第5話 『とある田舎娘の苦労話・3』
アインベルツからギアナ空洞まではおよそ半日……、途中で休憩を挟みつつサクヤ達はギアナ空洞へと近づいていく。
「寒い……」
どこからかやって来る寒風が騎士鎧の隙間からオランディを凍えさせる。
「サンクゼルは一年を通して冬景色が望める地帯だ。最近では魔導機械の生産で注目されてるがな」
騎士団の中で最も露出した格好しているにも関わらず、寒さをものともせずにサクヤはオランディに話しかけていく。
「魔導機械……」
「鬼族を駆逐するために開発された土人形みたいなものだ。まぁ、アインベルツまで情報が回ってくることはほとんどない。あそこは、とことんなまでの秘密主義だからな」
サクヤが少し呆れたように答える。
「まぁ、お前達が関わり合うことはほぼ無いとは思うが……そろそろ着くぞ」
サクヤの視線の先……、そこには確かにぽっかりと空いた洞穴がそこに存在していた。
「あそこが……ギアナ空洞……」
オランディに少し緊張が走る……。
「部隊を二つに分ける。ヴァイスハルト、入口の守備は任せたぞ」
洞穴手前で静止したサクヤの声に反応し、一人の騎士が一歩前へと顔を出す。
「心得ました、サクヤ副団長」
ベージュ色のショートヘアに騎士鎧を纏った端正な顔立ちの男性が右手を胸に当て、潔く返事をした。
「うむ、オランディ。お前は私と共に来い。」
「えっ? あ……はい……」
なぜ自分だけ名指しで?
ふと疑問に思ったがサクヤの気迫に押され、先遣隊の一員に加わる。
「お前に見せておこうと思ってな。『戦』というヤツを……」
「・・・・・・」
手の震えを抑え、オランディはサクヤ達と共に洞穴の奥へと進んでいく。
ひんやりとした空気が騎士鎧を通り越して身体に纏わり付く。
洞穴内部は薄暗く、騎士達が所持するアルコールランプで辺りを照らしつつ進んで行く。
(足場が悪い……)
少し歩いただけで小石に足を取られそうになりながら、ようやく開けた場所が見え始める。
「待て」
サクヤの一声で騎士全体の動きが止まり、彼女の指が指し示す方向を見つめていく。
(あれが……)
前方には数十体の狂犬が散り散りになって洞穴内を闊歩し、悠々自適に生活しているのが見受けられた。
「こういう時はどうしたらいいと思う?」
サクヤが騎士達に尋ねる。
「遠距離から弓を射りながら各個撃破でしょうか?」
一人の騎士が答えるが、サクヤはフッと笑いながら首を横に振る。
「正攻法だな。悪くはないが、あれほど散り散りになられてはどこから奴らが飛んでくるか分からん。肝心なのはいかに効率よく、無駄なく奴らを仕留めるかだ」
そう言うとサクヤは前垂れに付けていた瓶を取り出す。
「それは?」
オランディが尋ねると、サクヤはその小瓶の中に入っている物を指差しながら答えた。
「猪の肉を発酵させたものだ。嗅ぐなよ、人間の鼻には少しキツい。」
サクヤはそのまま瓶の蓋を開ける。
強烈な発酵臭が鼻につく。
それをサクヤは狂犬の方向へと勢いよく放り投げた。
綺麗な放物線を描きながら、瓶は狂犬の近くへとポトンと小気味良い音を立てながら地面に落ちる。
━━━━!!
