【林檎を頬張り@】
万年、B組の俺は人生で初めて女に告白された。
良くも、悪くも順調に進めば初体験をできるのではないか。
妄想癖は今日も健在なのだけれど、なんというか、興奮はしなかった。
年上の俺に、年下の女が頬を赤らめながら愛を表現する。
なんとも汚れのない、透き通った声だ。
心が揺さぶるのも仕方ない。
意識していなかっただけに、俺は初めて恋をした。
女に興味はある。
けれど、積極的に話しかけたり遊びへ誘ったりできなかった。
つまり、俺は消極的なのだ。
昔も今も。
語るほど思い出すほども、人生を謳歌していないのだけれど。
俺は多分、嫌な子供だった。
三つ子の魂百までというか、逆というか、これからもきっと一生涯、童貞だろうな。
なんてことも考えていたくらいだ。
今年で、三度目の留年になるのだが親はそれを気にする素振りをしない。
親といっても、幼い頃に離婚したため母しかいないのだが。
やっぱり俺は母さんが好きだったし、離婚の原因となった父は気性も悪く家庭内暴力が頻発していた。
何だか、ドラマにでてきそうな自分勝手の親父である。
だから、好きになるには程とおい存在だった。
毎日のように泣かされた。
そして、痛めつけられた。
俺の幼児期は波乱の幕開けばかりだ。
母は時より独り言を呟く。
「俺を生んでいなければ、あんなことにはならなかった」と。
俺は愛されていないのかとも思った。
その一言にまたしても心が揺さぶる。
俺はその言葉を耳にするたびに家をでて、何処かで屯っていた。
現実を避けるようにして、俺は忘れようとしていた。
いつかは背負わなければならない、とわかっていても。
「一目惚れしました。あの、私と付き合ってください」
童顔で整った輪郭は綺麗なシャープを描いている。
ドキドキ、バクバク
言葉がストレート、ど真ん中ストライク。
「え、俺に? こんなチャラチャラしてるのに一目惚れしたの?」
初めて、故に警戒をして疑うように問う。
「いえ、私は師走くんの外見ではなく内身に惹かれたの。おこがましいかもしれない、けど想いを伝えずにはいられない」恋のキューピッドの矢が心に深く深く突き刺さる。
「全然、迷惑じゃない。うん、凄い嬉しい。だから悲しそうな目をするなよ」
彼女から何故か悲しい顔が見られた、のは気のせいだろうか。
俺は母を連想してしまったのだ。
「ごめん、なさい。つい気が動転しちゃって。誰かに告白するの、初めてだから」
俺も初めてだよ、奇遇だね。
とは言える雰囲気ではなかったので押し黙る。
「明日は暇か?」
「え、うん。一応空いてるよ」
俺は彼女の頭に手を置いた。
キリスト教の儀式、按手のように。
「じゃあ、一緒に七夕祭り行こう」
彼女はもじもじしている。
その姿はやけに愛らしい。
「えと、その、デートってこと?」
彼女の顔がさらに赤くなってくる。
俺も何だか凄い恥ずかしくなってきた。
「そ、そうだよ。言わせんな、恥ずかしいから。俺も時雨の事を愛してる」
嘘を吐いた。
けれど、それ以外に言葉が見当たらなかったのだ。
彼女は俺の最後の言葉に過剰に反応をみせる。
恥ずかしげにうつむく。
「私、嬉しい。それじゃあ、明日の夕方くらいに公園で待ち合わせ。そこから一緒に歩いて行こう」
これ、と言われて時雨の手から紙切れを渡された。
携帯電話の番号とメールアドレス、だそうだ。
彼女は、じゃあね、とだけ残して後ろを振り向き去っていった。
俺は最後まで彼女の背中を目で追った。
俺に彼女ができた、とそう思った。
音無時雨
俺は彼女のことをあまり知らない。
俺より二つ年下で、童顔で、守ってやりたくなるような性格の女。
そのくらいしか。
いきなりデートへ誘ってしまったけれど、良かったのだろうか。
恋愛沙汰の皆無な俺は、順序、段階など知る由もない。
それより、彼女はどうなのだろう。
経験があるのか、それとも処女なのか。
いやいや、何を想像しているんだ俺は。
別に下心があって誘った訳じゃない。
七夕の日、約束の時間はまだ何だけれど、緊張してあまり眠れなかった。
いつもより睡眠時間が減ったのだ。
妄想は俺を安寧に眠らせてくれなかった。
時と場合によりけりとはまさにこういうことを言う。
俺の妄想癖は電車内や暇な時間を潰すのにはもってこいだが、時より意図しない形で展開されることがある。
それが眠る時間であったり、テスト中であったり。
大抵は、吉と出るけれど、たまに凶とでる。
それだけの話だ。
母は既にいなかった。
出勤、仕事、出稼ぎ。
俺を養うために、我慢している。
ストレスは着実に蓄積している筈なのに。
躊躇っているのか?
