第4話 『とある田舎娘の過去話・1』
━━━在りし日の記憶
「……ァイス……」
「……ヴァイス……」
声が聞こえる。
聞き覚えのある声が……。
声の主が誰なのか興味はあるが、今はまだこの穏やかな時間を過ごしていたい・・・。
「ツヴァイス……!!」
という訳にもいかないようだ。
静かに目を開け、軽く背伸びをする。
時刻はまだ午前10時を過ぎたほどだ。
━━━ガチャ!
「ツヴァイス!!」
ドアを強引に押し開け、男性が1人飛び込んでくる。
「朝っぱらから騒々しいぞ……兄貴」
ツヴァイスは少し不満げに呟く。
目の前に立つ黒髪のショートヘア。爽やかな好青年風の顔は女性達からもモテると本人も自慢しているほど。
そんな彼が額に汗を流しながら息を整える。
「受かった……受かったんだよ……ツヴァイス……」
「ん? 何に?」
ツヴァイスは首を傾げつつ、兄の次の言葉を待つ。
そして、兄は羊皮紙をツヴァイスの前に広げる。
「騎士団試験に……合格したんだ……!」
「えっ?」
「俺……七炎騎士団の騎士になれたんだよ……!!」
「・・・・・・」
その瞬間、ツヴァイスは兄と抱き合い、兄の髪をクシャクシャになるまで撫で回した。
対する兄は目に涙を浮かべ、ツヴァイスに喜びをぶつけてくる。
二人はこの日を生涯、忘れることではないだろう。
二人にとって今日という日は、初めて人生に生きる意味を見出した瞬間なのだから……。
「おめでとう、兄貴」
「ありがとう……ツヴァイス……!」
***
グレンス皇国東にある小さな村・ウタン。
人口数十人程度で自給自足による生活を行っている。
この村で生まれ育った数人の自警団が村を警護を行い、騎士団による巡回も傭兵所からの派遣も来ない。
ある意味で忘れられた村。
だが、それでも幸いなことにこれまで鬼族の襲撃を受けたことは一度もなく……皆、心のどこかで鬼族という存在は雲の上の存在のようにも思えていた。
その村を三人の男女がある場所を目指して走っていく。
顔つきのよく似た黒髪のショートヘアの男子二人と腰まで伸びた明るめの金髪の少女。
そして、三人は村を一望出来る丘へと辿り着き、一息つく。
見渡しても何かがあるわけではない。
ただ、緑に生い茂る平野と小さな家屋、そこに暮らす人々。
三人はこの景色をずっと見て育ってきた。
この場所で沢山の思い出を作ってきた。
しかし、三人でこの景色を見るのは今日で最後。
だから目に焼き付けておきたかった。
この場所を忘れないために。
この場所を思い出せるように。
三人は互いの顔を見て微笑み合う。
ここが……この場所が……全ての始まりの地
***
「ウルナさん、騎士団就任おめでとうございます。これ……少ないですけどどうぞ」
金髪の少女は膝近くまである白のスカートから赤いリボンで結ばれた小さな箱を差し出す。
「えっ、ありがとうオランディ。……開けてもいいか?」
オランディはこくこくと頷く。
ウルナは丁寧にリボンを外し、箱の蓋を開ける。
「……これは……」
箱の中には色とりどりのビーンズを糸で通し、鳥の形を模した銀板が取り付けられたペンダントが入っていた。
「あまり時間に余裕がなくて、雑な作りになっちゃったけど……」
オランディは気恥ずかしそうに顔を下に向ける。
「いや……すごく嬉しいよ。ありがとう、オランディ」
ウルナは満面の笑みでペンダントを取り付ける。
首回りも丁度いいサイズで申し分ない。
雑な作りとは到底思えない出来栄えだった。
「よかったな、兄貴」
隣でウルナに似た顔つき、しかし兄と比べると髪にややボサつきが目立つ少年が笑顔を向ける。
「欲しくてもやらないぞ?」
「そのときはもう少し丁寧に作ったのをオランディから貰うよ」
「言いやがったな、ツヴァイス!」
ウルナはツヴァイスの上から覆い被さるように馬乗りになり頭を揉みくちゃにしていく。
オランディはその光景を見てフフっと微笑んだ。
そして、三人は過去の思い出話に盛り上がる。
初めて三人が出会った時のこと・大人に内緒で猪狩りを行おうとしてこっぴどく怒られた時のこと・宝探しと称して村の外れまで出歩いた時のこと……。
