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前篇

食べ物小説の第二弾です。

今回はサンドイッチ。

出てくるサンドイッチの味は、ある程度保証しますが完全には保証しません。

いくつかは想像で書いています。


楽しんでいただければ幸いです。

 世美子が死んだのは桜舞い散る春の日だった。体調が悪い、と彼女が病院に行ってから、下り坂を転がり落ちる様に事態は悪化した。

「ああ、あなたの作るサンドイッチ、食べたいなぁ」

 彼女の最後の言葉である。享年三十七歳。あまりにも早すぎる死だ。

 私がまだ貧しかったころから、ずっとそばにいてくれた。起こした事業が運よく軌道に乗り、私が金持ちになってからも、唯一態度を変えずに接してくれる人だった。

 彼女が死んで一週間が過ぎた。だだっ広いリビングにあるソファセット。いつも世美子が座っていた場所は空けてある。その隣に座って、ウィスキーをがぶ飲みするのが彼女の死後は日課になっていた。

 仕事に追われ、長らく作っていなかったサンドイッチ。それを食べて喜ぶ世美子の顔を最後に見たのは随分前の事である。世美子が死に、皮肉にも時間ができた。だからその日は久しぶりに世美子が好きだったサンドイッチを作ってみた。

 軽くトーストしたパンにマスタード入りのマヨネーズを薄く塗り、たっぷりのパストラミビーフと薄切りのたまねぎを挟む。

 世美子が美味しいと言って食べていたことを思い出すと、ちっとも手が伸びない。このサンドイッチが無くなると、私の中の世美子が減る気がした。

 そんなわけで、つまみも食べずに酒だけ飲んでいれば酔いも回ろうというものだ。だから、その出来事が起こったとき、私は酒が見せた幻だと思った。

「はぁい」

 リビングのドアを普通にあけて世美子が入ってきた。

「三日ぶり。元気だった?リチャード」

 口調から服装まで、いつもの世美子だった。リチャードって誰だ?

「……世美子?」

「他の誰に見える?」

「いや、見えない」

「じゃあ、それが正解ね。ご心配なく、あなたの妻、世美子よ」

 どうやら飲み過ぎたか、あるいは夢か。頬を抓ってみると痛いじゃないか。

「あぁ、妻だったと言うべきか。私、死んでるんだし」

 どう返事しろっていうんだ。

「葬式でわんわん泣いたでしょ」

 いたずらっ子の顔。

「見てたの?」

 どっから?

「見るわよ、私の為の式だもの」

「とりあえず、座りなよ」

「ええ、言われなくとも」

 世美子はいつもの場所に当たり前のように座った。何年振りだろう、二人で並んで座るなんて。

「とりあえず、先に言っとく」

 私は先に口を開いた。

「何?」

「リチャードじゃない」

「もちろん知ってる。リチャードは私がこないだまで見ていた海外ドラマの主人公。知らないでしょ?」

 知らない。こないだどころか、今までに彼女が見た海外ドラマの主人公なんて全然知らない。仕事ばっかりで、家にもほとんどいなかった。それを責められているようで胸が詰まった。

「ああ、良いのよ。私だって、あなたを当てになんてしてなかったし。ほんと、死んだのは計算違いもいいところだわ」

 間違いなく世美子だ。

「で、今日はただ喋りに来たんじゃないのよ」

「そうなの?」

「ええ、あなた、相変わらずサンドイッチは作っているの?」

 サンドイッチ作りは私の数少ない趣味の一つだ。もちろん作ったものは食べる。生前の世美子も私の作るサンドイッチを美味しいと言って食べてくれた。

「見ての通り」

 皿の上のサンドイッチを見て、世美子の眉間にしわがよる。

「私にはちっとも作ってくれなかったくせに、死んだとたんに私の好物を……」

 まさかの不機嫌。

「え、何? あてつけ?」

「ち、違うよ」

 すると、世美子の顔に笑顔が浮かぶ。

「ええ、知ってる。知ってて聞いたの」

「心臓に悪いよ」

「そのまま死んじゃいなさいな。一緒に暮らせるわよ」

 なんてこと言うんだ。こういう場合は、私の分まで生きてね、あなたとかいうものだろう。ていうか、なんで死んでからもこんなにアクティブなんだよ。こういう時はしんみりしたりほっこり暖かくなったりするものじゃないのか。

