004話-03 記憶の祖語
「しかし濃い一日だった」
午前はクロムシェル探索中に謎の頭痛、からのヱレームに殺されかけ。エムジが死にかけ。
昼は御劔学長に殺されかけ。
午後の授業では仮想空間とはいえミカヌーが疑似的に死に。
夕食ではバラバラな班員との絆を深め。
夜はまた謎の頭痛に見舞われ。
これ一日の出来事かよ。すっご。
時刻は24:15。自室に戻ったウチは「はぁ」とため息する。
一日は25時間。これは多くのヒトリディアムの体内時計がネブルにおける時間計算にて25時間を1サイクルとしている所から設定された時間だが、アルマに存在する《明》と《黎》とは若干のズレがあると聞く。
【元探索委員会 資料室】
スイッチを入れると薄橙色の明かりがぽうと転倒した。
十畳ほどの狭くも無い部屋に、ところ狭しと敷き詰められた書物たちが明かりに照らされその輪郭を表す。
「ただいま」
久しくこの部屋で発音してなかったその挨拶を、誰もいない空間に向けて放つ。この挨拶を使わなくなってから、十年以上経ったのか。
一面に散らばる本を見つめ、ウチは感傷に浸る。壁が全て本棚になってるにも関わらず、それでも溢れた本が床に、机に、積み上げられてる。
ここは昔探索委員会が使用していた資料室だ。クロムシェルに散らばるあらゆる伝承を書き留めた書記、過去の人類が残したとされる文献の再現等、科学分野よりも歴史に傾倒した書物が多数貯蔵されている。
"十年前"の事件以来、一切の使用が中止されたこの部屋を、ウチは居座る様に間借りし、気が付けば寝床としていた。
両親の残り香が漂う、この部屋を。
(バニ様には重ね重ね感謝だな)
この部屋の使用許可を出してくれたのは名誉研究室長? のバニ様だった。肩書複雑で覚えられんねん。
ともかく、バニ様の地位を利用して好き勝手やらせてもらってるのは事実だし、お礼言わないとな。今夜の誤差同期記録だって、対象がウチじゃなかったらやってくれなかった可能性がある。
地位と権力使いまくりの軍学徒か。糞野郎だな。
(ま、使えるものは何でも使わないと、目標は達成できないからね)
使った所で、望むものは大概、手の隙間からすり抜けて行ってしまうんだけど。
「読み返すか……」
直ぐに眠気がくる予感もしなかったので、本を読むことにした。足元にある、大好きな本を。
服を脱ぎ去り、ベッドに横になり、パラパラとページをめくる。『ゲルマニア紀行記』とタイトルが付いたその書物には巨大なトカゲにまたがり空を飛ぶ少年が描かれていた。
第23次クロムシェル探索の際、1032階層で巨大な記録基盤が発見され、その中に眠っていた文献データを書籍化した内の一つがこの『ゲルマニア紀行と勇者の剣』だ。文献は勇者なる特殊な職業に就くとある少年の度を克明に記録したもので、ゲルマニアと呼ばれる『タイリク』を横断し、様々な冒険を広げるのだ。
勇者にマホウ、トカイにソウゲン……基底言語には存在しないはずの単語群だけど、何故か高頻度で数多の文献に使用されている。特に『殺し屋は不死身少女に恋をした』などといった、一定の文章を題号に用いた文献にはほぼ必ず『マホウ』の存在が記されている。それはあまりに不思議。出現頻度から鑑みても常用単語のレベルだ。ならはるか昔……いや、今だってアルマのどこかに、全部実在している可能性は高いはず……
(こんなに不安な心境でも、ワクワクはするんだな)
知識欲は頭痛前より深まったと言ってよい。吏人の様に、ともかく知りたいという欲求は強い。
でもその欲求って、前と同じかな? 純粋な興味かな? それとも
(知っておいた方が、生き残りやすいから、かな)
情報の重要性を、ウチは知ってるみたいなんだ。何故かはわからないけど。
ページをパラパラとめくる。全ては『タイリク』と呼ばれる広大な領域と、『ソラ』と呼ばれる到達し得ない無限の天井の中間に存在すると、文献には記されていた。
タイリクにソラ、そんな事象をウチは未だ見たことが無い。しかし──
(このタイリクの姿は──アルマに酷似してないか?)
