1.目前の現象から
都市育成シミュレーション、というゲームのジャンルがある。
文字通り、自分が一から都市を作り上げ、資金をやりくりしながら都市をどんどん大きくしていくといった内容のゲームジャンルだ。
まあ何でも自分の好きなことを設定できる訳ではないのだが…
ともかく自分はそのようなゲームが好きだったし、ヨーロッパのような町を作ったりと、独自の世界観が出来上がっていくのを眺めるということが大好きだった。
……少し語ってしまったが、そういったゲームを好んでいるということ以外は、平凡な生活を望み、普通に学校を卒業し、就職し、平和な生活を送れる事を願う、少し地理が得意で、少し妄想癖があるだけの男子学生。
そう、俺は普通に生活していたはずだった。
だから、目の前に広がる現実は、自分を混乱させるにはあまりにも十分過ぎた。
目に映るのは一面の極彩色。
ずっと見つめれば気分が悪くなってくるその光景。
上下左右も分からないような空間。
夢であると思いたかった。
なぜなら自分は最近のライトノベルの主人公のように誰かを庇って車に轢かれて死んだわけでもなければ、マンションの屋上から投身自殺したわけでもない。
ただただ訳がわからなかった。
しかし、自分がなぜ「ここ」に居るのかもわからなかったし、
体に吹き付ける確かな冷たい風のような感触は、ここが現実であるという事を言わずとも物語っている。
思い当たる全てを考えたが、記憶は布団に入って目を閉じたところで途切れている。
―――考えても考えても分からない。取りあえずいい加減この目がチカチカするような光景から逃げようと自分は目を瞑ったのだった。
* * *
一体どれほどの時間目を閉じていただろうか。知らない間にずいぶんと感覚がはっきりしていた。
音が聞こえる、喉が渇いている、何かに腰かけている――?
一体何に腰かけているのか気になり、あの光景でないことを祈りつつ目を開いた……
その何かを見ようと目を開けた時見えたのは――
鏡の中に映る長い耳と長い黒髪の、絵の中に居るようなエルフらしき少女だった。
え?
「(いや、いやいやいや…これはどういう事だ?なぜ自分の姿が映らない?まさか本当に…いや、状況確認が先か。)」
広そうな部屋の中には、幼い女の子が好きそうな人形とともに数々の見るからに豪華な調度品や家具、それと自分が今腰かけているふかふかのベッドがある。
どうやらここは自分の妄想の中や、劇の中に出てくるような、かなりの上流階級の屋敷らしい。
と、そこで唐突に扉が開く音がしたのでそちらを向くと、そこにはメイドさんのような恰好をした人がいた。
「スウお嬢様、朝食をお持ちしまし…」
何故か固まるメイドさん。と、急に驚いた様子で朝食を置き、
「エールン様ァーー!!スウお嬢様が起きていらっしゃいますーー!!」
と大慌てで廊下を走ってエールンさん?の元へと行ってしまった。
部屋にまた一人残されてしまったので豪華そうな部屋の中を見ている間に屋敷中が騒がしくなり始め、程なくして部屋に先ほどのメイドさんとこれまたエルフのような風貌をした女の人が入ってきた。
そしてその中でも一番大人びた女性が自分のことを抱きしめながら
「スウ!スウ!私の事が分かる?」
と聞いてきたものの、自分はこの人のことを知らな…
いや。
この体の元々の記憶らしきものがこの人が自分の母親だと教えてくれている。
そしてこの人が先ほどメイドさんが呼んでいたエールンという人物だということも。ただ自分が今までどういう状態だったかは分からない。
しかし何も言わないのは不味い。
「はい、分かりますよエールンお母様…」
返答しておこう。そう言う他に無い。下手な答え方をするのは相手方の無駄な心配につながるのだろう。
「スウッ!良かったぁ…本当に…。ああ、でも急に来られたら驚くわね…
落ち着いたら呼んで頂戴ね、扉の外にミーラを待機させておくから。」
「ああ、はい…」
そう言ってエールンさんは慌ただしく出ていった。
出て行った後、扉が閉まって直ぐにメイドのミーラさんは落ち着いたすまし顔で話を続けた。
「先ほどは急に大声を出してしまい申し訳ございませんでした。
説明させていただくと、スウお嬢様は半年ほど前からずっと目を覚ましておりませんでした。つい昨日まで息と食事を行う活動しか動いておられなかったのです。
なので、目を覚ましたと聞いてエールン様方は飛んでこられたのですね。」
と、説明してくれた後に自分が今まで生活を営んでいたものの表情を見せたのは初めてだということ。
半年間の眠りの前は魂が抜けている状態(どうやらこの世界には魂の概念があるらしい。)だったということ。
この世界についてのことなどを説明してくれた。
世界の事はともかく魂が抜けていた体だったというのには安心した。
もし元々のこの体の人格を殺して入っていた、なんて事になっていると家族にどのようなことを言えばいいか…。
その後も色々な説明をしてくれてからミーラさんはこの世界の地図と本を取り出し、朝食が置いてあるテーブルにそれらを置いてから一言失礼しました、と言って退室していった。