 この規格外め。褒め言葉だぞ、コンチクショウ。

「イライラしてる?」

「いや、今は君の声が聞けるだけで幸せだから大丈夫」

「あら、残念」

 軽いため息をつく世美子。

「今のは少しイラっとした」

 けどぼく私は笑って見せた。イラっとさせられるのが嬉しかった。だって、世美子がここにいるってことだから。

「で、要件なんだけどね。私には心残りが山ほどあるのよ」

「だろうね」

「で、その中で一つだけ叶えて貰えることになったの」

「誰に?」

「神様、かな?」

 世美子は首を傾げる。分からないのかよ。まあ、この際誰でも良いんだけど。とりあえず礼だけ言っとくありがとう。

「なんだと思う、私の心残り?」

「えーと……。約束だけして行ってない旅行?」

「違う」

「今度の誕生日プレゼントにするはずだったバッグ?」

「違う」

「家の建て替え?」

「違う。もっと身近な物よ」

「車?」

「違う、もうしっかりして。さっき私、なんて言った?」

「イライラしてる?」

「それも言ったけど、もっと前」

 もっと前、ああそうか。

「サンドイッチ」

「それよ。もう、鈍いんだから。まあ、昔からか。今のは私が悪い、忘れて」

 失礼極まりない自己完結。

「つまり、あなたの作ったサンドイッチを食べたいなってね」

「ああ、それならどうぞ」

「まあ待て落着け」

 サンドイッチを取ろうとした私の手を掴み、世美子が引き止める。その握られた手の冷たさに、彼女が生きていない事を感じさせられた。

「ここからが大事な話よ」

「ほう。生き返りチャンスでも?」

「いや、それは無い。けど、最後に見る私の顔が笑顔になるかどうかがかかっています」

 私は無言で姿勢を正した。

「私、あなたの作る最高のサンドイッチが食べたいわ」

「ん?」

「あなたの作る、最高のサンドイッチをご馳走して頂戴」

「これ?」

「そんな酒のつまみがてら作ったようなものを、やっつけ感丸出しで差し出すのがあなた流の最高?」

「美味いよ?」

「でも、最高ではないわよね?」

「確かに」

 私は目の前のサンドイッチを頬張った。さっきまでは食べるのが惜しくてたまらなかったのが、今は世美子の視界に入れているのが恥ずかしい。食べてみると我ながらうまい。世美子の物欲しげな恨みがましい眼差しさえ気にならない。

 私の作るものすべてが最高ということではなく、私の持てる力のすべてを発揮して美味しいサンドイッチを作れと。

「今日から一週間。毎晩来るわ」

「たった一週間?ずっと通えばいいのに」

「それは無理。わかるでしょ? 私、死んでるのよ」

 改めて言われると改めて切なくなるじゃないか。

「私の食べたいサンドイッチが食べられても食べられなくても、私は一週間後には来なくなる。それがルールなの」

「きっと食べさせるよ。きっとだ」

「ええ、期待してるわ」

 彼女はそう言ってほほ笑んだ。


 気が付くと朝で、私はソファで寝ていた。

「夢?」

 しかし、サンドイッチを乗せていた皿には何も乗っていなかった。

「最高の、サンドイッチ……」

 作らねば、なんとしても。


 世美子は毎晩決まった時間にリビングに現れるらしかった。

「こんばんわ」

「待ってたよ。さあ、かけて」

「ありがとう」

 いつもの場所に腰を下ろす世美子。

 私は彼女の前にサンドイッチの乗った皿を置く。

「これは?」

「ビフカツサンド」

 軽くトーストした薄めのライ麦パンに、きめの細かいパン粉をつけてあげた和牛のビーフカツを挟んである。

 味付けはドミグラスソース。揚げたカツをソースにくぐらせた後、余分なソースを落とすのが大事だ。パンには溶かしバターと少量のホースラディッシュを塗ってある。そのパンにキャベツを敷き、ソースを薄くまとったカツを置いて上から同様にしたパンで挟む。最後に軽く上から押してやる。こうすることで馴染むのだ。

「ああ、懐かしいわねこれ。私が三十になったときの誕生日に作ってくれた奴だわ」

「良く覚えているね」

「当然よ」

 世美子は胸を張り、それからすぐに寂しそうに笑った。

「でも、これじゃないの。ごめんね」

「そうか……」

 まあ、一度ぐらいで当たるとは思っていない。

「食べたいけれど、食べられないの……。悔しいわ」

「それもルール?」

「ええ、そうなの。私が食べられるサンドイッチは一つだけ。一つ食べ終わったら、私はもうここへはこれないの」

「そうか……」

 世美子はまた明日ね、と言い残し部屋から出て行った。

 残ったサンドイッチを食べながら、次をどうしようかと考える。サンドイッチの味はどうでもいい。何しろ、これは世美子が食べたいものじゃなかったのだ。


 翌日。

 肉で無いなら海の物か?

 そう考えた私は、エビとアボカドサラダのサンドイッチを作った。使うパンは白くて柔らかな丸パン。真ん中よりやや下側で横向きの切り込みを入れ、そこにサラダを挟み込む。アクセントには粒マスタードを少々。

 確か、初めての結婚記念日に作ったサンドイッチだ。

 しかし、これも世美子は食べてくれなかった。

 四日目に出したのは、モッツァレラチーズとトマトを挟み、バジルソースで味をつけたサンドイッチ。チーズもトマトも水けを多く含んでいるので、パンにはあらかじめオリーブオイルを塗っておく。そのパンは、やはり柔らかな耳を落とした食パンだ。

 これは結婚式前夜に軽い物が食べたいと言ったのが彼女に作ってあげた。

 けど、これも違っていた。

 五日目の昼間。

 さすがに少し焦りを感じる。果たして彼女が食べたいのはなんなのか。

 こういう時の定番は思い出の味だ。私と世美子の思い出の味ってなんだろう。彼女と過ごした時間はとても長い。それだけに、思い出の数も膨大だ。その中から一つを選ばなくてはいけない。

 目を閉じて思い返す。初めて出会った時の事。初めて一緒に遊んだ時の事。小学校も中学校も同じ。高校も同じだった。初めて手をつないだのは世美子。初めてのキスも世美子が相手だった。

「そうか、初めてか……」

 私が初めて作ったサンドイッチを食べさせた相手も世美子だった。

 その時に食べさせたサンドイッチを、私は今も覚えている。

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