第5話 『とある田舎娘の苦労話・2』
「アビラ・ゲイツ!」
「はっ!!」
騎士の名が呼ばれる……。
「アレン・シフォー!」
「はいっ!!」
(あと、もう少しで私が呼ばれる……)
そう思うと、緊張からか変な汗が手に滲み始めてきた。
「エイム・カール!」
「はっ!」
(もう少し……もう少し……!)
「オランディ・エクレール!」
「は……はイッ!!」
「・・・・・・」
やってしまった……腰まで伸びた長い髪をポニーテール状に束ねた一人の女性の声は見事に裏返り、騎士が集まるこの部屋に響き渡る。
(もう……帰りたい……)
***
「はぁ~」
深いため息をついてオランディは隊舎の壁に寄りかかる。
配属初日での見事な失敗。
オランディのやる気はドン底まで叩き落とされていた。
「絶対に変な目で見られたよね……」
「まぁ、印象には残ったな」
不意に聞こえた声にオランディは首をへし折りそうな勢いで声の方向へと視線を向ける。
「サ……サクヤ副団長……!」
そこには絹のように細い黒髪を後ろで束ね、肩から腕と鼠径部から脚部にかけて露出した、ボディーラインがくっきりと分かるスーツに、腰部分に黒の前垂れを付けた、ある意味際どい格好をした端正な顔立ちの女性がオランディの方へと近づいてきていた。
「だが恥じることはない。逆に目立って全員に大きく印象を残す結果となったのだから」
「いやそれは……」
正直、こんな形で目立ちたくはなかった。
思わず本音が出そうになる。
「……ふむ」
サクヤは少し考えた後、
「何だったら私みたいな格好をすれば更に注目されるかもしれんぞ」
「け、結構です!!」
オランディは顔を真っ赤にして思わず、後退ってしまう。
「ふふっ、ダメですよサクヤさん。新人さんを困らせては?」
コツコツとこちらに歩み寄る人影……。
「ふむ、励まそうと思ったのですが……逆に困らせていたか……」
サクヤは顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「ごめんなさい。サクヤさんはこういう所があるから」
「あっ……いえ……」
オランディは思わず萎縮してしまう。
腰近くまで伸びたウェーブ状の白金髪に白を基調とした神官服を身に纏い、美しい顔立ちに翡翠色の瞳が映える女性が、柔和な笑顔をオランディに向けた。
「先程は失礼しました、リーヴェ団長」
オランディは彼女の名を口にし、一礼を行う。
『リーヴェ・リズロ』
オランディが配属する聖炎騎士団団長であるその人の名を……。
「どうですか? 騎士になるのはやはり緊張しますか?」
近くのベンチに3人は腰掛け、語り合い始めた。
「はい……とっても」
オランディは本音を漏らしてしまう。
「分からないことがあれば何でも聞くといい。こみゅにけーしょんはとても大事なことだ」
何故か、ややカタコトになりながらオランディを励ますサクヤ。
「まぁ、でも聖炎騎士団は規律がかなり緩い方だと思いますから、そう身構えずに居てくれると助かります」
リーヴェはオランディに優しげな笑顔を向ける。
「あ、ありがとうございます」
オランディも少しだけ緊張の糸が切れたのか、リーヴェに笑顔で答えた。
「それもこれもリーヴェ団長のおかげですね。聖炎騎士団は緩いですが、金炎騎士団みたいに無法地帯となっている所もありますから」
サクヤはやや困った顔を浮かべる。
「私ではありませんよ。この騎士団に配属してくれた全ての騎士達で成り立っています」
リーヴェは辺りを見回していく。
「でも……次の春に、私はここを離れなくてはいけません」
「えっ、そうなんですか?」
オランディは少し驚いた表情を見せる。
「リーヴェ団長は春に賢王院の神殿騎士・最高司祭に就任することが決まった。私も共に行くから、団長と副団長の座に空きが出ることになる」
淡々と説明するサクヤだが、聞いたことがない言葉にオランディは思わず困惑してしまう。
「賢王院? 最高司祭?」
「賢王院とは、この世界の中心国・セントラルマテリアルの更に中央に位置する統括機関の事だ。あらゆる国の方針、そして行く末はこの場所で決められる」
サクヤはさらに賢王院について話を続けていく。
