忘却のレジュレ
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
テラテラと艶めく赤黒い血溜まりの上ーーー倒れた男の手元に転がる剣をメイローズはジッと見ていた。
騎士達が持つ一般的な剣はそれでも子供のメイローズには大きく、いつも練習で使う刃を潰した子供用の剣とは重さも長さも倍以上だった。
「私だってーーーー」
そう呟きオレンジ色に染まった木々の間で〈ドゥール〉と対峙するナユルとケートを見て眉根を寄せる。
『逃げて下さい!!』
ナユルとケートに言われて咄嗟に駆け出したが、どこに逃げればいいのかわからず足も止まってしまった。
「あつい………」
そこに………見知った情景は無く、畝る炎に包まれ轟音とともに崩れゆく【深碧のレジュレ】と呼ばれた緑を纏った美しい白亜の館の無惨な姿と、地面に倒れる館の者達だった。
メイローズはもう一度視線を下に向ける。
「私だって………やれるわ。」
動くことのない男の右手側にあった剣を拾い上げれば、想像以上の重さが腕だけでなく身体中にのしかかった。
踏ん張ってみるが、足がふらつき剣先で地面を抉ってしまう。
「おっ……もいっ!」
剣先を地面に突き立て大きく息を吐く。
と、倒れた男の腰に付けられたダガーに目がいく。
メイローズは剣をゆっくりと地面に倒し、腰からタガーを抜き取った。
「ちょっと重いけど、これなら大丈夫。」
額の汗を腕で拭い、右手に持ったタガーを数回振ってみる。
「よし!」
そう言うとメイローズは〈ドゥール〉に苦戦するケートとナユルの方へと駆け出した。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘
「ディル、私とページルは反対側へ行くわ。貴方はエルとともにーーー」
「母上!」
「ミュリネア様!」
焦る二人に対し、
「私もミュリネア様に賛成です。」
ミュリネアを抱えたページルが足を止めエルヴィーダとディルヴァイスを見遣る。
「私とて親衛隊に身を置く者。ディルヴァイス殿には敵わなくとも〈ドゥール〉如きには負けませぬ。ミュリネア様は私がお護りします。ディルヴァイス殿はエルヴィーダ様と街道を目指してください。私も迂回して街道を目指します。」
「………母上。」
ページルに抱えられたミュリネアに不安気な声を出し縋り付くエルヴィーダ。
「大丈夫よ、エル。ディルは本当に強いの。無事にお父様の元に連れて行ってくれるわ。」
ミュリネアの白く浮き上がるほっそりとした手が見上げるエルヴィーダの頬を撫でる。
「ページルだってとっても強いのよ?私をちゃんと守ってくれるわ。」
「ですがーーー」
ディルヴァイスが苦悶の表情で異を唱えようとしたが、
「ディル、お願いです。エルを守って無事に殿下の元へ届けて。」
ミュリネアがエルヴィーダの頬や自分と同じ赤い髪を何度も撫で優しく微笑む。
「エル………エルヴィーダ。私と殿下の宝物ーーー」
心の震えが声や手に伝わらないように、ゆっくりと紡ぐ言葉は明るく、想いに熱を込めて。
「そんな顔をしないで、すぐに会えるのだから。ねっ、いつものように可愛らしく笑って頂戴。」
エリヴィーダの瞳に幕が張りキラキラと瞬くのを見て、ミュリネアが小さく吹き出す。
「メイローズ様が居たらまたからかわれてしまう姿ね、エル。」
目の上をそっと親指で撫でれば、目蓋が下りて目尻から熱い滴が頬を伝っていく。
「ミュリネア様。」
呟くようなページルの声に顔を上げたミュリネアはディルヴァイスに精一杯の微笑みを向けた。
「ディル、頼みましたよ。」
「ーーー誓って。」
ディルヴァイスは剣を逆手に持ち背に隠すとその場に跪き頭を下げた。
「母上ーーー」
ページルが一歩踏み出せば、エルヴィーダを慈しむ手が離れ、慌てたエルヴィーダが腕を伸ばして掴み取ろうとするも虚しく空を切る。
闇に呑まれる悲しげな笑みを浮かべたミュリネアの表情が、残像のようにエルヴィーダの脳裏に焼きついた。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘
ガダルは大股で木々の間を縫うように進んでいた。