息子にそんな気遣いは不要だ。
一度、俺はそう言ったことがあるけれど、駄目だった。
頑固というか、意志が強いというか。
勝手に使命を背負っているだけのようにも思えた。
味噌汁とご飯が作ってあるけれど、これは昨日の残り物である。
母は面倒臭がりというか、二日以上はもつような量をあらかじめ料理する。
そんな母も悪い面ばかりではない。
気遣いは何とも遠回りな感じがするのだけれど、優しさはひしひしと伝わってくる。
なんだろう、すぐには実感しない温もりというか、塵も積もれば山となるといった風に、小さな親切が時を刻むことによってようやく大きな意味をしてくるような。
言葉では表現し切れないのだけれど。
母はその、そういうのを馬鹿正直に表に出すのが下手なんだと思う。
俺は朝食を済ませた。
甘いものを口にしたい。
それは突拍子もない欲望だった。
冷蔵庫へ探りを入れる。
もし、冷蔵庫が女の子だったら、これはある意味エロい行為だな。
俺がどんな破廉恥で卑猥な想像をしたのかは悪しからず。
お、真っ赤な熟している林檎が冷蔵庫にあった。
他にそれ以上のスイーツは無さそうだったので俺は林檎を掴んで引き出す。
トマトのような赤み、マグロのような赤み、血のような赤み。
例えるならいくらでも、思いつく。
皮を剥くのは面倒だ。
めんどう、ああ、俺も親に似ているのかもしれない。
精一杯、口を開けて林檎にかぶりつく。
シャキシャキ
自然の産物は捨てたもんじゃない。
林檎はとても甘酸っぱかった。
一かじりした林檎は、また冷蔵庫にしまって待ち合わせに持参することにした。
なんとなく、ワイルドな印象を与えたいと思ったからだ。
約束の時間は刻一刻と迫ってくる。
下之木師走は自由放浪である。
いづれは社会に輩出するのだろうけれど、そんなことは考えたくもない。
いづれ、この先、何年後、俺はそういう束縛された未来が大嫌いだ。
俺は俺でいたい。
予測などしてはいけない、予期などしてはいけない、予知などしてはいけない。
未来など決めなくていい。
というか未来なんてあってたまるか。
俺は現在を生きる若者として、この世界の風潮に流されず生きていきたい。
一風変わった男、堂に入らない奴、飄々な足取り、勇み足に走って結局、頓挫。
留年の何が悪いのだろう。
何も身についていないまま、あやふやなまま、学年だけ地位を上げるのは羞恥に値する。
そんな俺の理屈は誰も納得してくれないのだけれど、俺が俺の考えを信じなくて誰が信じる。
かっこいい台詞、綺麗事、その場凌ぎ、現実逃避。
俺はそれらを全て言い括って、相手に返す。
お前らはどうなんだ、と。
俺だけを悪者あつかい、卑下あつかいして、集団でないと貶められない奴らにそんなことを言う資格などあるはずがない。人間だれだって、何処かで見て見ぬ振りをしている。
人間一人ができることなんて限られている。
だったら、一つや二つ、さらに三つや四つと失敗してもいいじゃないか。
やらない後悔より、やって後悔したほうがいい。
お前らは失敗を受け入れる勇気がないだけだ。
後足で砂をかけられたって、俺は憎んだり妬んだりできないけど、俺は俺の思うがままに行動するまでだ。
初めての留年の日に書いた日記を見返していた。
俺は、過去より成長できているだろうか。
俺はあの頃の自分より優れて、勝っているとはとても思えない。
思い出は美化されるとは言っても、そう、痛々しく見ていられないのは二年前の俺ではなくて、事実上の学年に居座っていた俺から見る、今の俺ではないだろうか。
