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綿棒

オリジナル短編、一作目です。温かい目で見守ってください。


 竜骨というものがある。


 名前の通り竜の骨に違いないのだが、これが厄介の種だった。


 竜は死ねば長い年月をかけてその体表の皮膚が削げ落ち、ゆっくりと腐ってゆく。神聖な生物であるためか、微生物などの分解速度が遅い。


 腐食の度合いにもよるが、総じて言えることは大変な悪臭を放つということだ。骨になる頃には随分と臭いが染み付いて、手のうちようがなかった。焼いてもとんでもなく臭い。そもそも竜を焼こうというものはいなかった。古来より竜は神聖視されてきたし、その骨や肉は不老長寿の源と思われていた。みすみす焼いて炭にしてしまうよりかは、食らってしまおうというのが大抵の人間の意見だった。


 だが、竜の肉は生きているうちは、それはそれは大変な珍味であったが、死んでからはただの異臭を放つどろどろの物体だった。ゴムのような食感であり、一口齧れば目の奥でぱちぱちと星が弾けるという。次の瞬間にはあまりの不味さにショック死するものさえいた。そんな具合だから、竜の骨肉を調理するなんてことは流行らなかったし、息絶えている竜を見ても死後三日未満ならまだしも、一週間もすれば酷いありさまだった。


 眼球が頭蓋の中へと落ち窪み、あらぬ方向を向いている。それだけで食おうなどという気は起こらぬものだが、それ以上に体表が酷い。見知らぬ菌類や苔が鬱蒼と生えており、モザイクのように様々な寄生生物が蠢いている様は近づけば近づくほど、生きていた頃の威風は見る影もなかった。加えて竜は人目につかぬところで死ぬものである。それは人里離れた山奥であったり、雪と氷に閉ざされた秘境であったりと様々だったが、どれにも共通しているのは人が長時間滞在できないという点であった。

 

 竜骨というのは、そんな決して死に様を見せない竜が朽ちて最後に辿り着く姿である。読んで字の如く、竜の骨、つまりは骨格なのだが、これを採集するのは手間がかかった。まず竜骨についている微生物などを拭き取らねばならない。

 そういう仕事があった。

 

 竜骨の上に降り積もった幾年もの泥と微生物の集合。それを取り除く仕事が確かにあった。そうして綺麗に掃除を終えた竜骨を皇帝などの権力者へと譲渡するのである。古き皇帝は、それに装飾品などを加えて武具としたという。だが、神聖なる生物の死を汚す行為だと糾弾する人間もいた。そのために、この仕事は世間の裏側で行われるものになっていった。


 やがて時も経ち、歴史の闇の中にその事実も葬り去られた。竜なんてものはヒトの集団無意識が作り出した幻想の生命体だと考えられるようになる。だが、竜は存在する。そして、この仕事もまた連綿と受け継がれていた。








「チベットに?」


 青年は聞き返していた。受付にいる男は書類を捲りながら、当然のように頷く。


「ええ。チベットに。長期滞在で」


「そんな仕事しかないんですか?」


 青年の言葉に男は書類を捲りながら事務的に「ええ」と応じる。青年は困惑した表情で男を見つめた。

 

 青年は仕事を探していた。就職氷河期、景気の底が抜けてさらなる泥沼の中へと落ちたと言われる時代で、仕事をなくした、もしくは探している人間は多く青年もその一人だった。ハローワークに出かけてみて、二、三質問をされた。資格は持っているのか、英語は喋れるのか、どこの大学を出たのか。様々な質問がぶつけられたが、青年はどれにも曖昧に答えた。資格は小学校六年の時に取った漢検五級しかない。英語は授業で習ったが、ほとんど忘れている。大学は中退。適当に濁しながら喋っていると、受付の男は言ったのだ。「なら、チベットがいいですね」と。


「いや、意味が分からないんですけど」


「チベットならば、雇用対策が練れるということです」


「そんな話、聞いたことが」


「聞いたことないのも無理はないです。これは私の独自のルートから仕入れた情報なんですが」


 男がずいと顔を近づけて声を潜めた。青年も男と顔を突き合わせて、他の面談者から聞こえないような声で尋ねる。


「何です?」


「チベットは今、大変雇用がよくてですね。手取り五十万はざらですよ」


「本当ですか?」と青年が目を剥いて尋ねると、男は「しーっ」と唇の前で人差し指を立てた。


「あまり他の方に勧めるわけにもいかないんですよ。何せ定員がありますから。今なら日本人枠は一人空いています」


「あ、でも英語喋れないんですけど」


「ご心配なく。ガイドがついています」


 ガイド、という言葉に青年は眉をひそめた。そんな仕事があるのか? 訝しげな視線を向けていることに気づいたのか、男が「信じていないでしょう」と言った。図星だったので、青年は顔を背けた。


「簡単な仕事です。チベットまで行って、ガイドの言う通りの仕事をこなしてくれれば問題ありません。どうしますか?」


「どうしますか、って」


 聞いた感じではまともではない。しかし、断れば他にいい仕事があるとも思えなかった。その予感を察したように、男は「他にあなたに適切な仕事はありません」とすっぱり切り捨てた。


