何故ビスデンゼ様?!
よろしくお願いいたします。
朝ですわっ!
雲一つ無い、爽快スカイブルーが空いっぱいに澄み渡っておりますわ!
「なんて素敵な一日の始まりでしょう!昨日までの泥まみれな日々が嘘のようですわ。これも私の日頃の行いが良いからですわっ!」
シャーッと勢いよくカーテンを開けて、今日の始まりに勢いをつけます!
「さぁ!頑張って綺麗に致しましょう!」
昨日の夕方、部屋の扉を開けると、足元にカードが落ちてきました。
差出人の名前も無いピンク色のカードには、
〜〜〜明日の十時頃迎えに行く〜〜〜
と、簡素に書かれておりました。
カードに型押しされた小花と微かなスズランの匂いに再びうっとりです。
リューを経て便箋を受け取ってから二日後の週末に届いたカード。
嬉しくて、枕の下に置いていつもよりも早く眠ろうとしましたのに、そんな時に限って目が冴えてしまって何度も寝返りを打っておりました。
でも、いつの間にやら熟睡していたようで、今朝はパチっと目が覚めました。
この日のために選んだ緑色のレースのリボンとクリーム色のワンピース。
鏡の前でクルンと回れば、二枚重ねのドレスが綺麗に円を描きます。
「うん、大丈夫ですわ。」
さぁ、朝食をいただいてラウンジでお待ち致しましょう。
足取りも軽やかに部屋を出ますと一階の食堂へと向かいます。
気持ちが高まってはしたなくもスキップしてしまいそうです。
窓を開け放って、声高々に歌声を披露してしまう勢いが今の私にはありますわ。
ラウンジで待つ間も気持ちはソワソワしておりますが、そこは他の方々の視線もございますから、落ち着いた風を装って淑女らしくお茶をいただきます。
静かな部屋の中を占める大きな振り子時計の音を聞きながらふと、思います。
悲しいことに、曾お爺様とはあのときから会うことが叶わなくなっておりました。
それはまるで、運命に引き離された恋人達が、人目を忍びやっとの思いで再会を果たすシチュエーションの様ではないかと。
心待ちしていたこの日。予定よりも早く準備を済ませて待つ私は物語の中の主人公の様で気持ちが余計に高まっていきます。
「失礼致します。ガヴァレア様、ルガット子爵家より迎えの者が来ております。」
このときを待っておりましたわ!
飛び上がってラウンジから駆け出します。
「ガヴァレア様、走ってはいけません!」
後ろから飛んでくる声に、軽く謝罪の言葉と愛想笑いで返します。
ルガット家ですって!曾お爺様の生家ですわっ!
イグウェイのお名前を伏せて来るなんて、ますます秘密の逢瀬のようで嬉しさのあまり胸が痛いのですが!
廊下を突き抜けて角を曲がればホールに到着です。
興奮で荒くなった呼吸を整えて玄関の扉へゆっくりと近づきます。
痛む胸を押さえて扉の外に立った人影にアラ?と思った途端動きを静止させてしまった私。
「おはようございます。お迎えに参りました、フィルマール様。」
足音に気が付いたのでしょう。
私の姿に眩しいほどの笑顔を向けて明るく挨拶されたのは、
「………ビスデンゼ様。」
それまでの高揚感がサァーーーッと頭から引いて行く音が聞こえます。
何故ビスデンゼ様?どうしてビスデンゼ様?
頭の中でぐるぐる回るクエスチョン。
「フィルマール様をご案内するお役目を仰せつかりました。さっ、馬車までエスコートさせて下さい。」
スッと出された腕とビスデンゼ様のお顔を見返す私の表情が面白かったのでしょう。
ビスデンゼ様がフッと声を漏らします。
「目的の場所までここから片道四十分ほど掛かります。滞在時間が短くなりますよ?」
そんなことを言われましても、足が前進することを拒否して動きませんの!
私の本能が、一歩を踏み出すことに全力で拒んでいるみたいです。
あああっ!いつもの悪辣な侍従は何処にいるのでしょう。
嫌味ばかり言うあの小賢しい侍従のディルヴァイスが来るのが当然だと、疑う余地もありませんでしたのに!
職務怠慢では無いのですか!
どうして侯爵令息であるビスデンゼ様がイチ伯爵家の取るに足らない私を笑顔で迎えにいらっしゃるのですかっ?
ダメでしょう?!
ダメですわっ!と言うよりやめて下さいませ!
いったい私が何をしたと?ビスデンゼ様を苦手とする私にそのビスデンゼ様を当てて来るなんて!
何の拷問ですの?!
固まったまま微動だにしない私に、苦笑したビスデンゼ様のお顔が近づいて来ました。
「ほんとうに、貴女は面白い反応を見せて下さいますね。」
わざわざ私の耳元で囁くビスデンゼ様の息がっ!!
