第二章
『幼稚園や保育園というのが大抵の子供にとって、集団生活といった意味合いでの最初の社会になるわけだが、どうもその頃くらいから子供は皆嘘をつくようになるようだ。
娘は最初、幼稚園に行くことに激しい抵抗をみせていた。そりゃ仕方がない。誰にとっても見知らぬ場所で、まだ知らぬ者たちと一緒に行動し、学ぶことは好奇と恐怖の天秤にかけられた状態であり、恐怖が勝ってしまっていてもこちらは責められようはずもない。
だから私はなるだけ無理をさせないように、友達ができることの素晴らしさを説き、この世の中はお前に対して優しくできているんだ、そして私は最後までお前の味方だから、心配するかもしれないけれど、きっと大丈夫だと言って聞かせた。
入園式から一月経つと娘は次第にちゃんと幼稚園に馴染み、お風呂の中で私に友達や先生のこと、その日にあったことなどを教えてくれるようになった。多少表情に乏しいところはあっても、こうした娘の成長は親にとって最大の糧である。私が世に出てきたことも彼女がいるから無駄ではなかったのだと率直に思うようになった。無愛想ながらも時折見せるはにかみ笑顔がとてつもなく愛らしかった。いとおしくて仕方がなかった。
あるちょっと乱暴な友達がオモチャを娘から取り上げてしまい、彼女は泣いてしまった。もちろん先生が止めに入る。先生はそのお友達を叱る。それを今度は娘が止めに入ったそうだ。おともだちをイジめちゃイヤだ。娘はそう主張してオモチャを共有しようと、そのお友達に提案したというのだ。
私はこの話に驚愕した。あれだけ幼稚園に怯え、協調性には少なくとも富んではいないであろうと親である私が判断し、責任に感じていた娘が、あろうことか先生をたしなめた上に、友達とも上手にやる方法を考えだすとは。
私の驚嘆は親バカを差し引いたとしても計り知れなかった。そして親として娘を過小評価していたことに恥じ入るあまり、私は風呂で、娘の前で泣いてしまいそうだった。
「ようし、じゅう数えてお風呂を出たらアイスを一緒に食べよう。今度の土曜日はミッキーのいるところへ連れていってあげる」。
「ほんと? そこにはミッキーのぬいぐるみがたくさんあるの?」。
「はは。ぬいぐるみじゃない。本物のミッキーがこっちに手を振ってくれるんだよ」。
ぬいぐるみとはまた我が子ながら随分と現実的なことを、と笑った。ただこの子ならその現実という悲しいものと必ずや渡り合っていけるだろう。頼もしい気すらしたのだ。
ところが娘の、同年齢一般を大きく凌駕した理知は親の予想を遙かに超えていた。この話はまったくのデタラメ。徹頭徹尾ウソであった。娘はそもそも幼稚園などには通っていなかった。近所に住んでいた私の親のところへ行って時間を潰し、そしてそのまま家へ戻ってきていたのだ。すでに離婚していた私は娘の送り迎えを親に任せていたのだが、娘は自分が孫であることをいいことに、私の親を完全に籠絡していたのだ。さすがに罪悪感に駆られた親が私に相談をしてきたことで全ては判明した。あろうことか娘はこの私を半年もの期間、完全に欺きおおせていたのだ!
