第三章
これは知り合いの話なんだけど――そうことわって自分の話をする人は多い。照れ隠しや謙遜といった要素も大いにあるけれど、知り合いという漠然とした存在に自分を稀釈することによって、事実自体を浮かび上がらせることができるから、時と場合によっては有効だ。でも自分が薄まってしまうので、その肉感性は乏しくて、主体性がないため、聞き手はその話を真実だとは思いづらい。話し手自体、それを望んでいるといったことが多い。そして聞き手にとってそうあることは楽でもある。
彼女もよく知り合いの話をする人物であった。友達の話が多かった。知り合った頃、自分のない人だなぁ、などと思ったりもしたものだ。彼女の主体性とは友達や知り合いの話にこそあり、それらは分霊のようなものだ、彼女の魂のありかはそれら全てなのだと理解するのにそう時間はかからなかったけれど。
よく友人の話をする人だけあって交友関係は広かった。私自身、何人か紹介された。大学で熱気球を飛ばしているんだと自慢げに語る男や、リストカットがやめられないゴスロリの、ふくよかな女の子や九州からやってきた陽気過ぎる美容師。公園で鳩のエサをやることに生涯の意義を見出した元プロレーサー。同僚の先生をしつこく追い回した挙げ句クビになった気味の悪い人。河原に庵を結び、周囲の女子高生を占う謎のオババ。とかく美形であるにもかかわらず、出奔癖のせいで住所不定の無職の男。そして卒業後は洋裁学校に通いたいと漏らした無口な女の子。
そのうち殺し屋を名乗る男が登場しないものかとハラハラしていた。なにしろ彼女が話す知り合いは後に私も実際に会っている人であったりしたのだから。彼女は嘘つきでは決してなく、私はその豊富な人脈が頼もしくも怖くもあった。
彼女はとりわけ知り合いの恋の話を私に披露した。それを身振り手振り加えて話す様子は等身大の高校生を思わせて私を和ませた。彼女も普通の女の子なのだと分かると、なぜ私と付き合っているのかという謎も氷解し、別に気にするようなことではないのだと思うことができたのだ。
彼女は遊びの面においても普通そのものであった。学校帰りにサーティーワンアイスクリームを三段重ねにしてはしゃいだり、写りの良くないプリクラに腹を立て、何度も何度も筐体に硬貨を突っ込む姿は私の微笑を誘った。いつまでもこうして大笑いもせず、ただ微笑んでいたいものだという境地に私を到らせすらもした。そんな私を指して彼女はお年寄りみたい、と笑った。やたらと多い知り合いや友達とその話題が特殊なだけで、私に比べて彼女は模範的ともいえる程、女子高生だった。
私と彼女の関係は陰と陽に例えると分かりやすかったように思われる。正反対の性格であった方が二人という小さな括りでは上手くいくもので、それは私たちも例外でなかった。彼女の少々大袈裟な、誰かについての話を聞くのが私の役割で、そのことに特に不満はなかった。彼女のように人望の篤い人物の影になれることにむしろ満足していた。
私が影なのだから私の存在は彼女が照らすことによって現れる。私は彼女の話を聞くことによって、はじめてその姿が明らかになる。彼女もそのように私を必要としてくれたら、と願っていた。だけど影である私が彼女の存在を明らかにするようなことって――
「あんた本当にキャラ立ってるよね」。
私はことあるごとにミカコにこのように言われた。没個性だし、私はそんなことないと思うと返し、じゃあミカコのキャラってどうなんだろう? と問いかける。
「私は分からない。だってキャラなんて相手ごとにかえてナンボじゃない?」。
「ミカコは人によって顔、使い分けてるんだ」。
「ふつうやるんじゃない? だってダンシとジョシの前で態度違うなんてよくあるでしょ」。
「ミカコはそんな風に見えない」。
「ああそうかも。そういうコ嫌いだし。てかあんま自分のキャラって考えたことなかったかも。友達の話ばかりしてるからなのかなぁ」。私もそんなこと考えたことない、とミカコに言う。でも私はとにかく絵に描いたようなキャラであるとミカコは言う。あまり自分の話題にしたくないものの、今日はミカコ、私のことについて話したいんだなと思い、私のキャラについて聞く。
