逆恨み
王宮前の広場では、バルコニーに姿をあらわした美しい兄妹を一目見ようと国民がひしめき合っている。このためにわざわざ地方から駆けつけた者も数多くいる。三人の人気ぶりが解ろうというものだ。
しかし、皆が皆、心からこの勝利を喜んでいるわけではなかった。
あまり血色のよくない中肉中背の男とフードを被った長身の男が悪意に満ちた眼差しを黒の王と王女達に向けていた。
どちらも堅気ではないとわかる雰囲気を醸し出している。平時であれば真っ当な市民はこのような者達の傍に寄ろうとはしないだろうが、興奮と熱気に包まれた群衆の中に彼らの存在に気付く者は一人もいなかった。
フードの男がなにやら呟き始めたが、その声も歓声にかき消されて周囲の者の耳には届いていない。もしそれを聞き取れる者が一人でもいたなら、呟かれているのが魔道の呪文であることに気付いたに違いない。
その呪文が途切れた瞬間、フレデリック達の目の前の空間が避け、禍々しい印象の魔物が踊り出て来た。巨大な蝙蝠の羽を持つ竜のような生物、ガーゴイルである。
歓声が瞬時に悲鳴に変わる。
王と王女達の前に衛兵が数人飛び出し、自身体を盾にして主達を庇おうとする。
しかし鋭い毒の爪と獰猛な牙を持ち、自在に空を飛べるガーゴイルの本気の攻撃はそれくらいで防ぎきれるものではない。
群衆の多くが王族三人の傷つき倒れる姿を想像し絶望しかける中、黒の王は落ち着いた声で一言魔物に向けて言い放った。
「無礼者」
その静かな口調とは不釣り合いな激しい光が三兄妹の体から発せられた。それと同時にガーゴイルは光に溶けるようにもがき苦しみながら消えていった。
「曲者を探せ、群衆に紛れ込んでいるはずだ!」
口々に叫びながら飛び出そうとする衛兵を銀の王女が止める。その必要はもうないのだ。破られた術は術者に還る。ガーゴイルの消滅とともにそれを召還した魔道士も息絶えた。
一部始終を広場で見守っていた人々の大半には今起こったことを詳しく理解することはできなかったが、彼らの王と二人の王女があの恐ろしい化け物を手も触れずに退治したことは疑いようもなかった。
三人の貴人が王宮内に姿を消してからも人々は広場に留まり、今見たことを互いに興奮気味に語り合った。
公衆の面前で魔物を退治したことでフレデリック王と王女たちの人気はますます高まったが、反国王派の不満は募る一方だった。
ユーテシアは手入れの行き届いた、治安の良い都市である。とは言え、規模が大きいがゆえに貧富の差も生じれば犯罪も発生する。そして当然、一般の市民は日ごろ足を踏み入れることのない地区も存在するし、怪しげな人間も棲息している。
都の南東部の閑散とした酒場の隅に集まっていたのは、正にそういった連中だった。
王宮前の広場に魔道士と共に現れた中肉中背の男が、同じように陰惨な目つきをした四人の男と卓を囲み、店の従業員が恐る恐る運んできた酒と料理を口にしながら話をしていた。
酒場の主人としてはこうした暗い客は客商売をして行く上であまり歓迎できないのだが、下手に追い出しても後が怖いと判断して黙っている。
他の客も「触らぬ神に祟りなし」とばかりに無視を決め込んでいる。
「あやつらは次から次へと色々やってくれる。ガーゴイルを退けたことで馬鹿な連中などはすっかり舞い上がっている」先刻広場にいた男が忌々しげに吐き捨てる。
「民衆はあの三人に骨抜きにされてるし、政治も安定している。魔法も通じないし軍も押さえられている。純粋な人間でもないくせに我が物顔で人間様の国を牛耳っていやがる」
「まったくだ。折角アルデニアの王をたきつけたというのに、十万の軍勢があっさり破られてしまった。やはり一国だけでエメラルディア軍に対抗するのは無理らしい」既に相当量の酒を飲んだことを証明するように顔を赤く染めた、小柄な青年がなげやりに言う。
「こうなったらもっと多くの国を動員するしかなかろう」初めの男が呟く。
「しかし下手をしたら三百年前のように妖精軍まで出張ってくるぞ。<北の森>に分け入るわけにはいかないし、あの三人は妖精王の血を引いているのだから、ハイリエ王国以北の国々は怖気づいて手を貸さぬだろう」自分の言葉に怯えたように身震いしながら三人目の男が言う。
この男はそれなりに端整だが明らかに軟弱な顔をしている。恐らく自分ひとりでは生きて行く事もままならないだろう。
三人目のやや悲観的な意見にはその連れの者達が一様に首を振った。ハイリエの前王の治世ならいざ知らず、現在の王は愚かと呼べなくもない。うまく説得すれば乗せられるかも知れない。
「他はともかく、竜騎士団が邪魔だな。あれがいなくなればエメラルディア軍の戦力は半減する。まずはあれをどうにかすれば良い」力強く言い切ったのは体力には自信がありそうな巨漢だった。
それなりの教育は受けているだろうとは思われるが、明らかに頭脳労働よりも肉体労働のほうが得意そうである。
「そうだな。金の王女がいなくなれば大分事が運びやすくなる。殺さぬまでも、国からいなくなってもらえれば御の字というものだ」初めの男が半ば独り言のように言う。
黒の王とその妹達の父である前王は決して暴君ではなかった。国民からの評価もそう低くはなかったが、国政にあまり興味を持たないと言う大きな欠点があった。そのため内政は門閥貴族の思うままに進められ、他国から見れば昔と変わらぬ栄華を誇っていても水面下ではかなり荒れ始めていた。
この国王が国民の間で人気を維持していた理由は彼の結婚にあった。前王妃は光の妖精(緑、火、風、水の妖精達)の中でもエメラルディア国の者が最も尊敬する緑(森)の妖精王の娘だった。
この輝かしい王妃が生んだ王子と王女達は幼少の頃、一年の半分を母の故郷であり緑の妖精たちの住処である<北の森>で過ごしながら人にあらざる者達の様々な知識を身につけ、残りの半分をユーテシアの王宮で帝王学を学ぶことに費やした。
その結果父王の欠点は嫌でも知ることとなり、黒の王の即位後は三人で力を合わせて国の建て直しに努めた。当然のことながら王の国政に対する無関心を利用して暴利を貪っていた貴族や聖職者は一掃された。
酒場に集まって王権打倒の相談をしている男達はそうして権力を失った貴族の子弟である。
前王が結婚した当初は、子供の頃から妖精に憧れていたこともあって人ではない王妃を歓迎していたが、元を正せばその王妃が(黒の王と王女たちを産むことによって)彼らの失脚の原因を作ったと言って今では彼女とその一族すべてを憎むに至っている。
その挙句人間にはない様々な能力を有する妖精たちに対抗するために魔道(魔法とは違う)に手を出したり、闇の神々を崇めるようになった者までいる。
本末転倒の逆恨みであるが、もともと性根の腐った連中なのでこの程度の発想しか出て来ないという言い方もできる。
結局どうやったらエメラルディアの現在の支配者たちを倒せるのか、具体的な案は何も出ないままにこの陰気な会合はお開きとなった。この中には頭の切れる者はいなかったらしい。