嘘をついた子にはおしおきをしなければならない。私だって幼少のみぎりより嘘はいけないことなんだって教わってきたんだ。私は娘におしおきをした。言うことを聞かない子にはおしおきをするしかないんだと涙をこらえておしおきした。
親からは、あまり叱らないでやってくれ、これはこっちが招いてしまったことなんだから責めるなら自分にしてくれ、そう懇願されたので私は怒りを押しに押し殺して娘との対話の時間を待った。それはすなわちお風呂の時間であった。
私は娘におしおきをした。娘は私におしおきをされた。おしおきは嘘をついたから。嘘はいけないことで、いけないことをしてはいけないからおしおきをした。私はいけないおしおきをした。嘘をつく娘にいけないおしおきをした。いけない私はおしおきをした。してはいけないおしおきをしてしまった。
身体に痕が残るとこのご時世、あとあと厄介なこととなってしまう。厄介なことを怖れた私は疵にならないおしおきをする必要があった。殴ることはいけない。もし怒りに任せて殴ってしまうと彼女は死んでしまうかもしれない。殺してしまってはいけない。殺人は嘘をつくよりもよっぽど罪が重い。そもそも暴力に訴えても彼女に私の負けを認めることになる。暴力を回避する嘘を彼女は学ぶだけに過ぎないのだ。私は娘にナメられるだけだ。
ナメられてはいけない。娘にナメられるのだけはイヤだ。親をナメてはいけない。イヤなことは人にしてはいけない。だから娘にイヤなことをしてやろう。そうすれば娘は私をナメることがいけないことだと知るのだ。なんといっても、とにかく私はナメられたくないのだから。
残念ながら私の、娘よりも劣った知性は娘をナメることを選択してしまった。それが痕にもならず、彼女を反省させることに繋がると、鎮めようにも静めようもない私の沸騰しきった頭は考えてしまったのだ。
いつも私は娘の体を洗ってやっていたのだが、よりくまなく洗うことにした。舌をはわせて、いかなる洗いのこしもないようにナメてあげたのだ。娘はすぐにおとなしくなった。大人しく、大人しくなってしまった。
私のこうしたおしおきは彼女が私から去っていってしまうまで続けられた』。
俺のこうした行いを聞いてお前が失望しきってしまっているのではないかと思うよ。俺が最低な人間だとお前は認識してしまっているだろう。ただ、俺は断じてロリコンではない。少なくとも実際に行動してしまうようなタイプではないのだ。実のところなにもやっちゃいないんだ。
この話は全くのデタラメ。嘘なんだよ。
お前に今したような話をある人に言ったことがあったのだ。ばかばかしい話だ。俺には実際子供がいたけれど、それは息子で、娘なんか最初っからいやしなかったのにこんな作り話をしてしまったのだ。
この話をしたのはとある女の子だった。北海道の函館在住で二一歳の大学生。わざわざ作り話を言って聞かせるのには理由があった。そもそも作り事と言えるような関係性に彼女と俺があったからだ。
彼女は俺にとって最初で最後の、ネット上での友人だった。いわゆる出会い系サイトで知り合った存在だった。ありがちな話だ。ネットをかじりたての中年だったら一度は覗いてみたことはあるであろうサイトだ。
ご多分に漏れず俺も興味本位で覗いてみたところ、無料だというのに実質有料で、ポイントを購入してそれが相手とメールを一通交わすごとに差し引かれていくという仕組みのサイトだ。こんなものにくれてやる金は一銭たりともないと思った俺は無料分のサービスポイントをできる限り早く消費してとっととこんな場所とはオサラバしよう、そう考えていたんだ。
無料ポイントの客を有料ポイント購入へ陥れるためにアルバイトは一所懸命に俺の性的な趣味を探ろうとメールを送ってくれたさ。いわゆるサクラだ。俺もバカ正直にそんなもの構っていられないと思いつつ、今すぐ裸の写真を送れだの、明日会えるから来いと設定上自分は道南エリアに登録しているのも無視して東京を指定し呼び出したり、ウンコを食うのが好きだからキミのを一本二万で買い取らせてくれないか直喰いなら五倍まで出す、等のいくら無料とはいえどもあまりに悪趣味なおふざけに興じていたのだ。
たとえネット上であってもこうしたメールに返信しているのは生身の人間だ。鼻くそほじりながらかもしれないとはいえ実在の人物だ。メールの先に人がいるということを忘れてはいけない。そこでの恥は実際での恥なのだから。そうした意識が希薄なのは、むしろネットに慣れた子供より大人の方かもしれないと、汗ばむ携帯を枕頭に置き反省もした。