「おとなしめ系でよくいるじゃん。ドジでメガネなコとかそういうの。優等生。天然とかで。趣味は編み物とか。ああいうののイメージまんまだよね。まるちゃんに出てくるたまちゃんみたいな」。
「そうかな? でもたまちゃんってすごいかわいいと思うし、私と違うと思うけど」。
「は? 何度も言ってんじゃん。あんた充分かわいいって」。私は決して悪い気はしない。それというのも私もそのことに若干気づいていたからだ。気付かないフリをしていた。
「確かにこの前言ったよね。ジョシが女の子のことかわいいっていうのは大概大嘘だって。騙されちゃダメって。でもさ、私とあんたの場合は違うでしょ。正直にホンネで話せるから親友って言うんだし」。ミカコが親友と呼ぶのは私だけだった。他は友達で、その区別が私にはひどく嬉しかった。「あんた」というぶっきらぼうな呼び方も彼女なりの親しみの表現だったのだ。
「じゃあ今度ミカコケでメイク教えて。全然わからないできたから」。私たちは誰かの家のことを「ケ」と呼称していた。友人グループを一括りにする場合も「ケ」だ。
「教えるよー。でもあんま化粧とか必要ない気がすんだけどね。素材いいし?」。ミカコは私のほっぺたを両手で挟む。冷たい。気持ちいい。ひっと手のひらから逃げる私をミカコは笑う。私は顔を真っ赤にした。
放課後のお喋りはいつも楽しかった。私たちはあえて学校に残って、幽霊部員ばかりの放送部の部室で一緒に過ごすことが多かった。多かった、といっても私とミカコの場合だけで、ミカコは他にも大勢友達がいたので毎日そうしているわけにもいかなかった。週の大半は私以外の友達と遊び回っていたと思うのだ。
その私たちの部室にすけべな先生がやってきた。二人しか来ることのなかった放送部の部室に三人目がやってきた。
「お前ら、そんなとこで俺が喜びそうなことやってないで、外ですけべしてこい」。すけべな先生は私たちにそう言うのであった。だから私たちは女子校特有の潔癖と不潔の間の意識で「すけべせんせえ」と鴻上先生を呼んでいた。
私たちの学校で男性教諭は特別珍しい存在ではなかった。もちろん数は少ないけどちゃんと生息してはいた。しかし男になど慣れている者が多いはずなのに、潔癖を演じるのが好きな「ケ」に属する生徒たちは彼らを穢れとして扱い、半ば隷属させていた。ミカコはそんな「ケ」の子たちに呆れ果てていた。
そんな彼女たちであっても学校にやってきたばかりの若い先生の時は事情が違った。若いといっても一〇以上は離れていたはずなのだが、そうした先生に関して彼女たちはお祭り騒ぎで、過剰なまでにもて囃す。大半の男性教諭は自分がモテているものだと調子に乗り、勘違いの行動を始める。手を出したのがバレてクビになったり、逆に隠し通して、生徒の卒業後に結婚したり、怖い「ケ」の子たちに陰湿なイジメに遭って女性恐怖症になったりだとかいうことが当たり前にあった。
鴻上先生はそうした前例の中、やってきた比較的若い教師であった。比較的、というのは三〇代半ば過ぎで、それでも私たちの学校で彼はまだ若い先生。彼もやはり歓待のトラップを受けたのだが、全く臆することなく、
「君たちねぇ、俺みたいなオッサン釣ってるんだったら、お外で遊んで彼氏捕まえてすけべしてきなさい。残念だけど先生、娘いるから。さすがに無理だわ。もったいねえけど」と言って授業を始めてしまうのだった。ヒゲ面に真っ黒な姿もあいまって
「何言ってんのキモ」といった声も見受けられたが、何も動じない彼をいじってもちっとも面白くないとすぐに理解した彼女たちは鴻上先生をターゲットから外し、「スケセン」と呼称し、からからうだけで放免した。
