第5話 東国との戦い
マコトが大規模な検地を実行すると決めてから、三ヶ月が経った。
この三ヶ月は、地獄だった。
いや、いまも地獄は継続しているのだ…………
農民たちが検地に反対するのは、予想通りだからいい。
近隣の領主が文句を言ってくるのも、予想通りだからいい。
問題なのは、大規模な検地に賛成していた、新しい当主の母親であるメープルが、検地反対派に鞍替えしたことだ。
俺をはめるために、やったのならいいのだが、メープルは明らかに流されているだけだからな…………
俺が検地の利点を説明すれば、「わかりました」と答え。
検地反対派と面会すれば、「これまで通りの検地方法でいいですよ」と答えているらしい。
おかげで、俺のところに上がってくる検地の報告は、旧来の方式と新しい方式が混在していた。
正直、こんな結果になるのなら、詳細な検地なんてやらなければよかった。
だが、いまさら旧来の検地方法に戻しても、混乱がさらに加速するだけだ。
だから、俺は評判の悪い、新しい検地方法を実行させていた。
「……はあ……」
大きな溜息を吐いてから、マコトが書類(苦情が書かれている)に手を伸ばそうとした。
そこで、部屋の扉が「コン、コン」とノックされた。
「どうぞ」
マコトが許可を出すと、ハクビシンが酒瓶を抱えて部屋に入ってきた。
「マコトさん、今日は飲みましょう!」
いきなりだな……
首を横に振って、マコトが答えた。
「いえ、まだ仕事が残っていますから」
そこで、ハクビシンが机を強く叩いた。
「マコトさんは、頑張りすぎです! 今日ぐらいは休みましょう!」
そういえば、この三ヶ月間、殆ど休んでいなかったな…………
自分では気がつかなかったが、限界に近いのかもしれない。
大きく頷いた後、マコトが口をひらいた。
「……そうですね。今日の仕事は、ここまでにしておきましょう」
「おう!」と答えた、ハクビシンが満面の笑みを浮かべて杯を寄こしてきた。
これは――
酒を一気に飲み込んだ、マコトが懐かしそうな表情を浮かべて唇を動かした。
「……美味しい。これは、むかし林仲の村で作った、ハチミツ酒ですか?」
こちらが問い掛けると、ハクビシンが微笑んだ。
「ああ、俺のとっておきだ!」
このハチミツ酒を作ったのは、もう五年前か。
あの頃は、平和――
いや、そうでもないな。
あの頃から、この世界は地獄だった。
あの頃との違いなんて、俺が結婚したことと娘ができたことぐらいだろう。
てか、俺は――
「ハクビシンさん、娘に会いたいよ!」
マコトが強い口調で叫ぶと、ハクビシンが叫んだ。
「俺だって面倒な書類仕事なんて全部投げ出して、飲んだくれていたいよ!」
お互い偉くなったのに、自由に行動できないんだな。
そんなことを考えていると、ハクビシンが質問してきた。
「そういえば、なぜ娘さんを、こっちに呼ばないんですか?」
何でって、そりゃあ――
「林仲の村を、空にはできないだろ」
それと、娘を連れてきたら、メープルが人質にする可能性があるからな…………
まあ、この話題はあまり続けたくないな。
杯を空にしてから、マコトが質問を発した。
「そういえば、白龍さんの容体はどうなんですか?」
こちらが問い掛けると、ハクビシンが重々しい口調で答えてくれた。
「……昏睡状態だ……あと、一月は持たないだろう……」
もはや末期なんだな……
二人が沈痛な表情を浮かべていると、部下が部屋に駆け込んできた。
「マコト様、大変です。東国の領主(上級貴族)が、部下(領主)に大規模な動員をかけました」
どうやら、辛く苦しい内政の時間は終わりを告げたようだ。
これからは、華やかな戦争の時間だ。
戦争で大勝利を収められれば、不平を言っている人間を黙らせることができる。
てか、内政の失敗を戦争で取り戻そうとするのは、駄目な領主じゃないか?
どんなに時間が掛かってもいいから、勝とう!