そうこうしているうちに馬鹿げた時間も終わった。さあこんな無駄な時間を過ごす暇があったらいくらかでもこの豊かとはいえない生活を何とかしようではないか、と思っていたのだが相手側はやっぱりサクラであって、客を逃がすまいと無料ポイントが切れてからもとにかくひっきりなしに卑猥なタイトルのメールを送ってくるのだ。
ウンコがどうのと言っていたせいか、内容もとにかくエゲツない。向こうもプロなのか、俺には吐きそうなものであっても、そのテが趣味ならもしかしたら引っ掛かってしまうだろうな、と思えるようなものばかりだ。どんなものかと本文を見ようとするにもポイントが必要というふざけた仕様であるため、俺は徹底的に無視した。だがこうも沢山メールがくるんじゃ携帯電話をサイレントに設定しておくしかなく、無視するにも大変な労力が必要だった。
受信設定をいじればメールなんて簡単に防げるじゃないかと思った矢先、一通のこんなタイトルのメールが届いた。
『話が聞きたいです』
確かに話をしたいだけの俺を釣るのにはシンプルかつ的確なタイトルであった。他のメールにあったように『顔面騎乗が好きです。もしもあなたさえ良ければわたしは』といったようにタイトルを字数制限いっぱいまで長くし、本文を読ませるようと尻切れトンボにした文章なんかじゃ向こうから騙されてくださいと言ってるようなもので相手にはしない。それより何より問題なのは差出人の名前である。差出人には『☆★MIKAKO★☆』とあったのだ。
携帯の画面に自分の顔を投影しつつ、その醜さを改めて認識して自戒へと向けるまでもなく、ひたすらその文字とにらめっこを続けた。汗腺がぎゅっと収縮するものの一滴たりともしずくは落ちない。筋肉が硬直しているのか弛緩しているのかも分からない。眼球から得られた情報を受けて、脳が働いているのか、安らいでいるのかも分からない時間が過ぎた。
身体が起きている状態で脳が止まっているという、いわば金縛りと逆の状態であった私が、何かを考えるのを始めたころには、既に後払いポイントなるものをサイト上で購入しており、そのメールの本文を開いていたのだ。
『ウンコ購入可とプロフィールにあったので詳細プリーズです☆』。
正直なところ、俺が期待していたのはこのたぐいのメールであった。それこそ「クソがッ」と低くうなって携帯を床に叩きつけ、割れた液晶の、涙のようなその痕跡を認めて、その数秒後の後悔で今回の出会い系サイト利用始末記をしまいにしてしまいたかった。
ところが本文はいたって真面目な内容だった。おふさげに興じていた俺にはシリアス過ぎるくらいの内容であった。
ミカコと名乗るその人物は学生の身にありながら妊娠してしまった。分不相応なできものに不安や焦燥に駆られもしたが、それよりも彼女は幸福で満たされていた。なにしろ愛している人との間に出来た子供であったからだ。それならとる手段はひとつ、同じく学生であるという恋人に正直にそのことを話し、生むしかない。善は急げと早速打ち明けたが、その人から返ってきたのは曖昧な返事。自分はどうすればいいのか、ということであった。
なぜそうしたことを、こんなロクでもない大人しかいないようなところで相談するのだ。恋人が返答を躊躇している間にもお腹の中の子供は日に日に大きくなっている。そのことを実感すれば余計に母としての気持ちが膨らんでいくに決まってるし、生む以外の選択肢がなくなってしまう。一応子を持つ者として忠告するが、今すぐ親御さんに相談すべきだ。
そうした旨を私は購入したばかりのポイントを使ってミカコに進言した。彼女はそれを素直に認め、今は夜中だから明日の午前中に相談する、とのこと。
私は彼女にできることなら堕胎をしてほしくなかった。勝手ではあるがそう願っていた。親としての倫理観が私にそう祈念させるのではなく、たかがハンドルネームといえどもミカコという名前を持つ者が、私の知るミカコと同じように堕胎をするような真似をしては欲しくなかったからだ。エゴを善意で包み隠して相手に上手く伝えることが、私はいつからできるようになったのだろうか? 考えていたらその日は携帯を握りながら寝てしまったのだ。
私は明くる日も携帯を手放せなくなっていた。私はミカコのことが気がかりでならなかった。北海道と東京、遠く離れているという意識は、私にはもうなかった。あの頃は連絡手段がなかった。私も幼かった。今はこうして手に収まる通信機器があり、見知らぬ者とあえて肉声を交わさなくても良い。
