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 部屋に戻ってもまるで眠れなかった。

 あのことがジークにばれたらどうなるのだろうという恐怖と、そして自己嫌悪。

 なぜか、話ができる相手だと思ってしまった。

 あのとき、わたしは寛いでしまった。気を許してしまった。

 脅迫するような男だというのに。わかっていたはずなのに。

 どれだけ愚かなのだと自分を責め続けた。



 うつらうつらとできたのは、夜がしらじらと明け始めた頃のことだった。

 次に意識が浮上したのは、日がすっかり昇りきったあと。

「シャーロット様。もうすぐ昼でございますが……ご加減がお悪いのでしょうか?」

 あれ?

 なにか違和感があった。

 その正体を知ったわたしは、一気に目が覚めた。え、どうして!?

「──あ、あなた、どなた?」

 わたしに起床を促す声が、アイリスのものではなかった。見たことのない女性だったのだ。

 アイリスは昨日様子がおかしかったけれど、病気でもしたのだろうか? と思ったわたしに告げられたのは驚愕の一言だった。

「私は、モリーと申します。アイリスは昨日で解雇されましたよ? シャーロット様の不興を買ったと……お聞きしていたのですが」

 違うのでしょうか? 小声でつぶやいたモリーは不安そうに目をかげらせた。

「殿下のところへ参ります」

 モリーは「お約束がまだでございます!」と猛反対した。だが、取り合わずに自分で着替えてしまうと、わたしは部屋を飛び出した。



「あ、あの……ジーク様。お聞きしたいことが!」

 息急き切ってジークの部屋に飛び込む。衛兵が「本日は、まだお休みになられております」と必死の形相で止めたけれど、わたしは妻です。と言い張って強引に入った。

 そして聞いていたというのに、本当に寝台にいるジークを見つけてぎょっとする。夫婦だけれど夫婦生活がないためか、彼が妙に色っぽく見えてしまったのだ。

 薄い寝間着は彼の体の線を顕にしていた。肩や腕にはしっかりと筋肉がついている。はだけた寝間着から覗く鎖骨に目が留まると、なにか強い酒に酔ったような心地がした。

「……どうした?」

 わたしが見惚れる一方、寝台の上から起き上がったジークは、寝起きのせいか驚くほどに冷たい声だった。

 はっとしてここにやってきた目的を思い出す。

 抗議など初めてだ。

 反応が怖かったけれど、こればかりは叱られても言わねばと思った。

「アイリスをどうして解雇なさったのです!」

 ジークはしばしぼんやりと視線をさまよわせたあと、合点がいったように「あぁ、君の侍女のことか」とうなずいた。

 けだるげな青の瞳はどこか凶暴さをはらんでいる。いつもの顔が仮面なのではないか、そんな考えが浮かび上がる。

「君の体調を管理できなかったからだよ?」

 そして不思議そうに首を傾げたあと、「とにかく、部屋に戻りなさい。これ以上話すことはない」と勝手に話を終わらせようとする。

「いいえ、戻りませんわ! お話は終わっておりません!」

「どうしたんだ、大声など君らしくない。男の部屋を自分から訪ねるのも、はしたないことだ」

 ジークは戸惑った様子だった。わたしがいつもと違いすぎるからなのだろう。

 はしたない──という言葉に怯みそうだったけれど、ここは譲れないと思った。

 誤解を解かねばならない。アイリスは申し分のない侍女だった!

「昨日きちんとお伝えしました。あれはわたしの不注意ですし、そもそも見ていただければおわかりの通り、体調は崩しておりません! わたしは元気ですわ!」

「シャーロット」

 制するように静かに名を呼ばれる。圧を感じたわたしは口をつぐむ。

「僕はね、アイリスに『君に不注意なことをさせた』のを咎めたんだ」

「……それは、一体、どういう……」

 意味がじわじわと理解できると同時にわたしは青ざめた。

 それは、つまり、わたしへの見せしめということなのだろうか?

「わかったかい?」

 ジークはいつもどおりに微笑んだけれど、とてもじゃないが、わたしは微笑み返すことができなかった。



 思いかえせば、兆候はあった気がする。

 棘のない薔薇。埃一つない部屋。曇りのない窓。雑草の一つも生えず、虫一匹いない庭園。

 この城と同じように、この城の主は完璧すぎるのだった。少しの陰りも許されない。

 もしかしたら、『聖女』という肩書きを彼は愛しているだけなのかもしれない──わたしは身震いした。

 ジークは、理想の妃として完璧な振る舞いができる女をもとめていた?