〈ドゥール〉を二人動けなくしたが、
「ーーーどれだけ送り込んでいる?」
右腕にフィルマールを抱きかかえているというのに、その枷を感じさせない動きに老いは微塵も見受けられない。
「〈ドゥール〉に攻め込まれるとはーーーそれも殿下が居ないときを狙って。いったい何がおきている?」
思わず出た舌打ちに顔を顰めたガダルは、歩みの速度を落とすことなくマントの下を窺う。
そこには未だ夢と現を彷徨い微睡むフィルマールの可愛らしい寝顔があった。
ガダルはホッとするのと同時に口元を引き締める。
「なんとしても………守らねば。」
フィルマールやメイローズ、ケート、ナユルもまだまだこれからの人生で、老い先短い自分が彼女達の人生を守らなくてはならない。
「ヴィィ……」
口元をムニャムニャさせ、締まりない顔で寝言を漏らすフィルマールに思わず破顔させる。
「このような状態で眠れるとは、さすがと言う他ございますまい。」
脳裏を過ぎる厚かましくも豪胆なゴディアスの姿に苦笑いを浮かべるガダル。
「血は争えぬ………」
ガダルは前方で〈ドゥール〉と戦うケートとナユルの姿が木々の間から見え隠れするのを認めた。
二人がかりだと言うのに苦戦しているようだ。
「ーーーメイローズ嬢は?」
見えない姿に自然と足が速くなる。
勢いよく近付くガダルに気が付いたケートの顔から強張りが緩む。
ガダルが左手に下げて持っていた剣を、腰の位置辺りで水平に構えて走る。
ガダルに対して背を向けていた〈ドゥール〉が、近づく重い足音に反応して数歩後方へ飛び去った。
「ーーー遅いっ!」
それを予想したかのようにガダルが走り込み、勢いのまま剣を薙ぎ払えば、黒尽くめの〈ドゥール〉の服が裂け同時に赤い飛沫が飛び散った。
「ーーーーがっっ!!」
更に回り込んだガダルが前屈みになった〈ドゥール〉の両脚の腱を絶った。
その場に頽れた〈ドゥール〉が釣り上げられた魚のようにピクピクと跳ねるのを尻目に、ガダルはケートとナユルの方へと向かう。
「二人とも、大丈夫か?」
「有難うございます。私は大丈夫でございます。ですがナユルがーーー」
「大丈夫です。腕を少し斬られただけです。まだ戦えます。」
荒い息を落ち着かせようと手を胸に当てる二人の姿が如何に過酷であったのか物語っている。
ガダルが一つ頷き問う。
「メイローズ嬢は?」
その言葉に二人同時に弾かれたように後方へ駆け出した。
⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘
街道脇に着いたディルヴァイスとエルヴィーダが木を背に身を潜めていた
「………母上とページルは、大丈夫かなぁ。」
何処から出て来るのかわからない二人をソワソワと待つエルヴィーダに対してディルヴァイスは警戒を強くする。
深夜に近い時間帯。
整備された街道とはいえ両側は木々の壁が連なり道の先は真っ暗闇だ。
屋敷の喧騒さえ届かない。
静か過ぎることでかえって気持ちがピリピリするディルヴァイスの表情は星夜の空間でも険しさがわかる。
と、僅に草を踏む音がした。
瞬間そちらに身体を向けエルヴィーダを背後に隠し剣を構える。
「ーーーエルヴィーダ様、もしものときは全力で逃げて下さい。」
そう言ってディルヴァイスが後方を指差す。
「そちらに向かって行けば、戻られる殿下方と上手くすれば会えるかもしれません。」
言われてエルヴィーダが後ろを見る。
進めと指差す方向にあるのは先の見えない黒い闇。
エルヴィーダはコクっと喉を鳴らし、ディルヴァイスの背中を見てから自分の足元を見る。
両手で強く握りしめたドレスは所々引っ掻けて裂け、裾も擦り切れてしまっている。
「ーーー強くならないと。」
ボソッと出た言葉は、足に纏わり付く厄介なドレスを着る羽目になったメイローズのいやらしい笑みが脳裏を過ったからだった。
大きく息を吸って胸に溜まったモヤモヤもジクジクもズキズキも全部まとめて大袈裟に吐き出した。
「走………れるのか?」
ドレスを持ち上げてどれだけ走って来たか。すでに腕は怠く、また抱えて走るぐらいならドレスを脱ぎ捨ててもいいのでは?男なんだから、はしたないは適用外だろ?
