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 夜の中庭は昼とは違い、静まり返っていた。

「ええと、ジーク様のお部屋は……」

 会いに来てくれないのならば、こちらから行けばいい。何か事情があるにせよ、せめて顔を見たい。少しでも距離を埋めたいと願った。

 彼の部屋は西側の建物にあるはずだ。城内だと見張りも多いけれど、中庭からなら多少近づきやすいはず。

 中央にある円形の噴水を中心に、何重にも囲むように薔薇が植えられている。一つ一つの樹木がわたしの背の高さほどまであるため、ちょっとした迷路のよう。

 星で方角を確かめながら歩く。

 赤い薔薇、白い薔薇、ピンクの薔薇。それぞれの香りは似ているようでまるで違う。

 昼間ジークとここを歩いたとき、彼が自慢の庭だと話していたことを思い出す。

 あなたに、と、華麗なピンクのオールドローズを贈ってくれた。渡す前にトゲを綺麗に取って。わたしが傷つかないように、と。

 優しい、素敵な方なのだ。本当に。

 だけど。

 わたしは、多分、大輪の花が似合うような娘ではない。並ぶと花に負けてしまう。わたしに似合うのは多分……。

 ぐるりと見回して花を探すけれど、庭には薔薇以外の花が見当たらなかった。

 ふと目に入った薔薇はアーチを作るための蔓薔薇だった。小ぶりだが香りの強い花は次から次へと咲き誇る。剪定されているというのに、すでにあちこちから新しい芽が顔を出していた。

 どこまでも枝を伸ばしていきそうな力強さに惹かれ、手を伸ばしたときだった。

 茂みの反対側から声がした。

「おい……こんな夜に何やってんだ」

 思わず手を引っ込める。と同時にあれ? と首をかしげる。え、この声──でも、まさか。

 ──ジーク様!?

 わたしの考えを肯定するかのように、月明かりに白金の髪が輝いた。

 もしかしたら、願いが届いた!?

 と思った次の瞬間だった。

 え?

 わたしは芝の敷かれた地面に押し倒されていたのだ。

 え、あれ? あれれ? 確かに求めていた展開だったけれど、これはいくらら何でも性急すぎません!?

「じ、ジークさま?」

 首すじに唇が触れて、我慢できずに戸惑いの声を上げると、とんでもない返事が返ってきた。

「ジーク? あんた、だれだ?」

「えっ、誰って──」

 彼は不思議そうにこちらを見下ろしている。それはとても夫が妻に向ける視線ではなかった。

 わたしは目をしばたたかせて彼を見つめた。

 さらさらの白金の髪。きりりと凛々しい眉。聡明さをたたえた切れ長の目。通った高い鼻に、意志の強そうな唇。広い肩幅に、しっかりとした胸、しなやかな長い手足。どこもかしこもジークと同じ姿。だけど決定的な違いがあった。

 目の色だけが違う。

 ジークの目は青。だけどこの人の目は夜でもわかる赤色──血の色だ。つまり別人。

「えっ、ちがう? ジーク様じゃない……?」

 だとしても、これは、あまりにも似すぎている。

「もしかして、双子……」

 という声にかぶせるように彼は「あぁ、そっか、あんた──」と遮り、にやり、と笑った。

「はじめまして、セルディアのお姫さま。俺は、ギルバート。あいつの弟みたいなもん。そうか……結婚するとは聞いてたけど、あいつがこんな夜中に寝間着で散歩するようなおてんばを妃にねえ」

 楽しげに笑われて、わたしは慌てた。そうだった、寝間着だ! こんな夜更けなら誰にも会わないと思ってたし、それに、神殿にいるときは誰の目も気にせずにいられたから……うっかりしてた! うっかりしすぎ!!

 慌てて布をかき合わせながらも「こ、これは寝間着ではありませんわ!」と言い張るが、相手はクスクスと笑って「んなわけあるか。そんな薄くて……男を誘うような服」と、ごまかされてくれない。

 さっき受けた口づけが蘇り、かっと首すじが熱を持った。

 よく考えると、わ、わたし、とんでもないことをしてしまった……!?

