プロローグ『~廃村オウリン討伐戦・5~』
━━━グオァァァァァァァァァァァ!!!!!!
その咆哮は周りにある木々を軋ませ、風の流れを乱れさせる。
絶対なる強者の宣戦布告。
赤茶色の剛毛は人間の皮膚程度なら易々と傷付ける。
簡単に言うなら、タワシで皮膚を思い切り擦るような感覚だろう。
鋭利に尖った爪や牙は標的を確実に仕留めるために……。
それは身体全体が凶器といっても過言ではない。
「殺人狼……。鬼族の中でも上位種にあたる存在か……」
ギルゴースは思わず唾を飲み込む。それなりに場数は踏んできた。だが、今この瞬間……身体には恐怖を纏っているような錯覚を覚える。
「……来るぞ」
ツヴァイスがそう言った瞬間、風を切って赤茶色の剛腕がツヴァイスを思い切り吹き飛ばす。
「ちぃッ……!!」
辛うじて踏みとどまるツヴァイス。手に持つ杖で防ぎきったが、直撃すればひとたまりもないだろう。
「(見切れなかっただと……!)」
ギルゴース、そしてツヴァイスと共に殺人狼の動きを見ていたが、両者共に反応することすら出来なかった。
「バケモノが……!!」
舌打ちをするギルゴースを他所に、ツヴァイスは1歩ずつ殺人狼に近付いていく。
「時間をかけたらこっちが不利だな」
ツヴァイスは杖を真横に構える。
「魔力を惜しんでる場合じゃないってか……」
手に力を込める。それに連動するかのように杖に取り付けられた宝珠が輝き始めた。
「断罪……!」
宝珠の輝きは最高潮に達し、それと同時に杖の支柱部分が伸び、杖の先端部分から左右に白い光が姿を現す。
そして、光が消え去った後には全長160cm、白い光の形状は灘らかな曲線美から大鎌の形へと姿を変えた。
もはや、杖という原型を留めないソレをツヴァイスは手に取り、ワーウルフに視線を向ける。
「……来い」
ワーウルフは地面を蹴り飛ばし、ツヴァイスへと急接近する。
激しく振るい立てる爪をツヴァイスは大鎌を用いて確実に捌いていく。
次々と地面に残るワーウルフの爪によって作り出される亀裂がその激しさを物語る。
四方八方から飛んでくる斬撃にツヴァイスは網の目をかいくぐるように躱していく。
「━━フンッ!!」
大鎌を薙ぎ払い、殺人狼を横から両断しようと試みるが、殺人狼は上空へと飛び上がり、ツヴァイスと距離を取る。
「賢しいな」
殺人狼はこちらを睨みつけるが出方を伺い、自ら動こうとしない。
「(早めに決着つけないとマズいか……)」
ツヴァイスの身体には少しずつ疲労が積み重なっていく。
本来であれば、この短時間でここまで体力を消耗することはない。
しかし、ここにあるべきモノが不足しているためツヴァイスの身体に負担をかけていく。
━━━『魔素』
この世界の人間にとって必要不可欠となる生命の奔流。
魔素はこの世界の至る所に存在し、人々は魔素の恩恵を受ける。
それにより、人間は大きく発展し続けた。
魔素の加護を受け、生命を活性化させ文明開化の一端となった建造物を生み出した。
魔素を自らの体内に取り込み、力の一端である魔力として戦う力を身につけた。
そして、人間だけに留まらず、多くの動物・植物にも魔素は恵みを与え、全ての生物に生きる力を与えた。
たった1種族……鬼族を除けば。
彼らは魔素を喰らい、自らの体内に取り込む。
しかし、それは魔力としてではなく自らの血肉に変え、その結果……有るべきはずの魔素は少しずつ衰退の一途を辿り、代わりに鬼族が力を増すという逆転現象が起こり始めた。
力を増した鬼族は宿敵となる人間に牙を向き、一部の集落・村・果ては街に至るまで壊滅させていく。
