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そのとき私は、太古からの永劫の“ヘビ”の象徴である三十女と、彼女のことを書いた男たちのことを思った。――(ウィリアム・フォークナー『バーベナの匂い』龍口直太朗訳 新潮社刊『フォークナー短編集』より)



饒舌っていうのにはほとほと弱ってるよ。自分自身のそれもそうだし、他の人のそれにも。とにかく舌を懸命に動かせば動かすほど、語るべきことっていうのは分裂していくのだ。喋ってるうちに主題なんて忘れてしまう。口を動かしているのが単純に面白くて、気持ちよくて、別にテーマなんてどうでも良くなってしまうのだが、話し相手がそれでは誰もいなくなってしまう。さも、何か言うべきことがある、お前に俺は伝えようとしている、届けようとしているかのような姿勢だけは保ち続けたいと思う。


そう、こうやって時折相手の目を見る。見つめると相手の中ではその瞬間、話の内容がリセットされる。仕切り直し。その瞬間は話の内容を考えなくても良いようにさせてあげる。段落をつける。章分けをする。目を見るまでの間で一呼吸つけてやる。


ずっと目を見てはいけない。あくまで一瞥くれてやるだけでいい。相手も一瞬こっちを見ればそれでオーケイ。それを定期的にやってやるだけで、話がさも筋立っているかのように聞こえてくるものだ。


よく目を見て話すことは話術の基本であるというが、少なくとも俺はじっと相手の目を見据えて話をしたことなんてない。それは格下の相手を恫喝する時にでもやればいい。


上とか下とかそういう問題ではないのだ。優劣ではない。ただお喋りを聞いてくれればそれでいい。口を開く人と口を閉じる人がいる、コマイヌのように調和の取れた関係。あらゆることがその両者で並列に結ばれれば平和。甘ちゃんだと思われるだろうが、俺はこれでも結構真剣に考えている。平和だとか愛について。お前にとってもひどく重要な問題ではないだろうか。


分かりやすく愛と平和とか言ったが、もしかしたら俺は単純にそんなことを言いたいわけじゃないのかもしれない。二者の要素で語る愛や平和に、二者で論じる世界とかにどれほどの意味があるのだろう。ものすごく難しい気がするんだ。そのことについて語るのは。だから喋る。喋り続けるしか俺には方法がないのだと思う。喋っている間にきっと当初言いたかったことなんてきっと霧散してしまうとお前は思うだろう。俺にも不安はある。ただ喋ったあとに聞く側に残ったもの、それこそが語るべきものの実体と言えるだろう。受け取り方こそが全てと言えるかもしれない。それを残すのが俺が喋る理由なのかもしれない。聞いてくれなければ、俺は何かがほどけてしまったように、ただバラバラになってしまう。自分がどこにいるか分からなくなる。分からないと俺自体がどっかに消し飛んじまう。糸くずになっちまう。


だから口を閉じ、聞いてほしい。別に話が終わった後、その残ったものを何かの手段で伝えなくてもいい。聞いてくれるということ、そのものが意味なのだから。

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