第2話 『七炎騎士団・1』
その町には、海より澄んだ湖があった。
━━━蒼湖・レイア湖。
町を代表するその観光名所に多くの人々が集い、澄んだ湖を鑑賞しつつ、各々は話を弾ませる。
「ママ! 早く早く~」
1人の少女が湖へと走りながら母親を諭す。
観光客だろうか? 少女は真新しい黄色のワンピースに茶色いクマのぬいぐるみを両手で抱えている。
「そんなに急いだら転ぶわよ」
湖に向かって走っていく少女を息を切らしながら追いかける母親らしき人物、その顔に疲れは感じず、笑みさえ浮かべていた。
当然だろう。この日をどれだけ楽しみにしていたか。
レイア湖だけではなく、この町で提供される旬の野菜・魚を使った料理。職人が産地を厳選して振る舞う自然味あふれるスイーツ。
グレンスの中でもアインベルツの次にその人気を誇る観光名所、『ウィズダム』。
穏やかな日差しの中、観光客達は舌鼓を打ちつつ湖を見ながら、この町で初めて出会った人々と意気投合していく。
「わぁ~!」
澄んだ湖を見て、少女は感嘆の声を漏らす。
母親はそんな娘を見て、静かに微笑む。
『ここに来てよかった……』、誰しもがそう思っていた。
この町に来たことが楽しい思い出話になると……。
━━━ザッ!!
それは彼らの耳に届くことはない。
楽しげに語り合う声に混じって、忍び寄る足音には……。
「……!!」
気付いた時にはもう遅い。
━━━ズンッ!!
その町は思い出の地から、『惨劇の舞台』へと変貌する。
━━━ブンッ!!
踊れ、人間。
せめて、足掻いてみせろ。
『そうしなければ、殺しがいがない』
午前11時21分、蒼湖の町ウィズダム
鬼族による襲撃を受ける。
***
緑豊かな大地を何十頭もの馬が駆けていく。
その先頭に鎧を身に付けた馬がニ頭と、それに騎乗する騎士二人が部隊を先導していた。
「ウィズダムとの通話が途絶えて、どれくらいになる?」
肩まで伸びたやや暗めの金髪に、紺碧の騎士鎧を身に纏った男性が隣の騎士に語りかける。
「最後の通話から1時間弱くらいかと……」
明るいボブショートヘアーの金髪に金の装飾が施された白の騎士鎧、下半身は動きやすいように膝近くまである蒼のスカートを履いた女性が答える。
「マズイな……急ぐぞ、オランディ!」
「は、はいっ!!」
男性の騎士は先陣を切って駆け出し、後続の騎士もそれに続く。
誰もが最悪の状況を予想していた。
だが、それでも止まる訳にはいかない。
その状況の中で手を伸ばして助けを求めようとする者の手を掴むために……。
「アシュレイさん、アレ!!」
オランディに名を呼ばれ、紺碧の鎧を纏った騎士アシュレイはその方角を確認する。
黒煙が舞い上がり、町一帯が火に覆われていた。
今にも、人々の悲鳴が聴こえそうになるほど凄惨な光景と成り果てている。
そこには、かつての観光名所と呼ばれた面影は微塵も感じられない程に。
そのウィズダムの入口付近で何かが蠢いているのをアシュレイは見逃さなかった。
「アレは……?」
オランディもその存在に気付き、アシュレイに尋ねる。
「鬼豚だな……」
「鬼豚……」
「鬼族の中では比較的弱い部類に入って知能も高くない。ただ、厄介なのはアイツらの繁殖力は狂犬以上と言われていて、子孫を残すためなら見境なく人を襲おうとする」
「子孫……」
「こういう言葉がある。『女は絶対にオークに屈服するな、屈服するなら自ら死を選べ。屈服すれば死ぬよりも悲惨な一生を送ることになる』」
「・・・・・・」
その言葉にオランディは何かを悟り、鬼豚に対し、激しい怒りを覚え始めた。
「突っ込むぞ!」
アシュレイは馬をさらに加速させ、門番であろう鬼豚へと突撃する。
「ブヒィィ!?」
やや茶色がかった豚のような顔をした二足歩行の鬼族、鬼豚も騎士達の存在に気付き、仲間に知らせようとするが……、
「潰せ、相棒」
アシュレイは騎乗する馬の首辺りを優しく叩く。
レイナードと呼ばれる馬はさらに加速し、鬼豚の頭上へと跳び上がり……、
「ブヒヒィィィ……!!」
レイナードの馬蹄に装着された蹄鉄は鬼豚の顔を圧し潰しつつ、そのまま地面に叩き付ける。
ブチッと潰れる音が聞こえたが、アシュレイは気にする素振りすら見せず、ウィズダムの門を潜り、他の兵士達もそれに後続していく……。
ウィズダムに入ったアシュレイ達が見たもの……、火の海に包まれ、音を立てて崩れゆく家々。地面に散乱する食糧と思しき物……。
抵抗すら出来ず、無惨に殴り殺された亡骸の数々……。
「酷い……」
オランディは思わず、目を逸らしてしまう。
「町の自警団が数十人、傭兵所から雇い入れた傭兵が数人居たはずだが……」
アシュレイは辺りを見回すが、交戦した様子は見受けられない。
町の守備は手薄ではなかった。この町で生まれ、自分が育ってきたこの町を守るために組織された自警団、費用はかかるが鬼族と戦い慣れている傭兵達……。
多少の鬼族の襲撃を受けても、防衛が出来る実力と経験を持ち合わせている者達だったはず。
すると、燃え盛る家の後ろから何かが姿を見せ始めた。
「鬼豚……!」
オランディが名を呼ぶのも汚らわしいその鬼族の姿を睨み付けた。
