忘却のレジュレ
今年二話目の投稿です。
作文中、残酷な場面が幾つも出てきます。
苦手な方はご注意下さい。
よろしくお願いいたします。
そこはすでに終わっていた。
館は炎に包まれ崩壊し、星の瞬く濃紺の空を紅く染め黒煙を噴き上げている。
美しく手入れされた館の周りには息絶えた者達の流す血溜まりが広がっていた。
しかしそんな中、まだ抗う者達がいた。
「に、逃げて下さい!」
調理場の白い服装を着た小柄な男が〈ドゥール〉と剣を交えながら苦悶の表情で言い放つ。
「にっーーげぇ、ない!」
言いながらメイローズが土を掴み〈ドゥール〉目がけて投げた。
が、それは簡単に振り払われてしまった。
「これでも騎士になるために、訓練しているんだからっ!」
タガーを持ち黒尽くめの者に斬り込むメイローズは、息を荒くし瞳は大きく見開き興奮していた。
〈ドゥール〉に撃ち込む度に躱され、払われ、地面に身体を転がし、まったく相手にならないことが悔しくて、非力であることをこれでもかと思い知らされ、恐怖心を麻痺させた。
タガーを手に入れたメイローズがナユルとケートの元へ駆け出した直後、料理場の服を着た男が黒尽くめと戦っているのが目の端に入り込んだ。
必死に抵抗していた男の表情が諦めを含んだように見えて、メイローズの足が勝手にそちらへと向いていた。
しかしメイローズが加わったことで状況が有利になる訳もなく、ただ調理場の服を着たそこそこの剣捌きでしかない男にとって、格上の敵相手に既に体力も気力も尽きかけていたところへ現れた自分よりも最優先に守らなければならない小さな少女の乱入で、切れかけた闘志を奮い起こさなければならいとは、思ってもなかった。
「お願いです!ここから離れて!」
必死に《ドゥール》の剣を交わしているが、足元がフラついて危うい。
「ダメ!」
タガーを構え《ドゥール》に攻めいるメイローズだったがこちらも足元が既に覚束ない状態だった。
「こんなところか。」
それまで無言で対峙していた《ドゥール》が平然と剣を受け流し溜め息まじりに吐き出す。
「剣の練習は終いだ。」
そう言うと調理場の服を着た男の剣を弾き飛ばしその勢いのまま上から下へと一閃させた。
「ーーーーーーーーー!!」
「真っ赤な髪と金の瞳。成人した女と、子供で男ーーー」
調理場の白い服に浮き出た赤い縦の線。
それはみるみると浮き上がり綺麗に切断された箇所を伝って地面にぽとぽとと落ちていく。
ついさっきまで隣で剣を振っていた調理服の男が、膝を折って地面に倒れ伏すまでが一瞬の出来事だった。
「お前だ。」
メイローズは自身に向けられた剣に付着した血に愕然となった。
初めて恐怖を実感し、今更ながらメイローズの身体が震えだす。
握っていたはずのタガーが掌からこぼれ落ち音も無く地面に転がり落ちる。
言葉にならない呻き声が渇いた息とともに出る。
つーーーっと、剣先がメイローズの背よりも上に上がるのを見開いた金色の瞳で見つめる。
「ぐっっ!?」
と、剣が振り下ろされる刹那、《ドゥール》の側頭部に突き刺さった鈍く光る銀色の棒。
「メイローズ様っ!」
ほぼ同時にケイトの声が聞こえる。
しかしそちらを向くことができなかった。
なぜならメイローズの方に向かって剣を構えた状態で《ドゥール》の身体が傾いできたからだった。
「メイローズ嬢!伏せて!」
ガダルの声に動かなかったはずの身体が大きく飛び上がって地面に伏せるメイローズ。
すると頭上をシュッという音と風が通り抜けたと思った途端、地面を叩きつけるような乾いた音と振動が伝わった。
「大丈夫ですかな?」
頭上から聞こえる低くてガラガラした声にゆっくりと首を 回せば大きな男がメイローズに向かって厳つい手を差し出していた。
無意識に手を差し出すが、上げた腕が小刻みに震える。抑えようと意識すれば余計に大きく震えてしまい、表情を歪に歪ませるメイローズ。
「大丈夫ですか?メイローズ嬢。」
少し屈んだガダルの胸元から覗いた柔らかな蜂蜜色の髪にメイローズの強張りが一瞬で解け、自然に頬が緩む。
「マール。」