 今までのわたしは、それを演じられていたから、だから彼はわたしを大事にしてくれていたのかもしれない。いや、わたしが本当に理想の妃なのかどうかを確かめていたのかもしれない。

 じゃあ、今は? 本性を見せてしまったあとは、わたしも解雇されてしまうのだろうか。アイリスのように?

 目の前が真っ暗になっていく。

 わたしの取れる手段は二つに一つ。彼の求める理想の妃を演じ続けるか。それとも妃を首になって国に帰るか。

 だけど……わたしには演じる自信もないし、首になったら、セルディアは、そしてエリミアどうなるのだろう? また水を求めて諍うのだろうか?

 どうすればいいの。教えて、誰か。

 そう思ったとき、なぜかギルバートの笑顔が頭の中に浮かんだ。

 自分でもそのことにびっくりする。と同時に、いつしかとっぷりと夜が更けてしまっていることに気がついた。

「あ、約束……」

 ふらふらと引き寄せられるように扉に手をかけたわたしは、おや? と首をかしげた。

 扉が開かなかった。

「え?」

 昨日は普通に開いたというのに……まさか。外側から鍵!?

 こんなことを指示できるのは一人しかいなかった。

 ジークの不穏な言葉と表情が頭をよぎった。

 彼はわたしの本性を知り、行動を制限することにしたのだろうか。

 ぞっとする。空気を失ったかのように息が詰まる。




 閉じ込められると逃げ出したくなるのは人の本能かもしれない。

 わたしは自由を求めてバルコニーへの扉を開けた。こちらは鍵は内側からかけるものだから、外には簡単に出られた。ほっとするとようやく息ができるようになった。

 ただ、部屋は二階だ。

 手すりから下を見ると高さは結構ある。だが、手が届く場所に樹木が枝をのばしていた。行けるだろうか?

 戸惑ったのも一瞬。田舎では木登りくらいやっていた。うん、行ける!

 思い切って手を伸ばしたとき、「ロッティ! やめとけ!」という声にわたしは動きを止めた。

 見慣れた顔。昼間は恐ろしいまでと思った顔だった。

 だけど、今、その表情は柔らかく、いたずらっぽい光をたたえているのは赤い瞳だ。ほっとして涙が出そうになる。

 ギルバートが木をよじ登って来ていたのだ。

 彼は難なく木をよじ登ると、手すりに手をかけようとした。わたしは思わず彼に向かって手を伸ばす。

 と同時に枝がみしりと嫌な音を立て、「ギル! 危ない!」わたしはギルバートの腕にしがみつく。

 彼は片手で手すりにぶら下がっていたが、すぐに体勢を整えてバルコニーへと降り立った。見かけより、ずっと力が強いみたいだった。

 だが、

「──つっ」

 ギルバートは右手を月明かりにかざす。その手に細い傷が入っている。木を登った時に引っ掛けたのかもしれない。

「だ、大丈夫!?」

「あぁ、こんなのなめときゃ治る」

 だけど放っておけなくて、わたしは彼の手を掴んで傷口にハンカチを巻く。そうしながら問いかけた。

「どうして、ここに……」

「庭に来ないから」

「行かないって言ったわ」

「じゃあ、どうして飛び降りようとしてた?」

「……と、飛び降りようとなんかしてない……し」

「実は、俺に会いたかった?」

 わたしは言葉に詰まる。逃げ出そうとしたとき、逃げ場所として浮かんだのは確かにこの顔、そして彼の庭だった。

「図星なわけ?」

 にっと笑われるが、その笑顔にホッとしてしまう。作りものでない、笑顔に。

「…………」

 黙り込んでいると、彼は笑うのをやめた。

「なにがあった?」

「……部屋に閉じ込められたの。鍵がかかっていて」

「え? あいつのせい? そこまでやるの?」

「それに……侍女が、やめさせられてっ……管理不足だって……わたしのせいなのに!」

 声に涙がまじる。誰かに相談したかった。怖くて仕方がなかった。

「……わたしが、最初に外に出なかったら……」

 そう口にするけれど、本当にあのとき外に出なければ、こんなことにはならなかったのだろうか?