互いが悔いの残らないように話題を次々と変えては話し続ける。
それは日が沈むまでの間、休むことなく続いていく。
「……そろそろ帰るか」
日は沈みかけ、辺りは少しずつ薄暗くなっていった。
まだ話していたい……その気持ちを抑え、ウルナは立ち上がる。
二人もまた、何も言わず帰り支度を整えていく。
家に帰るまでの間、三人は静かに黙々と歩き続けていた。
ツヴァイスはウルナに気付かれない程度に彼の顔を覗き込む。
何かを考えているような……そんな憂いを帯びた顔つき。
明日、彼は王都に向かって旅立っていく……。
寂しさは無いと言ったら嘘になる。
しかし、彼の長年の夢である騎士への道がやっと開かれたと思ったら自分のこの気持ちなどどうでもよかった。
ただ、兄を祝福し、オランディと共に背中を押してあげる。
それが今、自分達に出来ること。
ツヴァイスはウルナの顔を覗くのを止めて帰路を見つめる。
もう三人で歩くことはないこの道を一歩一歩踏みしめながら……。
数十分かけて三人は村の中央部まで戻ってきた。
「じゃあ、私帰るね」
オランディは二人に別れを告げる。
「ああ、明日は朝8時にここを出立する。見送りは……まぁ、何言っても来るんだろうなぁ」
ウルナは少し苦笑いを浮かべる。
「当然だろ。村で初めて騎士に就任する男が現れたんだ。村人総出で見送ってやるよ」
ツヴァイスは薄ら笑いを浮かべながらウルナに語りかけた。
「必ず行くね」
オランディはウルナに少しだけ寂しさを覗かせながらも笑顔を向ける。
「……ああ」
ウルナもまた、寂しげな笑みを覗かせながら……。
━━━夜
ウルナは王都へ向かうための身支度を整える。
粗方、整理は終わっており、ウルナの部屋には服が入った布袋と紐で縛られた数冊の本のみが置かれていた。
「兄貴、これどうする?」
ツヴァイスはやや古ぼけた魔導書をウルナに見せる。
二人がまだ幼いときに、父親がどこかの市場で売られていた物を買って帰ってきたボロボロの古本であった。
初めて見る魔導書だけあって二人は夢中で読み漁り、結果的に本のほとんどの内容が頭に入るまでになっていた。
そして、この本が父親が二人にくれた最後のプレゼントとなってしまう。
話は数年前に遡る。
ツヴァイスとウルナが気を遣い、両親をウィズダムへと旅行へ行かせた。
しかし、その帰路の途中……両親を乗せた馬車が鬼族の襲撃に見舞われる。
なるべく早く帰りたかったからと街道から少し外れた道を選んでしまったことが失敗であった。
鬼族は両親・そして御者を殺し、その場から逃げるように立ち去る。
両親達の帰りが遅いと感じたツヴァイス達と村の自警団の捜索の結果、二人は無惨な姿となって発見された。
それ以降、二人は誰の手を借りるわけでもなく両親と共に過ごした家で暮らしている。
そして、ウルナはふとある事を口にした。
「俺は……騎士になる」
ツヴァイスはそれを止めようとは思わなかった。
鬼族に殺された両親への復讐……。
それと共にあるウルナ自身の正義感。
それが合わさった結果、彼は傭兵ではなく困難を極める騎士への道へ進むことを決意させる。
その話は、瞬く間に村中の噂となり、止める者も少なくはなかった。
復讐のために騎士になるのではなく、もっとウルナらしい生き方をした方が良いと言う者もいるのも当然である。
だが、それでもウルナは騎士としての道を断念することはない。
それは、ツヴァイス、そしてオランディにもすぐ理解が出来た。
二人はウルナの道を応援することに決める。
出来ることなら何でも手伝った。
武術に関してはたまに訪れる行商人の馬車に乗り、町の市場に置いてある本を読み、独学で学んだ。
座学に関しては、村人達の協力によって何とか成り立っていく。
そんな血の滲む努力の結果、ウルナは騎士試験に見事、合格を果たす。
今までの努力が報われた瞬間は何とも格別だっただろう。
そして、明日……ウルナはこの家を出て、騎士の集う王都アインベルツへ向けて旅立つ。
「ツヴァイス、お前が持ってろ」
「俺、もうほとんど暗記したんだけどなぁ」