アシュレイ達の前方には、数十体の鬼豚と鬼豚によって鎖に繋がれた狂犬の変異種である赤黒い毛並みが特徴的な猟犬数十匹がこちらを見据える。
「剣兵は前へ!! 弓士・術士は後衛で援護を!!」
アシュレイは背中に携える大剣を引き抜き、鬼豚に向かって構えた。
「オランディ、これが団長になって初めての初陣だったな?」
「は、はいっ!!」
「落ち着いてやれ。お前になら出来る!!」
「……はい!!」
オランディはアシュレイよりも前に出て、静かに腰から白と金の装飾が施された剣を引き抜く。
「我は剣、我は盾。この命尽き、この身体が生命に還るその時まで……聖咎の意志を以てこの世の混沌を戒めん……! 聖炎騎士団団長、オランディ・エクレール……処断を開始する……!!」
「進めーーーーー!!!」
アシュレイの掛け声と共に、オランディを筆頭に鬼豚の群れへと突撃を開始する。
「ブヒィィィィィ!!!」
鬼豚達は咆哮を上げ、繋いでいた鎖を切り離す。
「グォォォォォォッ!!!」
野に放たれた数十匹の猟犬は一斉に騎士に向かってその牙を向ける。
それに対抗して騎士達は自らが持つ得物で猟犬に斬りかかっていく。
猟犬の腹を裂き、生え揃った牙が集まる口に目がけて剣を突き立てる。
猟犬もまた、その牙、その爪を用いて騎士達に襲いかかっていく。
姿形は狂犬と酷似するが、大きな違いとして挙げられるのが、その狡猾さ……目的を達するためなら『あらゆる手段も厭わない』残虐ぶりにある。
一人の兵士が猟犬を斬り捨てていく。身体には少しずつ疲れが溜まり、動きが少しずつ鈍っていくのが目に見えて分かった。
それに気付いた1匹の猟犬は合図を行うと、その兵士を囲むように数匹の猟犬が陣取る。そして、一斉にその牙を突きつける。
「ひ……ギャアァァァァァァッッ……!!!」
僅かに肌が露出する部分目がけて、猟犬はその牙を喰い込ませ、肉を抉り千切る。ビクビクと動いていた兵士の身体はやがて動きを止め、地面に血の海が広がっていく。
「ヒッ……!!」
1人の兵士の無惨な死は部隊全体に広がり士気を低下させる。
━━━グサッ!!
猟犬を貫く1本の『刀』……。
「怯むな!アインベルツの兵士ならば死ぬその時まで抗い続けろ!弱腰は死へと直結することを忘れるな!!」
1人の男性が怯える兵士達に喝を入れる。
ベージュ色のショートヘアー、騎士鎧を纏わずに機動力を重視した軽装備の白い服装。右手には東洋の国で作られた細身の刀身である『刀』が握られていた。
「ヴァイスハルト副団長!!」
兵士達は彼の姿に奮起し、再び立ち上がる。
━━聖炎騎士団副団長、ヴァイスハルト・アークス。
その男……、鬼神の如き実力と怯む事なき精神力を併せ持つ者なり。
「嫌な予感がする……」
顔には出さないが、ヴァイスハルトはこの惨劇の大地に一抹の不安を覚えていた。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
身の丈程もある大剣を振り回し、アシュレイは次々と鬼豚を両断していく。
後に続くは積み上げられる鬼豚の亡骸……。
「ブブヒィィィィ!!」
闘志に満ち溢れていた鬼豚は怯え始め、一歩また一歩と後退していく。
「逃がすか!!」
やや離れた位置にいる鬼豚に向かって大剣を構えるアシュレイ。
「━━━蒼刃!!」
大剣を大きく振り上げ、自らの魔力を物質化した物理系魔法の1つである真空刃を鬼豚に向かって放つ。
大地を引き裂き、逃げる鬼豚を次々と真っ二つにし、後ろに根を生やす大木をも両断する。
「……凄い」
オランディは思わず感嘆の声を漏らす。
七炎騎士団の中でもトップクラスの実力を持つアシュレイ・フリート。
戦場においては最前線でその剣を振るい、兵士達を鼓舞する。
戦場を離れれば、兵士達と打ち解け合い、役職に関係なく常に対等の立場で兵士達と接していく。
飾らないその人柄はアインベルツの民からも人気が高く、『蒼炎騎士団こそ七炎騎士団のリーダー格』と謳う民達もいる。
「妙だな……」
「えっ?」
アシュレイの発言にオランディの手が止まる。
「魔素の減りが早すぎる……このままだと、ここら辺一帯の魔素が消失する……」
アシュレイの指摘にオランディも静かに魔素の流れを読む。
「……確かに魔素の流れが途切れ途切れになっています」
「奥に何かいるかもしれないな」
アシュレイはそう言うと、迫ってくる鬼豚を斬り伏せながら町の奥へと進んでいき、オランディ達もそれに続いていく。
町には人影すらなく、有るのはこの町の住民であろう人々の亡骸……、その中で1つの亡骸にオランディの焦点が集中する。
殴り殺された……訳ではない。身体の上半身だけが無く、ズタズタに裂かれたような跡が残る下半身のみが地面に転がっていた。
「鬼豚ではありませんね」
オランディの目線に続いたヴァイスハルトが彼女に伝える。
「猟犬……?」
「それにしては下半身のみが残ってるのは妙です。身体を真っ二つに引き裂く程の力を持っている鬼族がいると考えるのが良いかもしれません」
「……気を引き締めていきましょう」
オランディはそう言うと、剣を持つ手に力を込めて町の奥へと進んでいく。
「……了解しました、団長」
ヴァイスハルトも同じく、刀を持つ手に力を込めて……。