人は死ねば魔素となり、この世界の生命の奔流の一部となる。搾取によって減り続ける魔素を生成する最も手っ取り早い方法、それが人間を『殺す』ことである。
反対に、鬼族は死んでも魔素には還らない。死んだ肉体は腐り、この世界の土壌となって分解される道しか存在しない。
そして今、このオウリンの魔素はほとんど喰われておりツヴァイスは魔力のみで自らの魔法を行使する必要がある。
普通ならば、魔素を自らの魔法の媒体にすることが出来るが、この場においてはそれすら叶わない。
波動系魔法である『滅魂』は一度の魔力消費のみで行使出来た。
しかし、武装系魔法である『断罪』はその大鎌の形を保っている間、魔力を消費し続けていく。
魔力が無くなれば魔法は解け、最悪の場合、ツヴァイスは立っていることも出来なくなる。
その前にツヴァイスは決着をつけたかった。
「動く気はないってか……!?」
殺人狼に向かって走り込むツヴァイス。
ツヴァイスが動くのを見るや、殺人狼も自ら距離を詰めにかかる。
互いが距離を詰め、両者共に攻撃の範囲内へと届く。
━━ブンッ!!
初めに仕掛けた殺人狼は右腕を大きく横に振るい、ツヴァイスを殴り飛ばそうとするが、大鎌で防ぎ切られる。
ツヴァイスの両腕が激しく痺れ、衝撃の威力を実感する。
殺人狼は鋭い牙が生えた口を広げ、ツヴァイスを威嚇する。
「文句あるなら……喋ってみろよ……!!」
痺れた腕に喝を入れ、大きく大鎌を振るい殺人狼と距離を取っていく。
ツヴァイスの額に汗が滲み始める。
「(滅魂は魔力消費がデカイな……)」
少しずつ魔力の限界へと近付くツヴァイス。
殺人狼はそれを察したかのように一気に間合いを詰める。
ツヴァイスは防御の態勢を取るが……、
「(間に合わない……!)」
筋肉に覆われた剛腕がツヴァイスの左脇腹にめり込み、そのまま大きく吹き飛ばされた。
手応えを感じたのか、殺人狼は大きな雄叫びを上げ、自らの勝利を確信する。
「なぁ……なぁ!アンタの連れ、殺られちまったぞ!!」
傷を手当てされた男はシャウに向かって叫ぶ。
しかし、当のシャウは至ってマイペースで歩いてくる。
「ん? ……あぁ、『勝った』ね、これは」
「えっ?」
一瞬、シャウの言っている意味が分からなかった。
「調子乗んなよ、犬っコロ」
吹き飛んだ衝撃で土煙が舞う中に1人、殺人狼に向かって歩いてくるツヴァイス。
殺人狼もその姿に驚くも、再び臨戦態勢を整える。
「使いたくないんだよなぁ、コレ高いから」
ツヴァイスはポケットから橙色の液体が入った瓶を取り出し、一気に飲み干す。
「……不味い」
瓶を放り捨て、殺人狼に向かって歩いていく。
その速度は徐々に増し、地面を大きく蹴り飛ばし殺人狼へと一気に飛び込む。
殺人狼は大きく吼えてツヴァイスを迎え撃とうとするが……、
「遅いな」
ツヴァイスは殺人狼が近づくよりも早く、大鎌を真下に振り下ろす。
その刹那……風を切り、支柱から分離した半月の刃は大きく回転しながら殺人狼の身体を引き裂きにかかる。
━━━グオォォォォォォォォォォ!!!!!
肉を引き裂き、それでも止まることを知らない半月の刃に殺人狼は悲鳴を上げる。
その勢いは衰えず、殺人狼を後ろへ吹き飛ばし、木に身体を叩き付け、刃が身体を貫通した状態で木に刺さり、身動きが取れない状態となった。
激しい痛みに殺人狼はツヴァイスを睨みつけるが彼は動じない。
それどころか、殺人狼にゆっくりと近づいていく。
「……断罪……!!」
杖から再び半月の刃を模した白い光が姿を見せる。
「どうだよ……『狩られる側』になる気分は?」
━━━グワァァァァァァァァァ!!!!!
