第5話 『とある田舎娘の苦労話・1』
「ジバルエ? 悪いことは言わない。あそこには関わらない方が良い」
「ジバルエとな? お主、正気か? あの町はお前さんのような平民が行く所ではないぞ」
「ジバルエですって? 止めておきなさい。あの町は貴族が絶対。あなたが行ったって彼らの奴隷になるのが関の山」
「だから、ジバルエに……、」
「関わるのだけは……、」
「絶対に……、」
「止めておけ」
「止めるんじゃ」
「止めなさい」
***
『貴族都市ジバルエ』……。
それはその名の通り、上流階級となる貴族のみが住むことが許された街。
そして、グレンス唯一の『騎士が干渉出来ない街』と言われる。
それは何故か?
貴族は自らよりも上に立つものを決して認めない。
それは、王都アインベルツ……そしてグレンスの最も上位の立場である女王エリーザも例外ではなく……。
数十年前……、グレンスは『貴族制』により、貴族が絶対の存在であり、その下の階層となる平民達は長く辛い圧政を強いられていた。
その貴族制に終止符を打ったのが同じく貴族であったヴェンスタインとその娘のまだ若きエリーザである。
彼らは貴族制を廃止し、民が『人が人として生を謳歌出来るように』と兵士、そしてヴェンスタインの意向に賛同した貴族達によって、『王都アインベルツ』が誕生。
ヴェンスタインは自らが王となって貴族達の圧政に苦しむ民達を次々と開放していった。
しかし貴族達は、同じ貴族でありながら自分達を裏切り、あたかもグレンスの英雄となったヴェンスタインへの激しい憤りを露にすることになっていく。
彼らは貴族のみで構成された街、ジバルエを作り出し、独自の生活文化を築き始める。
そして、ジバルエが忌み嫌われる理由となり、今尚続く彼らの奴隷文化を象徴し、築き上げた街『奴隷街』がそこにあった……。
鬼族により家族を失った者・或いは金銭が底を尽き、行き場を無くした者達……。
理由は数あれど、彼らはこの地に流れ着く。
そして、自らの命を貴族のために使う。
彼らに人権は存在しない。
貴族の命令で労働を強いられ、奉仕として貴族達の慰みものになっていく。
与えられた最低限の賃金で彼らは貴族から腐った飯を買う。
確かに奴隷街を出る者も少なくない。
しかし、彼らは戻ってくるのだ。
外に出れば鬼族の餌食。
しかし、ここには人権を与えられずとも、家畜としての生活は行う事は許される。
そして、家畜達は飢えを満たすため同じ家畜である女を求め、女は快楽を求めて男にその身体を捧げる。
貴族達はそれを一種の遊興として楽しみ、家畜達に金を払う。
その金で家畜達は自らの生活を強いられていく。
この事実を知ったヴェンスタインは紛糾し、ジバルエ及び奴隷街の制圧を試みたが、金にモノを言わせた貴族達は隣国の傭兵所より大人数の傭兵を雇って自衛を行い、それに加えてレスティア全土の国に金銭面の支援によって友好条約を締結させる。
結果、それは友好関係という鉄壁の守りとなってジバルエを包囲することになり他国間との紛争を避けたいアインベルツにとって迂闊に手を出せない状態を作り上げた。
自らが貯蔵する大量の金銭と各国の支援を受けて奴隷文化を成り立たせる……それが今のジバルエの姿である。
無論、金銭面の授受があることから各国もジバルエの奴隷文化は黙認される現状がそこにあった。
彼らと同じく、オランディとその両親はジバルエの出身である。しかし、淀んだ……人間の負とも言える空気にオランディは耐えきれなくなり体調を崩し始めていた。
それを見かねた両親は貴族という立場を捨て、彼らの目の届かないウタンの地へ流れ着く。
オランディの身体は日に日に快方へと向かい、ジバルエでは出来なかった『友』という存在も作り上げた。
それを両親は笑顔で見守りつつも心の底では、ジバルエを離れたという負い目も心の何処かに感じていた。
