第一章
語るべきことが分からなくなっていく過程を披露しようと思う。まず何かひとつのことについて喋ってみようと思う。抽象的な話はやめよう。具体性に満ちた、そして誰もに共通するようなことを語らせてくれ。とりあえず人物がいいだろうな。そして身近な人がいいだろう。身近な友人や恋人、そういうのもいいだろうが、所詮はあかの他人。
そうなると家族しかない。血の繋がった。誰もに存在はする。特に親が良い。とりわけ母親が良い。母親ナシに存在する人間はいないだろう。皆、母親の腹から世の中に登場するわけだ。俺もそのように登場して、そして今お前に語りかけている。そうだ、お母さんにしよう。ママのことがいい。母さんのことをまずは話すことにしようと思う。
「皆、母親の腹から世の中に登場する」と、俺は言ったわけだが、残念ながら世の中から退場する時は母親の胎内に戻るわけにはいかない。誕生の際にそうした共通点を持っていても皆、それぞれの退場へ向けて分断されてゆく。だから分かり合えなくて当たり前だ。そもそも母から誕生した時点で、まず皆、母親から分断されるのだ。誕生こそが母との別離なのだ。母こそが最初の他人さ。
母と自分の共通点は世に誕生した時点で既に「腹から世の中に登場する」という一点に絞られると言ってもそれほど過ぎたことじゃない。ヘソの緒を切断され、誕生することが母と違った存在になることを意味しているからだ。幸か不幸か、俺の場合そのことを早くから意識することができた。
物心がついてそう経たないある日に母は俺を棄てて家を出て行った。母親の母親に連れられて北の方へ帰っていった。
母は俺の住んでいた東京から去って、北海道に一度消えた。函館という港町に。そのことは俺にとって慰めとなった。船が発つ町に住んでいることが良かったのだ。彼女が帰ってくるとは思わなかったが、彼女がいくらでもどこかへ移動することができると考えたからだ。あそこには空港もある。身体はいくらでも運んでいけたのだ。
母はそこで母の母と共に数年を過ごした。母の母は喫茶店を経営していたのだが、特に母はそれを手伝うわけでもなく、何かを待ってじっとしていたという。
母は生まれ故郷の港町をそもそも自分に相応しいとは思っていなかったのだろう。母の母と一緒に喫茶店をやれば、自然に地元へ根を張ることとなる。それを避けるために待っていたのだ。自分の乗る船を。
故郷からどこかへ移動するには切符が必要だった。ただどこかへ動くというわけにはいかなかった。もう既に三〇代後半を越えていた母にとって難しかったのだ。船に乗るために必要なもの、その切符とは母にとって仕事であった。
それは母の友人の助けで案外簡単に手に入れることができた。東京時代の友人とは俺から去っても継続して交流を持っていたのだ。
母は編み物が好きだった。本人の口からそれを聞いた記憶はないが、彼女はいつも暇さえあれば毛糸を傍らに編み針を操っていた。編み込まれた複雑なパターンは、目を閉じた時まぶたの裏に浮かび上がるそれのようで、黒光りする砂の万華鏡のようでいて。広がり続けるニットの模様を眺め続けていたことを俺はよく憶えている。
上京後、彼女は洋裁学校を卒業して間もなく結婚したので、得意の編み物を仕事にしたことはなかったのだが、北海道に戻ってしばらくして友人に誘われてちょくちょく手芸雑誌にアルバイトがてら協力することになった。誌面に作品を載せるくらいであれば北海道に住んでいても可能だったので、気軽に引き受けた。
自分の作ったものが多くの人に紹介されるのであれば、と格安で何でも引き受けようと素人作家は大抵思いそうなものだが、彼女はそうでなかった。最初からプロと同等の報酬を友人に要求したのだ。ギャラは彼女の北海道生活を潤すには充分過ぎる額であった。
友人が彼女の才能を買っていた、といえばそれまでだが、広告収入も大して見込めないであろう雑誌において、編集者としてコストのかかる素人をなぜそこまでして抱えていたのであろうか。
母が友人の弱みを握っていただとかの安っぽい、入り組んだ事情が容易に想像できるが、要は彼女とその友人も「話す側」と「聞く側」だったのだろう。今の俺とお前のような。一方が提案し、もう一方は黙って受け入れるしかない、という。