「最高の気分か?」
ツヴァイスは一気に駆け寄り、殺人狼の股から頭頂部へとその刃を振り上げる。
━━━ブンッッ!
夥しい量の血がツヴァイスに、地面に飛び散る。真っ二つにされた殺人狼の身体は少しずつ地面にガタンと崩れ落ちていく。
「……ゲロ……、…………エ。」
「……!?」
地面に倒れる瞬間、何かを言い残したように聞こえ、ツヴァイスは殺人狼の方へ振り向く。
しかし、そこにあるのは血の海に沈んだ成人男性の背丈ほどある狼の死骸だけであった。
言葉を発することすら出来ず、血の量はさらに拡がりを見せていく。
「……ん?」
ツヴァイスは血の海の中に1つのロケットペンダントを見つけ、手に取る。
エメラルド色で血を浴びても、その翡翠の色は失われることなく輝き続けていた。
「殺人狼がコレを……?」
ツヴァイスはふと疑問に思った。
「お疲れさま、ツヴァイス」
シャウの声が聞こえ、ツヴァイスはペンダントをズボンのポケットに押し込む。
「飲むかい、魔力供給薬?」
「いや、さっき飲んだからいい」
あの苦い味を思い出し、今すぐにでも嗽をしたい気分に駆られる。
「ボスを失って他の鬼族も逃げたみたいだね」
「そっちの方が助かる。ここは……戦いにくい」
「そう……だろうね」
シャウは周りの様子を見る。
魔素は死に絶え、生命の息吹すら感じない。
この村もまた、地図上から消される村になることを2人は悟った。
「~~~~~♪」
ツヴァイスの耳に何かが聴こえた。
耳を澄ましてみると……、
「~~~♪」
歌が聞こえる……。それも、この村には自分達以外残っていないはずの人間の歌が……。
ツヴァイスはその歌の方向へと歩き出す。
「ん?どうしたんだい、ツヴァイス」
「……歌が、聴こえた」
◇◆◇
ツヴァイスとシャウ、そしてギルゴースと兵士達が木々を掻き分けて進んでいく。
そして、ツヴァイスは歌と同時に泉の湧き出る音が耳に入ってくる。
そして、視界は徐々に開け……、そこには水が湧き出るやや小さめの泉がポツリと存在していた。
「ここだけ魔素が残っている……」
シャウは微かに感じるマナの流れを確認する。
そして、ツヴァイスは違和感を覚え、泉の奥を凝視していく。
何かいる……その歌声に誘われるようにツヴァイスは泉を回り込んでその声の主へ会いに行く。
歩き続けて数分、ツヴァイスの目に入ったのは年端もいかない10歳程度の少女だった。
やや薄めのピンク色の髪を三つ編みにして肩の前方へと垂らしている。
白のワンピースドレスに身を包み、何か歌を歌っていた。
「~~~~~♪」
何の歌かは分からない。しかし、その澄んだ声はツヴァイスの脳裏に焼き付き、先の戦闘で疲れた身体を癒していく。そして、その光景に目を奪われ、少女を見つめた。
「……えっ?」
一瞬、目を疑い、もう一度確認する。
少女の頭頂部……やや垂れているが、そこには彼女の髪色と同じ色をしたピンク色の「耳」が生えていた。
「……お前」
ツヴァイスの声に気付き、少女はこちらを向く。
幼いその顔に美しく映える琥珀色の瞳、それは紛れもなく『人間』だった。
しかし、頭頂部に生えた耳は一体……?