そして、今……娘は因縁ある騎士への道を志そうと言うのだから止めようとするのも無理はない。
「私の道は私で決めます。例え、過去にどんな因縁があったとしてもこれが私の選んだ道です」
「・・・・・・」
両親は口を噤んだまま時間が流れていく。
「……オランディ」
父親が徐に口を開いた。
「騎士になるのは簡単じゃない。いつ死ぬかも分からないような職だ……それでも騎士になるのか?」
「……はい」
オランディの決心は固かった。
何を言っても聞く耳は持たないだろう。
父親にはそれが痛いほど伝わった。
「……はぁ……分かった」
「あなたっ……!」
母親が驚いた様子で父親の顔を見つめた。
「……オランディが決めた事だ。なら、私達が言うことは何も無い」
「……でも……!?」
「ただな、オランディ……」
父親は真剣な顔でオランディを見つめる。
「私は騎士になるのを賛同しているわけじゃない」
「……はい」
「資金面の援助は一切出来ない」
「……分かっています」
「もし、お前が死んでも私達は別れの挨拶は出来ないかもしれない……覚悟はあるか?」
「……あります」
ハッキリとした口調でオランディは宣言した。
「……分かった。もう何も言う事はない」
父親はゆっくりと立ち上がり、窓から外の景色を眺める。
「自分で決めた道だ。人に恥じることのない……騎士になれ」
「……はい……!」
オランディは立ち上がり、父親に深々と頭を下げた。
その様子を母親はただ見守り、彼女のこれからの行く末を案ずる事しか出来ないまま……。
***
太陽の光が燦々(さんさん)と村を照らし、彼らに大いなる恵みを与えていく。
この日、新たに一人……騎士になるべく村から離れる者が別れの挨拶を行っていた。
「オランディお姉ちゃん、どこかに行っちゃうの?」
オランディを慕う小さな子ども達が寂しそうに彼女の顔を見つめる。
「うん……。しばらく帰ってこれないからお母さんとお
父さんの言うことをちゃんと聞くようにね」
「……うん」
悲しみが頂点に達したのか、泣き出してしまう子も少なくなかった。
「寂しくなるのぅ~」
隣で村長も鼻水を垂らしながら人目もはばからず貰い泣きをし、オランディとの別れを惜しむ。
その村長の姿にオランディはフフっと笑った後、辺りを見回していく。
出発時刻は伝えたが、両親はやはり此処には来ていなかった。
遠くから馬の駆ける音と、馬車の車輪が転がる音が聞こえてくる。
「今までお世話になりました」
オランディは頭を下げ、村長に感謝を伝えた。
「いつでも帰ってくるとええ。ここはお前さんの故郷じゃ」
「ぺっぴんさんになって戻ってこいよ、オランディ」
「帰ったら思い出話聞かせてね」
村人達はそれぞれに別れを告げていく。
「はい……行ってきます……!」
オランディはもう一度、家族とも呼べる彼らに頭を下げると、馬車へと乗り込む。
馬車の車輪はゆっくりと動き始め、少しずつ村から離れていく。
笑って別れを告げる者、泣いて別れを告げる者……オランディは一人一人の顔を思い浮かべながら出発を見送ってくれた村人達に手を振り続ける。
ふと、オランディはある場所を見つめた。
そこは、かつて……ウルナ、そしてツヴァイスと共に思い出話に華を咲かせたあの丘……。
その丘に二人の人影が垣間見えた。
「……!!」
見間違うはずがない。
オランディの目には確かに自分を育ててくれた両親の姿が映っている。
その二人は丘から静かにオランディの乗る馬車を見守っていた。
まるで、この場所は自分達が守るから安心して行ってこいと言っているようにも見える程に……。
「行ってきます、お父さん……お母さん……」
二人には聞こえない小さな声でオランディは両親に別れを告げる。
2月16日、まだ寒さの残るこの季節……オランディはウタンの地を離れ王都アインベルツへと向かって進み始めた。
そして……この年の春、彼女は合格点ギリギリであったが騎士としての第一歩を歩み始めていく……。