それが、一番大事だと思う。
マコトが領主代行として、部下たちに大規模な動員をかけた。
だが、例年に比べると、部下たちは明らかにやる気がなかった。
たとえば、これまでは十龍の街に、五日で到着していた部隊が、今回は七日も掛かっていた。
これまでは、村長がきていた村が、今回は名主が部隊長だったりする。
もっと明確に造反してくれれば、罰則を与えたりできるんだが、この程度は許容の範囲内だからな…………
ちなみに、通常よりも多くの兵を連れてきて頑張るから、今回の検地に手心を加えて欲しい、なんて要望もかなり多かった。
そういった交渉を一件ずつ丁寧に処理していると、出陣の日になってしまった。
俺は本当に、派閥の利害調整しかやってないよな…………
マコトが憂鬱な表情を浮かべていると、女の子の明るい声が聞こえてきた。
「ああ、パパだ! 久しぶり!」
どうやら、俺は娘に会いたすぎて、ついに幻を見てしまったようだ。
だが、幻でもいい。
戦場に行く前に、俺は娘を抱きしめたかった。
「イヨ!」と叫びながら、マコトが両手を広げた。
そして、マコトの胸に、イヨが飛び込む直前。
マコトの隣にいたエクレアを、イヨが発見した。
「お母様!」と叫びながら、イヨがエクレアに抱きついた。
「…………」
実に感動的な光景である。
全然、悔しくなんてないから!
本当に、これっぽっちも悔しくないからね!
マコトが心の中で血の涙を流していると、エクレアが戸惑いながら口をひらいた。
「どうして、ここにいるの?」
そういえば、イヨは俺だけに見えている幻ではないみたいだな。
イヨの後ろに、護衛としてついてきた林仲の村の連中がいる。
てか、人数が多いぞ。
林仲の村の守りは、どうしたんだよ。
マコトが叱責しようとした所で、メープルが近づいてきた。
「あなたが、イヨさんね。約束通り、私の息子白鳳ちゃんの妻に相応しい教育を施してあげるわ」
非常に不本意だが、俺の娘と白鳳の結婚が決まった。
まあ、政治的には正しい選択だと思う。
てか、お前が呼びつけたのかよ。
それじゃあ、村の人間では反対しにくかっただろう。
メープルに向き直ってから、イヨがいつものように微笑んだ。
「林中の領主マコトの娘、イヨです。よろしく、お願いします」
好意を向けられて、メープルの顔も綻んでいた。
俺の娘は、本当に天使だよな!
てか、メープルがイヨを呼んだ理由が気になる。
俺が大軍を率いることになるから、人質として呼んだのならいい。
貴族として、当然の処置だ。
だが、この女の表情を見ると、本当に善意で行動したみたいだ…………
有能な敵よりも無能な味方のほうが、厄介だという意味がわかったよ。
さてと、今後のことを考えると――
「娘の教育は、エクレア(正妻)に任せているので大丈夫です!」
こちらが強い口調で主張すると、メープルが簡単に引き下がった。
この女は、強気に出たほうがいいのかもしれないな…………
いや、それよりも林仲の村のことだ。
このままでは、村の守りが不安だ。
だが、自分の出身の村だけ兵隊を帰すわけにはいかないからな…………
マコトが悩んでいると、林仲の村の名主であるダンが口をひらいた。
「ヒミコ様からのメッセージです。『守りを固めているから、兵隊は戻さなくても大丈夫』とのことです」
正直なところを言えば不安だが、今はその言葉を信じるしかなかった。
「……わかった……それじゃあ、イヨ、エクレア、行ってくる」
マコトが別れの言葉を口にすると、イヨが目に涙を溜めながら口をひらいた。
「ええ、パパ行っちゃうの?」
ああ、行くのが嫌になってきた。
俺はこの三ヶ月働き詰めだったし、一日ぐらい休んでも罰は当たらないはずだ。
マコトが出発を遅らせようとした所で、妻であるエクレアが口をひらいた。
「イヨ、美味しいホットケーキを作ってあげるから、一緒に食堂に行きましょう」
「はーい。それじゃあ、パパまたね!」と言い残して、イヨが早足で食堂に向かった。
俺がホットケーキに負けるのは、二回目だった…………
全然、悔しくなんてないんだからね!
本当だよ!
マコトが呆然と娘を見送っていると、ハクビシンが近づいてきた。
「マコト様、出発の挨拶をお願いします」
もうそんな時間か。
てか、かなりやる気を削がれたんだが…………
いや、部下の士気が低いんだし、ここである程度は回復しておかないと不味いな。
「わかった」と答えたマコトが、部下たちが集まっていた広場に向かう。
そして、広場に到着した、マコトが台の上に登ってから大声で語りかけた。
「諸君、この度の動員に参加してくれて感謝する。
俺が領主代行になった、マコトだ。
諸君が俺の内政について、不満を持っているのは知っている。
だが、今回の戦いは東国との戦争だ!
負けた場合、諸君の妻や子供が殺されることになるだろう!
だから、多少の不満は忘れて、俺に力を貸してくれ」
マコトが頭を下げると、多くの部下たちが歓声を上げてくれた。
「「おお!」」
武勲を立てておいて、本当によかったよ。
もしこれで初陣とかだったら、誰も返事をしてくれなかっただろう。
「それじゃあ、出発するぞ!」
こうして、マコトが1000の兵を率いて、東の国境に向かった。




