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 どうしてかしら。どうして、わたし──。

 ベッドの上で膝を抱えた。

 夜の訪れがないことを尋ねるには良い機会だったと思うのだ。あんなふうに何でも言ってくれと言ってくれたのだから。

 だけど、彼の目を見ていると、聞いてはいけないことのように感じたのだ。彼は何でも、と言ったけれど、『そこ』に触れると全てが壊れるような。踏み込んではいけない一歩のように思えたのだった。

 


 やがて夜が更ける。

 部屋には明かりが入れられるけれど、相変わらずジークの訪れはなかった。

 アイリスがわたしの髪を丁寧にすいてくれる。いつジークが訪ねてきても良いようにわたしの身なりを整えてくれる。

 ふと気づく。部屋付きの侍女である彼女は、ジークの訪れがないことを知っているはず。どう思っているのか聞いてみたい。できれば……相談したい、と思った。

「アイリス。あのね、ジーク様のことなんだけど……夜はどう過ごされているのか知っている?」

 割と勇気のいる質問で、最後の方は小声になった。ないとは思うけれど、他の女性のところに行っているなどと言われたら立ち直れない。

 愛妾の存在は聞いていない。けれど、そういうことはおおっぴらにはされないものだ。

 暫し待つが、返答はない。寝具を整えているアイリスはどこか上の空。目はうつろで、なにか小声で独り言を言っている。

「アイリス……?」

「……あ、申し訳ありません。えっと、陛下が、何でございましょうか!?」

 どうやら、今日の相談は無理みたいだ。なぜかアイリスはひどく疲れている。それにもう一度聞く勇気がない。

「…………なんでもないわ。下がって大丈夫よ。今日も一日ありがとうね」

 いつもどおりに告げるとアイリスは一瞬顔を苦しげに歪ませた。

「シャーロット、さま……。あの、陛下のことですが……」

「え、なに?」

 わたしは身を乗り出す。

 だが、廊下の方でとん、と小さな音がした途端、彼女はビクリと固まった。

「……アイリス、聞かせて?」

 わたしは促すけれど、アイリスは一気に青ざめて口元に手を当てた。

「アイリス!? 大丈夫!?」

 わたしが思わず背を撫でると、彼女は恐縮して飛び退いた。

「いえ、なんでもございません。申し訳ありません、少々疲れておりまして……おやすみなさいませ」

 と深々とお辞儀をし、逃げるように出ていった。

 アイリスが退出すると、部屋は静まり返った。

 わたしは相談者を失い、途方に暮れる。

 一体、さっき彼女が言いかけたのは何だったのだろう? 

 彼女は陛下が──と口にした。ジークが、何? 気になって仕方がない。

「……どうしよう……」

 しばらく考えたけれど、答えは出ない。明日は聞かせてもらえるといいのだけれど。

 風ががたりと窓を揺らした。わたしははっと我に返り外を見る。とっぷりと更けた夜空に十四夜の月が浮かんでいた。

 あぁ、時間だわ。

 約束を思い出したわたしの頭にギルバートの顔が浮かんだ。

 ジークと同じ顔だと言うのに、表情が全く違うせいで印象も違った。

 ……ギルバートは一体何者なのだろう?

 ジークには兄弟がいないと聞いていたから、彼は国外には知らされていない王子だということになる。

 セルディアでも昔、双子は忌むべきものだと言われていた。エリミアにはかつての古い慣習が残っているのかもしれない。

 だけど……。なんとなく腑に落ちない。

 ジークは大人で、誠実で、清廉で、潔癖。ギルバートはどこか子供っぽくて、ずるくて、そしてずいぶん女性の扱いにも慣れている感じがした。

 あそこまで正反対になるのだろうか?

 ごおおお、と再び風が唸った。窓がノックされているかのよう。

「……時間だわ」

 無視しちゃおうかしら……。そう思ったとたん、


『来ないと、あいつにバラすよ?』


 耳元で囁かれたような気がしてわたしは後ろを振り返る。だけど誰もいない。空耳だろうか。

 ──あのキスがばれてしまうのが怖すぎるから? 