メールは肉筆ではない。肉体を相手に悟られることなく、誰かに言葉を発することのできる素晴らしさ。私はミカコを実際目の前にして、昨晩のようなアドバイスをできなかっただろう。手に入れられる情報があのメールの内容のみであったから私は適切な対処ができたのだ。実在の人間はあまりに情報に富みすぎている。私にとってはこの程度がちょうど良いのかもしれない。
ミカコからメールが来たのは、昨晩のように日付の変わるくらいの時刻であった。
『ありがとう』
タイトルには確かにそうあった。私はとても救われた。この歳にしてなかなか人から感謝の言葉を伝えられることはなくなっていたので、こちらこそありがたかった。エゴだのなんだの考えるのではなく、その情報だけで、メールに記されたその情報だけでちゃんと判断して、意見を素直に伝えて本当に良かったのだと安堵した。人になにかを伝えることは、本当に思ったことを告げることは、とにかくやはり捨てたものではない。結果の善し悪しではなく、本当のことは少なくとも言った本人を救い、その人の器からこぼれた救いが周囲の人に及ぶのだ。
ポイントを消費して本文を見ると、
『お陰でちゃんと親に相談することができました。やっぱりまだ親になるのは早かったようです。親に説得されてやっと決心がつきました。私、産むのやめることにしました。こんなにママが迷ってて生まれても、ワタシだったら嬉しくないですもんね』
私はどこから勘違いしていたのだろう。私はミカコに子を産んでほしかったはずが、逆効果のことを言ってしまっていた。確かに私は恋人がダメなら親に相談しろ、と言った。だからといって親が必ずしも娘に生むことを奨励するとは限らないし、そもそも私の望みどおり彼女に産ませたいのであれば妙に物わかりよく相談に乗るより、問題を先延ばしにすべく、親や恋人に相談させないようにし向けるべきであったのではないだろうか。産まざるを得なくなる数ヶ月後まで。
私は私の望むことが分からなくなる。時折どうして分からなくなる。本当のことを言ったと私は感じた。そうすればミカコは間違いなく産むという選択肢をとるとばかり考えていた。ところが実質私はまるで正反対のことを彼女にアドバイスしているのだから、私の本当のこと、望みとは、救いとはつまりが彼女の堕胎だったのだ。
ミカコは、今度は私に話をうながしてきた。これでもう私の役目は終わったはずだというのに、彼女は私の話を望んだ。私の子供の話を是非とも聞かせて欲しいと言うのだ。
私の話は彼女にはあまり必要のないことだと思った。私の息子はすでにたくましく成長しているのだから、これからつらい手術を越えていく人間に正しく幸福な家庭の姿を伝えるのは、一見確かなことだとも思えたものの、しかし私はそうしたくはなかった。
堕胎を選択するような人間に、なぜわざわざ私の息子の話をしてやる必要があるというのだ。そういう人間はいずれ子を産んだとしてもまともに育てられるわけがなかろうと、私は愚かにも思っていた。この間違いを指摘するには「ミカコ」というひとつの名前を挙げるだけで充分だった。それが何を意味するか、それが意味を持つのかはどうでもよく、私はつまり、過去にテレビで見たあの辛口女性コメンテーターのように、無責任な発言をしようと思ったのだ。
ミカコはどういうわけか素晴らしい聞き手だった。あるいはそもそもミカコは元々そうした「聞く側」にいる人間だったのかもしれない。しかし私にとってミカコは完全に「話す側」の人間であって、人が話しているのを聞こうとはしなかったのだ。彼女はもしかしたら元々「聞く側」にいたにもかかわらず、私の存在によって「話す側」に寝返ったのかもしれない。寝返る? 裏切りを責めるどころか私は現在「話す側」にあって彼女が「聞く側」でいて、そうして私は年甲斐もなくつらつらとメールをしたためているではないか。乙女のごとくメールで自身を伝えることに夢中ではないか。
気づけばお前にさっきしたような話をミカコに向かってしていた。虚構の娘の話。メールを送るのも受信するのにも三〇〇円ものお金がかかるわけで、あれだけの話をするのに携帯メールは向いていなかったわけだったのだが、そうするより他がなく、私はポイントを大量購入し、ミカコに語ったのだ。私はデタラメな話をすることにおよそ五万円を消費したのだった。
彼女は長い話の間、律儀に相づちを打って私を促した。その相づちももちろんメールで、私はその『うん』とか『それで?』などのためだけにポイントを消費してタイトルだけでなく本文も読んだ。禍々しい内容にも関わらずただミカコはじっと聞いていた。彼女はメールを読んでいたのだから、本当はこの表現は不適切だともいえるのだが。
