいわ。でもね、アルマには悪ーい悪ーいロボットが沢山いて、私たちヒトリディアムを襲うの。だから私たちはアルマには行けないのよ』
『そんなぁ……ひどいよ』
『でも大丈夫よシーエちゃん。ロボットも悪い子ばかりじゃないの。いつか必ず、人の心を持った正義のロボットが現れて、悪いロボットを倒しちゃうの。パパとママはね、そんな《正義の味方》を探してるの──』
「──ふんふん、ふんふん♪ 美味しいお料理ふんふふん」
幼き日の記憶だ。
五歳だったか、四歳だったか、はたまた六歳だったか、覚えたく無いほどに痛烈で──忘れられないほどに鮮烈な記憶。
そうだ、せっせと用意した料理が木造りのテーブルの上、湯気立っていたのが印象的だ。親指に火傷を負ってまで作ったシチューに、ボルボル肉のソテー。『アルマ探索お疲れ様』と書かれた可愛らしいメッセージカードを立て、小さな指で必死に折った鶴の折り紙が並んでいた事まで、鮮明だ。
既に絶滅した生き物、鳥という種族の一種である鶴。図鑑を見ながら一生懸命作ったものだ。
これはお祝いだ。アルマ来訪作戦に、探索委員会という身分でありながら参加を果たした両親の帰りを待って、お世話ロボットのエムジと一緒に頑張って作ったのだ。
ウチの両親は父が技術者で母が考古学者だ。《救世主伝説》と呼ばれる古い文献を頼りに、クロムシェルに眠る様残な遺産を研究し、『人の心を持つ機械』を探しだすのがかねてよりの念願だった。
アルマがどんな場所か、ウチらの集落ネブルの外はどうなっているのか、『ソラ』や『ユキ』、『カップラアメン』に『カイスイヨク』なる聞いたことも無い単語の数々は何なのか、等──いろんなお話しをしてくれる両親の事が、ウチは大好きだった。いや、大好きだったではない。今でも大好きだ。大好きなんだ。
ウチが大事そうに首からさげる綺麗な緋色の石も、両親がプレゼントしれくた首飾りだ。なんでも、『ダイヤ』と呼ばれるアルマでしか発掘出来ない貴重な石で、ヒトリディアムには完全な再現が出来ない未知物質だという。たまたまクロムシェルのとある集落跡地に保管されているのを回収し、いつかアルマへ行く日の願掛けとしてウチへと譲ってくれたのだ。
大好きな両親、尊敬する両親。そんな両親も、ついにアルマへの渡航許可をネブルより得て、念願であったアルマ探索を果たしたのだ。
そしていよいよ──数日の渡航期間を経て、今夜帰ってくる。一体どんな話をしてくれるのか? アルマはどんな場所だったのか? 正義のロボットは見つかったのか? ウチは火傷の傷跡を舐めながら、満面の笑みで両親の帰りを座して待った。足をパタパタとバタつかせ。
まだかな、まだかな、と。
でも結局、その夜両親は帰ってこなかった。
そしてその日以来、二度と、両親が帰る事は無かった。
「パパとママ……帰ってこないの?」
ウチは暗い雑然とした部屋の片隅で、電気もつけずに座り込む。毛布を握りしめ、小さく震えていた。
想いごと踏みにじり散らばった料理と、一生懸命に飾り付けた紙の装飾だけがウチをあざ笑う。
「ねぇ……エムジ……。パパとママ……アルマに行けば会えるの……?」
側に無言でたたずむお世話ロボットに、ウチは声をかけた。ロボットは無機質な音声で抑揚無く答える。
『無理だ。お前の両親は生物として活動停止した、死んだんだ。この世のどこにもいない。それともアルマに行くとは、両親の後を追って死ぬ、という比喩だったか?』
「死ぬって……どぅいいぅいみ……?」
『機械の俺には、難しい問いだ』
質問を投げかける相手を間違えたのかもしれない。けれどウチにはもう、声をかける相手はエムジしかいないのだ。
