『ごめんね』
「ハンナ、おはよう。
体調は?どう?」
ケイは学校に着くと、カバンも置かずに私に話しかけた。
優しい言葉をかけてくれたケイに平気だよ。
と言葉を解したかったけど、声が震えそうで出来なかった。
何とか、答えようと笑顔を作って頷いた。
しばらくは面と向かって話せそうもない。
ハヤテ先輩ですらギリギリなのだ。
あれと時期が重なってしまっているケイと話すのは、私にとっては難しい。
また忘れられるまで、どのくらいの月日が必要になるだろう。
その間、ずっとケイと話さないまま?
でも、声が震えてしまう。
怖い。
しょうがないでしょう…?
「ハンナちゃん!ハンナちゃん!」
「うぇ!?」
私は過剰なまでに驚いてしまった。
平気なはずだ。
相手はクラスの女の子、大丈夫なはずだ。
「つっくんが呼んでるよ」
つっくんって誰?
くんて言うからには男の子かな。
廊下側を見てみると、思った通り男の子が居た。
気は進まないが、一瞬くらいなら頑張れるだろう。
「好きなんだ!」
裏校舎の花壇に出ると、男の子はそう言った。
解ってはいたが、やはり告白だった。
私はこんな平和を守るために戦っているのだろう。
私は決まって断る。
私は、誰と付き合っても、別れが来る可能性がとても高い。
ただでさえ結婚する相手は限られる。
途中で殺される可能性だってるのだ。
それに、なにより私は男という生き物が怖い。
「気持ちは嬉しいけど…
ごめんなさい。」
私は丁寧に頭を下げて断った。
もはや、定型文になってしまっている、恒例の言葉だ。
「お願い!
お試しでも良いから!」
男の子はそう言って私の両肩をガバッと掴んだ。
瞬間、地面がグラッと揺れた気がした。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
私の頭の中に、ひたすらその言葉だけが浮かんだ。
男の子が何か言っている気がするが、水の中に入っていかのように周りの音が聞こえない。
体がピクリとも動かない。
逃れようと思っても体が動かないのだ。
「ハンナ」
私はその声の主に男の子から救い出された。
この声は大丈夫だ。
男じゃない、リューだ。
スズナは?スズナは居ないの?
リューの周囲を見渡すと、スズナの代わりにケイが居た。
「スズナは?」
震えながらも、私はか細い声で言った。
誰に聞こえなくとも、リューには聞こえたはずだ。
「教室だ。後で呼んでやる」
リューは私の顔は見ず、スッと前だけを向いて言った。
そして、リューは私の手を取って、前へ進みだした。
「ハンナ…!」
ケイがすれ違う時に私の名前を呼んだ気がして、私はケイに笑顔を向けた。
平気だよ。という気持ちを精一杯にこめて。
「ハンナ!」
リューが連れて行ってくれた先は保健室だった。
その後すぐにスズナが飛んできてくれた。
「スズナ…」
私は縋るようにスズナを抱きしめた。
やっと周りの声が鮮明に聴こえてきた。
「大丈夫。大丈夫。」
スズナがおまじないをかけるのように、何度も私にそう言った。
そのおまじないが効いたのか、私はやっと落ち着いた。
「ありがと…もう平気。」
スズナから離れ、周りを見てみると、そこにいるのはスズナと保健室の先生だけだった。
とっくに授業は始まっているのかもしれない。
せめて、ケイを巻き込まなくてよかった。
「お迎え呼ぶ?」
保健室の先生が私が落ち着いたのを見て、そう聞いた。
「いえ…!」
私は即答した。
お母さんやお父さんに心配かけたくない。
二人はとても心配症なのだ。
特に、あれが有ってから。
「じゃあ、どうするの?」
「…友達と一緒に帰ります。」
セツナと帰ろう。
万が一下校中に襲われて、私の能力が使えなくても、セツナなら対応できる。
「ごめん。スズナ。もう大丈夫だから。
先輩に送って貰うよ。迷惑掛けてごめんね」
「迷惑なんて…。なにかあったの?」
一瞬、言ってしまおうかと思ったが、やめた。
何かのはずみで能力などについて言ってしまっては危険だ。
それに心配させたくない。
私が我慢すれば済む話なのだ。
さっさと忘れてしまえばいい話。
「ううん。何でもないよ。ごめんね?」
私は、スズナに笑顔を向けて言った。
いつまで私は、他人に迷惑をかけ続けるつもりなのだろう。
忘れたと思っていたのに、今更、また思い出すなんて。
今更、また迷惑をかけるなんて。
忘れなければ。
「ハンナさん、迎えに来ました。
大石先生にも言って、部活はお休みにして頂きました。」
放課後になって、保健室の先生が居ない時に、セツナが迎えに来てくれた。
「ありがとう。ごめんね、迷惑掛けて」
「ハンナさん?
こういう時は、ありがとう、と言うべきです」
セツナは少し怒ったように私を叱った。
「うん。でもごめん」
迷惑をかけたのだから、謝らないといけないと思う。
「…ハンナさん。
私は迷惑だなんて思ってません。
むしろ、そんな風に言われては、突き放されているように感じます。」
セツナは真っ直ぐ私の目を見ていった。
「そんなつもりじゃ!」
「解っています。
ただ、そう感じてしまうのです」
そうなの?
…確かにそうかもしれない。
セツナやスズナに謝られたら、どうしていいか解らなくなる。
私は、今日何人の人にごめんねと言っただろうか。
何度、突き放してしまったのだろうか。
「ごめ…。すぐ忘れるから。」
言われたそばからごめんねと言ったしまいそうになって、慌てて言い直した。
「忘れる事なんてできませんよ」
「そんな事ないよ?
現に忘れてたもん」
また、忘れれば前に戻れる。
普通に当たり前に笑えていた日々に。
「しかし、思い出したでしょう。」
…そう。
忘れても、また思い出してしまう。
今のこの状況から、忘れられたとしても、またどのきっかけで思い出すか解らない。
「じゃあ。じゃあ、どうすればいいの!?」
セツナに言っても仕方がないのは解っている。
だけど、せっかく忘れても、また思い出してしまう。
こんなんじゃ、普通に過ごすことすらできない。
私は、この恐怖から一生逃げ続けなければいけないの?
「立ち向かうのです。」
セツナは私の手を握ってそう言った。
立ち向かう。
忘れるのでなく、立ち向かう。
言われてみれば、私には、その方が楽だったかもしれない。
…そうだ。
私は力道 帆凪。
気高き力道家の当主なのだ。
そう思うと、自信しか湧かなくなってくる。