世界の百万人を犠牲にしたって
名前を聞いたら友達だ。というのが一種のポリシーの僕。
個体識別記号。有象無象から一人の人間としての認識。それが名前ではないか。
知ってしまったが最後。もうどうしたって赤の他人ではない。
友達は助けたい。友達以外の人間はどうでもよい僕。
薄情だろうか? しかして全ての人間を助けようと思うのは傲慢そのものではないか。
僕は一人しかいないのだ。多くは望むまい。手の届く範囲できっちりばっちり行動したい。
たったひとりの友達を助けるためには世界の百万人を犠牲にしたって屁とも思わない僕!
カナエはすり足で巨大イカに向かってすすすと立ち向かう。その身のこなしはまさしく専門の訓練を受けた人間特有の冷静さと気迫に満ち満ちている。圧倒的自信。冷徹な自負。そして静かなる闘志。
「我が一族の力見せてくれるんだー!」
槍の届く位置まで近づいたカナエが驚くべき速さで一歩踏み出した。高速の槍が何の芸もないひと突きを繰り出す。だがその突きの疾さは尋常ではない。豪壮たる鉄塊をまるで樹の枝のような軽々しさで扱う。槍はイカの眉間に深々と突き刺さる。かと思いきやイカもさるもの。クラーケンと呼ばれるだけある非現実的存在なのだ。前足でぬーんと槍を退けた。そこへ来て今度はイカの攻撃である。暗闇に潜んでいたヌラヌラっちい足が右から左からびゅんびゅん飛んでくる。
「カナエ様! 右だ! ほら右から来るぞ! 次左! 左だって! おいバカやろう! ちゃんと見てんのか! 上から来るぞ! あーもうアホ! そこで下がったらどんどん追い詰められちゃうだろ!」
「うるさいんだー! 一兎は黙って見てろってさっき言ったんだー!」
凄まじい突きを持ってはいる。触手をさばく手並みも見事と言ってしまおう。しかしどうにも戦略に精彩を欠く。イカの足は変幻自在の動きなのだ。翻弄されるのも分かる。四方八方から攻撃されるとしどろもどろである。
カナエは大きく跳ねて後退。そこで荒々しい息をついて一言。
「暑いな」
「その服脱げよ!」
銅像のままの毛皮ぼわぼわの服を着てきっつい格闘運動だから汗だくであった。いやはや見ているだけで暑苦しい。
「しかしわたしはこの服の下には何も着ていないんだ」
「……」
どういうことなのか。防寒具の下は全裸ってどういうことだ。巨大イカと戦う人はみんなそうなのだろうか? ちょっと聞きづらくて黙りこんでしまった僕。しかしわたし脱いだら凄いんです的スタイルだったらどうしよう。ぼわぼわのシルエットだからどんな体型なのかとんと見当がつかぬ。見当はつかぬが想像はできる。きっときっちり引き締まった傷だらけの歴戦ボディーだろう。