「チベット、どうしますか?」


 二進も三進も行かずに、青年は俯いて呻った後、「行きます」と答えていた。








 何とか飛行機代を捻出して降り立ったチベットの地には、妙な一団がいた。一人の小太りの男が旗を振っている。そこには青年が登録した会社の名前があった。青年はその一団と共にバスに乗り込んだ。バスにはなぜか目張りがされていた。外が見えず、中は暗い。日本語のガイドがついていたが、その日本語は片言だった。


「シバラク、ハシリマース」


 そんなことを真面目に言われた日には、青年はついに人生の分岐点を間違ったかと思った。バスはしばらくどこかをひた走った。どこなのかは景色が全く見えないので分からない。だが、何度か傾斜を上っているのは分かった。六時間ほど揺られただろうか。ようやく着く頃には、目張りの意味もなく辺りはすでに薄暗かった。停車したので、ぞろぞろとバスから降りる。降りた場所はどこかの山奥のようだった。岩肌をむき出しにした山脈が続いている。その時、背の高い白人の男が困惑したように周囲を見渡して叫んだ。


「何て?」とガイドに尋ねる。


「〝おい、ここは立ち入り禁止区域じゃないのか!〟トイッテマス」


 立ち入り禁止区域という言葉に、青年は悪寒が走るのを感じた。そんな場所まで連れ出されて何をしろというのだろう。団体を見やる。国籍も様々だか、一様に男だった。それもどこか頼りなさそうな面々ばかりである。もしかしたら、誰にも見つからない場所で殺されて、臓器を転売されるのかもしれないと青年は思った。だとすればガイドもその一味か。

 

 探る目を向けていると、ガイドは何を勘違いしたのか笑った。ガイドは団体を引き連れて、歩いた。バスで六時間もじっとしていた上に、暗い山道を歩いたせいで疲労は限界に達していた。しばらく歩くと針のように出っ張った山の頂点に何かが見えた。


「What?」と誰かが声を上げる。青年も息を整えながら顔を上げた。山の頂上に跨るようにして梯子がかけられている、ように見えた。だが、梯子にしては色がおかしい。乳白色なのだ。それに加えて、鋭角的な部分が多すぎる。まるで蛇か何かが山脈に突き刺さっているかのような格好だった。だが、蛇にしては巨大すぎる。それに蛇には羽根に当たる骨はない。ならば、あれは何なのか。理解できない脳に、誰かの放った声が響いた。


「Dragon」


 その言葉にまさかと思った。きっと、模型か何かだと思った。そうだ。この団体はきっと映画か何かのエキストラを募るためのものだったのだ。そう考えれば納得がいく。そういえば何年か前に有名なアニメ会社が竜の出てくる作品をアニメ化したじゃないか。それの実写版だろうと思っていると、ガイドが突然振り返って喋り出した。英語だったので、青年には何が何だか分からない。ただ英語圏に属すると思われる人々は顔が青ざめたのが見て取れた。ついで中国語で何かが話される。それに対しても、その言語圏の人々は血が引いたようだった。中には倒れこむものまでいた。ガイドが青年の方を向き、静かに話し始めた。今までの片言の日本語が嘘のように、淀みのない発音だった。


「これは竜骨といいます。名の通り、竜の屍です。ここで皆さんには、竜の骨を掃除していただきたい。断っておきますが、これは映画や何かではない。現実です。断れば皆さんはこの山から一生出ることはできません。竜骨の納品期限は三日後。それまでに掃除してください。ただし、竜骨は大変デリケートなので、掃除はこれでお願いします」


 ガイドは指先に何かを摘んでいた。それは綿棒だった。よく耳かきに使う、棒の両端に脱脂綿が巻きつけられているものだ。


「一人百本ずつ渡します。落とさないでくださいよ。これで、竜骨をぴかぴかに磨いてください。もう一度言いますが、逃げ出せば命はありません。その代わり、きちんと納品期限までに竜骨が綺麗になれば、あなた方を故郷へと返しましょう」








 脅迫じみた言葉と、百本の綿棒を渡されて、団体は途方に暮れていた。青年も竜骨とやらを見上げる。竜の骨、というのは本当なのだろうか。だとすれば触るのも畏れ多く、青年は躊躇っていた。

 

 それは他の人々も同じのようだった。皆、不安な視線を交し合っている。どうすればいいのか、分からずにただ過ぎてゆく時間。ガイドはもういない。どうやらバスまで戻ったようだ。時計に目をやると、もう二時間が過ぎようとしているのに誰も着手しようとしなかった。竜の骨をどう扱えばいいのか、誰も分からない。綿棒を使って磨けと言われても、ピンと来なかった。


 その時、団体の一人がその場にへたり込んだ。全員がそちらに目をやると、男は何事かを叫んだ。何を言っているのかはさっぱりだったが、声の感じからどうやら泣き言を言っているらしいというのは分かった。青年は苛立った。