「やはり実在したのか」
ツヴァイスを追いかけてきたギルゴースが少女を見つめる。
「お前……、コイツが何なのか知ってるのか?」
「風の噂と思っていたんだがな。……この少女は人間と鬼族、両方の血を宿した半鬼人だ。」
「半鬼人……!?」
ツヴァイスはもう一度、少女を見つめる。
少女はやや怯え、前方に垂らした三つ編みで顔を少しだけ隠すような仕草を見せる。
「あの……おとうさんは……?」
ツヴァイス達は辺りの様子を見るが、父親らしき姿を見ることが出来ない。
「いや……見なかったな」
少女と同じ目線までツヴァイスは座り込む。
「お前……名前は?」
「……ル……ルリエ……で……す……」
髪で顔を覆い隠しそうになりながら少女は自らの名前を伝える。
「ルリエ……か」
「ヤ、ヤバいんじゃないですか!?だってそいつ、人間の皮被った鬼族なんでしょ?」
シャウに手当てされた男はやや怯えながらルリエを見る。
「そうだな。このままにしてはおけない」
ギルゴースはルリエの傍まで近づく。
しかし、ルリエは恐怖からか少しずつ後ろへ下がり始める。
「怖がらなくていい。キミはお父さんと一緒に来たのかい?」
ルリエは首を縦に振る。
「そうか、キミのお父さんは今、別の場所にいるんだ。俺達と一緒に来ればお父さんに会えるよ」
ルリエは少しだけ髪から顔を覗かせる。
「おい、ギルゴース……!」
しかし、ギルゴースはツヴァイスの制止も聞かず、話し続けた。
「どうだ、俺達と一緒に来ないか?」
ルリエは少し考える。そして、意を決したのか首を縦に振った。
「そうか、ありがとう」
ギルゴースはそう言うと、手当てされた男の方へ向き直る。
「お前の名は?」
「あっ、え~と、マイスですけど?」
「マイスか。……マイス。お前がこの少女を王都まで護送するんだ」
マイスはやや驚いた顔を見せる。
「えっ、俺が……!?」
「そうだ。半鬼人という極めて特異な種族の護送だ。無事、成功した暁には俺の所属する紫炎騎士団団長『ゼイエル』様にお前の活躍ぶりを話しておこう」
「あ、ありがとうございます……!」
「礼を言うには早いな。無事に務めを果たせ」
マイスはルリエを立たせ、馬車の待つ場所まで連れて行く。
「どういうつもりだ、ギルゴース?」
「というと?」
ギルゴースはツヴァイスの方へと振り向く。
「見かけ通りの堅い男かと思ったら、随分と舌が回るんだな」
「……あぁ、あの少女に言ったことか。ああでも言わないとあの少女は付いてこないと思ってな。『嘘も方便』というだろ?」
「分かっていたんじゃないのか?初めからあの娘がここに居るということが。だから逃げられる前に出発時間を早めた……違うか?」
ツヴァイスは容赦なくギルゴースを問い詰める。
ギルゴースは少し考える素振りを見せた後……、
「さぁ……、何のことやら?」
そう言い残し、ギルゴースは馬車に向かって立ち去っていく。
「願わくば……お前達とは二度と関わり合いたくないものだ」
捨て台詞のような言葉を残しながら……。
「ツヴァイス」
話を聞いていたシャウはツヴァイスの傍に寄る。
「任務完了だ。この地に兵を置き、鬼族が立ち入らないようにするぞ」
ツヴァイスはそう言い残し、オウリンから立ち去ろうとするが……、
「ルリエのことはいいのかい?」
シャウの問いかけにツヴァイスは立ち止まる。
「……どうにもならないだろ」
静かに空を見上げるツヴァイス。
彼女の歌が頭に響いてくる。恐らく、その歌をもう聴くことは出来ない。
「人の姿をしていようが、子どもだろうが、鬼族の血が流れる以上……あの娘は━━」
それが必然であり、変えられない掟
「━━殺される」
歴史は繰り返す、それが最善の方法なのだと誰もが疑いもしないのだから。