今が留年三度目、つまり三年前となる。
回想交え、意志交え、理屈交え、俺は読後感に浸っていた。
今と昔の自分とは、すっかり変わっていることに贔屓の目を持とうしている。
そんなことは、由として。
閑話休題。
待ち合わせの時間は残りわずか。
腕時計を念入りに確認する。
あと十五分、されど十五分。
そんな言い回しをしなくてもいいのだが、俺にとって世紀が変動する時のカウントダウンくらい重大な時間なのだ。心のざわめき、落着きのなさ、体を動かしていないとどうしようもない。
外見の見栄は張ったつもりだ。
お金も、ほどほどにある。
準備はできている。
目を見開いて、漢の覚醒だと言わんばかりに気合を入れる。
「彼女ばんざーーーい」
家の前を犬の散歩で通る隣人、真横の隣家への集音。
大きなお世話、余計なお節介、ありがた迷惑。
そんなことを気にせずの大声だった。
まぁ、なんだろう、ストレス発散、気分爽快、そんなこともあるのだろうけれど、俺は得手勝手なのだ。
普通が嫌い、逆に変人と言われた方が喜ぶ。
死して後、已む。
死して尚、奮起する。
俺は命を落としてからも、フリーダムな気がする。
二階建ての一軒家に住む、師走こと俺は、荷物の最終確認をしていない。
してないのかよっ、ここで男友達がいたらそうツッコミをされるだろう。
しかし、まぁ、林檎はしっかりこの右手に握られている。
気分上々で不敵な笑みを浮かべながらの独り言。
「ふはははは、ワイルドだろ?」
どこぞの芸人のネタはいいとして。
後、五分で待ち合わせの時間だ。
地元の公園とはいえ、道中何が起こるかわかったものじゃない。
前方不注意、飲酒運転、悪因が重なるに重なって車にでも引かれたら一間の終わり。
奮起するどころでも、已むことさえもできやしない。
所詮はことわざ。
言葉だけの意味。
考え出したら何でもありな事故は一つも起きなかった。
事が起きてからでは遅いのだけれど。
なにはともあれ、無事に公園の入口へ辿り着いたのである。
ここで林檎を一かじり。
これは恋の甘酸っぱさだ。
整備されているのか、甚だ伺えないボックストイレ。
砂場に埋もれたスコップ。
ブランコの鎖の錆。
本来の色が剥げたシーソーに、逆上がりの苦悩を思い出させる鉄棒。
どの遊具もとても馴染み深いものがある。
入口にたたずむ俺と、出口で待っていた彼女。
いや、どちらが入口出口なんて決めつけ事はできないのだけれど、俺の視点によれば公園に足を踏み入れたこちら側が入口に値すると思う。
後、彼女が待っていた、と一概に断言はできない。
もしかすると、俺と同じタイミングで到着したのかもしれない。
俺は二口かじられた林檎を持った利き手を真上にあげて、左右に振った。
気付かない、こっちを見ているのに近寄ってはこない。
「時雨ちゃん?」
空気の流れが止まる。
枯葉が散る。
入口と出口。
俺と彼女。
均衡と不均衡。
俺は不吉な予感がした。
この公園には二人しかいない。
まるでこの世には俺たち二人しかいないみたいじゃないか。
なんて大袈裟だとしても、まるで公園の所有権が俺たちに二人にあるような。
そんな気がした。
白のカッターシャツにミニスカート。
彼女は制服を私服として扱っているのだろうか。
それはそれで、そそるものがあった。
両手を腰の後ろで繋いでというか、何かを隠し持っている。
「シニナヨ」
空間が歪んだって、驚きはしないと思うこの俺でさえ、耳を疑った。
この女は、俺の彼女は今何を言葉にした?