だと仮説するなら、『エルフ』や『オーク』などのネブルにはいない他種族や、『ウミ』と呼ばれる巨大な水たまりに『ヒョウガ』と呼ばれる氷で出来た階層、そして人が昼夜楽しく遊ぶ『ハンカガイ』、果ては『マホウ』と呼ばれる技術体系など、多岐に渡ってしさされている未知の存在は、アルマのどこかにあるのだろう。
両親も常々口にしていた。この古人が残した旅の記録達は紛れもない事実で、ウミもヒョウガもトカイも、全てはアルマのどこかにあると力説していた。
ウチは、そんな荒唐無稽な内容をキラキラした目で語る、両親が好きだった。いや違う。今も好きだ。大好きだ。
この基底記録を発掘したのも両親である。憧れてたアルマへの道しるべで有ると共に、この書物は形見でもあるのだ。
憧れてたアルマ──そこに行くためにはこの時代、夬衣守換装士になる以外方法は無く、長期的にアルマを探索するには街抗に所属する以外に道はない。昔は探索委員会に入れば換装士の護衛付きでアルマに行く事も出来たが、今は探索委員会そのものが解体され、調査委員会においてもアルマ方面の経費は削減、アルマ同行はおろか、クロムシェル探索もままならない状況だ。
(もっと早く頭痛に襲われてれば……)
そうすれば街抗なんて目指さなかったのに。エムジを置き去りにする不安も無かったし。……でもミカヌーと会えないのはいやだなぁ。
もし何々だったら、などと考えても時間の無駄だ。時間は不可逆。どんなに残酷なことが起きても、前を向くしかない。
(父さん、母さん)
ころりと布団を巻き込みながら転がり、ベッド脇に立てかけられた写真に目をやる。四歳くらい? の幼いウチと、共に好奇心旺盛そうな両親。学者であった父と、冒険家であった母。そして後ろには父方の親戚? でもあり友人のバニ様が制作したロボットのエムジ。もちろん機械のエムジには成長はないので、今と同じ青年のフォルムだ。
(中身は別人レベルだけどな)
ウチは今のエムジが大好きだ。大好きで大好きで仕方がない。
「はぁ、寝れない。お茶でも飲むか」
就寝前に水分を摂取するとトイレ行きたくなって睡眠が浅くなるが、ウチが飲もうとしてるノンカフェイン茶『メグル』にはリラックス作用もあるため、今は心の平穏を手に入れる事を優先した。
ネブルの一般的なお茶の味。長く親しんだ、味。
ティーカップを片手に、ウチは机に積み重なった書誌を一項ほどめくった。300項ほどある分厚いこの書類は書籍ではない。ウチがこの数年間で書いた研究資料だ。
手書きの資料には大量の付箋が班であり、悠久文献に関する考察をつづっている。この量で氷山の一角。ウチが書き起こした研究資料……とよべるかどうか、ともかく書いたもの達は他にも山の様に裏のタンスに眠っている。
科学技術や軍術学には疎いウチだが、アルマに対する考古学、歴史学においては他の追従を許さない自信があった。
(アルマ行きたいなら、前者もしっかり学んでおくべきだけどねー)
アルマに行かずとも、知識は宝だ。武器だ。収集して損はない。
(電子汚染もヱレームの存在も、いやクロムシェルの存在まで──悠久文献には殆ど登場しない。不自然だよな。たぶん、悠久文献の残された時代には、いや、一定の時代まではヱレームも電子汚染も、このウチらが住んでるクロムシェルさえも無かったんだろう)
というのが、黙々と悠久文献を読み漁った上でのウチの推測。何かがあって、ヱレーム達は生まれ、クロムシェルも生まれた。何なのかは、全く解らないけど。
知りたいとは思うさ。無償で手に入るならね? 命を質屋に入れてまで、求める情報かねこれは。
「ねぇ、父さん、母さん」
部屋で一人呟いてみても返ってくる返事は無い。ウチはメグル茶の最後の一滴を飲み干し、電気を消灯する。
寝るか。ウチはベッドに向かう、あでもちょっと待って、少しだけ確認したい情報が……
電気を再度付けるのもめんどくさかったので、暗い部屋の中タブレットを開くウチ。これ睡眠の質悪くするからあんなオススメじゃないんだけど……
機動したのは軍学徒用のタブレット。正式名称は忘れた。あれ、これ軍学徒だけだっけ? 街抗と陸羽になってからもこれ使うんだっけ? まあいい、それはその内調べればいい、重要じゃない情報。
そのタブレットには通話や連絡先交換機能の他に、座学への資料やネブル内ネットへのアクセス機能もあった。そこでウチは調べる。
(ネブルの歴史っと)
探索委員会。夕食のアルヴィスが発した言葉が気になったのだ。30年前の事故……? ウチの記憶とのズレてる気がする。
画面をスクロールする指が、とある記事で止まった。
「……は?」
見出しは『探索委員会、事故が原因で解体』そう、それ自体は知っている。不思議と事故内容は詳しく知らないが……両親の死に関わる情報を避けてたのだろうか? いや、違う。何かが決定的に違う。だってこの記事……
「……30年前」
事故が30年前というのはアルヴィスから聞いた通りだ。のでウチはその後細々と続き、ウチの両親の事故、十年程前の事故にて消滅したと推測したが……探索委員会自体が30年前に消滅??