エルヴィーダが再度大きく息を吐こうとしたそのときーーー
「逃げて!!」
待ち望んだ母、ミュリネアの切迫した叫び声にエルヴィーダの身体が大きく跳ねる。
「私に構わず逃げてっ!!」
エルヴィーダは前を見ようとディルヴァイスの背後から身体をずらすが剣を握った腕がそれを阻む。
「こっちはハズレかぁーーー」
伸ばされた腕の下から身を屈めて見れば、ミュリネアを抱えた黒尽くめの者とその後ろにも同じ姿の者が二人いた。
「あっちが正解?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どっちでもいいんじゃぁないか?」
「まぁな。」
「いるヤツ全員ってことだからさぁ。」
「金、持ってんだなぁ?キーゾクってなぁ。」
「何やらかしたかしらねぇがよぉ、ここは抵抗せず死んでくれ。」
もがき逃れようとしていたミュリネアの動きが止まった。
「き………ぞく?」
驚愕するミュリネの漏らす声が震える。
「まさかーーー」
ディルヴァイスの小さな呟きにエルヴィーダが見上げる。
「おっとぉ、おしゃべりは禁物だったな。」
「さっさと終わらせよぉーぜ。」
「だな。」
ミュリネアを抱えていた〈ドゥール〉が剣を持ち上げ、剣先をミュリネアの胸元に突き付けた。
「ーーーこの女、殺されたくないなら無駄なことするな。にーちゃんは剣をあっちへ投げて両手を組んで頭の上に置いて跪け。それと後ろの子供はこっちへ来い。」
「………高く売れるのになぁ。」
「うるせぇー。オラ、にーちゃん早くしろよ。」
剣を握る手をぎゅっと硬くし前方を睨みつけるディルヴァイスはそれでも直ぐには動かなかった。
「おいおいおい?どぉーした?怖気付いたか?」
すると〈ドゥール〉達が下卑た笑い声を上げた。
「騎士様一人に足手まといが二人。この女を抱えてた奴はあっちでおねんねしてもらった。まぁ、起きることはねぇがな。にーちゃんだけじゃしんどいだろ?なぁ?」
「聞く必要なんて無いわっ!ディル!」
「ーーーーー!!」
叫ぶミュリネアを見れば何処から出したのか手には短剣が握られていた。
「お願いよっ!ディル!その子をーーーーっ!」
ミュリネアは短剣を振り仰ぎ勢いのまま〈ドゥール〉の脇腹に突き立てた。
いきなりの衝撃に抱えていたミュリネアを投げ飛ばした〈ドゥール〉が身体をガクガクと振るわせ、脇腹に刺さったままの短剣を見て叫んだ。
「こっ、のぉぉアマァーーーーっ!」
地面に投げ出され、痛みに呻くミュリネアの腹を怒りのまま思い切り蹴り上げた。
地面を横滑りするミュリネアに駆け寄ろうとディルヴァイスの身体が動く。
「にぃーーーちゃん!!動くなよっ!」
間髪入れず〈ドゥール〉の一人が大きく言う。
「ふざけたことしやがる!」
「おい!今それ抜くなよ。」
刺された〈ドゥール〉が短剣を掴むと後ろにいた〈ドゥール〉が言う。
少し離れた場所で横たわるミュリネア。
エルヴィーダは口から叫び出そうとする声を震える両手で押さえ、目を見開いてそれを見ていた。
どうして?何故?コレは何?
全身がガクガクと震え、視界が霞む。
ぐちゃぐちゃな気持ちの中で一際明確になる“死”。
すると愕然と立ち尽くすエルヴィーダの腕がいきなり掴まれ、後方へと勢いよく振り払われた。
「ーーー走って!!」
そう言いながらディルヴァイスが前方へと駆け出していた。
年始から投稿させていただきました。
今年は完結させます!
いえ、もう終盤なので畳み掛ける勢いで?がんばりますので、今暫くお付き合いお願いいたします。
読んで下さり有り難うございました。