* * *
自分の置かれている状況を改めて理解すると急にホームシックになり、地球にいる元の家族や友達のことを思い出して涙ぐみそうになったが、
知らず知らずの間に言葉が通じていたことへの驚きと、幼い、それも今まで見たことのない種族の少女の体になってしまっていることへの不安で覆われ、この事は後にしよう、とひと段落つけ、
朝食についているお茶のような飲み物で喉を潤しながら
手元にあった地図に目を通し―—
驚愕、した。
何故ならば、そこに記されていたのは、
自分にとっては、余りにも見慣れたものであったから。
「日本?」
そう、それは忘れもしない自分の祖国の形をしていたから。
しかしそこに記されていたのはその名ではなく、地球上に存在していない国名だった。
* * *
慌てても仕方ないので取りあえず部屋の前で待機しているミーラさんに詳細を教えてもらうことにした。
教えてもらったことをまとめると、この国は世界の海洋の真ん中にポツンとある島国で、名をスエルイシ、国民のほとんどはエルフ系種族によって成り立っているということをすごく解りやすく教えてくれた。(先ほど長い眠りから目覚めたばかりだからかもしれないが)
「——スエルイシ全ての人口はだいたい1000万くらいですね。今も増え続けてるらしいですよ?」
ずいぶんと多いな、エルフ。
てっきりもっと少ないもんかと…
しかも増えてるって。そんな事も分かるのか。随分とこのファンタジー世界は進んでるな。
エルフでこれだけいるのだからこの世界の人間はどれ程いるのだろうか。軽く5億くらい超えてそうだ。
「ところで、もう落ち着かれましたか?そろそろエールン様をお呼びしてもよろしいでしょうか。」
「え?あ、ああ、もう大丈夫ですよ。あまり待たせているのも何ですしね。」
ああ、危うく好きな話題で話を長引かせてしまう所だった。
向こうは目覚めたばかりの自分を案じて一旦身を引いてくれているというのに。
この世界の地理はまた今度にでも教えてもらおう。
* * *
「スウ、もう落ち着けた?大丈夫?」
「ええ、問題なくいけてますよ」
目の前にエールンさんが座る。その傍らには先ほど一緒にいたミサンラ姉さん達の姿は無い。ミーラさんも入れ替わるように退室していった。
二人だけで話したい事でもあるのだろうか。
「…そう、なら良かった。安心したわ…。父さん…ホルサックと言うのだけれども、分かるかしら。議会が終わったらすぐ帰ると言っていたわ。」
「議会、ですか。」
「ええ、この国は民選議院で決めた案を国王が承認することで動くの。本当はもっと複雑なんだけれども、父さんはその内の議員なのよ。その分、忙しいから中々会えないのだけれど、ずっと寝たきりだった娘が目を覚ましたんだもの。すぐ帰るって言ってたからよっぽど嬉しかったんでしょうね。
ああ、勿論私達もよ?」
「…すいません、心配かけて。」
「いいのよ。その事は。私達のことがまだよく分かっていなくても、私達は家族じゃないの。あなたが気に病むことじゃないわ。」
「...。」
「大丈夫よ、大丈夫…。あなたはまだ子供、難しく考えなくてもいいのよ。」
「ありがとう、ございます。」
「ふふ…。出来れば固い喋り方はやめてくれると良いのだけれども…それはあなたがもっと慣れてからでいいわ。今日は起きたばかりだし、興味のある物も有るだろうけど安静にしておいて。
そこの本にはこの世界の事とかある程度の常識が書いてあるわ。退屈はしないと思う。気になることとか何かあったらミーラを呼びなさい。ああ、それと明日になったらミサンラとミネラが会いにくると思うわ。ちょっとうるさいだろうけど我慢してあげてね。」
それじゃあ。と言ってエールン母様は出ていった。
それからというものの、俺は朝食を食べてからずっと世界の本と地図を見比べながら時間を潰していた。
安静に過ごしているか、と問われればそうではないのかもしれないが、安静にしているつもりではある。特に気にすることではないだろう。
ともあれ、一番近い外国はどこだのとか、色々見ている間に分かったことと気になることが出てきた。
分かったことは、見たことのない世界地図の中にある日本の形をした国が、ここ、スエルイシであること。スエルイシの国土が島全域ではないこと。それとこの島が形こそ似ているが日本よりかなり大きいこと。この世界でもっとも多い種族がエルフ系で事実上の支配者だということ。
人間は存在こそすれど、数が少ないのは、既にこの世界には人間の種族国が存在しない為、進出できずにそのまま社会の片隅に取り残されてしまったかららしい。まあ一応この世界の少数種族並の生活は送れているようだ。
気になることは、はたしてこの町はスエルイシのどの辺りか、ということ。ただ、外は雪が降っているので北の方か標高の高いところなのかもしれない。
母様が気になることがあればミーラさんに聞きなさい。と言っていたが、恐らくミーラさんは朝食の時