じゃあウチの両親は? あの記憶は何? 両親は嘘をついていたのか? でもそれなら発見した記録基盤との矛盾が生じる。ウチが産まれるはるか前、30年以上前の過去の栄光を語っていたのか?
まぁ通るっちゃ通る。でもそれだと何故両親は今も探索委員会ですなどと嘘をついていたのだ? そして、どこで、死んだのだ??
30年前に解体された探索委員会。ウチが五歳ごろの時、どうやって両親はアルマに行ったんだ? ウチは今17。何かが、何かがおかしい。頭痛云々関係無く、何かが確実にズレている。
そしてそれとは別に頭痛。頭痛後に頭に浮かぶウチの人生に無いはずの想いは何? この、ウチの記憶とのズレは何? 記憶の矛盾は何?
パズルのピースがそろってきている感覚がある。でもうまく繋がらない。
自分に何か隠された秘密があると思うのは中二病だろうか? 自分にやるべき事がある様に感じるのも。
前者は純粋なウチの記憶と歴史のズレ。後者は頭痛によって発生した先日までのウチとのズレ。
ズレていく、ズレていく、ズレていく……
* * *
いつの間にか、ウチは眠っていた様だ。何でそれが解るかって? これが明晰夢だからだ。
明晰夢。夢だと解ってみる夢。寝る前のウチは頭フル回転させてたけど、日中の疲れが凄かったのだろうか、いつの間にか寝ていたみたいだ。
ただ、眠りは浅い。明晰夢は浅い眠りの時に見ると聞くし。まぁ寝る前にあんなわけわからん記憶の矛盾に気が付いたら脳も休まらんわな。
これはウチ一人では答えが出ないだろう。ウチの家族の歴史をしる人物、エムジとバニ様に確認をとらないと。探索委員会とウチの記憶のズレ、一人で考えてても何も解らん。
……しかし、遅いな。"いつも見ている悪夢"が中々始まらない。お、そろそろ始まるか?
ウチは毎晩悪夢を見ていた。いた、過去形だ。起きると忘れてしまう悪夢。現に今も、夢に落ちた今も、何が起きるか覚えていない。
悪夢はこれから始まるのだ。
しかし今日はいつもと気配が違う。いつもの悪夢が始まらない気がする。
──いつもの悪夢なんてどっかいくほどの、そんなことがどうでも良くなるほどの心理的ショックが、ウチにあったのだろう。
だってあの悪夢、ウチに起こる事、ウチ個人への不幸みたいな悪夢じゃなかったか? 知らんけど。
ウチへの不幸なんてどうだっていいんだよ。ウチが個人的に幸せになる必要なんて、どこにもないんだよ。
誰かの命の方が、絆の方が、ウチの不幸なんかよりもずっとずっと重要で。それを失う事の方が、今まで見ていた夢よりももっともっと苦痛で。
だから、これは新しい悪夢。ウチは悪夢へ落ちていく。
『ただ一緒にいたかった。側にいたかった。ウチを動かしている気持ちはそれだけだった』
『失いたくない。もう、誰も、失いたくない。これ以上誰も。最後の砦が、お前』
想いが流れ込んでくる。
『お前がいない世界なんて、生きている意味が無い。生きている必要が無い。だからウチは全力で戦う。お前を失わないために、二人で生きて行くために』
『裏を返せばお前さえいれば良いともとれる。お前がいるだけで、こんな過酷な世界にも色が付く。幸せを、噛みしめられる。大好きな大好きな、お前といるだけで』
そうだ、そうだよ。
『だからウチは絶対にお前と一緒にいる。そのためにやれることは何でもやる。絶対に守り切って見せる。一人の寂しい世界なんて、耐えられないから』
『そう、思っていたら──』
思って、いたら?