一見優劣のありそうに見える関係だが、友人は彼女から正確に聞くことで、理想の誌面を実現していた。その秩序立った関係性こそが友人が彼女を選んだ理由であったのだ。確かに彼女は「話す側」であった。というより、むしろ聞くことができない人間だった。
母は赤ん坊だった俺の泣き声を聞くことができない人だった。あらゆる泣き声は無視されて、彼女は俺に向かって語りかけるだけで、何も応えてはくれなかった。彼女にとって俺の泣き声は鬱陶しく退屈なものであった。
ママに何かを伝えようと、赤ん坊は言葉を持っていないため泣く。いや、言葉を発するのは泣くこととほぼ同義であって、俺たちが用いる言葉というのは、本来泣くことで伝えるべきことを迂回し、曖昧にするだけでしかないのかもしれない。現に言葉を発する俺は何が言いたいのか、今もう既に分からなくなってきている。
ママに泣き声を無視された俺にはもう、一切自分の言葉を理解しながら話すことができないのかもしれない。ただもがいてはいるのだ。まだ先は長いが聞いて欲しい。いずれ事実から逃げ回る俺の言葉がお前に慟哭として宿ることを信じたい。
母の作品は読者の大きな反響を呼んだ。決まった様式を持たず、巡り巡るパターンは、人体の生々しい毛細血管を思わせたが、それはグロテスクでなく、西のものとも東のものとも知れない聖性を、異邦の光を放っていた。用途のはっきりしない、その長い帯状の毛の塊が、実用性ばかりを求めがちな層を含めた読者に目新しく映った。
結果的に逸材を発掘することとなった友人を介して、手芸雑誌以外からも取材がかかるようになるのにそう時間はいらなかった。インタビュアーに追われ、退屈しなくなると彼女は編む手を止め、雑誌時代に築いた貯金の一部を切り崩し、たやすく東京に戻ってきた。すでにテレビ出演が決定していたのだ。
彼女は「話す仕事」によって故郷を再び出ることを決意したのであった。時に目が詰まったようになる自身の作品と違い、彼女は明朗に淀みなく言葉を紡ぐことができ、その性質をメディアは好意的に迎えた。
彼女は言った、「編むことは話すことである」と。「編み物は毛糸がそれを聞いた結果である」と。そして「日本の女性は、男に贈る手作りニットのように、あまりに類型的で、まるで毛糸に編まれているようだ」と。もっと自由に編んで、話して、そうした女性像から離れるべきだという主張を彼女は繰り返した。
俺が四〇がらみの母をテレビで初めて見たのはちょうど高校受験の最中であった。昼のワイドショーのコメンテーターとして半円形の机、画面右側に座っていた。
パステルカラーのスーツといういでたちから、最初は自分の母だと信じられなかった。他人のそら似、だと。ただ彼女の席のネームプレートには『MIKACO』とあった。ミカコと読むアルファベット表記の芸名。紛れもなく母の名前。それを確認して、彼女が母さんなのだと諦めた。
ひどく不安な気持ちになった。姓を捨て去ってしまった母を見て。家族に所属することをやめた彼女を見て。
彼女と俺はもはや関係がなかったのだ。俺が誕生させられたことで彼女と俺は分断され、彼女が俺から去って分断され、テレビで彼女をふたたび認めることによって更なる分断に遭ったのだ。
ミカコはやはり「聞く」ような女性ではなかった。ワイドショーのご意見番としてありがちな、前後の話題の脈絡もおかまいなしで何でも自分の主張に関連づける人物であった。無責任に辛口コメントをふるうポジションに彼女は座ったのだ。
その日はある妊娠騒動、いわゆる「できちゃった婚」の会見をした女性タレントを、ミカコは罵倒していた。
「あのねぇ、最近の子はどうのと言いたくはないけどダラしないわね。若いと物事の順序だとかいう決まり事を、いいやってウッチャリがちなのはワタシもわかるの。だけどね、避妊もしない、させないで、できちゃった、エヘって、そりゃないっしょ。全然かわいらしくないのよ。なんでノーって言えないんだか。聞き分けだけイイコちゃんで、なんでもかんでも受け入れるっていうのがねぇ。そういうのがカレの誕生日に手編みセーターあげちゃう感性なのよね。そもそもできちゃった婚なんていう安易な名前が――」。