鴻上先生が仮に「すけべ」でなく「エッチ」であったら彼女たちは集中攻撃を浴びせ、どうにか排除しようと画策していただろう。あまりに前時代的な「すけべ」という響きはちっとも「エッチ」ではなく締まりがないので、彼女たちもバカバカしくなったのだ。ミカコと私はそんなユーモラスな先生が嫌いでなかった。ああしたユルイ雰囲気の、大人の男性を何とも新鮮に感じたのだった。
鴻上先生に放送部の顧問になってもらおうと切り出したのはもちろんミカコであった。年齢の離れた友人を多く持っていたミカコは先生も自分の「ケ」にいれてしまおうと思ったのだ。
ミカコの申し出を面倒そうではあったものの、先生は副顧問で、という条件で飲んでくれた。放送部の活動自体ないに等しいというのが承諾した一番の理由だったと思う。本当の顧問の先生も部室に顔を出すことはなかったのだが、鴻上先生はミカコによく呼び出され、部室に来るようになった。
新任の教師も職員室はやはり居づらいようで、校舎のはなれにある古い木造建築の生徒会館の二階の隅に位置する雑然とした部室を気に入ってくれたようだった。次第に現れる頻度が増え、ミカコは仲間が増えたことを素直に喜んでいたようだった。私もそんなミカコを見るのが嬉しかった。
部室に最初足を踏み入れた時は、一〇年近く堆積していたであろう塵埃にむせるばかりで、とても居心地の良い空間とはいえなかった。アレルギーのある私はゴーグルにマスクで完全防備を施さなければ涙と咳が止まらなくなってしまうような有様であった。ホコリをものともしないミカコは「充分じゃない?」と私に向き直ったが、それだけはカンベンとお願いして大掃除を始めた。
二〇年近く前の賞状が物語るように、以前はこの放送部も高校生の放送劇大会のようなものに出場し、それなりの賞をもらっていたようだ。私は折角の機会なのだからこうしたもの全部片づけて新しい部屋にしたかったのだが、ミカコがそれを許さなかった。じゃあせめて賞状は壁に貼りだしたりすればいいと思ったのだが、ミカコはその提案も認めず、私を苦しめる塵芥だけ片づけて、あとは手をつけずに終了という形となった。
今だ散らかったままな部屋に初めてやってきた鴻上先生は、「君たち、片づけられない女ってやつなの?」と今ひとつ掴みづらい表現をしてニヤニヤしていた。その様子が何とも気味悪く、やっぱりこの部屋にこの人を入れるべきではなかったと、私は面白くない素振りを見せていたのだが、ミカコは「そっ。だからせんせえも居場所じぶんでつくってね」と同じくニヤついて窓の欄干に腰かけた。午後のゆるい陽光がミカコを影にして、ホコリを浮き立たせた。
先ほども言ったように、ミカコは私にとっては多くの時間を過ごす人であっても、外で友達と遊んでいることが大半であったため、鴻上先生が部室にカメラやビデオ、マグカップや灰皿、そしてスリーナインの文庫やお菓子についてくるフィギュアを持ってくるなどして自分の居場所をつくろってからは、私と先生との二人になる機会が自然と多くなった。
鴻上先生がタバコを吸うように、私は所在ない時ずっと編み物をしていた。といっても誰かにあげるわけでもなく、自分のためでもなく、ただ手を遊ばせておくのが寂しいのでひたすらかぎ針を手に長大なマフラーのようなものを作り続けた。
「お前、それやってて楽しいだろ」。それまで黙って本を読んでいた先生が唐突に私に声をかけたため、私は素っ頓狂な声をあげてしまった。
楽しいかどうか尋ねるのではなく、明らかに私が楽しんでいることを見越した上での発言だったので、はてなという表情をとることしかできなかった。でも表情に乏しい私が顔で何かを伝えることは難しいのか、黙っている私からふたたび本の方へ目を落とした。仕方がないので私も編み物に戻るのだが、何だか落ち着かない。
「そういうことを楽しめるのは大事だな。人生、大半はそうしたことに費やすしかないからな」。本から目を離さず、先生は分かったような口をきく。私も何も分かっちゃいないけれど、先生も歳だけ上なだけで、分かっちゃなんかいない。そうじゃないのだ。