話し終えてもうポイントも残りわずか、というところでミカコはこのような提案をしてきたのだった。
『一度会って話がしたいです…』
そもそもこうしたサイトの利用者の多くはこうした言葉を投げかけるために不当なお金を払ってまでメール遊びをしているのだ。メル友の下らない話に乗っかってあげるのも、全ては実際に会うため。出会うためにあるのだ。私もあわよくば、とは考えていた。しかしこのような話をしてしまった後に会おうともちかけたところでミカコはノーと言うに決まってるとばかり思っていたので、あえて伝えはしなかった。伝えなかったにもかかわらず彼女は去ることもなく、逆に向こうから歩み寄ってきたのだ。
『なぜ、私に会おうと思ったんだい? こんな話をして気色が悪いヤツだとは思わないのか?』
『会いたいと思ったからです。会わなければいけないと思ったからです』
『会わなければいけない? どういうことだ。私と君が会わなければいけない理由を言ってくれなきゃ答えにはならないよ。』
『あなたには私が必要だし、私にはあなたが必要だからです』
『私は君を必要とはしていない。興味はあるけど必要とはしていない。勘違いをしてはいけない。私には子供もいるんだ。できるわけがないだろ。』
『だからこそ必要だと思うんです。会うことが』
『今ひとつ理解ができないが、君の場合はどうなんだ? 仮に私が必要としているとして、君が私を必要とするワケは?』
『私が必要としているからです』
堂々めぐりである。こんなこと言いたくはなかったのだが、正直に言うことにした。高い金を払ってメールしている。経済的にそこまで余裕がない。だからはぐらかさないで、ちゃんとはっきり理由を述べてほしいということを。しかし、彼女はかかったお金は会ったときに払うなどという信用のならないことばかりを言う。
彼女もただ単に会話を長引かせて小遣いを稼ぐバイトのサクラに過ぎないのであろうと踏んだ私は、語調を強め、もうメールはしない。メールが止まないようなら法的手段に訴えると伝え、携帯を自室のベッドに放り投げた。このやりとりだけで五千円も使わされていたのだ。もう少し使いようがあるだろう、と悔やむ。
『実は今回のこと、親にはまだ相談していないんです』
少し間を置いて届いた返信にはこうあった。諦めて嘘だと認めることにしたのだろう。残りのポイントで言い訳ぐらい聞いてやろうと思い、どういうことなのか短く尋ねる。
『親の承認がないと堕ろすことはできないんです。だからあなたに代わりになってもらいたいんです。お願いします。あなたにしか頼めないんです。』
ちょっと待て、親の承認が必要なのは未成年の場合だけだろうとメールをしようとしたところ、ポイントがもう切れてしまっていた。私はコンビニに走り、プリペイド式電子マネー、ビットキャッシュを一万円分購入しポイントを入れた。
どうやらミカコは年齢を偽ってサイトに登録していたらしい。二一歳というのは少なくとも嘘であった。一体何歳なのだと尋ねても未成年であるとしか答えられない。サイト規約には一八歳未満は登録できないとあるから、おそらくそれ以下で、十六くらいだろう。
しかし私が同意書にサインしようにも彼女は北海道で私は東京。向こうはきっとそれを知らずに相談しているのだから、まず物理的な問題があることを説明しなくてはならない。
『東京に出ます。できるだけ遠く離れたところで誰にも知られずおろしたい』。
私がポイントを消費し、自分が実は北海道に住んでいるわけでないことを説明するとミカコはこう返す。なんという無茶。彼女は私にはただ医師の目の前で保護者を名乗り、同意書を記してくれればそれで良いというのだ。手術費用や旅行の口実はなんとでもなる。とにかく協力してほしいのはその一点のみであるというのだ。
私はもはやどうでも良かった。ミカコがどうなろうと私の知ったことではないのだ。私は親だ。ミカコの親として同意を示せばそれでよいのだ。悪いことをしているわけではない。それに出会い系メールなどではなく面と向かって話せば堕胎のことだって思いとどまってくれるかもしれない。止めるのが無理だったとしても、私がそれを説得することが、何らかの懺悔になると考えたのだ。何に対して悔い改めるのかは知らない。もう何も知らない。私から時間と金を奪ったミカコという人物をこの双眸にとらえておかなければ気が済まない、という気持ちも強かった。よって彼女の申し出を承服し、実際に会ってみる他なかった。彼女の言うとおり、出会う必要が私にはあるのだ。