「だ、黙っていてくださいませんか! もしジーク様に嫌われて破談になったら……最悪、戦になります!」

「って、今、心配するのそこじゃねーだろ。あんた、今、どういう状況なのかわかってる?」

 ギルバートはやや呆れた声を出した。

 白金の前髪がわたしの額をサラリと撫でてはっとする。

 あああ! まだ押し倒されたまま!

「は、離してください!」

 腕の中でジタバタしはじめると、彼はひどく愉快そうに笑った。

 そして彼はわたしを解放して立ち上がる。そして面白そうになにか考え込んだあと、

「そうだな。黙ってやってもいいけど……じゃあ口止め料くれる?」

「口止め料……といわれても、わたし、自分で自由にできるような金品を持っていないのです」

 神殿での暮らしは慎ましいものだったが、必要なものはすべて揃っていて、金品が要らなかったのだ。

 しかも今は就寝のための寝間着。髪飾りも耳飾りも外している。あったとしても、ジークにプレゼントしてもらったもの。とてもじゃないが渡せない。

 悩んでいると、彼は言った。

「俺、今、目の前の獲物をどうしようか悩んでて。つまり、欲求不満なわけ。あんたもだろ?」

「よ、欲求不満なんかじゃありませんし!」

「さっき、喜んで押し倒されてたし」

「あれはあなたがジーク様だと思ったから!」

「あんた、あいつに手、出してもらえてないんだろ?」

「な!? ──なんでそんなことご存知なんです!?」

 仰天する。だが彼は笑うだけで答えずに言った。

「だからキス一つで手を打たない?」

 甘い毒を孕んだ眼差しにわたしの心臓が凄まじい音をたてる。

「──き、キス!?」

 あごに手を絡められてわたしは慌てて飛び退く。

「それはだめです! わたしはジーク様の妃ですから! さっきご自分でもおっしゃったではないですか!?」

 何を考えているんですか! と叫びたかった。

 早く何か代わりのものを──と考えたわたしはふとひらめいた。高価ではないけれど、身につけているものを思い出したのだ。

「あ! 代わりと言っては何ですけれど……」

 わたしは首にかけていた細い鎖の金具を外す。

「これを」

 それは乳白色の名もない石のペンダントだ。神殿を作っている大理石に似た白い石で、だけど、大理石よりも硬度と透明度が高い。多分宝石の一種だとは思う。

 受け取ったギルバートは月の光に石をかざした。

「月の石……か?」

「名は知らないのです。けれど、わたしの故郷ではよく見かける石で……」

 大事な物だ。わたしは一瞬ぎゅっとそれを握りしめた。でも、貞操の方が大事だから。

「受け取ってください。キスはできません。わたし、これでも身持ちは堅いのです。夫以外との接触なんてとんでもありません!」

「説得力が全くないなあ。夫と他の男との判別もつかないのに」

 ニヤニヤ笑われてうっとわたしは言葉に詰まる。胸の前の布をぎゅっと押さえていると、ギルバートはふっとほほえむ。愛しいものを見るような目は……まるでいつものジークのようで、どきりとする。

 わたし、まるで、ジークと、夜のデートをしているみたい。

 そう思ってぼうっとしていると、不意にギルバートの顔が陰った。

「……これは要らない」

 急に消えた笑顔に戸惑っていると、ペンダントを手のひらに載せられる。

「え、でも、黙っていてもらえるのですか?」

「代わりのものをもらう」

 彼がすばやく身をかがめると同時に、唇が額に触れた。

 えっ!?

 仰天して固まっている間に、

「明日の夜、またここに来てよ。そしたら全部黙っててやるよ」

 つややかに笑ったあと、ギルバートは煙が消えるかのように消えた。

 わたしは何が起こったのか理解できず、額を押さえたまま呆然と暗闇を見つめていた。

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