私は長い長い編み物をカバンに片づけて早々に部室を出よう、そしてミカコがいない時、ここに来るのをやめよう、そう思っていたら、先生は読書をいつの間にかやめて、机の上に立って部室の黒板側の天井付近をいじっている。
ばさありという音と共におびただしい量の粉塵が舞った。部室はまた塵埃の世界へと逆戻り。私はホコリを吸う前からかがんで激しく咳き込み、片手で頭を覆った。
それはくすんだスクリーンだった。教室などでも使うようなスクリーンが壁面いっぱいに広がっていた。
「やっぱりな。こりゃ放送部らしく上映会だな」。
面白そうだと指を鳴らしたのはミカコだった。部室にスクリーンが存在することを知ったミカコは早速上映のために必要な準備をしようと、今度は積極的に部屋を片づけ始めた。至極当然な話なのだが、放送部の部室には放送機材一式が揃っていた。機械類がうずたかくそびえていて、あまりに混沌としていた様子だったので私も踏み込みすらしていなかった防音室の中にはプロジェクターもあり、整備さえすれば防音ガラス越しに映像をスクリーンへ投影することも問題ないであろうと先生は言う。
いくらなんでもこんな古い機材を活かすのは無理だろう、と私は目を輝かせる二人をうらやましく思いつつ冷めて見ていたのだが、上映会はすんなり実現しそうであった。ミカコの不可思議な財力と、鴻上先生の映像機器への知識がそれを可能にしてしまいそうだった。
上映会といえば、勿論映画か何かを観るに決まっているわけで、私はそれが嫌だった。私は映画が嫌いだった。映像を注視することがひどく苦手だった。もちろんテレビなどをつけていても普段そこまで気にかからない。あまりテレビも好きではないけれど、集中して観なければ問題はなかった。
特に映画館がダメだった。暗所や閉所に対するおびえというのも少なからずあったとは思うのだが、人が沢山いて、そして皆で一カ所をじっと睨んでいるのがダメだった。私もそうしなくてはいけなくなるからだ。目を逸らさず、スクリーンに集中すると、なんだか私自身が映画の方へ没入するというのではなく、映画の方から私に侵入してくるような気がして非常にうすら寒い、というか気持ちが悪くなってしまうのだ。
気分が悪くなったまま、映画が終わり外へ出ると、私はたとえばヒロインである娼婦だったり、子供を放り投げ、バーのネオンに消えるアル中の嫁にだったり、または仕事に恋に頑張る編集者の女の子に変身させられてしまったような感覚になる。彼女たちが私に転移するのだ。
時には性別を越えて、恋した少女のために肉体改造した挙げ句男色家に射殺されてしまう中年男性になったり、心優しい鋏男だったり、テロリスト集団を一人で片づける最強のコックになったりしてしまう。
そうしたものに変身したまま、侵入したなら入りっぱなしでいれば良さそうなものの、すぐに醒めて私は気付く。その変身した先と私の現実の肉体との差異に。おぞましいまでに脆弱な自分の身体が憎たらしくなるのだ。映画が、物語が私の身体を抜けた時、何だか魂とかそういう大事なものを同時に持ち去られたような気分になってしまう。ああしたものは私の血や肉にならない。おそろしいもの。
私の生来の受動性がそうさせるのか、またはそれが単なる思春期にありがちな自意識の肥大のせいなのか、または単純に私の身体が経験的に異物を受け入れていないからなのか、私には分からなかった。分かってしまうことの方が怖く、目をひたすら背けていた。とにかくいくら面白い映画であっても集中することはかなわず、映画館の場合トイレに逃げるしかなくなってしまうのだ。
私はなんとかして上映会を阻止しなければならない、とひとり部室で策を巡らせていた。もちろん映画が苦手なのだということを二人に説明することだってできたはずなのだけれど、何だか笑われてしまいそうで。
きっとミカコには「デートで映画館とか別にあんまないし平気じゃん?」とか的はずれなこと言われてしまうし、鴻上先生には「すけべすれば解決するよ」と言われるだけだ。どうせ私の受動性を性別そのものに結びつけられて嘲笑されるだけなんだと思って相談できなかった。そうしたことを認めたくなかった。
