桜の栞と。
「また来たんだ、先輩」
俺はその声に振り返った。
[密会は屋上で、君は笑って話を聞く]
「また居たんだ」
振り返れば、屋上の入り口に後輩(本人曰わく年下だそうだ)の女子学生。
俺は彼女に同じように返せば、にこっと笑い返してくれた。
「今日はどうしたんですか、先輩?」
「んー、ちょっとね」
唯一のベンチに腰掛けると、彼女もそっと近づいて隣に座る。初めは気になった少しの距離感も、今じゃ当たり前になっていて。最近じゃここで二人でいるのが心地よくなっていた。
「で、またお人好し?」
「……俺ね、好きな人が居たの」
「うん?」
「でも、その人には好きな人がいた」
小さな声で、少しずつ語る。だけど狭い空間のように、思ったより声が響いて。
「しかも俺の親友だし、本当は両想いだった」
その事実に気付いてたの、俺一人なんだけど。
苦笑すれば、彼女も少し顔を歪める。
「暫くは別に俺が仲介してくっつける必要ないかなって思った。だけど、二人から相談受けてるの、辛くなっちゃって」
これだからお人好しは損するんだよね。だけど、そこで行動しちゃうのが俺の性格だから。
「色々画策した。ベタに一緒の時間を作ってやるとかしか、思い浮かばなかったけどさ」
彼女は隣で黙って聞いている。急かすような空気じゃないから、独り言のように吐き出せた。
「今日、学校来たら案の定だよ。『付き合うことになりました、ありがとう』だって」
馬鹿みたいだよね、自分で自分の恋踏みにじって消してさ。恋敵を助けちゃうんだよ?
「気持ち、伝えなかったんだ」
「だって言えないよ、絶対自分に向かないって分かってるから」
そういうとき、大概の友達(男女関わらず)はこう言うんだよね。「モテるんだから、次頑張れよ」って。
でも違うんだよ。次とか、今は考えられない。
「今好きなのはその人だもんね。他に良い人居るよ、なんて言えない」
彼女はそう言ってくれるんだ。
「うん。でも、なんか話してたら少しずつ過去の人になってきたかも」
「早いね、切り替え」
ふふっ、と笑って俺を見る。手を伸ばしてくしゃっと頭を撫でられた。
年下なのに年下らしくない大人びたところが対等な感じがした。
「俺、吹っ切れたら早いからね」
目を細めて笑うと、彼女はもっと嬉しそうに笑った。
そのとき香った匂いは、桜の甘い匂いだった。
「うわー、また来た」
少し嫌そうな、でも笑っているような声に振り返る。いつものように彼女がいた。
「良いだろ?ここ居心地良いんだよ」
「サボリ魔」
授業をしてる先生に、腹痛です、と言って辿り着いた先はここだった。
「受験に使わねえ教科だもん」
「まあ、先輩そこそこ頭良いですもんねー」
「そこそこは余計だ」
茶化す彼女に怒ったフリをする。こうしてふざけられるのも女子では彼女くらいしか居ないから、凄く楽しかった。
「ずっとここに居たいなあ」
「駄目です。……それに、いずれ来なくなりますよ、ここに」
彼女の寂しげな表情と言葉の意味が分からなくて、俺は戸惑った。
「まあ、あと1年もすれば卒業だもんな……」
あと1ヶ月で最高学年になる。受験も控える。きっとここにも今までのように来れなくなるし、卒業したら……。
「息抜きに来てもいいですよ。愚痴くらい聞いてあげます」
思い詰めた俺に笑いかけて彼女は言った。いつもそうやって、俺を笑顔にしてくれて。
「たまにはさ、お礼がしたい」
「えっ?」
突然の俺の言葉にポカンと固まる。唐突すぎたか。
「駄目、か?」
「いえ、でも、いいんです。先輩に春が来れば」
そんな彼女の言葉に、今度はこっちが固まった。何でそんなことを言うんだろう、って。
「何で?」
「何でって、今まで散々先輩応援してきたんですから。少しは報われて欲しいなーって」
「馬鹿じゃないの」
俺は彼女のミディアムな髪をくしゃくしゃに混ぜた。少し風が吹いて、その髪をならしていく。
「もー先輩!」
と、両手で髪を整えた彼女を見て俺は笑った。
「馬鹿とは何ですか馬鹿とは。折角先輩の心配を……」
あっ、と彼女が声を上げる。俺は首を傾げた。
「明日から定期テストじゃないですか。で、暫く学校来ないし、終業式終わったら春まで来ないですよね。その前に渡したいものがあるんです」
フェンスの方に歩いていった彼女を追いかける。
「先輩知ってますか?桜の花びらってキャッチすると願いが叶うんです」
そう言ってポケットから出したのは、しおりだった。しかも押し花が挟んである。
「あの、木の下で告白すると願いが叶うっていう噂の、桜の花びらで作ったやつです。私が前にキャッチしたんですよ」
それ、あげます。
そうニッコリしながら言って、しおりを俺の右手に置いた。飛ばされそうなくらい軽くて、思わず握りしめた。
「卒業祝いはもっといいのあげますから、今年一年乗り切って下さいよ」
一緒に見上げた空は、気持ちよい程の快晴だった。
「先輩、」
数週間ぶりの声。たったこれだけしか離れてないのに、この声が懐かしいなんて。
「よう、久しぶり」
「寂しかったよ、先輩」
彼女は、空に舞った美しいピンクの花吹雪に包まれていた。それが何だか、俺の胸に暖かく広がっていった。
(君が何者でもいい。ずっと傍に居たいと花びらに願うようになってしまったんだ)