「久遠ちゃん。助けて」
「一兎。その不遜な表情はなんだ。頬が緩んでいるぞ。はっきり言って不気味だ。もしかして何かいやらしい想像でもしているのではないか? だとしたらわたしの槍ははじめて人間を貫くことになるんだ」
「晩ごはんの想像をしていた僕」
言い逃れという奴である。まったく女の勘というものは凄まじい。心の裡を瞬時に見て取る能力は狩人のそれか。であるならば獲物として認識されている僕。やれやれ鳥肌が止まらない。
「さすが雑色の者。この状況で晩ごはんとは余裕だ。なあに任せておけ。すぐに仕留めてみせる。こんな相手は造作もないんだ」
言いつつも募る不安が声に滲む。虚勢は僕にすら見透かされるほど。それはそうだ。有効打ゼロ。この状況でカナエに余裕なんてない。クラーケンはヌラヌラ。何を考えているんだか不明瞭な目でやはり触手を闇雲に振り回す。怒っているのか。それとも何か別の思惑があるのか。周囲の木々にべたべたした粘液をひっつけては力まかせの破壊活動。
このままではラチが開かぬ。何か打開策を見つけ出さなければ。
ということで文明の利器。スマートフォンの登場。
僕に巨大イカと戦う力などあるはずもない。
ならどうする。
黙って見てる? 言語同断。じっちゃの亡霊に呪い殺されること必須。
だったら答えはただひとつ。
助けを求める。
こんな状況で助けてくれそうな人間。いるのかそんな人間が。
いる。
親友であり幼馴染。腐れ縁。いやクサレ人間。人間のクズ。社会生活不適合者。ひきこもり。ニート。ゴミクズ。腐敗の中で生きる者。
僕が彼女にコールした瞬間に通話状態。
「なによ兎。あたしに電話するなんて兎のくせに生意気よ? あんた自分があたしの貴重な時間を奪っているってことを本当に理解している? あんたは黙って“あたしからの電話”を待っていればいいの。わかるよね? あんたはあたしの部下。あんたは奴隷。あんたはあたしの犬。犬が主人に対して偉そうな真似したらどうする? 当然しつけるわよね。まったくあたしって飼い主失格ね。あんたがこんなにも頭の悪い犬だって気が付かなったんだから」
さすがというべきだろうか。まるで最初からセリフを用意していたように久遠は淀みなく罵声を浴びせてくる。もうすっかり慣れている僕。いや慣れる必要すらなかったかもしれない。そもそも久遠は保育園ではじめて会った頃からこうだったのだ。
あたしが世界で一番。
世界にはあたしが必要不可欠。
あたしだけがこの世の全て。
そんな人間がデフォルトだと思い込まされていた時期が僕にもありました。そのおかげでたくましく成長した僕。久遠の口の悪さはイコール信頼の証なのだとよく理解している。
彼女は興味のない者には目もくれないのだから。
「久遠ちゃん。助けて」