待ち合わせはとある寺院の墓地。奥にたたずむ天才漫画家の墓の前で、ということになった。ミカコには詳細をネットで調べてもらうことにした。墓の脇には作者が創ったキャラクターたちが描かれたレリーフがあり賑やかで、ここが待ち合わせ場所であることは一目瞭然であろう。それでいて人目につかない。参拝客がくればこんなところで突っ立っていて不審に思われるかもしれないが、いくら著名人の墓とはいえ平日の昼間に来る人間もそうはいまい。
予定時刻の一〇分前に到着すると、墓の前にはすでに人影があった。この漫画家のファンにしてはあまりに若すぎる少女が、うつむき加減に立っていた。あろうことか彼女は編み物をしながら私を待っていたのだ。
ミカコとの再会。高鳴る鼓動。あの少女がこれから堕胎をこころみる。私はそれに荷担をする。北海道から出てきた女の出した苦心の決断の、その痩せた背中をそっと押してやる役割こそが私に課せられた使命。
私は再度自分に問うた。本当に良いのか。ミカコの名を持つものを中絶に導くのが果たして私にとって善いことなのか。私は今度は何と別たれるのか。分断された結果、ついに私自身がバラバラにほどかれてしまうのではないか。
私はテレビ画面に映る母を認めてから母が母でないというそれまでの否認から、母を母として素直に、肯定的に受け取ることにした。それはテレビの母が自分の母ではない、所有することができなくなったことを知ったために逆説的に起こった心境の変化であった。母でないものをあえて母でないと叫ぶことの虚しさを理解したからである。
ところが私は母と同じ名を持つ者の堕胎に協力し、結果「できちゃった婚」を阻害することで母に歩み寄ることとなる。テレビモニターによって別世界の住人である母をこちら側にまた引き込もうと、私はしているのではないか。またはそのモニターの向こう、鏡像の世界に自身を投じようとしているのではないだろうか。
それにしてもこちら側とは一体なんなのであろうか? 北海道に対しての東京? テレビモニターの外にある私たちの世界。外側であることのみが分かるだけのそれ。テレビが「話す側」だとするなら私は「聞く側」。テレビに映る人間は「話す側」でそれを見る者は「聞く側」という絶対的な位置に、その一点に留まるのだ。
ミカコは向かってくる私を見つけ、編み物をバッグにしまう。編み針を片づけるのに慌てている。いくらインターネットで場所を調べ、墓の写真を見たとしても、そこに来る人が果たして当の本人か判断するのは難しい。親子ほども年齢の離れた見知らぬ人間に会うのは年端もいかぬ少女であれば度胸もいる。私は直線にしてあと二十メートルというところで一度左に折れ、別の墓から迂回することにした。度胸が必要なのは私も同じであった。
心拍が私を追いつめる。自分から声をかけてやらねばならない。年長者として、かりそめとはいえ彼女に保護者らしくふるまわなければならない。私はデタラメの話にあったように、幼子に性的虐待を加える人物では断じてないのだ。優しくいかねば。
でもやはり彼女は怖がりはしないだろうか? いくらデタラメ話だとしても、私は彼女にはその嘘を嘘だと告げてもいないのに、どういうわけかいびつな約束を交わし、特撮ヒーローの生みの親である有名漫画家の派手な墓に向かっているのだ。しかも遠回りをして。これから中絶をしようという一六歳の少女との待ち合わせ場所としてハカを選ぶような人間が来るのだ。破瓜で何を失い、何を埋めようというのか。
正常な判断のできる者であればメールで約束したとしてわざわざ一〇分以上前から相手を待つであろうか。いくら私以外に頼れる者がいないのだとしても東京まで来るだろうか? いくら函館が船も飛行機もバンバン出ていて、それこそ移動そのものに大らかな性質を持った街であり、母のようにそこで育った者だったとして、果たして私のような変質者を待つだろうか?
何かを探すような、わざとらしい素振りをして私は少女に肉薄する。照れるでもなく、無表情に、とはいえどこか誤魔化しを感じさせるような口元を覗かせ少女は先に声をかけてきた。
「あの、すみませ――」。
「待たせてごめんね!」。
少女は逃げ出した。両手を合わせ頭を下げる私を見るなり、きびすを返して走り去る。
「私だ。私なんだよ! ミカコ!」
また私からミカコが逃げ出そうとしている。私からの逃亡を企てている。「聞く側」から「話す側」へと走り去ろうとしている。何かを孕み、それを産み落とすことがメッセージ。彼女はそれが「話す」ことであると悟って、私を「はなし」た後、別のことを「はなす」ために私のもとを去ったのだ!
