別れ
「ようやく集まってくれたか。」
長い黒髪に隠れた顔を晒すように、髪をかき上げた男は、相対する二人の男のホログラムを見て安堵の息をつく。
彼にとって、この会合は決意表明のようなもので、実現するためにはずいぶんと苦労をした。
「赤眼よ、ずいぶんとらしくないことをするじゃないか。」
ため息をつくように、そうこぼしたのが叡智の瞳と呼ばれる、緑の魔眼をもつ男だった。
「まったくだよ。今度はどうやって僕を殺しにくるのか、楽しみにしていたのに。」
最後に口を開いたのは、名君の瞳とも呼ばれる、青の魔眼をもつ青年。この三人はそれぞれ、種類は違えど絶大な力を持つ者たちだった。枯れることのない莫大な魔力、あらゆる魔法に精通した魔導の王とも言われた赤眼、叡智の結晶でありあらゆる知略・戦略に長けた緑眼、特別な力こそないが、人たらしであり圧倒的なカリスマを持ち、万人を率いることが許された青眼の三人のことである。
「ずいぶんと人を粗末に扱ってくれる。俺はそこまで狂乱しているわけではない。ただ、お前たちとは最期の別れをしたかっただけだ。」
この三人は長きに渡って殺し合いをしてきた。というのも、この世界には七つの魔眼を持つ者どもがおり、それぞれが強い勢力を持っていたのだが、力を象徴する赤眼が、吸魔の瞳とも呼ばれた紫眼を持つ男を、抗争の末殺害したことから端を発する。魔眼を持つ者が同じ者を殺すと、殺した者が殺された者の魔眼を受け継ぐことが判明したのである。ここから、赤眼の暴虐の旅が始まる。魔眼持ちは世界にたった七人しかおらず、例外なく全ての者が強い。そこで、赤眼は魔眼持ちが世界各国の軍の将や重役を務めていることにあたりをつけ、単騎で各国へ戦争を仕掛けた。殺戮に次ぐ殺戮を繰り返し、自身が生まれながらに持ち合わせていた赤眼と、ことの発端となった紫眼を合わせ五つの魔眼を奪うに至ったのである。
赤眼の寿命はとうに尽きるはずだったが、紫眼の性質である吸魔を用いて、他者の魔力を喰らうことで生き永らえてきた。この間、実に500年。この世界における近現代の最悪の殺戮者、それが赤眼であった。
「確かに、お前たちの力は魅力的だ。今なお殺して奪ってやりたい。だが、お前たちもまた力をつけすぎただろう。俺たちがまたぶつかり合えば、今度は百万ではきかない兵が死ぬだろう。俺が言うのも今更なのだが、たかだか瞳の一つや二つで、そこまで殺すのはいささか心苦しい。何より、俺はお前たちが好きなんだ。幾重も刃を交え合い、お前たちの心意気たるや実に天晴であると気付かされた。」
赤眼は続ける。
「それに、お前たちの相性はいいだろう。人を束ねることに秀でた者と、叡智の結晶がここにいる。俺がいなければ、お前たちは殺し合ったりはしないだろう。知っているんだ、俺がここまでお前たちを殺し損ねたのは、お前たちが結託していたからだろうに。つまり、俺さえいなければ、お前たちは二人で戦乱に幕を引いて、いくらでもこの世界に繁栄をもたらせるだろう。俺はその行く末も見てみたいのだ。いつになるかは分からんがな…。それと、本音を言えば、緑とは100年近くやり合ったが、俺はそれ以前に400年もこれを続けている。さすがに疲れるというものだ。確かに俺は力しか能がないが、それにしてもあまりに長すぎた。」
緑と呼ばれる男はエルフである。彼らは赤眼のような例外を除いたヒトよりも、はるかに長命である。赤眼が100年近く戦ったというのも、なんらおかしな話ではない。
「つまり、お前はお前が勝手におっ始めた戦争を、疲れたからという理由で何の責任も取らずにのうのうと降りるというわけか。それで、散々喰らった魔力で中途半端に死ねなくなったお前はそのあとどうするつもりだ。隠居でもしてマスでもかいてるのか。」