 だから、そんな幻聴が聞こえたのかもしれない。

 ならば、お願いするのだ。だまっていて、と。

 ジークとギルバート、あれだけそっくりなのだから、二人はおそらくは兄弟なのだと思う。諍いなど起こしてよいはずがない。ギルバートにとっても知られたらいけないことに決まっているのだから。




「や、約束通り、来たわよ?」

 昨夜と同じ要領で、皆が寝静まった頃合いを見て、わたしは庭へと足を向けた。

 庭の石畳の上には塵一つ落ちていなかった。虫の音もしない。噴水の水音だけが響く、寒々とした景色。

「ほんとに来たんだ? あ、今日はちゃんとドレスを着てる」

 白い薔薇の陰から現れたギルバートはくすりと笑う。さすがに今日は寝間着ではない。あんな失態はもう犯さない。

「来るに決まってるでしょ。あの脅迫はひどすぎると思うわ。あんな風に脅すなんて」

「あんな風?」

 にやりと笑われて、わたしはひるむ。

「わ、わたし、に」

 キスするなんて。恥ずかしさでとても言えない。自分でも真っ赤になっているのがわかる。

「…………」

 わたしが黙ると、ギルバートは樹木の間に潜り込んだ。おいでと身振りで呼ばれてついていくと、中がぽっかり空洞になっていて驚く。

「ここなら人目につきにくい」

 心地よい風が足もをと流れている。芝の上に座るとそれはわたしの髪をふわりと舞いあげた。

 ギルバートは何も言わずにそのままごろんと寝転ぶ。

 隣に座り込むと、彼の手にペンダントを握らせた。

「これだけじゃ足りないってわかってるけど、わたしのって純粋に言える持ち物はこれしかないの……受け取って。お願いだから、あのことは誰にも言わないで。どんなことになるかわかるでしょう? あなたも罰せられるに決まってる」

 だが、またもやペンダントを突き返される。

「要らないって。それに、そんな面白くない話はいいから。ちょっとつきあえよ」

 ぽんぽん、と地面を叩かれ、仕方なくわたしも彼に倣う。

 そして目を見開く。頭上には星空があった。草のにおいが鼻をくすぐった。大地の暖かさが体にしみこむとまるで抱きしめられているようで。懐かしさが急激にわき上がった。不安、恐怖も相まって、抑えていた感情がじわりとあふれ出す。

 鼻の奥がつんとしたとたん、「なかなか、いい眺めだろ?」という言葉とともにギルバートの顔が目の前に現れた。

 わたしは慌てて目元をぬぐう。

「──泣いてるのか?」

「泣いてないわ」

「泣いてるし」

「……誰のせいよ!」

「俺のせい。半分くらいは」

「開き直らないで」

 反省の色がまるで見られずに、呆れてしまう。だけど、泣いて怒ったらなんだか胸が軽くなった気がした。

 ギルバートはこちらに体を向けると、わたしの顔を覗き込んで言った。

「じゃあ、お詫びに、悩みの残り半分聞いてやるよ」

 優しい言葉に、思わずほろりとなる。

 誰があなたなんかに──と頭の半分で思いつつも、口からこぼれ出たのは弱音混じりの言葉だった。ずっと、誰かに聞いてもらいたかったのだ。

「……わたし、結婚する前は、ソールの花嫁というお役目を与えられていたの」

「ソールの……?」

「ええ。光神ソール。神殿は山と森と川と湖しかない──だけど、本当にすてきな場所にあったわ」

 目を閉じると、鮮やかに蘇る。力強い森の濃い緑。磨かれた宝玉のような淡い色の草原。風の青く澄んだ匂い。鳥の声や虫の羽音。全身を包み込むようなひだまり。

 ここにはないものばかり──

 そんな声が聞こえたかのようにギルバートは問いかけた。

「ここの庭は気に入らない? 国一番の庭園だってあいつが誇りに思うだけのことはあるとは思うんだけどな」

 わたしは星空を額のように彩る薔薇を見つめた。この星空は美しいけれど、人の手が入りすぎているのだ。

「……ここの庭は本当に美しいわ。だけど、空は城壁で切り取られているし、ここの花には、自分の意思で咲くあの花たちの力強さがない」

「意思? 草花に?」

「少なくともわたしは感じてたわ。風に乗って一斉に綿毛を開いて遠くに種を飛ばす草花、鳥に運んでもらうために、好みの色と味を作り出す果樹。みんな生きるために知恵をつけていた」