「なぁーーーっっ!!」
思わず耳を塞いで跳び退けば、すかさずビスデンゼ様の腕に捕まって引き込まれます。
「落ち着いて。私は貴女のエスコートを言いつかっただけです。フィルマール様と閣下の逢瀬を邪魔するわけではございませんから。」
そう言って何故か子供をあやすように背中をポンポンされました。
「大丈夫。大丈夫ですよ。ゆっくり歩きましょう。」
生まれたての子鹿のようにプルプルする足をたどたどしく進めて馬車が停まる車寄せに向かう私。
確かに足が震えて支えが無ければ歩行も困難ですけど、がっしりと腰に腕を回された姿を誰かに見られてしまったらどうなさるんですの?!
私が混乱している間にビスデンゼ様にサクサクと馬車に連れて行かれるのも納得できません!
現状把握が追い付かない状況の中連行されながらも前方で停車している馬車を見ますと、扉の横に立った侍女の姿に驚きのあまりお間抜けな声が出てしまいました。
「えっ?ラウラ??」
黒い髪を一本も漏らすことなくビシッと纏めて、眼鏡の細いフレームを揃えた指でクイっと押し上げる、少し近寄り難いこの侍女と会うのは何年振りでしょう。
「お久しぶりでございます。フィルマール様。」
ニコリともせず背筋を伸ばしてお辞儀するラウラは、曾お爺様のお屋敷の侍女です。
「どうしてーーー」
「婚約者候補の私と二人だけで乗るのは外聞が悪いからって。まぁ確かになんだけどね。」
そう言いながら強引に私を馬車に押し込めるビスデンゼ様。
「どこに目があって耳があるのかわからないからね。」
座席に座ると肩を窄めて見せるビスデンゼ様が御者に合図すれば、ゆっくりと動きだします。
私の横に座ったライラに視線を向ければ、真っ直ぐに背を伸ばして膝の上に手を重ね、視線は足元よりも少し上辺りを見つめています。それはお手本のように綺麗な姿で座っております。
「フィルマール様、私は貴女に謝らなければなりません。申し訳ございませんでした。」
ライラを気にしてチラチラと見ていた私の目の前に座るビスデンゼ様が小さく頭を下げます。
エッ?頭下げます?!
「あの、あの、頭をお上げくださいませ。何故謝られておられるかわかりません!」
確かに朝のお迎えがビスデンゼ様だったことには酷く取り乱してしまいましたが。
馬車と言う密室に、ビスデンゼ様と二人だなんて想像もしたく無いのですが、曾お爺様の機転でライラを差し向けて下さったそのお心遣いを思えば、気持ちを取り乱すような失態はありませんわ。
「私が………年甲斐も無く浮かれてしまったことで、フィルマール様に謂れの無い誹謗や暴言に窃盗、更には貴方自身にも危害が及んでしまいました。」
あ、そのことなのですね。
あまり思い出したくはないのですけど………うん?ライラの膝に置いた手がヒクッと今跳ねましたわ。
「謝ったところでフィルマール様が被った苦痛が消えるとは思っておりません。ですがーーー厚かましいのは重々承知の上でお願いします。婚約者候補から外さないで下さい。」
そう言いながらビスデンゼ様の頭が力無く項垂れて両手でお顔を覆ってしまわれました。
………最初の頃はおかしなことが続くわねぇ、などと軽く思っておりましたの。でも、知らないご令嬢方に呼び出されて寄ってたかって有る事無い事わんわんと言われ、上から水が降ってきたときはさすがに身の危険を実感しましたの。
「わかっていたはずでした。自分が周りからどう見られているのか。そこは幼いころから自覚してました。なので御令嬢方と接するときはよくよく注意していたんです。………こうなることは簡単に想像できましたから。」
先日は舞台俳優のように声を張っておりましたのに、今は見る影もございませんわね。
「ーーー私の責任です。」
お顔を手で覆って弱々しく頭を振るビスデンゼ様に思わず救いの手を差し出してしまいそうですがーーーダメです。
動き出そうとする手に言い聞かせましたわ。
「私の軽率な行動で貴女を危険に晒してしまった。それは紛れもないな事実。候補と言えど、婚約者にと望んだ令嬢に対しての私の行動は全く褒められたものではありません。」
項垂れるビスデンゼ様にどうしたら良いのかわからず、隣に座っているライラを見遣ります。
ですが、私の期待も跳ね除ける鉄壁の姿から滲み出る無のオーラはさすがはライラ。まったく微動だにしません。
何とも言えない空気に包まれた馬車の中、美しいビロードに覆われた天井を見上げて数十分前までの私を思い出します。
幸せな目覚めで始まった今日なのにどうして今この状況なのでしょう。
そもそも、被害を被っていたのは私でビスデンゼ様は元凶のはずなのに、何故こんなに居た堪れない気持ちになりますの?
胸に詰まった重いモノを大きく吐き出したいのですが、目の前で項垂れるビスデンゼ様を前にしては………さすがにダメでしょうねぇ。
読んで下さり有難うございました。
明日も投稿いたします。