音、そして肉の匂いに引き連れられて狂犬達が群れを成して瓶の周りに寄ってくる。
「さすがに鼻は良いな……」
サクヤ達はじっと狂犬達が集まってくるのを見計らう。
合図と共に矢を放てるよう弓兵が準備をしていく。
そして、群れは大きな大群となって我先にと瓶の中にある肉を奪おうとする。
「……放て」
サクヤの掛け声と共に弓兵の矢が狂犬目がけて一斉に放たれた。
降り注ぐ矢の雨。
それを狂犬達が気付いた時にはもう遅かった。
腹を、頭を、無数の矢が突き刺し、貫く。
次々と出来上がる狂犬の屍を確認するとサクヤが前方へと躍り出る。
「さて……、狩りを始めるか」
右手に持つ自身の身の丈ほどもある長刀を軽々と鞘から引き抜き、構えた。
「オランディ……」
「あっ……はい……」
「訓練を思い出せ」
サクヤがオランディの方を見る。
「退いた所で何も手に入らん。だが、前に進めば希望でも絶望でも手に掴める。『自分自身を肯定しろ。否定すれば、人は死ぬ』」
そして、サクヤは狂犬に向かって一気に駆け出す。
「私に続け! 残党を一匹残らず斬り崩せ!!」
兵士達は「おぉぉぉっっ!!」と激しく荒ぶりサクヤに続いていく。
群れによって初めてその真価を発揮する狂犬にとって、幾許か残った数匹程度では騎士の進軍は止めようがなかった。
「はぁぁぁぁ!!」
銀色に輝く剣が狂犬の身体を引き裂く。
その感触は腕を通して、オランディの身体へ伝わる。
「はぁ……はぁ……」
眼前にあるは自らが斬り捨てた狂犬の死骸……。
「・・・・・・」
オランディはその手を見つめる。
肉を斬った感触は今尚、残り続けていた。
ケモノを殺す……過去にも経験はある。
しかし、それはあくまで人間に敵意を向けることはあまりない猪での場合の話。
そして、その猪を仕留めていたのはウルナとツヴァイスであった。
初めて味わうその感触はオランディに言い知れない恐怖を覚えさせていく。
━━━グァァァァァァ!!
オランディに数匹の狂犬が迫ってくる。
━━━ブンッ!!
風を切る轟音と共にオランディに迫っていた狂犬は真っ二つに次々と、横へと両断されていく。
「油断するなよ、オランディ」
狂犬を両断した長刀を振り回し、サクヤはオランディに忠告をする。
「すみません……!」
恐れを捨てよう……。
手に持つ剣に力を篭め、前へと進むオランディだったが……、
「へぇ~、酢子しは骸がありそうだねぇ」
「……!!」
聞き覚えのない声がオランディの耳に響いてくる。
洞穴内で反響し、全方位から聞こえるような圧迫感。
オランディがふと上を見上げると……、
「サクヤ団長!!」
その声に反応し、サクヤもオランディの目線を追っていくと……、
「……なんだ……あれは……?」
そこには得体の知れない何かが天井を這いながら蠢いていた。
やや平べったい丸型の胴体に対角線上に生えた鋭く尖った脚が四本、背中にはベージュ色に近い液体状の球体を背負った全長120センチほどの異形の生物が……。
「黄身たちのことはずーっと姦察していたよ。黄身たち、騎士だよね?」
胴体から亀のような頭が姿を見せ、オランディ達を見つめる。
流暢に人語を話すが、何かを間違えているような喋り方をしているようにも思えてならない。
「お前も鬼族か?」
サクヤが身構えながら異形の生物に話しかける。
「鬼族?ああ、黄身たちが勝手に付けた奈前だね?そうだよ。母苦の奈前は
『異物』……」
「エイクマ……?」
「魔血がってるよ? 母苦の奈前は『異物』……六鬼将の一人さ」
「六鬼将……?」
サクヤが眉間にシワを寄せた。
「そうさ。黄身たちで言えば騎士団みたいなものだよ。鬼族の中でも最上位に入る強さを持つ六匹の鬼族……それが六鬼将だよ」
「そうか……つまり、お前を倒せばその六鬼将の一人が欠けるということでいいんだな?」
サクヤは異物を獲物を見つけた獅子のような瞳で見つめる。
「……魔血がってないよ」
「そうか。なら私達がやることは一つだ」
サクヤは長刀を水平に構える。
「その首を置いて逝け」
サクヤは異物に向かってほくそ笑んだ。
「恐い悲戸だ。いいよ。母苦が黄身たちに魔けたらの譚だけどね?」
異物が背負うベージュ色の球体が不気味に蠢き始める。
「良けれるかい?」
球体からサクヤ達に向かって勢いよく水流が放たれる。