でもなんだか認める以前に私からはとっくに性別なんて削られている気がして仕方がないのだ。「あるべきものがあるべきところに無いというより、あるべきものも、そうでないものもどこにも無い」という感じの。私は自分のカラダがそれなりに異性にとって魅力的であることに気付いてはいるし、上手に扱えばミカコの影でなく、誰かを照らしていい気分になることは可能な気はするのだけれど、どうにもその気にならない。たとえば化粧なんかやっぱりまだ絶対したくないし、そうした究極に妊娠があるような気がして不安で仕方がないのだ。私は何ものも自らに宿したくはない。だから映画は嫌で、上映会なんてものは阻止しなければならないのだと私は考えた。
上映会をさせないためにやることといったらまず思いつくのは、機材の破壊。スクリーンやプロジェクターがなければ、映すものと映されるものがなくなってしまえば、もはや上映会などできるはずもない。けれどその場合、犯人探しをしなければならなくなるし、私はそんな空気の中、知らんぷりを続けることなどできそうもない。そもそも折角二人が楽しみでやっていることを暴力的な方法で台無しにはしたくない。
それなら私が上映会を欠席する。理由はなんでもいい。これは実行も簡単だし、残念がる素振りを見せることだってできなくもない。でも問題は何を流すのかはしらないけれど、上映会は第二回や第三回がありそう、というよりたぶんあるであろうこと。それも私のためにやってくれるとなお痛い。となると毎回仮病を使うわけにもいかない。その場しのぎとしてしかこの方法は使えない。
要は上映会をやろうという二人を止めることが大事である。物理的に行えなくする方法としては機材の破壊など穏やかでない方法しかないが、心理に働きかけるという手段がある。二人がやる気をなくしてしまえば良いのだ。
二人の気を別なものに逸らせば良い。もっと上映会より素敵なものに誘えば良い。といっても二人を編み物に誘いでもするのか? 大した意味もない、長くて細かいだけのマフラーを一緒に編もうって? 放送部で手芸をする? 私が提供できる二人にとってもっと夢中になれるものとはなんだろう。私ですら編み物が趣味だとはいってもそこまで好きだというわけじゃないし、目の前に仮に何かやるべきことがあったとして、それを放棄してしまうほど魅力的なものではない。
私はさっきから二人二人と言っている。じゃあ二人じゃなくさせるというのはどうだろうか。一人にする。分断工作を計るというのはどうだろう。今回の上映会は両輪のどちらかが欠ければ中止になるのではないだろうか。ミカコの経済力と鴻上先生の技術力とで成り立つ上映会を妨害するのに最良な方法ではないだろうか。
要は二人を仲違いさせれば良いのだ。幸い私にはミカコと二人でいる時間も鴻上先生と二人でいる時間もある。鴻上先生がミカコに気があるんだって、というようなことを吹き込めば、さすがに彼女も先生を避けるようになるだろう。先生は何考えてるか分からないけど、人間関係に執念を示すような性格ではないから大丈夫。可能可能絶対大丈夫。私は二人を仲違いさせなきゃいけない。私は分断工作について考えを巡らせて、かぎ針を操る手を止めた。顔が熱い。マフラーは鞄の中で大きくトグロを捲いて息づいている。
私はミカコに接触を図った。といってもそれは簡単なことだ。第一私たちは親友なのだから、一緒にいることがそもそも自然なのだ。ただ単に部室ではなく別の場所に行けばいい。
ミスドいかない? と私は持ちかけた。「お、珍しいじゃん、あんたから誘うの。いいよ」とふたつ返事で彼女を連れ出すことに成功。今日ばかりは自分からミカコに話をふらなきゃいけない。いつも聞き役にばかり回ってる私が。しかもでっち上げの話を。でも、できる。ミカコの話をいつも聞いていた私なら、私なら彼女を騙すことができる。私はミカコの話を聞いて、それを反芻し、理解することで、話しかけていたも同然なのだから。誰に?