本を見ながらツヴァイスはやや苦笑いをする。
「い~や、それはお前が持つべきだ。お前の方がその本を理解するの早かったから、きっとお前には魔法の才能があるんだ。俺なんか未だに分からない所が多々ある」
「けっ、荷物になるだけだろ?」
ツヴァイスはその分厚い魔導書をウルナの机に乱雑に置く。
「なぁ、ツヴァイス……」
「ん?」
「色々、迷惑掛けたな。俺、自分勝手なことばかり言ってお前やオランディを巻き込んじまった」
ウルナは少しだけ申し訳なさそうに顔を落とす。
「今更だなぁ」
「はぁっ!?」
「そんなの兄貴の弟になった時から覚悟してたよ。猪みたいに突っ込んでいくからなぁ、兄貴は」
「お前なぁ~」
ウルナは呆れ顔でため息をつく。
「だからよぉ……」
「?」
「必ず立派な騎士になれよ。俺もひょっとしたら後を追いかけるかもしれないから」
「……ああ。お前才能あるから先に行って待ってるよ」
ウルナはツヴァイスに満面の笑みを向けた後、部屋の窓に視線を向ける。
「なぁ、ツヴァイス……」
「ん?」
先ほどの表情から一転して、ウルナは何かを考え込む。
「必ず騎士として大成する。そして、グレンス最強と謳われる七炎騎士団の団長になってみせる。そうしたら……、」
「・・・・・・」
ツヴァイスは次の言葉を静かに待つ。
「俺はオランディに告白するつもりだ」
「……そうか」
正直、驚きはしなかった。ウルナがオランディのことを好きなのは薄々気付いていたツヴァイス。
だから、面と向かって言われると逆にこちらが小っ恥ずかしくなる。
「もしかしてツヴァイスも……」
「兄貴も物好きだな」
「ひっでぇ……」
ウルナは思わず苦笑いを浮かべる。
「絶対に告れよ」
ツヴァイスはウルナに拳を突き出す。
「……ああ」
ウルナは同じく拳を出し、ツヴァイスの拳と付き合わせる。
それから朝方になるまで二人は語り合った。
オランディのどこが好きなのか、なんで好きなのか、いつから好きなのか……。
ほぼツヴァイスがウルナに質問攻めにする姿は兄弟の立場が明らかに逆転していたが、それはそれで何とも微笑ましい光景であった。
***
朝日が少しずつ昇る。
村の入り口近くには似た顔つきの少年二人が馬車が来るのを待ち続けていた。
「本当に言わなくていいのか?」
オランディに言っていた時間よりも早く、ウルナは出発をしようとするためツヴァイスは呼び止める。
「湿っぽいのは嫌だからさぁ」
ウルナはそう言ってやや苦笑いを浮かべた。
「向こうに着いたら手紙書くよ」
「ああ、待ってる」
互いに笑顔を向け合う。
「じゃあ行くわ」
ウルナが紐で結んだ小さな布袋を肩に提げて、馬車が停留する地点まで歩き出そうとすると……、
「……ウルナさんっ!!」
村の方から聞き覚えのある声と共に、パタパタと誰かが走ってきた。
「……オランディ……」
ウルナはこちらに向かってくる彼女の名を静かに呼んだ。
「ハァハァ……間に……合った……」
息を切らしながらオランディはウルナの元へと駆け寄ってきた。
「何で早く出立するって分かったんだ?」
ウルナは少し驚きながらオランディに尋ねる。
「ハァ……ハァ……な、何となく……」
「何となく……!?」
ウルナはその返答に唖然とした。
「なっ、女の勘って怖いだろ?」
ツヴァイスはやや茶化しながらウルナの肩をバシっと叩く。
「……まったく」
ウルナは呆れつつも内心は嬉しそうな表情を見せ、オランディの頭を優しく撫でた。
そして、それから程なくして、王都行きの馬車がウルナ達の近くまでやって来る。
「じゃあ行くよ」
「ああ」
ツヴァイスと挨拶を交わしたウルナは馬車に乗り込む。
「必ず……帰って来てね」
オランディがか細い声でウルナに別れを告げる。
「必ず帰ってくる、必ず……胸を張って騎士と言える男になって戻ってくるよ」
馬車が王都に向かって動き出す。
ツヴァイスが静かに見送る中、オランディは馬車に向かって手を振り続けた。
馬車が見えなくなるまでずっと。
心做しか馬車からもずっと手を振り続けてくれる……そんな気がした。