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おまけ的あとがき集  作者: 郡山リオ
1/3

01:「ハイウェイ」

おまけ的あとがき「作品と作者の関係をだらだらと」


 この作品は、私が高校の時に書いたものを大学卒業後に2回書き直した作品です。

当時、私には好きな人がいました。だけど、どう気持ちを伝えればいいのかわからなかった私は、いろいろ考えた挙句、この作品を書き上げたのです。

 高校卒業から大学在学中、私が物語に登場させられる人物は最大2人でした。1人はどうにかイメージして作れても、もう1人までは想像が及ばないのです。そこで登場したのは、私の父親でした。ですが私の父親は、こんなにも物分かりもよく、1人の人間として私を扱ってくれることもなく、何かとうまくいかなければすぐに怒り始める、そんなろくでもない父親でした。ですが、愛情はどの親にも負けないくらい注いでくれたようにも今の私は思います。不器用な愛情表現をする親を持った私は、反抗期に入り、いつしかほかの親たちへと目を向けるようになるのです。そんな、ある意味理想的父親像のお父さん、と、私を名乗る少女は冒頭、車に乗っているところからこの物語は始まるのです。

 私の記憶も、ある日突然に始まり、生まれてからしばらくのことは存在しなかったように忘れてしまっています。人生とは、自分の覚えていないところすべて、写真のようなものや、動画のような記録や、知っている人たちからの話によって、成り立っているのではないでしょうか。私は、窓の外に憧れます。手の届かないものこそ、美しさを感じてしまうため、ひきつけられるのです。ある日突然に始まった人生は、まるで何か乗り物に乗っているように、気が付けば知らないところにまで進んでいました。小学生、中学生……。不器用な親のいうとおりにして来た私は、自分から何かをするということができません。ですが、このままではいけない。でも、どうすればいいのだろう。ぐるぐると回る問いは、漠然とした不安に私を巻き込みます。東京に住んでいた私は、高校への進学を機に長野での寮生活を始めました。このままではいけないと思い、私は親から距離を開ける選択をしたのです。親から離れ、東京から離れた私は、毎日が新鮮さと輝きに満ちていました。そんな高校生活の始まり、入学式で初めて出会った人に2年と半年後、この作品を読んでほしいと思うとは、夢にも思いませんでしたし、そんな感情は一切持ってもいませんでした。ですが、部活をやっていた私は、そんなに時間がたくさん余っていたわけでもありません。少ない時間は、いろいろなところへと行きました。諏訪湖を自転車で一周したり、高原に向かって公道を進んでみたり……。桜の季節は、あたり一面が薄桃色に染まり、花火の季節が来れば、野原は一面、蛍が舞い上がって星の瞬きのように自分の存在を私に教えてくれるのです。空を見上げれば、満天の星空。川の石を動かせば、逃げるさわがに。風になびく稲穂が日に日にしなり、実りの秋が近づく足音は優しく、吹く風の冷たさはその先の冬の気配を教えてくれるのです。真っ白に降り続ける雪は、東京と比べ物にならないほど積もります。雪が音を吸い取り、夜明けの朝、早い時間は本当に音がしない不思議な景色が広がっていました。少し離れたところには、露天のついた素敵な温泉があり、とても安く、平日はほとんど貸し切りでした。温泉から見える木々の葉を通り、こぼれる木漏れ日に、吐く息が白く染まります。気が付けば私は、この土地が本当に好きになりました。

 部活が終わり、卒業が迫り、私は戸惑います。小説家になりたいと夢を抱いた私は、それ以外何もなかったのですから。これからの将来、どこに向かえばいいのか、私はどうしたいのか、親の決めた道を何も考えずに進んでいった私は、高校を機に、赤信号や、交差点や、一方通行のある道へと進んだのです。ちらりと窓の外を見れば、周りのみんなが見えます。当たり前のように、今まで通りの日常の中、きっとこれからもそれが続いていくのでしょう。でも、私は高校の終わりとともに東京へと戻らなければなりません。親と音信不通になっていた私には、当然おこずかいもなく、友達付き合いが本当に悪く、どこに行くのも謝り断っていました。電車を乗り継ぎ、どこかで遊ぶほどのお金を私は持ち合わせていなかったのです。だけど、それを言い訳に距離をとっている自分にも気が付きました。ガラスの向こう側の景色は、本当に美しかったし、憧れた。でも、もしかしなくても、手を伸ばせば届いていたかもしれない。私自身が、私とほかの人たちとの間に壁を築いていた。軽蔑すらしかけた私の親のように、とても不器用な生き方をしていたのです。父親が大嫌いでした、本当に心の底から。でも、そんな不器用な生き方しかできない親の背を見て育った私は、気が付けばその生き方しか知らなかったようです。

 私は好きな人にこの作品を渡して、読んでもらいました。あきらかな若気の至り、そんな恥ずかしいこと、今ではできません。でも、その時の私にとって、その選択肢しかありませんでした。今ある何かを変えたい、その一心で。そして、その時の感想が、今でも作品を書き続けるための言葉になったことには変わりません。今でも、たまにその人のことが新聞やインターネットの記事に出てくると懐かしさと切なさがこみ上げてきます。私が覚えている好きだった人とは、もうだいぶ変わってしまっているでしょう。もっと素敵になっているかもしれません。私がかけがえのない思い出と思っている日々も、その人にとっては、他愛もないただの普通の日々だったはず。私のことすら、もしかしなくてもそんなに覚えていない、それだけの接点の関係でした。

 この先も道は続いていく、私たちはどこへ向かうのでしょうか。様々な人と出会い別れ進んでいく中、それでも血を分けた家族は最後まで隣にいてくれます。不器用で、大嫌いな父親、でも、嬉しそうに私が生まれた時の話をするのも、またこの父親なのです。だから、私は、隣にいてくれる不器用な父に不器用に言うのです。「まだ車からは、降りないから」この言葉は、1回目の書き直しに付け加えた言葉です。その言葉が意味することは、これを読んでくださった皆さまの想像にお任せします。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもちょくちょくと作品を書いていきますので、お付き合いいただけたら幸いです。(2016.10/23 0:33自宅の布団の中にて)

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