「全兵、後退!!」
サクヤの恫喝と共に、騎士達はその場から離れた瞬間、水流は地面とぶつかり、そのまま地面をグチョグチョに溶かし始めた。
「斬年。外しちゃった」
異物は悔しそうに天井を足で引っ掻く。
「お前達は離れていろ……!」
サクヤは騎士に伝えると、彼らから離れるように前方へと走り始めた。
「サクヤ副団長!」
オランディは彼女の名を呼ぶがサクヤは既に声の届かない距離まで駆け抜けていく。
「……斬閃!」
サクヤは長刀を大きく振りかぶり、そのまま勢いよく天井にいる異物に向かって振るう。
発生した剣圧は風を斬り、異物に向かって真っ直ぐに飛んでいく。
「おっと……」
脚をバネのように使い天井の別地点へと飛び移り、そのままサクヤの前方へと飛び降りる。
「恐い恐い……」
異物は脚を地面に突き刺し、球体の中身を地面に注ぎ込む。
「粋してみなよ?」
その瞬間、地面の割れ目から黄色い煙が噴出され、サクヤは口を塞ぐ。
「くっ……!」
煙の届かない場所へと飛び退くサクヤ。
しかし、それは異物の想定内であった。
「捕まえた♪」
四本の脚でサクヤの身体を捕え、身動きを取れなくする。
「クソっ……!」
「じっとしてなよ?奇麗な華、割かせてあげるから」
異物の頭部が割れ、ベージュ色の液体が見え隠れする。
「さぁ、伸んで? 『宿リ木』……」
抵抗するサクヤの口に液体を注ぎ込もうとするが……、
「ウオォォォァァ!!」
剣を振りかぶり、騎士が異物を斬り落とそうとするが寸前で躱されてしまう。
「虻ない虻ない……黄身たちから華を割かせてあげようか?」
異物が騎士に向かって四本の脚を伸ばす。
「逃げろ!! お前達の敵う相手では……、」
だが、その声も虚しく騎士の一人を異物が捕らえる。
「はい、お裾分け」
頭部を開き、騎士の口へと液体を注ぎ込む。
「ゴボッ……! ゴボゥボゥボゥォォ……!!」
勢いよく喉に流し込まれ、騎士の胃の中は何で出来ているのかも分からない液体で満たされていく。
一通り、飲ませ終わって満足した異物が騎士から飛び退いた。
「さぁ、華開いてごらん?」
よろける騎士の身体の中で何かがざわめく。
「ゴブッ……!!」
体内から何かが沸き立ち、言い知れぬ恐怖が襲いかかってくる。
「た、助けて……」
騎士の掠れた声が響き渡る。
しかし、それは一瞬だった。
騎士の身体が震え、鼻穴から枝のようなものが生えてくる。
口からは少しずつ枝……そして、蕾が姿を見せ……、
「はい、開いた」
蕾は開き、穢れ一つない純白の花が咲き誇った。
騎士の身体は僅かに震えているが、それは本人の意思ではなく、花が騎士の身体の養分を吸い取って起こる自然現象であることは言うまでもない。
「あっ……あっ……あ……!!」
他の騎士達は目の前で起きている現実に言葉を失くしていく。
「化け物が……!!」
サクヤが激しい怒りを露にする。
「酷い言い方だなぁ。母苦から魅たら、生への執着を巣てて、ただのうのうと何をするわけでもなく死へと向かって煤んでいく黄身たちの方がよっぽど惨めで、化け物に見えてくるよ」
異物はサクヤ達を見つめる。
「ねぇ、人間は何の為に生きてるの?」
異物はサクヤ達に問いかけた。
「生きる意味ならあるさ」
サクヤは長刀を静かに構える。
「お前を殺すことだ……!」
鋭い気迫が異物を覆う。
騎士達もその気迫の前に身体を硬直させ、その行く末を見守るしかなかった。
「なるほど……、じゃあ、殺してごらん?」
球体が僅かに蠢く。騎士達に緊張が走るが……、
「安心しろ」
サクヤが騎士達に笑いかける。
「もう……誰も死なせない」
重みのある言葉。それは騎士達の心の支えとなって生きる勇気を与えてくれるようでもあった。
「遅くなりました、サクヤ副団長」
騎士の要請により、洞穴の入口側からヴァイスハルトが姿を見せる。
「来たか。……仕掛ける、援護を頼む」
「心得ました」
ヴァイスハルトが左腰に装備した他の騎士とは形がやや違う『刀』を抜刀し、静かに構えた。
「いつでもどうぞ」
ヴァイスハルトが微笑み、サクヤもそれを見て「フッ」と笑いかける。
「生きてここを出るぞ……《適性》行使……!」
サクヤは左手で自らの左目を塞ぐ。
「《鬼戯》」
左手を払い除けたその時……、
サクヤの左目は赤黒く変色し、そこからジリジリと紅い光が漏れ始めた。
