ハヤブサのお手紙が届いていませんのに!
次の日の朝早く、曾お爺様は口の悪い侍従と共に王都であるヌベーザに戻って行かれました。……もちろん馬車で。お見送りで確認いたしましたわ。
ピクニックの帰りの馬車の中でも、侍従に腰を摩られておりましたから、帰られるときは相当だったのではと……。私やパティやリューがいる手前、そんな素振りは微塵も見せておりませんでしたが。
婚約破棄がどうなったのかの連絡は、ハヤブサで送って頂くようにお願いいたしましたの。もちろん、マティアス様のお手元にも届くように。私、ハヤブサでのお手紙は初めてなので、とても待ちどうしいですわぁ。
ーーー曾お爺様が戻られてからすでに五日が経っておりますがーーー
マティアス様と子爵令嬢がパタリと姿を見せなくなりました。
どうされたのでしょうか?
曾お爺様がいらっしゃる前は、日に何度も見せられていました寸劇も、今は鳴りを潜めております。不気味ですわ。
マティアス様、随分曾お爺様を怖がっておられたようですからーーーだから?なのでしょうか?
「マールは大丈夫なの?」
パティが私の顔の前で手を振っています。
「ハイ?」
あら、ぼーっとしておりましたわ。
「またどこかに行っておりましたわね、マール。」
ローズ様が手で口元を抑えクスクスと笑っております。
授業終わりの、温室でのいつものお茶会の最中でしたわ。
「ごめんなさい。考えごとをしておりましたの。」
お話全く聞いておりませんでした。正直に謝りますわ。
「考えごと?」
本日も殿方の服装が素敵なパティが、首を傾げます。
「マールが考えごととは…どうされたの?」
テーブルに置いていた私の右手に、絹の手袋をはめた手を重ね、お顔をのぞき込むローズ様。私が考えごとがあったりするのは可笑しいですか?思わず口を尖らせてしまいます。
「…大したことでは無いのですが、曾お爺様がいらっしゃってから、マティアス様をお見かけしなくなったように思いまして。まだ、ハヤブサでのお手紙は着いておりませんし、何故かなぁと。」
「あら、本当に私のお話聞いていなかったのね。すでに学園中がマティアス様とマールの婚約破棄で持ちきりでしてよ。」
パティの言葉に思わず淑女らしからぬ声を上げてしまうところでございました。これも、日々努力の賜物でございますわっ。ーーいえ!そこではございません!
「どう言うことですの?まだハヤブサでのお手紙を受け取ってもいませんのに、何故当人では無く周りが先に知っているんですの!」
「マール、情報なんてどこからでも漏れるものよ。御前様が学園にいらっしゃったことは周知の事実ですし、そこでまず何かあるのでは?と考える方はいらっしゃるでしょう。それに、子爵令嬢が話を大きくしているようですしね。」
ローズ様、対人用の笑顔に凄みが付加されているようですが……大丈夫でございますか?
「そう、マールが自分を苛めていることをマティアス様が御前に訴えて、御前がそれを汲み取ってマールとの婚約を白紙に戻すと言ったとか。でも凄いわよねぇ。マティアス様、曾お爺様にはお会いできなかったのに、どうしてそのようなこと、子爵令嬢が言えるのかしら。怖いわね。」
腕と足を組んで、椅子をユラユラさせるパティ。その姿、リューに見つかったら、またお説教ですわね。
「……でも、この噂でマールの周りが騒がしくなりますわね。」
「?どうしてですの?ローズ様。」
ローズ様の金色の瞳が、鷹の目のような凶暴な色を滲ませたみたいに見えたのですが……私、何もしておりません…よね…。
「あたりまえでしょう?ガブァレア伯爵令嬢に婚約者がいなくなったんですのよ!」
パティがテーブルを乗り越える勢いで、お顔を近づけてきました!
「……我こそはと思う殿方は申し込むでしょうねぇ。」
ローズ様⁈ 背後から黒いモヤが立ち昇っておりますが?
「でっ!ですが!」
「ガブァレア伯爵家と言えば、イグウェイ公爵家の娘が嫁ぎ、王の覚えもめでたいゴディアス・イグウェイ閣下の寵愛を受けるひ孫の令嬢がいることは有名ですわ。」
「今も内政において強い発言力があると言われておりますから、縁を結びたい方は大勢いらっしゃるでしょうね。」
私の手にのせていたローズ様の手に力が入って、少し痛いです。
「だとしても、結婚するのはこの私!曾お爺様ではありませんわ!」
「そうそう。結婚して夫婦となるのは、閣下ではありえませんからね。」
突然聞きなれない殿方の声が、私の耳元で聞こえます。
驚きのあまり、座席を倒す勢いで立ち上がり、背後を振り返ります。
そこに立っていたのは、濃紺の髪を見せつけるようにかきあげ、煌めくルビーの瞳で和かに微笑む殿方。
「あなたはーーー」
そのお方はパティが言うのを手で制して、
「自己紹介は自分でさせて下さい。」
そう言いながら、私の右手をすくい上げ、視線を合わせて腰を落としました。
「初めまして、レダグロット・ビスデンゼと申します。」
指先に淑女に対しての挨拶をすると、手の甲を親指で撫でられました!思わず手を引っ込めてしまいましたのは私、悪く無いですわよねっ!
「ビスデンゼ侯爵子息様が、何ようでここに?」
パティがテーブルを回って私とビスデンゼ侯爵子息様の間に立って下さいました。
「ふ〜ん、イグウェイ公爵家の妖精姫が、ガブァレア伯爵家のそばかす姫の番犬をしているって本当だったんだ。」
「なんですって!」
前にいたパティを押し退けて大きく前に一歩踏み出します。聞き捨てなりません!なんですのそれは!どこでどなたが言っているんですの!
私、頑張ってビスデンゼ様を睨みつけましたわっ!
「失礼ですわ!初めての方にそのようなことを言われるだなんて、心外ですわっ!」
「……ぶっっっ!」
なっ⁈ 吹き出した⁈
「ご…ごめ……。想像したとおりに怒り出すから、思わず。」
なんなの?なんなの?なんなんですの⁈ この男わっっ‼︎
怒りで握り締めた両手がワナワナと震えます!こんなこと、マティアス様の寸劇を見せられてもなりませんでしたわっ!
「ビスデンゼ侯爵子息様、何かご用があってこちらにいらしたのではなくって?」
さすがにローズ様も無表情ですわね!
「ああっ!そうです。私、ガブァレア伯爵令嬢に正式に婚姻の申し込みをさせて頂くことになりましたので、まずはご挨拶をと。」
「なっっっ‼︎ 」
なんてふざけた冗談でしょう!あり得ませんわ!
「これから毎日ご機嫌伺いに参りますので……お手柔らかにお願いいたしますね、フィルマール・ガブァレア令嬢。」
断固拒否させて頂きます!その!髪をかきあげる仕草はクセなのでしょうか?それともワザと見せつけていらっしゃる?
「あっ!私はマティアス殿のような愚か者ではございませんので。そこは一緒くたにしないで下さいね。」
イライラいたしますので、毎日は来ないで下さいまし!
ありがとうございました。