ゆっくりと起き上がりフィルマールに手を伸ばせば、ガダルがマントをたくし上げる。
未だ起きること無くアイスブルーの瞳を閉じたフィルマールの頭に手を置き、艶やかな髪を撫でるメイローズ。
「………エルやミュリネア様も大丈夫かしら。」
無表情でゆっくりと撫でるメイローズが小さく呟いた。
「そうですな。エルヴィーダ殿にはページルやディルヴァイス殿が付いておりますれば心配ないでしょう。」
「メイローズ様ーーー」
「ケイト、大丈夫?ナユルも平気?」
ケイトが駆け寄り跪くと、メイローズの身体を抱きしめた。
「………はい。一人にしてしまい、申し訳ございません。」
メイローズの温もりを確かめるように抱きしめるケイト。
「ケイト、ナユル。ここを離れ、街道へ向かう。ディルヴァイス殿と合流できれば良いが、街道を進めば戻って来る殿下と会うことができるかもしれぬ。」
ガダルの言葉に強張った表情が少し緩み、ナユルとケイトが頷く。
メイローズはガダルのマントの内側で眠るフィルマールの腕にそっと手を添えた。
「ガダル、マールを起こさないでね。」
見上げるメイローズに苦笑いでガダルがこたえた。
「これだけ走って揺らしても起きる気配がまったくござらん。大丈夫でございますよ、メイローズ嬢。」
「メイローズ様、行きましょう。」
ナユルが声をかけ走り出す。
スルリとフィルマールの手の甲を撫で、不安気に揺れていた瞳を固く瞑って小さく「大丈夫」と呟いて気持ちを落ち着かせてケイトを見る。
ケイトは少し緊張した瞳を向けるメイローズに、満面の笑みで頷き冷たい手を握りしめた。
しかし、走り出したメイローズ達を待ち構えていたかのように無数の矢が襲いかかった。
「ケイト!?」
メイローズの手を握って並んで走っていたケイトが全身を強張らせ、抱え込むようにメイローズの身体を抱き込み地面に膝をつく。
ケイトの背中と腰の辺りに突き刺さる矢を目の当たりにしたメイローズが泣き出しそうな顔でケイトの身体を摩る。
「ケイト?ケイト?ケイーー」
「メイローズ様!ガダル様と行ってください!」
駆け寄って来たナユルが左腕を押さえケイトとメイローズの前に立ちはだかった。
「ガダル様!」
ナユルが叫んだ瞬間、黒い衣装を纏った《ドゥール》が目の前に現れナユルの胸を一突きした。
「逃げてーーー」
ケイトが震えながら立ち上がるが、
「ーーーーーーー!!」
《ドゥール》の振り下ろした剣が容赦無くケイトをも裂く。
メイローズの視界の先に立ちはだかった黒尽くめの大きな魔物の目がニヤリと笑った。
「ーーーーさせぬ!」
横からガダルの剣が《ドゥール》に振り下ろされたが難無く躱される。
しかしガダルは躊躇いなく接近し更に撃ち込む。
「早くっ………」
撃ち響く剣の音に掻き消されそうな、息を詰めるような小さな声と力の入らない弱々しい手をメイローズに向けるケイト。
「街道へーーーにげぇ……」
「いやよ!ケイト、一緒に行くのっ!」
首を振るメイローズの身体を力無く押し、焦点の合わない目から一筋の涙を流すケイト。
「ミュリネアーーさまとの約束ーーー」
「ーーーーーケィ!!」
「この先を真っ直ぐ!」
ガダルの大きな声にはじかれて前を見ると、離れた場所で《ドゥール》と対峙する姿を認めた。
「走りなさい!真っ直ぐに!」
「ーーーーーーーーっっ!」
メイローズの腕にあったケイトの手が力無く地面に落ちた。
くいしばる口から漏れそうになる嗚咽を手の甲で抑え立ち上がったメイローズが一気に駆け出した。
もう何がどうなっているのか、どうすればいいのか、考えることなどできなかった。
ただ、自分の目の前で斃れていく近しい者達を目の当たりにした衝撃が強すぎて、この現実を正視できなかった。
だからメイローズは走れと言われてがむしゃらに走った。
そしてぼやけた視界でもわかるぐらいの近さで木々を捉えたときだった。
「ヴィーーーーーーーッ!!」
突然響いた甲高い声は、メイローズの耳に、身体によく馴染んだ大好きな声。
それはメイローズの足を止めるのには十分だった。