「簡単に言えば、賢王院が右を向けと言ったら、その国は右を向かざるを得ないという感じだ」
「はぁ……」
何となく把握してきたが、この二人がそんな所へと就任が決まったことに驚きを隠せない。
「最高司祭というのはその賢王院の最高権力者である賢王とその下に位置する三賢者を守護する立場にある職だ。賢王院最後の砦と言ってもいい、名誉ある立場だ」
「そうだったんですか……」
驚きすぎて返す返事に程々(ほとほと)、困り果てるオランディ。
「本当は辞退しようと思ったのですがエリーザ様の推薦もあって流れるまま……といった感じですけどね」
リーヴェは少し困った様子を浮かべる。
「ご謙遜を……。名誉あることなんです、もう少し喜んでください。それにリーヴェ団長だったら三賢者の一人でもおかしくないのに、なぜあの男が……」
あの男……? オランディは少し不思議そうな顔を浮かべた。
「ごめんなさいオランディ。話がややこしくなってきてしまって。……実は、さっき話した三賢者の一人、『ノイシュターク』様が老衰で逝去されたの」
「えっ、そうなんですか?」
「それで、次の三賢者の候補として挙げられてるのが黒士魔導騎士団の団長、『マスク・ド・Ω』という噂が立っている」
「黒士魔導騎士団……」
またよく分からない単語が出てきて、オランディは困惑する。
「黒士魔導騎士団については、また次の機会に話すとしよう。で、その変態男が候補に挙がるのが気に入らんのだ」
サクヤがマスクドなんちゃらという者に対して、怒りを露にしていく。
「マスクド様はとても優秀な御方ですよ。多少、風変わりな所はありますけど……」
「多少どころの騒ぎではありません」
サクヤはキッパリと否定をした。
「フフっ……」
オランディは思わず笑みを零す。
「あっ、すみません……私……」
「いいんですよ。やっと緊張が解けてくれて良かった……」
リーヴェは穏やかな笑みを浮かべる。
「そろそろ、剣の修練を始める。今のうちに笑っておけよ」
サクヤの手厳しい一言がオランディに刺さった。
「あはは……あっ、そういえば他の騎士団に……ツヴァイスという人はいますか?」
「ツヴァイス?」
リーヴェとサクヤは互いに顔を見合わせるが……、
「ごめんなさい。他の騎士団の事まではちょっと……」
「あっ、そうですよね。失礼しました、じゃあ私は修練の準備をしてきます」
リーヴェ達に一礼をしてオランディは駆け足でその場を立ち去っていった。
「とても清純な良い子ですね」
「ええ。ただ、血腥い戦場にはあまりに不釣り合いですが……」
「……本当に……」
リーヴェは去っていくオランディの背中をただ、静かに見つめていた。
***
月日は流れ、━━8月
オランディ達新兵に最初の任が下る。
「ギアナ空洞?」
オランディがサクヤに恐る恐る尋ねた。
「アインベルツから北に進んだ場所にあるサンクゼル地方とグレンスの国境に位置する洞穴だ。互いの国へ通り抜けることは出来るんだが、最近は鬼族が住み着くようになったから私達で駆逐するようにというお達しだ」
「・・・・・・」
オランディの両手に力が篭もる。
「まぁ、そんなに緊張するな。報告では鬼族は狂犬が数十体ということだから面倒な相手ではない。他に何かいたとしても私がいる」
サクヤは大きく胸を張って高らかに告げた。
「あの……リーヴェ団長は?」
別の兵士がサクヤに尋ねた。
「リーヴェ団長は別件での任務があるから今回は私が引率する」
「は、はいっ!」
新人騎士達が背筋を整える。
「明日の午前6時に出発する。各自、準備を整えておけ」
「はっ!!」
兵士達は各々の準備の為に、その場を後にしていく。
「オランディ」
「えっ……はい?」
サクヤはオランディの心を見通すように目を凝視する。
「落ち着け。お前なら出来る」
薄ら笑いを浮かべたサクヤはオランディの肩をポンッと叩き、その場を立ち去っていった。
「・・・・・・」
恐怖心が無いわけではない。
(立ち止まる訳にはいかない……)
騎士として一人前になるために……そして、騎士団の何処かにいるであろうツヴァイスと再開するために……。
オランディは恐怖心を押し殺し、自室へと帰っていった。