ミスドに着いて注文。私はミルクティーだけにしようと思ったが、自分から誘っておいてドーナツ頼まないのは微妙なので、フレンチクルーラーとポン・デ・ダブルショコラとバタークランチとストロベリーカスタードフレンチとハニーディップと、「そんなにお腹へってるの?」、「へってる」、ええとあとココナツチョコレート。ミカコはオールドファッションとハニーディップ、そしてコーヒーと非常にシンプル。
「あのさ、ミカコ、鴻上先生のことどう思う?」。
「なに? あんたすけべ先生のこと好きになっちゃったの?」。
私の目も見ないで、オールドファッションかじりながらミカコは出し抜けにそんなこと言う。がしん、と心臓にぎられた。なんか身体のあちこちで閉店。シャッターみたいのが落ちてく。すぐにそれが手の震えになる。かぎ針どこだろう。
「えマジ? ホントとかないっしょ?」。
やっと食べる動作をやめたミカコ。こっちを見る。私お地蔵さん。震える地蔵だ。何を言っても覆しようがない。こんなに震える人ってなんなのだ。無理。正直に言う。
「うん、そう、ごめん」。
「そう。ま、そういうこともあるよね」。
ミカコは再び、半分残ったドーナツにかじりつく。冷静だ。はなっから相手になってないようだ。
「ごめんね」。何がごめんなんだ。「そりゃ言いにくいに決まってるでしょ」。そうだよね、ミカコ。「でもありがとう。正直言ってくれて」。優しいミカコ。やっぱ友達だ。「ただ子持ちはきついよね。いきなりきついこと言うけど」。あれ、なんで私先生好きってことになってるんだ。「やっぱ良くないよね」。「でも応援するしかないよ。友達だし」。ありがとうミカコ。
「ありがとう」。
こうして私の分断工作は失敗に終わった。ところが、すぐに次の急務ができてしまった。それは先生に自分の気持ちを告げること、ではなくて、なんとかこの気持ちをなんとかすること。
なんてバカだったのだろう。そもそも上映会なんてどうでも良かったんじゃないか。ただ単に三人のうちミカコと先生だけが盛り上がってるのが私はくやしかっただけだったのだ。嫉妬だ嫉妬。機材壊すのと人と人との間壊すの、どっちが大問題かといえば後者に決まってる。立派な暴力だ。それを私、すすんでやろうとしたんだから最低だ。ミカコはこんなに友達なのに。こんなに先生が好きなのに。
次の日の放課後、ミカコは先に帰った。「ごめ、友達と約束あるんだ、今日。じゃね」、とだけ言ってささっと帰ってしまった。ミカコ、私に気をつかって二人きりにする時間をくれたんだ。なんだか悪い気がする。これって結果的に上映会を阻止することに成功したんじゃ、と少しでも思ってしまう自分が憎かった。一緒に帰りたいと思った。でもミカコの気持ちを、友情を台無しにするわけにはいかない。部室行かなきゃ。
鴻上先生はもう部室にいた。ヒゲ面でいつもの黒いスタンドカラーのシャツを着ている先生は部室で機材のチェックをしている。部屋がすごく片づいている。ミカコの私物はなくなって、邪魔だった仮面ライダーのフィギュアも窓の欄干にどかされてポーズを決めている。もう、こんなに準備できてるんだ、と驚く。
部室の開け放たれた扉の前で立ちつくしている私に気付いた先生は「よう」と言う。やっぱり何故好きなのかがちっとも分からない。理由とか聞かれても困る。好きでなくとも良いような気は今もするから。
「見せたいものあるからそこで座って待ってて。これ、すぐ終わらせるから」
机について、椅子に座って先生の作業を見守る。そして男の人の手にぐっとくるってこういうことなのかと知る。知るとやっぱり好きなことを知ってまた困る。どうやっても困る。膝がわなわなする。自分の今の姿が急に気になりだす。鏡全然見てきてなかった。鏡もあまり好きではないけどこれからは好きにならなきゃいけない。ところで部室に来たはいいけど、どうすればいいのだろう? 私は何をしにきたんだろう。分からないなら手伝わなきゃ。椅子から離れないといけない。
膝がひどい勢いで机にぶつかる。机の上の機材が床に転げ落ちる。私も転げて椅子から落ちる。先生びっくりしてこっちに来る。来るな。来ないで。だいじょうぶかと先生が腕をつかむ。私の腕。
