<北の森>
<北の森>の主である緑の妖精王フィルギウス・ネフィルは森の中心にある宮殿の一室で椅子に身を沈めて物思いに耽っていたが、不意に顔を上げて傍らにいる妖精に話し掛けた。
「我らが太陽がこちらに向かっておるようだな」
「はい。相変わらずあの方の放つ光は凄まじいものがありますので、森中の木々や獣たちも反応しております。小妖精達は森の入り口までお出迎えに行っております」
「そうか。アルデニアとの戦も終わったことだし、戦勝の報告にでも来たのであろう。この森も久しく客人を迎えていなかった故、皆退屈していたであろう。宴の仕度をせよ」
「かしこまりました」
部下が一礼して下がるのと入れ違いに王が『太陽』と呼んだサラフィーナが入って来た。
「御久し振りでございます、フィルギウスの君。常と変わらぬお元気そうなお姿を拝見できますことを嬉しく思います」優雅に礼を拝して金の王女は丁寧な挨拶をする。
「そなたも息災のようだな」
「はい、お祖父様」
『お祖父様』と言っても、フィルギウス王の外見は若い。金の王女の年の離れた兄だと言われても頷けそうな姿だが、既に齢五百歳を超えている。それでも、妖精としては若い方の部類に入る。
サラフィーナと同じ黄金色の長い髪と、森の色を移したような緑の瞳を持つ。その面差しは黒の王や王女たちにもよく似た美しい青年のそれだ。額には森の妖精王の証であるエメラルドを嵌め込んだ精巧な細工の額冠がおかれている。
「昨日の昼、ユーテシアの方角で光が開放されるのを感じたが、あれはそなた達のしたことか?」
サラフィーナは内心『来たな』と思った。もとよりこの美しい王にばれないはずがないのである。
「はい。申し訳ございません」
この世に恐れるものなどほとんどない金の王女だが、森の王の前ではあくまでも素直である。
「責めているわけではない。最も、公衆の面前で魔法を使ったと言うのであれば軽率であったと言わざるを得ぬであろうが・・・何があった?」
「王宮前の広場で何者かがガーゴイルを一匹召喚いたしました。それを消滅させるためにシルフィーナが・・・」
「ガーゴイルごとき、そなたの剣で楽に切れたであろうに」
「はい。ですが私が手を出すまでもなく・・・」この人にしては歯切れが悪い。
「まあ良い。ところでそなた、此度はゆるりと滞在できるのであろうな?」
「はい。お許しをいただけますなら」
「許すも何も、早々にそなたを帰してしまったとあっては私が皆に恨まれる。特に小妖精達はそなたの姿を見るのを楽しみにしておった故な。そなたも戦に疲れた体を休めて行きなさい。後ほど宴が催されるが、それまで寛ぐが良い」
「ありがとうございます」
流麗な動作で一礼すると金の王女は部屋を出て行った。
一人室内に残された美貌の王は深い溜息をついた。
「戦い続けることがあの者達の宿命なのか・・・」
妖精の森から南西へ八十リーグほど行ったところにエメラルディアの王都ユーテシアがある。北のハイリエ王国に源を発する大アセン河の中洲に建てられた都市である。
その中州の中央に王の居城であるユーテシア城が、小高い丘の上から市街を見下ろす形でそびえている。
その城の現在の主である、黒の王フレデリックは今、難しい顔をして執務室の机に向かっていた。傍らに控えた宰相カシアスを始めとする側近達も同様の表情である。
「やはりシルフィーナには王都を離れてもらうしかないな」
突然フレデリック王が口を開いた。
それをきっかけに側近たちが口々に言う。
「左様でございますな。王がどうしても王女様方には秘密にしておきたいとお考えならば」
「毎年行なってきた事でありますし、別に隠し立てすることはないのではありませぬか?」
「しかし、今年は例年と違って特別な意味がございますからな」
「確かに左様ではございますが、シルフィーナ様もかなり意思のお強い(頑固あるいは強情とも言う)方でありますし、『親衛隊長が王をおいて都を離れるわけには行かぬ』と仰るのではないでしょうか」
「仰る通りです。それに王都を離れていただくと申しても、何処へ行っていただくのが良いのやら・・・」
執務室にいるのは国王を含めて十人。どの人物も国政の最も深い部分に関わる重鎮中の重鎮である。
その面々が深刻な顔をして話し合っている内容はと言うと、何のことはない、二人の王女の誕生祝の宴の計画である。
『特別な意味』と重臣の一人が言ったのは王女たちが今年成人するからである。
生粋の人間族は齢十六で成人を迎えるが、別種族の血が入ると成長の度合いが変化するため、必ずしもそうとは限らない。
妖精の血を母から受け継いだ王女達は人間よりは若干成長が遅かったものの、純粋な妖精ほど緩やかだったわけでもなく、折衷案として二十歳で成人と認められることとなった。
「妖精の森へ行かせるというのはどうだ?」
「名案にございます、陛下!あの森は常人には近づけませんから、王の親書を妖精王にお届けするお役目であると申し上げれば王女様も否とは仰られないでしょう」
「丁度サラフィーナ様も行っておられることですし、緑の君にわけをお話してお二方を引き止めていただけばよろしいかと存じます」
「では陛下、早速御祖父君への親書をしたためていただけますかな?」
王の執務室での密談から二時間後には、二騎の従騎を従えた銀の王女が妹より半日遅れてユーテシアをあとにした。
飛竜を操ることができるお蔭で金の王女は三時間ほどで目的地に到着したが、通常は馬で二日かかる行程である。当然シルフィーナと言えどもそれだけの時間がかかる。
ユーテシア市と妖精の森の間には二つの集落があり、夕方に近い時刻に王都を出発した一行は双方に一泊ずつした。
妖精の森には常人の侵入を阻むための結界が張られている。その結界を解くための呪文を唱えずに<北の森>に足を踏み入れても妖精達の元には辿り着けず、森を抜けてしまうだけである。
このため、本当は三百年前に妖精が人界の戦に関わる必要はなかったのだが、彼らとしても住処のすぐ傍で人間が大騒ぎしているのが不快だったのだろう。
森の入り口で定められた呪文を唱えようとしていた銀の王女の前に突然金の王女が現れた。どうやら王都に帰るところだったらしい。
何の前触れもなく現れた相手にどちらも驚いたが、姉のほうが先に口を開いた。
「あら、サーラ。どちらへいらっしゃるの?」
「『どちら』と言われても・・・王都へ帰るに決まっていよう。ここでは毎晩宴だし、小妖精たちが煩くてかなわん。昔はもっと静かだったのに・・・」
ぼやく妹にシルフィーナは自分が兄王の使いでやって来たこと、どうやらその用事が金の王女にも関わりのあるものであるらしいことなどを告げた。
そうして、サラフィーナは姉姫と共に妖精国の中へ逆戻りすることになった。