『しいて説明するなら、機構が有する発展的機能の永久停止、有機システムの修復不能の致命的なエラー』
ロボットの言葉は一つとして、当時のウチの心には刺さらない。理解するにも、一人と一機の距離は遠すぎた。こんな身近な距離でさえ、ロボットと人は理解し合えなかった。
「……ウチ……一人になっちゃうの……?」
しかしロボットは、無機質な声で抑揚無く答える。
『それはお前が、これから決める事だろう』
少なくとも俺は、お前のために作られた。
そう呟き、抱きしめて。温もりの無い腕が、優しくウチを温めた。
「……あぅ」
両親はきっと、絶望と悲しみの彼方へと旅立ったのだろう。遠い遠い──アルマへ。
そして幼心に流した涙は導となり、嗚咽が行灯として道を照らしだした。
緋色のダイヤが輝くペンダントを握りしめ、決意する。
両親の願いのかけらを握りしめ、誓う。
アルマに行こう。
この時からウチは、遠き世界へたどり着くと固く決意したのだ。その、はずだった。
「ウチ、決めたよ──」
ただ一つ、進むべき道を選んだ、はずだった。
* * *
【クロムシェル内部 昇降機】
いつの間にか寝ていたのだろうか。昔の夢を見た。両親を失った、あの絶望の時間を。
(アルマに、行くねぇ)
本当にそれでいいのだろうか。両親の夢は叶えたい。しかし、アルマには──
(あんなヱレームが、うじゃうじゃと……)
授業で習った。アルマはヱレームの巣窟だと。一機であれだけ脅威なのだ。あれが複数いたら……
(父さん母さんは、どうやって死んだのかな……)
先ほどのエムジの様に、体を貫かれて死んだのだろうか。それとも荷電粒子砲の様な兵器によって焼き殺されたのだろうか。
どうか、どうかその最期が、苦しみの無いものである事を……。安らかな、眠りを……。
「……っ」
涙が出る。十年以上経った今でもこの悲しみはウチに付きまとっている。いや、むしろ強まったかもしれない。あの頭痛以来。
アルマに行く、当時のエムジはそれを死後の世界に行く事かと問うた。あながちそれは間違いではないのかも。……死ねば、両親に会えるのだろうか。
(会いたいよ……)
いるかどうかも解らない救世主とやらを求め、アルマに旅立った両親。ウチは両親の事が大好きだったから、同じようにアルマに憧れを抱いたが……それは本当にアルマに対するあこがれなのだろうか? 単純に、両親が好きなだけだったのではないか。今となってはハッキリと解らない。
少なくとも頭痛前のウチは妄信的に、アルマ行きを目指していたはずだが。
(ヱレームがあんなに恐ろしいとはな……)
訓練で戦うヱレームは大した事なかったのに。いや、違う。訓練のヱレームもたぶん恐ろしいのだ。訓練は仮想空間で行われる。だから誰も死なない。ウチも友人も、死なない。だから怖く無いのだ。
(エムジ……)
エムジの背中から生えて来た刃物が頭から離れない。現実世界でヱレームに会ったら、ああなる可能性があるのだ。大切な人が、死ぬかもしれないのだ。
ウチが死んで、エムジを一人ぼっちにしてしまうかもしれないのだ。
(しかしエムジは変わったよなー)
記憶の中のエムジはもっと機械機械していた。それがいつからだろうか、じわじわと人間らしさを手に入れ、今では暴力亭主だ。元々はウチのお世話の為に作られたのではないのか。今ではウチの方が立場が下である。何でや。
(でも、命がけで守ってくれた)
それが使命からなのか、それともウチを大切に思ってくれてるのかは解らないが……。大事にされているのだろという事は伝わる。
「何見てんだ。気色悪い」
エムジはいつの間にか起きてたみてで、速攻で暴言が飛んできた。ホント二言目には悪口だなコイツは。何がどう育ったらこうなるんだ??