「先生、あいしてます!」。
「ん?」。
終わった。私の初恋は失敗に終わった。私終了。階段一〇段いっきに飛ぼうとして思いっきり着地失敗。最悪ってこういう時に出る言葉なんだ。まずメアドとかケイタイとか交換してからとか考えてたのに突然の愛の告白。先生困るに決まってる。たぶん私の方が困ってるけど。やっぱりだ。困りすぎて私泣いてる。先生も余計困るのに。でも泣かなきゃ気絶する。我慢とか無理っぽい。すごい大きい声出して泣いてる。「こーかみせんせえ」って。絶対先生困ってる。ミカコ助けて。ごめんミカコ。やっぱ私ミカコいないと何もできないくさい。泣くのやめらんないし。言葉とか出てこない。
目覚めると真っ暗な部屋。もしかしても先生は隣にはいない。そんな淡い期待も抱けないくらい、明らかにそこは自分の部屋だった。
先生は泣き疲れて寝るという散々な私を車に乗せて家まで送ってくれたという。親はそのことだけを私に告げた。私はちっとも覚えていない。泣くことで果たして記憶まで飛ぶということがあるのだろうか、と訝しんでみたが、現実問題私は自分の部屋で寝ているのだから事実としか言いようがないのだろう。一生分泣いたせいか心がからっぽで、だからといって虚しいというよりひどく安らかで、涙というのはこんな役目も果たすのだな、と感心した。だけどとても疲れた。ミカコにメールする気力も湧かない。きっとこれは休めと私に言っているんだ。誰が?
次の日になって、もうすでに観念していた私は学校へ行くことにした。私が言ったこととかどうでもいいから、先生にお詫びとお礼をしなきゃいけない。休んでしまったら鴻上先生、もっと困ってしまうと思うから。ミカコにも昨日のことを正直に話そうと思う。親友なのに隠し事は良くないし、私自身ミカコに昨日あったことを話したくて仕方がないのだ。こんなに誰かに自分の身に起こったことを話したいと思うなんていつ以来なんだというくらいミカコに話したかった。だいぶニュアンスは違うけれど自分の気持ちを先生に告げて、みごと砕け散ったことを言いたくて仕方がない。一限の授業くらいサボって喋りまくりたかった。
ところがミカコは学校に来ていない。皆勤賞の私と違ってミカコはちょくちょく学校を休む子ではあったが、何も今日休まなくてもいいだろうと少し腹が立った。
そして鴻上先生も休講だった。私たちの学校の先生には研究日というものが用意されていて、鴻上先生も時折休んでいたけど、なんで今日休んでしまったのだろう。私を送る時、誰かに見られてしまったのだろうか。あるいは生徒会館で私が泣いてるのを聞きつけた誰かに。校内は先生だけでなく、生徒の監視も厳しく、チクリなどというのはあまりに当たり前であったから、そうしたことで先生がまずい状況になっても何も不思議ではなかった。
どうしてあんなこと言ってしまったのだろう。昨日、私の部屋で起きた時は考えないようにしていたことが再び頭を擡げだす。これで先生に何らかの処分が下ってしまったらまるっきり私のせいではないか。私が勝手に告白して、勝手に泣いただけなのにこれではあんまりだ。
もっと普段から泣いていれば良かった。そうすればあんなに一日で涙を流しきることもなかったのだ。コントロールできなくなるほどにならなかったのだ。後悔は渦巻いて、全身が萎えていく。普段から自分の気持ちをきちんと伝える練習をしていればこんなことにはならなかった。自分に日陰者であると言い聞かせて、目立たぬよう、飾らぬよう過ごそうなどと都合の良いことばかり考えていたから、こんなことになってしまったんだ。影に徹する役割なんてとっくに破綻していたのにも気付かずに、私バカだ。
私はそうした悩みのたけをメールでミカコにぶつけた。すぐに返信が来た。
『Mail System Eror - Returned Mail』。
見慣れぬ英字のタイトルのメールが返ってきた。もう一度送ってみる。同じ結果である。とてつもなく嫌な予感がする。嫌な予感は心配性の私の場合、大抵はずれてくれるのだが、今回は違う。明らかに良くないことが、もう起こってる。
ちゃんとアドレス帳から呼び出して送ってるのだから間違えようがない。携帯電話も壊れていない。アドレスを一応確認してみると、そこにはお馴染みのアドレスが。