メイローズが声の主、フィルマールの姿を見るために後ろを振り返った瞬間ーーー
「いぃぃぃぃーーーーっ!」
フィルマールの引き攣るような声が辺り一面を覆った。
飛んできた矢の勢いのままメイローズの身体が横から吹き飛び地面に叩きつけられ転るのを目の当たりにしたために。
メイローズは息を荒げ、震える手で激痛が走る脇に手を持っていく。
「ミュリネアさま……ご、めん…さぃ……マール、まーる………」
瞳からは留めどなく涙が流れ、発した言葉も周りの騒音で掻き消されるほどか細い。
「ーーーーーメイローズ嬢。」
ガダルが駆け寄り顔に張り付く真っ赤な髪を掬いあげる。
「マール…マール……どこ?」
あまりの衝撃に気を失ったフィルマールの姿をチラリと見て、ガダルがメイローズの横向きになった身体を仰向けにゆっくりと動かす。
「ーーーすっかり熟睡しておりますよ。心配………ござらぬ。」
「そっ……ぅ」
口の端が少し上がって笑顔を作ろうとするが、金色の瞳の光が徐々に弱くなっていくのが見てとれる。
ガダルから発する怒りと悔しさ苛立ちが、再び飛んできた矢を叩き落とし襲いかかる《ドゥール》達を薙ぎ払う。
ガダルに魔人が取り憑いたかのように、それまで動けなくする戦い方だったのが、今は目の前の《ドゥール》達を確実に仕留めていく。
そして、最後の《ドゥール》を斬り伏せたガダルの身体には、何本もの矢が深く刺さっていた。
重々しい足取りで横たわるメイローズに近づいて行く。
「………メイ、ローズーーー」
剣を地面に突き立て、緩慢な動作で傍に跪くガダルが掠れた声で名を呼ぶ。
血の気を失った頬に流れる涙のあとを武骨な指で拭い取る。
すでに息のないメイローズのまだ温かい頬や頭を何度も撫でるガダルの顔色も土色だった。
「最後の……最後で、守れなかったとはーーー」
ガダルは地面に座ると、右腕の中で気を失ってそのまま眠り続けるフィルマールをゆっくりと地面に横たえる。
「このーーー少女だけは。」
苦しげに歪む表情と短く吐き出す熱い息。
ガダルはフィルマールの隣にうつ伏せに寝転がると、マントを広げて小さなフィルマールの身体を覆い隠した。
「どうかーーーこのまま無事に見つけてくだされーーー」
そう言うとガダルは静かに目を閉じた。
夜空からは、熱風で舞い上がった灰が静かに降り注いでいた。
暫くすると、
そこに三人の《ドゥール》が闇間から現れた。
「随分とやられたなぁ。老いても《右の雷光》と呼ばれただけはあるな。」
「感心してる場合か?」
「《ドゥール》と言っても今回の奴らは六層メンバーだ。さすがに元《右の雷光》が相手じゃぁ、荷が重すぎるだろ。」
「………まぁ、人数で何とかなったから、良しとするか。」
「早いとこ終わらせてこっから離れねぇと、ガチ会うからなぁ。」
と、一人がガダルの脇腹を蹴り上げたが、その大きな身体は微動だにしない。
「くたばったのにかてぇガタイだ。」
「遊んでンなよ!」
「オイ、こんなもんか?」
そう言いながら無造作にメイローズの髪を掴み上げて見せる《ドゥール》。
「頬ずりできるぐらいあったほうが喜ぶんじゃねぇか?」
「適当に紐で縛ってさっさと切れ。」
「ヘェ〜」
手にした紐で素早く髪を縛ると、縛った少し上の辺りにナイフを当てて一気に切り離す。
「回収完了。」
「アッチは?」
木々の向こうを顎で指す。
「どうせ判らんだろうからコレでイイだろう。とにかく赤い髪の毛を持って行くのが最重要依頼だからな。このガキと親子なんだろ?だったらなんも問題ねぇさ。」
肩口からバッサリと切られたメイローズの髪を布に包み胸元に押し込むと、ポンポンと黒い衣服の上から確かめるように叩く。
「うんじゃ、撤収しようぜ。」
「なぁ、六層メンバー戻って来る奴いるのか?」
「どうだろぉなぁーーーー」
周りの惨状など気にすることもなく、平然と言葉を交わす三人の《ドゥール》達が元来た闇間へと消えていった。
後一話でブラックホールから抜け出せます。
……随分時間をかけました。
本日も読んでくださりありがとうございました。