自分の露出癖に関しても疑問に思っていたが、コイツはコイツで謎である。
「いやー退屈なんで、エムジの素敵な顔見て発情してた」
愛おしくて、心配で、少しでも安心したくて見てたってのもあるけど。
あの日以来、両親がいなくなって以来、片時もそばを離れずに一緒にいてくれたエムジ。エムジがいなかったら今のウチは存在してない。大好きな、大好きな家族だ。
でも何かエムジめっちゃ嫌そうな顔してる。それはそれでいい顔です有り難うございます。と、ニヤニヤしてたら何か頭をつかまれた。お? これは接吻フラグ!? マジで! 心の準備が──
ゴキ
何か凄い角度に曲げられたウチの首。よくぞ片手でそこまで器用にひねれるものだ。
「死ぬからね!? もう数度ずれてたらウチ死ぬからね!!?」
「え、殺そうと思ってひねったんだけど」
「なおタチが悪い!!」
本当に容赦が無い。マジで首痛いんだが……。
昇降機で降り始めてからかれこれ45分。暇を持て余したウチは隣に鎮座するお世話ロボットに下世話な話題をぶつけ捲っては叱られる遊びを続けていた。遊びというか、じゃれ合いの方が的を得ているか。
──機械とじゃれ合う人など稀有もいいところだけれど──ヒトリディアムと会話した時間より機械と触れ合った時間のが長いウチからしてみれば普通の事だ。
「なぁエムジ、ネブル到着まであとどれくらいだ?」
「あと1時間23分35秒だ」
「わーおクッソ正確」
流石機械。ウチもその機能欲しいなー。
「正確ついでに、今日の晩飯知ってる?」
正直食欲は無い。先ほどの恐怖が体の芯にこびり付いていて、ほっておくと震えが止まらないのだ。今は隣にエムジがいて話してくれるから多少落ち着いてるが……エムジと離れ食堂に行ってから食事が出来る気がしない。
出来る限り、消化の良いものが有り難いが。
「軍事掲示板の献立表はここんとこ連日真っ白だ。給仕長のお姉さんが《生殖者》に選ばれたんだとよ」
マジか。献立知りたかったがしゃーない。夜までには食事が食べれる様に回復してれば良いが……。明日はアルマの実地訓練がある。今日みたいなヱレームが出る可能性もあるから、出来る限り食事は取って体力をつけておかないと。
……つーか今エムジ《生殖者》って言ったか? いいなーお姉さん、ウチもなりたい。あれクッソエロいんだよな。性器に機材を突っ込まれ精液を送り込まれ続ける。以前ウチのクラスメイトが実践テストを受けてた時イきまくってたからな。是非とも体験したいものだ。──悲しいかな軍兵には、特に街抗志願者には生殖の機会はやってこないが。
……話題が無くなった。
「話題が無くなったんだけど何か面白い話ない?」
「ねぇよ! つーかさっきからうるさいわお前! 俺はお前と話すだけで疲れるんだちょっとは黙ってろボケカスが!」
「有り難うございます!!」
「何でそこで礼が出るんだよお前は……」
マジで疲れた顔をするエムジ。ウチとしてはエムジと話してるだけで十分幸せなのでそれでいいのだ。
その後もウチはエムジに適当な話題を振ってはボロクソ言われたり時に殴られたりしながら、空いた時間を埋めた。
……明日までに出来る事は、会話の裏でだいたい決まった。
(いうて殆ど何も出来ないけど)
でも今日は仮想訓練がある。幸いアルマに行く前に一度訓練出来るのは大きい。やっておきたいことがあるのだ。
(エムジの背中を突き破ってきた、刃……)
あんな光景を再現させる訳にはいかない。特に、機械でもない人間の親友には。
やれるだけの事を、やろう。
心の中に決意を固め、エムジとしょうもない会話を続け……そうしてる間に凄まじい距離を降下し終えた昇降機は、チープな電子音と共に停止した。