私は気付く。嫌な予感というより、嫌なことがもうかなり前に、すでに起こっていたんだということに。『mikako-kami』と記すアドレス。「ミカコ神」という唯我独尊の塊のようなアドレスに戦慄をおぼえる。「ミカコーカミ」。私は「ケ」の外にある。これは私の前に聳える事実そのものであった。
ミカコはメールアドレスを変えていた。受信拒否ではなかった。電話番号自体変わっていた。学校で他の友達に欠席の理由を聞いても分かるわけがなかった。私が一番親しかったから、みんな私なら知っているだろうと尋ねてきたりしたぐらいなのだから。
次の日も、その次の日もミカコは学校を休んだ。鴻上先生も休んだ。三日経つと怪文が学校中に行き渡るようになった。
『ミカコと鴻上の動画がwinnyでネットに流出』しているのだというメールが校内を震撼させた。現実からの呼び声が私の頭にとどろいた。
善や悪が遍在し、それに照らされるばかりでどこにも逃げ隠れできない世界。どこに行っても本当のことばかりが横行して、何かを創造しようにも余白がない。それが現実。コーカミ先生が言っていたように、私にできることは、そもそもあの世界蛇のようにどこまでも続くマフラーを編むこと以外にあり得なかったのだ。三角関係などという安定した形式ではなく、『ミカコカミ』が示すように私とミカコカミの二者による線分、向こうには果てがないために私を始点として止まることがない直線という、幾何を離れた永遠。
私はその後、普段気にもしなかった雑誌を手に取り、winnyの使用法を学び、鴻上先生がエロ動画やフォトショやイラレ、音楽や映画、そして他の人がウィルスで流出させた個人情報を集めたパソコンの中身、ウィルスによってバラまかれたそれらのファイルを丸々手に入れた。入手したという実感も掴めないまま、それらが私のパソコンの外付けハードディスクの中にしまわれていた。
先生が私に「見せたいもの」であったであろう問題の動画というのを、私は4ギガバイト分DVDに焼いて、整備されたまま放置されていた放送部室のスクリーンに投影した。そして心ゆくまで、侵入されるを許したのだった。
全裸のミカコカミが延々と行為を続けるという、まさしく動画的な内容。動くことがこれ以上そのものの価値を決定づけることはないといった映像。視点はコカミ側とミカコ側とが、不規則に交差し、音声の位相もそのたびに狂う。そしてカメラ自体が頻繁にパン、チルトを繰り返し行うがため、上下左右に頭が揺さぶられる。いつのまにか部屋の全景が同時にすべて見渡すことができる百々目鬼に、私は中央に座する者になり、そして間もなく二人のどちらにでもなる。
私は私が誰であっても、まさしく良いのだと思った。コーカミとミカコ、侵入者と被侵入者。その関係性は常にブレ続け、二者の映像はいずれぴったり合致する。ミカコカミになり、肉体は等価交換される。そして私というミカコと私というコカミの境界が群発性の視点転換により、不可視となり、私はいつのまにか陵辱されているはずが陵辱している。侵入を許したはずが、侵入を許可されている。私を縛っていた哀れな身体性がなりを潜め、私は万能のただなか。
そう、世界蛇のマフラーは私によって編まれていると同時に私を編んでもいるのだ。かぎ針は一切の跡をつけず、ひそかにひそかに私の中をくぐり抜け続けていたのだ。だから終わることがない。直線は伸び続けながらも常に始点に戻る。「話す側」と「聞く側」という対立、「ひかり」と「かげ」の埒外へ出て、何も相対すことがない無秩序へ移動し、それからまた秩序。延々とそれらの外周へはみ出し続ける。遍く照らし、すべて明るみに出すミカコカミである私。熱すぎて冷たいものが私の中に宿る。
防音室に入り、放送機材の電源をばちばち入れる。ぼっとスピーカーが鳴り、アンプが熱を帯びる。私は言葉の外で吼えながら、両手でモニターのフェーダーを全開にする。
「『キぃあぁぁィィぃぃあぃぁぁぃんン』」。
あえぎとハウリング。校内は叫喚のちまたと化す。そこに加わる終業チャイム。
見上げると赤く、
『ON AIR』のランプ。
私、ミカコカミの交響が始まる。