まるで空気を焼くように見えるそれは、人間とは遠く離れた別の何かに思えてならない。
「行クぞ……!」
それは人とも獣ともつかぬ声…、サクヤは異物に向かって突っ込む。
「……!!」
異物は身構えるが、それよりも先にサクヤは異物の背後を捉えた。
「ガアァァァッッッ!!」
手に持つ長刀を大きく振り下ろす。
異物は避けようと試みるが、左前足を斬り落とされ、脚からドクドクと液体が漏れ始める。
続けざまに長刀を振るうがそれを躱し、異物はサクヤとの距離を取った。
「まるで獣だ。人間というより母苦らに近い動きをするね」
それでもなお、余裕を見せる異物。
「鬼族か……。まぁ、強チ間違ってハいない」
「……?」
「私はかつて鬼族に毒された。そのせいか、人としての生き方が欠如していてな」
「・・・・・・」
その言葉に異物は何かを察する。
「化猥僧に……人間とも鬼族ともつかない人生は辛いね。母苦が救ってあげるよ。華を生ける肉瓶としての生き方を与えてあげる……」
「遠慮シておコう」
「しなくていいのに」
異物は前足の一本を地面に突き刺す。
「黄身は母苦を殺すと逝った。じゃあ、母苦も黄身たちを全力で殺しに行くよ」
先程、煙が噴出していた場所が蠢き始める。
「花ナ園…」
地面は割れ、煙の噴出した場所から赤と紫が入り交じった色をした不気味な花が次々と姿を見せ始めていく。
そしてその花は蠢き、サクヤ目がけて溶解性の液体を勢いよく飛ばす。
「ヴァイスハルト、消シ飛ばセ!!」
「了解……!」
サクヤの指示を受け、ヴァイスハルトは静かに目を閉じる。
一瞬の間……、そして静寂を切り裂きヴァイスハルトの目が開かれた……!
「《適性》行使……、《衝動》!!」
解き放たれた衝撃波は地面もろとも花を吹き飛ばしつつ、異物を襲う。
「ぐっ……!」
衝撃に巻き込まれるギリギリの所で異物は天井に張り付く。
「ここなら……」
だが、その判断が甘かった。
「氷針……!」
数本の氷柱が異物に向かって次々と襲いかかる。
「……!!」
辛うじて避けきるが氷柱は天井を壊し三本の脚で支えていた異物のバランスを崩れさせて、地面へと落下させる。
「なっ……!!」
地面に向かって落ちていく。
そして、その下には長刀を構えたサクヤが立っていた。
「花は嫌いジゃない。だが……私にハやり残した使命がある。……死ぬワけにはいかナいんだよ」
長刀に自らの魔力を纏わせる。
「……斬舞奏閃」
それは舞い起こる銀色の風の如く、吹き荒れる剣撃と剣圧は容赦なく異物の身体を引き裂いていく。
「フンッ……!!」
長刀を一気に横に薙ぐ。
それは異物が背負う球体へと食い込み、充満していた液体が地面へと漏れ出していく。
「あぁっ~!! 母苦の……母苦の……生命が……!!」
液体の流出は留まることを知らず、球体の中身は底を尽きかける。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だイヤだイヤだイヤだ…!! これが失くなるぐらいなら……!」
自らの身体よりも球体を気にかけ、満身創痍に陥る異物は身体を引き摺り、自ら底が見えない地面の割れ目へと落ちていった。
「待て……!!」
しかし、サクヤの声も虚しく異物は米粒ほどの小ささとなって姿を消していく。
ヴァイスハルトもサクヤと共に確認をするが……、
「この高さではもう……、」
漆黒に満たされた奈落の中へと完全に異物は姿を消した。
殺したという訳ではない。
しかし、生存率は限りなくゼロに等しい。
サクヤ達の勝利が決まった瞬間であった。
「……お疲れさまでした……サクヤ副団長」
ヴァイスハルトが労いの言葉をかける。
「ああ……、助力感謝する。さすがは私が認めた次期副団長候補だ」
サクヤはヴァイスハルトの肩をポンポンと叩く。
「私などまだまだですよ」
ヴァイスハルトは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
ヴァイスハルトの顔を一瞥した後、サクヤは氷針を放った術者の顔を覗く。
そこには人目も憚らず地面に座り込み、息を整えようとするオランディの姿があった。
それを見たサクヤはフッと笑みを浮かべ、騎士達に王都への帰還を指示する。
「全騎士……ご苦労だった。帰還を始める」