『まさか、先にウチがやられてしまうとは……ね』
……
『なあ、お前は大丈夫か? ウチのいない世界に一人で』
『思えばお前はよくウチの好意を躱して来たよな。そんなにウチの事好きじゃなかったか? だと、嬉しいな。残されるお前の悲しむ姿なんて、見たくないから。いつもみたいにさ「もうお前の顔見なくて良くなるなんて、願ったりかなったりだな」とか言ってよ。ウチを嫌いって言ってよ』
『なのに……』
『そんな、悲しそうな顔、しないでよ。ねぇ』
『──エムジ』
あぁ
暗闇の中、流れ込んでくる想いにただ泣きじゃくるウチ。
取り返しのつかないことを、多大な悲しみを彼に追わせてしまった事への後悔を胸に、無限の暗闇に慟哭した。
ただ、ずっとずっと、謝罪の言葉を……
* * *
クローゼットの脇にかかった時計が硬い音を鳴らし、時を刻み続ける。
薄暗い部屋には小さな窓から注ぐ、仄かに白い『人工月』の照らした灯りだけ。一般居住区から離れたこの上壁エリア一帯は、軍の喧騒も遠く、この時間は闇に沈んでとても静かだ。
そんな少女の部屋のドアが静かに開く。うなされる少女を目指し、侵入してきた青年は静かに歩みを進める。
「ぅぅぅぅぅぅぅ"ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
静かな部屋には少女の泣き声がよく響いていた。
怯える様で、恐れる様で、儚く脆い──泣き声。一晩中ずっと、ずっとずっと鳴りやまない。
少女は泣き続ける。
青年は少女の布団に腰かけ、うなされる少女の頭をなでる。心なしか、少女の表情が和らいだ様な気がした。
(今朝の頭痛以来、少し性格が変わった様に見えたが……悪夢はそのままか)
男性は少女の布団に入り、背中をさする。
別の部屋で寝ているはずの青年は、毎晩こうして少女と添い寝をする。その小刻みに震える体を優しく胸に抱きしめ、背中を一晩中無言でさすり続けながら。
(あの頃に戻ったみたいだった。今日のシーエは。擦れて、擦れて、擦り切れて、それでも抗ってた、あの頃に)
「はぁ……はぁぅ……ごめんなさぃ……ごめんなさぃ……」
過呼吸になりそうな少女を撫で、落ち着かせながら青年は小声でつぶやく。
「お前は悲しまなくて良いんだ。苦しまなくて良いんだ。俺はお前に、ずっと笑ってて欲しいんだよ」
その願いを叶えるためなら、自分は何だってやってやる。此処にも何処にも、それが許される場所が無いのなら……
「今度こそ二人で、取り返すんだ」
自分こそがその場所なのだと、青年は気が付かないまま──
誰も知らない、少女本人さえ知るよしもない涙が、今宵も青年の服を濡らして行った。
* * *
「……ほとんどおねしょだよな……もうさ」
ぐっしょりと濡れたへそ出しタンクトップを脱ぎながら呟く。毎朝こうも良く酷い汗をかくものだよ。どんな夢を見てるんだろうなウチは。
濡れたタンクトップを脱ぎ捨て、裸で部屋を歩いてコーヒーを沸かす。枕もとにおいてある緋色のネックレス──両親の形見だけを首にかけ、ウチはうんと背伸びをした。
寝汗に濡れた朝は深煎りコーヒーで頭を回すに限る。あとはシャワールームが部屋に備え付けだったなら文句なしだけど……きっとそれは高望みなんだろう。軍学徒の身でありながら、両親の夢の跡を寝床にさせてもらえてる時点で、幸せの部類だった。
「……ふぅ」
大規模紫外線照射装置の光に照らせれ、深呼吸。
始まってしまう。
激動の、一日が。
いつも見ている悪夢は本家ゼロマキナにて。シーエの起源やゼロマキナの世界観を知る上で非常に重要な夢となります。
ただIFには必要無い情報なので、割愛させて頂きました。