「よく、聞こえなかったけど」
美少女と言える彼女は、自らの人影に忍ばせていたギラリと輝く刃物を見せて突っ込んできた。
ホントに、一瞬の出来事。
グサ
胸部、右肩より、ギリギリ急所を避ける。
「なん...で」
勢いよく刺されて、勢いよく抜かれた。
血が滴るなんてのは可愛げに思えるくらい、血が噴き出る。
林檎が地面に落ちて、左手で右肩を抑える。
鋭い眼つき。
彼女には隠れた魑魅魍魎が跋扈しているなど俺は、俺は知る機会すら与えられず、殺される理由も聞けず、ただ恐怖ばかりが全身を伝った、と思う。
「エモノ、ワタシノエサ、オマエハダマサレタ」
彼女はゴムで後ろ巻に結ばれた髪の毛をほどいて、髪の毛で右目を覆いかくした。
騙された、だと?
笑わせるな。
違う、俺はお前なんかに騙されていない。
嘘でもいいからそう信じたかった。
「お前は誰...なんだ」
夕日で不気味に模様される彼女の影。
彼女は前髪を左目に移して。
「師走くん、私は貴方の事を愛してるわ。だから、私のために死んでほしいの」
いきなり流暢な喋りになる。
彼女は告白してきた時雨そのものだった。
溶けるような声に、誘惑のための容姿。
完璧だ。
俺は冷静を取り戻して、というか俺に冷静という言葉は不似合だけど。
いつの間にか俺は彼女の胸ばかりを見つめていた。
俺の血しぶきで濡れたカッターシャツから透けるブラジャー。
触りたい。
どうせ死ぬのなら、彼女の豊満なおっぱいを両手で揉んで死にたい。
こんな土壇場だからこそ。
死に際に近い状況だからこそ。
俺の妄想癖は発揮され、性欲が爆発した。
彼女が異形に変わる前に、今ならできる。
スポーツを並々に熟している俺にとって、彼女よりは速く動けるにちがいない。
彼女が前髪を右目に移す瞬間を狙って、刃物を持った右手だけなら。
俺は地面を思い切り強く蹴った。
彼女に抱き強くような態をとる。
「な、なにを」
俺と時雨は地面に倒れ込んだ。
彼女は刃物で僕を刺そうとしているが、おかまいなしに俺は彼女の唇を奪う。
「んん..」
好きなだけおっぱいも触って、やりたい放題。
もうここまでくると、俺も止まらない。
性欲が満たされるまで続ける。
「っやだ、ああん」
時雨の喘ぎ声が非常にエロい。
「俺も時雨の事を心も体も愛してる。これが俺の思い。殺せよ」
俺はいさぎがいいのか、親切に彼女を異形へ変えた。
「うウゥ、ダメ、彼はコロ..さない..で」
何かが変わった。
俺は、ただ無我夢中で妄想を現実にしてしまった、ただの変態なのに。
「ハジめて、だった。ワタ..しノ心モ体も愛しテくれた..のは」
彼女の瞳から大粒の涙が毀れる。
「他の人は、体しか見てないんだもん」
ああ、いつもの可愛らしい彼女だ、守ってあげたくなるあの時の時雨だ。
まさか、俺の欲求不満がこんなところで役に立つなんて想像さえ、していなかった。
「俺は死なないのか?」
「ええ、死なないわ」
そうか、俺は静かに気を失った。
安心してしまったというか、気が抜けたというか、実際のところ出血のせいなのだけれど。
「師走くん?、師走くん!」
聞こえる、彼女の優しくて柔らかい声が。
後日談というか、今回のオチ。
翌日、俺は病院のベッドで目を覚ました。
無理やり身体を起こし、それから立ち上がるには至らなかった。
なぜなら、刺された部分が痛むこともあったし、それに睡眠の邪魔をしたくなかった。
彼女は隣の椅子にすわって眠っていた。
一晩中、看病していてくれたのだろう。
彼女の手の平には俺が持っていた二かじりされた林檎があった。
赤色。運命の赤い林檎。
馬鹿らしくも、そんなことを考えてしまった。
彼女が俺を殺しにきた理由、彼女の異形についても聞く気にはなれない。
これから、俺と彼女との間に何が生まれるかなんてわからないけど、それでいいんだと思う。
生まれる、それは子供であってほしい、と妄想されたけど、それは多分、将来を見越しての切実な願いである。
将来か、俺は三年前の俺より少しは成長していたらしい。
感想よろしくお願いします。