「最大の障壁は君だったからね、赤眼。本当に降りるというなら僕は歓迎するよ。でもそれをどうやって証明するつもりだい。僕たちは殺し合いもしてきたけど、それ以上に化かし合いもしてきただろう。今回はそうじゃないですってわけにはいかないよ。責任をとれって言うつもりはないさ、とうに個人が責任をとれる範囲を超えてるからね。君は多くを壊しすぎた。なにより、君に無理やりそんなことさせようとしたって、力じゃ僕らは敵わないからね。残念だけど。」
この程度の悪態をつかれることは想定内だった。しかし、いざ言われるとなかなかに悲しい。
「安心しろ。俺はもう手を引く。人の命は帰らぬが、これからの未来へ投資することはできよう。決戦の平原にある巨大樹は分かるな。そこに俺が魔力を込めた魔石を埋めておいた。これを喰らえば、ヒトである青眼、お前も緑と同じくらい生き永らえよう。その間に、お前らなりに繁栄をさせてくれ。緑、お前は力がないから、不意を打たれたら滅びてしまうだろう。エルフの大森林の結界のコアの下に、俺が作った短剣を埋めておいた。必ずお前の役に立つはずだ。弓ではなくて悪いな、あれはもちが悪くてな。」
「ずいぶんと勝手に物事を推し進めやがって、それで俺たちがお前を赦すとでも思ったか赤眼よ。それに結界のコアだと。いつの間にそこに至りやがった…、つくづくお前は勝手だ。里の者に手を出していたら…。」
「そう焦るな。話は終わっていない。お前たちが俺からの餞別を受け取ろうが受け取るまいがどうだっていいんだが、兼ねてから開発していた時空転移魔術、転生魔術ともいえるか、それが完成してな。簡単に言えば、俺はこの世界から消える。そしてお前たちが死んだ後の世界、つまり未来へ時空転移する。魔力が多すぎて最早俺自身でも俺を殺すことも、封印することもできぬ身、お前たちの前から消えるにはこれしかない。俺は今、決戦の平原のかつての衝突地帯にいる。そこで時空転移魔術を発動させるから、お前たちで確認してくれ。」
その言葉に青眼と緑眼は唖然とするしかなかった。最大の脅威が本当の意味で殺すことも、封じることもできなくなっていた事実もそうだが、何より時空転移魔術を発動させるという突拍子もない話が信じられなかった。
「最後になったが…。俺はお前たちがこれから作り上げる歴史を、向こうの世界で噛み締めたい。どこの馬の骨かも分からぬ者がつくった歴史ではなくてな。だが、今のままでは誰が誰だか分からぬ。喜ばしいだろうが、俺とは今生の別れになるんだ。お前たち自身で呼び名をつけてくれないだろうか。」
この世界には名前の文化がなく、大抵は身体的特徴や住居周辺の環境に由来する呼び方を互いにする。もともとは名前の文化があったのだが、戦乱の世であまりにも人が死にすぎ、逐一名前をつけて情が湧くくらいなら、つけないようにしようという流れに自然となったのである。
「自分でつけるのかい。それじゃあ忌み名になっちゃうじゃないか。せめて人につけてもらわないと。」
「赤眼、俺はお前が憎いが、馬鹿ではない。お前に呼び名をもらったとなれば、俺にも箔がつく。お前がつけろ。ただし、本当にお前がこの世から消えるというのであればな。後日お前の言ったところには確認へゆこう。確認がとれ次第、名を使わせてもらおう。」
「では、青眼、お前はカイザーだ。緑、お前はユリウスだ。そして俺は…、クローディアだ。」
クローディアは自ら名をつけた。この世界で、自ら名をつけることは縁起が悪いとされている。いつ戦で死ぬか分からぬ世で、自ら名前をつけた者は早死にする信じられているからだ。
「へえ、カイザーか。いいよ、これからはカイザーを名乗るよ。クローディア、自ら忌み名をつけることにこれっぽっちも臆さないなんて、いかにも君らしいね。君とは本当に色々あったし、こんなに骨の折れる相手はいなかったけど、これでお別れだね。」
クローディアにカイザーと名付けられた青眼は、ため息をつきながら感慨深げにそう言った。
ユリウスは何も言わない。
「もう二度と会うことはないだろう。ユリウス、カイザー、長きにわたって迷惑をかけたな。すまなかった。」
クローディアは深々と頭を下げ、ホログラムへ魔力を通すことをやめた。