 わからなかった。

「そっか……ごめん、そもそもは俺のせいだな」

 聞き終わると、ギルバートはわたしの体にそっと手を回した。触れるか触れないかの優しいハグをくれる。

 そして、彼はわたしの手を掴むとなにか柔らかいものを握らせる。驚いて見下ろすとそれはシロツメクサで作った花束だった。

 懐かしさと嬉しさが入り混じった感情が突き上げてくる。

 たぶん、わたしがほしいのは、ジークに求めているのは、こういう温かさなのだ。

 どうしてジークでなくて、ギルバートがそれをくれるのだろう。

 言葉にならなくてわたしはただ泣いた。

 そんなわたしの背をギルバートは優しくなで続けてくれた。

「あいつ、潔癖なんだよな。理想から少しでも外れると排除する。昔からずっとそうだったけど、どんどんひどくなって。でも……そうなってもしょうがないっていうか」

「しょうがないって……?」

「最初の原因はあいつの父親」

「ジーク様の?」

 ギルバートの父親ではないのだろうか? と不思議に思ったけれど、聞かれたくないのだろうか、彼はそこに触れずに話を続けた。

「母親をないがしろにし続けてな。権力者、色を好むってやつ。手当たり次第に女に手を付けた」

「……」

 エリミアはセルディアと同じく、一夫一妻制だ。だが、セルディアでも言えることだが、婚外の男女関係がないわけではない。ただしそれは密やかに行われるのが最低限のマナーだとされている。

 ふと、ギルバートがジークにそっくりな理由、そして彼が国外に知らされていない理由がそのあたりにあるのかもしれない……と思う。

「あいつの母親は、それを苦にして心を病んだ──そしてあいつも同じく、だ」

 エリミアの前王と王妃はどちらももう亡くなっている。

 ジークが若き王であるのもそれが理由だ。

「もしかして……だから……女性に嫌悪感がある……とか?」

「女性に、じゃないな。自分の中の”そういう欲求”を憎んでるって言ったほうが正しいかもな。汚らわしいって言ってるのを聞いたことがある」

 汚らわしい……。

 凄まじい響きにわたしは青ざめた。だから、彼はわたしに触れようとしないのか。

「……じゃあ……どうして、結婚を」

「王族の義務だから。……それから」

「それから?」

 ギルバートは少し考えたあと、空を見上げた。わたしもつられて見上げると、丸く太った月が柔らかな光を落としていた。

「満月は明日だな。だから、明日には……」

 彼はそこで言葉を切った。

「あいつは、どんな手段を使ってでも消してしまいたいんだろうな、完璧ではない自分を」

 ギルバートは独り言を言うようにつぶやいた。

「消す?」

 物騒な言葉だ。問いかけたけれど、ギルバートは物憂げな顔をするだけだった。その横顔がひどく悲しそうでわたしまで悲しくなった。

「完璧って何かしらね。欠点なんてだれだってあって当然なのに」

「だな。俺なんて、欠点の塊だし」

「そんなことないわよ。あなたは……だって、優しい」

「あんたを脅迫するような男だけど?」

 顎に指を伸ばされる。だけど恐怖は嘘みたいになかった。わたしは手に持っていたシロツメクサを彼の唇に押し付ける。

「これ、嬉しかったの、本当に」

「……ただの雑草だろ」

「それでもわたしがこの花が好きだって知っていたんでしょ? だからあの庭を見せてくれた」

「…………」

「それに、ペンダントを絶対受け取ってくれなかったもの。わたしが……大事にしてるっていうのも、知っていたんでしょう?」

 あれはとても価値がつくものではないけれど、国から持ってきた唯一のもの。小さい頃からの思い出が詰まった宝物だったのだ。

 ある程度の確信を持って言うと、

「──あんな物もらってもしょうがないだろ」

 彼はわずかに照れた様子で髪をかき上げる。

 その様子を見ていると、心が温かくなってくるのがわかった。

 久々に心の底から笑いたいような、そんな幸せな気分。ああ、わたし、ずっとこうしていたいな……。

「っていうか、その、小さな子供を見るような目はやめろ──俺が男だって思い出させてやろうか?」

「きゃっ」

 両手が頬に添えられ、上向かせられる。近くで赤い瞳に真っ直ぐに見つめられ、わたしはぎゅっと胸が締め付けられるような心地になった。

 ギルバートも食い入るようにわたしを見つめてくる。赤い目が燃えさかる炎のようで、綺麗で、目が離せない。

 だけど同時に胸が苦しくて見つめていられなくて、目を伏せる。

 直後、唇が激しく重ねられる。

 一気に口づけが深まり、息まで奪われる。だけど、わたしの体は抵抗を忘れ、それどころか彼の首に手を回して貪欲に彼を欲した。

 どれだけの間そうしていただろうか。

 バルコニーの床に背中が押し付けられて、わたしははっと我に返った。

 青ざめて跳ね起きる。

 ……わたし、わたし、今、何を──。

「わ、わたし……戻るわ」

 体が震える。

 どういうこと? わたし、どうして、彼を拒まなかった!?

「……あぁ。じゃあな」

 彼は引き止めない。

 だけど、引き止めて、ほしい。そんな気持ちが湧き上がり、わたしは自分で自分を殴りたくなった。

 わたし、まさか。

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