いつも通り長いコメントになりそうだったため、恰幅の良い、優しげな男性司会者に「ええ、おっしゃることは分かりますね」と話を遮られてしまった。彼が微笑んでミカコをなだめる調子が、その場の予定調和で、番組のみどころであった。カメラは唇をとがらせる厚化粧の四〇女をクローズアップする。それでも彼女は、ミカコは横に座るどこかの大学の教授に話の続きをしている。机の反対側にいるまた別の女性タレントはその様子を見て失笑し、司会者は番組を淡々と進行していた。真ん中のモニターにはまた別のトピックの写真が出ていた。次は「連続幼児殺害少年、その人格に迫る」といった内容のものであったか。精神科医が彼の親の加えた虐待が原因になっていると語る。ミカコ含むコメンテーター一同はその親を責めたてる――
俺はテレビモニターの中で起こっていることに耐えかねて目を閉じ、まぶたの裏の万華鏡を覗いた。この番組を見ている俺以外の人間にとってこの女性は口うるさくワガママなオバサンに過ぎぬが、俺には母であって他ならないということに。俺以外の人間が母を見ているということに。『MIKACO』というふざけた名前で認識されていることに。俺を放っておきながらテレビで無責任発言を繰り広げているという理不尽に!
ミカコは俺を生む前に堕胎をしたし、その後にも堕胎していた。そして俺の生まれたきっかけは妊娠時期の見誤りのせいであって、彼女の非難する「できちゃった婚」というヤツだった。
確かに勢い込んで喋っていれば以前の自分の行いなどというものはどこかに消し飛んで、今現在に陶酔しきってしまう、そういった気持ちが俺にはよくわかる。実際、今俺が喋っていることも、本当は語る資格などないことなのかもしれない。
だがしかし、ミカコは俺が見ているテレビの中で堂々と「できちゃった婚」を否定してみせたのだ。自分で同じようにして産んだ子は、はっきりなかったものとされた。
「自分は母から誕生した存在ではないのだ」、という幼少期にありがちな感情を当時が一五歳くらいだったわけだから、ずいぶん長い間まで拗らせ続けてきたわけだが、不思議とこの出来事をキッカケにその想念から解放されたのだった。母が母でないと否定するということは、母が母であるという確信があるからこそ、「自分は橋の下で拾われた」と安心して言えるというものだ。しかし母が母でないと確信すると、かえって楽に自分がミカコの子供であることを見据えることができるのだ。橋の下の深淵に怖じ気づいて。
「俺はミカコの子供。ミカコの腹から出でてどこぞへ消えるもの」。
把握した。分かりやすい構造だった。誰かと誰かに複雑な構造などあろうはずもない。だから俺はこうしたことに苛まれる必要はないし、そのことをこれから起こる苦難の言い訳とは決してしない。
産道で窒息しかけた大きな逆子である俺は、こうして母親の胎内から本格的に這い出すことができたのだ。自身を獲得したのだ。生まれ変わったのではなく、生まれたのだ。
母親の話をするはずが、かなり俺そのものに踏み込んだ内容になってしまった。俺はもしかしたら俺自身のことについて話したいのかもしれない。泣いているのかもしれない。お前に俺を理解させるのが最大の目的で、それを達成するために色々と回り道をしているだけなのかもしれない。だから話を聞いて欲しいと繰り返し願うのだ。それこそ母に甘えるように。
ただ今の段階では、それは違うのだと言い切れる。俺は語りたいことが分からなくなるんだということをお前に説明しようとした。だから俺は母についての話を試みただけのことだ。事実俺は母を通して自分のことを説明してしまった。母の中をくぐり抜けた俺の話を。
本当なんだ。本当だ。俺は母親のことを話したいだけだったのだが俺の話になってしまった。これは嘘ではない。お前が今聞いていることに一切の嘘は存在しない、と言わせてもらおう。
しかし、嘘といえば俺はずいぶんと沢山の嘘をついた。特に俺は自分の子供に多くの嘘をついてしまった。なぜ嘘をついてしまったのかというと、子もまた俺に嘘をついていたからだ。