同様きっと昼食も持ってきてくれるだろう。
無理に呼ばなくともその時までおとなしくベッドの中で本を読んでいれば良い、と思っていたところでコンコンとノックの音が響いた。
もう外はだいぶ明るく、良い時間になっていたようだ。
「失礼します、スウお嬢様。昼食をお持ちしました。」
どうぞ、と返事を返した後にミーラさんが昼食を持って入ってくる。その中には今まで見慣れていた料理の姿もあったが、聞きたいことを先に聞いておくことが先決だった。
「ところでミーラさん、本を読んで気になったんですけれどもここはこの地図の中でどの辺りにあるんでしょうか。雪がつもってるんで北の方ですか?」
「うーん。まあこの国の中ではだいぶ北の方ですね。地図だとこの辺りに…ああ、ありました。ハーピドナ。この町はハーピドナというのですよ。しかしお嬢様。朝目覚められたばかりなのに、ここまで興味を持って頂けるとは。仕えさせていただく身として嬉しい限りで御座います…。」
ミーラさんがそういって指で示したのは、日本でいう福井県の辺りの東に太字で書いてあるハーピドナという町。
本を読めたことで分かるかもしれないが、少なくともこの国の言語は日本語と何ら変わりない。
それにしてもミーラさんは随分と嬉しそうだ。一目でそう分かる程の笑みを浮かべている。
まあ、魂が入っていなかったころは、本当に事務的な内容の会話を機械のように淡々とやり取りするだけだったらしく、ミーラさんから話しかけたことしかなかったらしいから、ここまでの反応もある意味当然なのかもしれない。
それにしてもふと思ったことで、喜ばしいシーンをすぐ考察する俺って、本当不謹慎と言うか何というか。
「お嬢様?どうかなされましたか?」
「え?えっと、大丈夫ですよ。はい。」
「それなら良いのですが…。では話はここまでにして、食事を終えられましたらそちらの呼び鈴でお呼び下さい。それでは一旦失礼させていただきます。」
ミーラさんが出ていった後、置かれた昼食に目をやる。内容は病人食のようで、脂っこいものはなさそうに見えるが、中には見るからに高価そうなものも有る。さすがと言うべきか、改めて良家のご令嬢だということを実感させられる。
しかし、そこまで野菜の類があまり多くないところを見ると、どうも現実のエルフというのは植物ばかり食べている訳では無さそうだ。
良く考えてみれば森の外に立派な町を築いている時点で、精霊だの敵だのと言う影響が薄く、地球の人間に近い暮らしなのが分かるが。
何だかんだ言ってこの世界の病人食は美味しかった。いや、裕福な家だからかも知れないけれども。この世界の食事情は思ったよりも良かった。
その後、ミーラさんに食器を渡し、俺は再び同じ本を夕食後も読み、その日の夕暮れを迎え、最初の一日が終わりを告げ、ベッドの中で一人考えていた。
この世界はファンタジー世界の想像とだいぶ違ったが、魔法が存在したりと結構ファンタジーしている部分もある。この調子でいけば恐らくすぐにこの世界の家族にも、この国にも慣れるだろう。
————しかし今頃地球にいたはずの俺はどうなっている?
こちらのスウと言う体に自分の魂が入ったのなら、恐らく元の体は既に死んでいるか、もしくは今までのこの体のように、活動「だけ」はしているのかもしれない。
だがどちらにせよ、俺はこの世界にいるイコール地球には現在俺はいない、ということになる。
……でも、この世界に来た時の記憶もあやふやなのに地球に帰る方法など思いつくものか。
出来ることと言えばもとの自分とその周辺の情報を書き残すくらいだ。取りあえずこれはしておこう。
もし帰れても何も覚えていなければ意味がない。
そして、今の自分のように男から女に性転換した主人公を題材とした小説と言うものの中には自分の中に出来た新しい女性の人格が男としての自分の記憶と精神を蝕んでいく…
といった内容のものがあった事を覚えている。
改めてそういった状況になる可能性があるということを考えるとそれは恐怖以外の何物でもない。
自分が自分で無くなることなど、有り得ないし、それは「俺」としての事実上の死亡を意味する。
だからその様なことは有り得ない。
有ってはならない。
その為のノートを書くのだ。自分が自分であり続け、自分に関する事を忘れないように、男として生を受けた事を忘れない様にするためのノートを。大切な記憶を失ってはいけない。
自分の心に刻みつけるのだ。意志を確固たるものに。地球の性同一性障害の人達は20年の時を経ても元の性別に戻ろうとしている人が殆どだった。ならばこの考えは杞憂とも思える。
だが安心してはならない。ここは地球ではないのだ。常識は通らない。
とどのつまり何が起こるかわからない。
だからこの世界に妥協してはならない。
少しの精神の隙間にも何かが入り込むかもしれないのだから—————。
そう自分はこの世界への決意を胸に刻み、強い眠気に身をゆだねた。
二月二十日 2部 この世界における地球 統合しました。