 ギルバートは感心したように言った。

「ふうん、あんた、単なる世間知らずかと思ってたけど……ずいぶん面白い物の見方をしていたんだな」

 わたしは小さく首を横に振る。

 だってわたしはやっぱり世間知らずだ。

 こんな場所、わたしの世界の中には存在しなかった。

 ふと思った。そうだ、ずっと感じていたこと。──あの人・・・から受ける印象に似ている。

「このお城はジーク様に似ている。完璧で隙がない。素晴らしいと思うのだけれど、わたし、いつも不安でしょうがないの。ここにいるわたしは異物のようで、落ち着かない」

 不意にギルバートはわたしの手をとった。驚いて引っ込めようとしたが、彼はわたしの手を離さない。

「離して!」

「見せたいものがある」

 彼はふっと口元を緩める。その笑顔があまりにも綺麗で、優しくて。わたしは抵抗を一瞬緩めた。

 ギルバートは手を離し「ついて来いよ」と踵を返す。

 月が青く照らす庭園をぐるりと歩くと、彼は垣根につけられた小さな扉の前で止まった。注意深く見ないと見逃してしまうような、バラのつるで覆われた扉。

 小さな鍵を出すと彼は扉を開く。

 わたしは目を見張った。

 雑草と呼ばれる小さな花々が所狭しと根を張っていた。スミレにシロツメクサにタンポポ。ナズナにカタバミ。紫、白、黄色……色とりどりの小さな花が思うがままに咲き誇っていた。

 虫の羽音も聞こえる。肥えた土の匂いがする。懐かしさにわたしの目から涙が一粒こぼれる。

「ここは俺の庭。あいつがいらないって捨てたものをこっそり拾って作った」

「……ジークが捨てたもの?」

「あいつは自分の弱さを人には絶対見せたくないだけなんだ。だから、こんなふうに見えないところに隠す」

 かばうような言葉を、わたしは意外に思った。

「ギルバートは」

「ギルでいい。──ロッティ」

 な、なんで愛称呼び!? 親しみを込められて戸惑う。だが有無を言わせない雰囲気にわたしはしかたなく呼び替えた。

「ギル、は、ジークのことが好きなのね?」

「――あいつは俺のことを殺したいくらいに嫌っているけどな」

 物騒な言葉と沈んだ声に顔を上げる。ギルバートの顔は虚無感に覆われていた。

 かわいそうになる。好きな人に嫌われる──いや、受け入れられないというやるせなさは、わたしにもわかる。

「わたしが、仲裁しようか?」

「やめとけ。っていうか俺の名前は絶対出すな。こじれるに決まってるからな」

 そう言うと、ギルバートはぐい、と伸びをした。シャツの下の伸びやかな体の線が顕になり、わたしはどきりとする。

「さて、と。そろそろ見回りが来る時間だ。面倒なことになる前にあんたも部屋に帰れ」

 にやりと笑ったギルバートは、わたしのあごを持ちあげた。

「悪い男に食われたくなければな?」

「ひゃっ」

 わたしは慌てて飛び退く。

 そうだ! なんでわたしこんなにほだされてるの! 

 話しているうちに、警戒心を失っていたことに自分で驚いてしまう。

 どうかしてる。この男は、つい昨日、わたしに、キスをしたのだ!

 瞬く間に顔が赤くなるのがわかった。

 その様子を見てギルバートはクツクツと笑う。からかわれた! わたしが憤慨すると、さらに笑いが加速した。

「も、もう帰るわ!」

 踵を返す。

「ごめんごめん、あんまりあんたがかわいいからさ」

 わたしは硬直した。初めて言われた言葉に──ジークにさえ言われたことのない言葉に──顔に血が集まってくるのがわかる。

 ぽん、と肩に手が乗せられて飛び上がりそうになる。

「さ、触らないで! わたしはジーク様の妻です! だから……あなたとはもう会えません!」

 はっきりと拒絶すると、心のどこかがチクリと痛んだ。

 だが、構わず彼はわたしの腰を後ろから抱きしめた。ぎょっとして顔を上げる。

「!?」

 上を向いたのにあるはずの星空が見えなかった。唇が、ふさがれている。そうと気がついたのは、彼が顔を浮かせ、陰鬱な光を湛えた赤い目が満足げに緩んでからだった。

 細めた目のあまりの色気に、ぞわり、と鳥肌が立つのがわかった。 

「……これでまた秘密が増えたな。全部知ったら、あいつどうするかな」

 歪んだ笑みに言葉を失う。ギルバートは夜の闇へと消えていく。

 じゃあ、また、明日。ここで。

 と呪いのような言葉と、小さな鍵を残して。



 一体何なのだろう。少し前まで普通の──あどけないくらいの男の子の顔で、普通に話をしていたというのに、あの豹変ぶりは……。

 震えが足下から上がってきた。耐えきれずに座り込む。

 額へのキスが唇へのキスへと悪化した。じゃあ次は──?

 わたしは、これから彼にいったいどこまで搾取されていくのだろう。予想したとたん怖くなった。

 それにあの言葉。

『知ったら、あいつどうするかな』

 ギルバートはジークのことが好きじゃないのだろうか? あの顔と言葉には愛情だけでない、なにか、歪んだ感情が表れていた気がするのだ。

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