 自分だって、こんな事態に巻き込まれて泣き叫びたいのに、何もせずにただ泣くのは愚の骨頂だと思ったのだ。誰もが男の泣き声に困っている中、青年は「黙れよ!」と叫んだ。今度は全員の視線が青年へと向けられた。


 青年は歯噛みして、「……泣いたって、どうにかなるもんじゃない」と言って全員から背を向けた。前にあるのは竜骨だった。とにかくやるしかない。腹を決めて、青年は竜骨へと歩み寄った。誰かが背中に声をかけたが、構うことはなかった。青年の腹の内はとにかく憤懣が渦巻いていた。


 泣く奴も、この仕事を押し付けた奴も、皆、死んでしまえ。


 そんな言葉が胸に上ってくるほどに苛立って、青年は綿棒を強く竜骨に押し付けた。すると、ごっそりと汚れが取れた。瞬間、今まで押さえつけられていたものが噴き出すように、悪臭が鼻をついた。竜骨の臭いなのだろうか。青年は思わず泥のような汚れのついた綿棒を投げ捨てた。だが、それでも臭いは収まらない。青年はそれでも余計に苛立って、二本目の綿棒を手にした。

 

 臭いから、何だ、ふざけるな。


 怒りで嗅覚を誤魔化さなければやってられない。二本目もごっそりと汚れを取った。果たして、この汚れを一人で全部取れるのだろうか、と思っていると誰かが横に立っていた。白人の男だった。随分とやせ細っている。その男が青年と視線を交わし、少し笑ってから綿棒で竜骨の表面を拭った。その男も臭いに顔をしかめたが、器用に綿棒の先についた汚れを払って、同じ綿棒でもう一度竜骨へと向かう。青年もそれを真似した。単純な作業が続く中、いつの間にか作業に従事しているのが二人だけではなくなった。


 皆、最初は臭いに辟易したがいくつもの怒りの言葉を吐いて、悪臭へと立ち向かっていった。青年達は怒りを捌け口にして、竜骨の掃除をした。これでもか、という罵詈雑言を全員が口にしていた。気づくと、先程まで泣き言を言っていた男も参加していた。何を言っているのか分からないが恐らく「こんちくしょう!」とでも言っているのだろう、と思った。


 夜が明けると、ガイドが水と食料を持ってきた。その頃には、皆、竜骨磨きに夢中で、必要最低限しか水と食料をとらなかった。どの道、竜骨の悪臭で鼻がやられていて、食料を食えるような状態ではなかった。三日三晩、交代で睡眠を取りつつやっていると、何人か話かけてくる人間がいた。言葉は通じなかったが、何やら話していると胸が躍る気がして、次の竜骨磨きの番が来るまで夢中で話していた。


 やがて四日目の朝、ガイドが見に来る頃には、乳白色だった竜骨は見違えるような白銀に輝いていた。


「素晴らしい。あなた方には感謝します」


 ガイドはそう言って何人かの屈強そうな男達を呼んだ。消されるのか、と思ったがそうではなく、ただ単に竜骨を運ぶために寄越したようだった。青年達は来た道を戻り、目張りのされたバスに揺られて、空港へと戻っていた。別れ際、ガイドは「機会があればまた」と青年に言った。青年は中指を立てて、「誰がやるか。クソッタレ!」と罵った。ガイドは歯を見せて笑った。








 あっという間の出来事だった。もしかしたら夢だったのではないかと疑ったほどだったが、ちゃんとチベットに行ったという証拠の航空券は残っている。だがあの場所がチベットのどこだったのかは結局分からなかった。


 インターネットで「竜骨」と検索しても、それらしいものは出てこなかった。だが、少し気になる噂話はあった。大昔に、竜の屍があり、それは大変臭かったのだという。それを磨くための専用の仕事があったそうだ。もしかしたら自分達が巻き込まれたのは、その仕事の一端だったのかもしれないと青年は思った。あの後、法外な報酬が振り込まれていたが、それでも働かないというわけにはいかなかったので、青年はまたハローワークに行った。


 前回とは違う受付だった。受付の女性に、前にこういう特徴の男にこういう仕事を斡旋されたんです、と説明したが一笑にふされた。


「夢でも見たんじゃないですか?」


 確かに夢と思ったほうが精神衛生上いいのかもしれない。だが、あの場所で経験したことは本物だった。それを裏付けるように、青年の自宅には毎年あの団体で知り合った人間から手紙が届いた。手紙には写真が添えられており、英語でメッセージが書かれていた。幸せそうに笑顔を向ける彼らに「英語、勉強しなおそうかな」と青年は呟き、笑った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして〜(・∀・) 竜が出てくるファンタジーなのに、綿棒? なんだか、変わったタイトル(@_@)‥‥と思い、読んでみましたっ。 捻った設定の、不思議なお話です‥‥ 世にも奇妙な物語み…
2011/09/25 03:32 退会済み
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