美術室
ホラー小説家恒川美晴シリーズ第3作です。今回はいじめがテーマの一つとなっております。
大学生恒川美晴。正月に親戚の集まりのために帰省しており、今は実家にいる。そんな美晴に連絡があった。それは中学時代の友人・中原詩織からの連絡。中高一貫の学校に通っていた美晴と詩織。しかし、詩織はいじめが原因で高校1年の時に中退している。そんな詩織から何の前触れもなく連絡があった。
「中学の時の友達?」
美晴の母は美晴に尋ねてきた。
「うん。もしかしたら私のせいで学校やめたかもしれないから、あまり会いたくないけど。」
美晴はスマートフォンをスリープ状態にすると答えた。美晴本人も詩織に対して思うところがある。仲良くしていたつもりの詩織が急に不登校になり、高校までやめてしまったこと。高校に進んで、クラスが別になったらあまりかかわることがないまま詩織が高校をやめてしまったこと。それ以来メールや電話などでの連絡を取り合うことがなかったが、年末に何の前触れもなくフェイスブックで友達申請され、メッセンジャーで会う約束までしてしまったのだ。
約束の日、約束の時間になり、美晴は駅前のファストフード店で待っていた。
「美晴?」
美晴と目が合った相手は言った。声は詩織の声そのものだが見た目は変わってる。今まで眼鏡をかけていた詩織はコンタクトをつけているようで、短かった髪は長く伸びている。髪までは染めていなかったが。
「久しぶり。」
明るい声で詩織は言った。美晴にとってその明るさは余計に心をえぐるものとなる。
「うん、久しぶり。元気にしてた?」
「うん。今は高卒認定の勉強をしてる。」
3年以上は会っていないことが嘘のように詩織は話す。だが、美晴はこれ以上詩織に何かを聞く気にはなれなかった。
「そっか。今日はどうしようか。」
美晴は言った。
「M女子学院に行って会いたい人がいるんだけど、いい?」
「…………いいよ。」
聞かれて2秒ほど黙った美晴は答える。詩織は自分がいじめられた場所であるM女子学院に何の用事があって行こうと思ったのか理解に苦しんでいた。きっと詩織にとって忌まわしい場所であるはずなのに。
電車とバスを乗り継ぎ、美晴と詩織はM女子学院に到着する。美晴にとって約1年ぶりの、詩織にとって約3年ぶりの場所。
「行くところは美術室だけでいいよ。中谷先生に会いたいだけだから。」
と、詩織は言う。美晴は詩織についていく形でM女子学院の美術室へと足を運んだ。芸術教育に力を入れている学校とはいえ、特進コースだった美晴は美術室に高校2年以降足を踏み入れていない。
美術室はあいかわらず生徒の作品が並べられ、黒板には参考作品が貼られていた。これは中学生の作品だ。絵具で塗られた「目」ひとりひとりの特徴がしっかりと出ている。美晴と詩織にとっては懐かしいものだ。
「ごめん、美晴。ちょっと中谷先生とお話してくるね。できれば先生と二人で話したいけどいい?」
美晴が参考作品を見ていると、詩織は言った。
「うん。私はここで待っているね。」
詩織は美術室の奥にある準備室へと入る。
一方の美晴は中学3年の時に作った「空の絵本」を手に取った。偶然だったのか、ちょうど美晴の学年のもの。美術の成績がよかった詩織のものも参考作品として残され、キャプションもある。
◆◆◆
人間はこわい
わたしは空に行きたい
友達には言えない
心配させたくないから
ひとりで空に行くよ。
◆◆◆
美晴は詩織の作品のキャプションを初めて読んだ。作品そのものは空がきれいなもの、天国として書かれているが、どこかに死をにおわせる描写がある。カッターナイフ、血、首つりのロープ、睡眠薬、練炭。どれも自殺に使われる。詩織は死にたがっていたのか。だが、今の詩織にその様子はない。
絵本を閉じて装丁も見るが、そこにはビニールに包まれた何かの薬が張り付けられている。美晴は理解に苦しむ。
美術が好きだった詩織はきっと心を病んでいたのだろう。何らかの表現をする人は心を病みやすい。美晴はそれを思い出してそっと絵本を閉じた。
その後、美晴は詩織以外の生徒が作った作品を見るが、どれも詩織のものほど引き込まれなかった。詩織は中学生の頃から生粋のアーティストだったのかもしれない。
ほどなくして詩織が戻ってきた。中谷先生と話したのか、すっきりしたような顔つきだった。
「ごめんね。待たせてしまって。」
「いいよ。久しぶりにいろいろな作品を見たから。」
美晴は言えなかった。詩織の作品を見たことなんて言えるわけがない。それでも、彼女の作品は残されるべきだと美晴は確信している。
「そっか。私はね、みんながどこの大学に行ったのかも聞いたよ。それにしてもびっくりだね。私をいじめていたグループの人、みんな受験に落ちているんだから。」
美晴はどきっとした。まさに因果応報のような結果。詩織と同じクラスで彼女をいじめていたうちの一人は成績もよかったはずなのに。難関大学のほかに実力相応のところも受けていたのに。
「ほんとに、人生で何があるのかわからないね。やっぱり、どう足掻いても人生において確実なのは死ぬことだけなんだよ。」
朗らかな様子で詩織は言ってのけた。恨み、後悔、苦しさ、影のまったくない詩織は美晴にとって恐ろしく見えた。どうして詩織は影を見せないのか。
その日、美晴と詩織は喫茶店で話すことを話してから別れた。お互いに再会の約束をして。
「今度は春休みかな。また会おうね。」
美晴は帰りの電車でフェイスブックのページを開いた。今日の出来事を投稿しよう。かつての同級生の作品についての投稿をしてしばらくしたときだった。
――「中原詩織って学校やめた後すぐに自殺したらしいよ」
美晴の投稿にコメントがつけられていた。それは詩織を知っている、美晴の元クラスメイトによるもの。美晴は詩織のアカウントを探してみた。
詩織のアカウントは追悼アカウントになっていた。本当に詩織は死んでいた。詩織が自殺したのは彼女が学校をやめて1週間後だということを美晴は確認する。美晴はそのまま、人目もはばからずに涙を流す。気づかなかった自分が憎くて仕方がない。
「私が一緒にいたのは一体誰?あのアカウントは何。」
――私は何もできなかった。せめて高校に入ってからも、クラスが違っても仲良くしていればよかった。人は行動しだいでいとも簡単に他人を傷つける。傷ついた人はその気になれば簡単に命を絶つ。私は寄り添えなかったから友人を失った。