スカートのすそが私からひらりと逃げる。それを私は追う。彼女のバッグから大きくはみ出すマフラーが私を嘲笑う。墓を出る前に捕まえなくては私は本物の変質者として御用となる。デタラメがすべて事実に回収されていく。ジャケットのすそが私の走る勢いでばたばたとはためいている音が聞こえていたのが、すぐに止んだ。すそを私はぎゅっ。後ろから掴まれて転倒する。
「だれだこのやろう!」。
「オレダヨオレ」。
機械的にオレオレと名乗るその人物は私の息子、その人であった。
「なぜここに?」。
私は率直な疑問をぱくつく。
「ずいぶんなヘンタイぶりじゃねぇか、なぁ」。
私の息子は腰をひどく打ち付けたことによって起きあがれない私を見下ろして屹立する。少女は既に視界から消失していた。彼女の鞄から垂れ流され続けるマフラーが息子の向こう側、目線の少し先にある。ジャリが食い込んだどこかの皮膚がじんとなり言葉が出ない。
「いくらなんでも携帯のメールアドレスをそのまま登録するのは危機管理能力足りてないんじゃないのか?」。
突然携帯電話の話をしだして、何を言っているんだ、コイツは。それより私の娘が私から逃げ出そうとしているんだ、協力してほしい。私は彼女が子供を堕ろすことを断固阻止しなければいけない。そのために追っていたんだ。変質者じゃない!
「オマエのようなヤツをまさしくヘンタイと呼ぶんだよ。自分の子供をおしおきと称して――」
あれはデタラメだ。それ以前に、なぜお前がそんなことをしっている。私の作り話を、私がミカコにした話を知っている? どこで知った? どこで見ていたんだ? 人の携帯を盗み見るような子に育てた覚えはないぞ、このドロボウ!
「『オレオレ。ミカコはオレだよ』」。
「『函館在住の二一歳ミカコ』」と名乗る「『オレ』」に話をうながされた時、素直に息子のことを聞かせてやれば良かった。娘の話の前半部はそのまま彼のことで、実際俺はひどく幸せに感じていた。だがミカコという名が、それが俺を深い溝に導いたのだ。
テレビの中の母という虚構性が、俺が母を母と思わぬことを決意したからこそミカコを母と認めるにいたったその虚構が、俺を本当のことから遠ざけた。「話す側」であることを決定づけたと言っていいだろう。
「テメェは勝手にオレを息子から娘へ置き換え、実際の行いを喋る負い目から性をひっくり返してオブラートにして、よくもまぁ本当のことを語ってくれたもんだ、オレに。オレは思い出したよ。オマエにされたことを。オマエがしてきたおしおきをな!」。
息子は俺が語ったそれを、虚構をそのまま真実として受け止めてしまったのだ。生まれる以前の記憶があるという子供の主張は伝聞による疑似記憶を信じていることに由来すると伝え聞いたことがあるが、彼は幼児期の記憶を俺の虚構で上書きしたのだ。
彼にとって都合の悪いことは全てそのできごとのせいにすればいいのだから、記憶の上書きが起こってしまうのは必定。聞いていて辛いことを真実だと捉えてしまうのは簡単なことだ。息子は「聞く側」に立ったばかりに息子は偽の記憶を植えられてしまった。ただそれも俺がそもそも「話す側」でなければ、嘘を並べてまで話すことに徹さずにいればそんなことにはならなかったのだ。まやかしの延長線上で彼は生きることになってしまったのだ。
そうして自分の過去が他人の言葉でしか保証されえないことがあるのなら、「話す側」であり続ける人間はみずからを知らぬ者となるのであろうか。だとしたら俺が語るべきことを見失うのも無理はない。自分の過去を、いくら身近な人間を語ることで確かなものにしようとしても、外堀だけが仕上がるばかりで、それらに囲われた自分は一向に姿を現すことはない。虚構の延長を生きる息子よりも不確かな存在なのだ。俺は。
だからといってお前に俺について話すことを求めても仕方がない。俺とお前の秩序ばかりは壊しようがない。俺は誰かについてお前に語り続けるしかない。