ターニングポイント
僕は別に動物が好きではなかった。
だから犬も特に好きでは無かった。
別に嫌いという訳では無いがみんなが何でそんなに犬が好きなのと思っていた。
僕の家は犬を飼っていた。柴犬だった。僕の家はというより親が飼っていたという方が話がしっくりくる。
コンテスト犬の種犬だったのを親が勝手に貰って来たのだ。
だから貰ってきた時は既に成犬で7歳だった。
そして貰ってきた時から小唄という古風な名前が付いていた。
正式には小唄号だが。
その犬は頭をなでようとすると嫌がってなでさせない犬だった。
たまに自尊心の強い犬がいるらしくその部類らしかった。
でもボールだけは投げると取ってきた。
母が前飼い主にボールだけは取って来る話をすると小唄は種犬だったのでボール投げなんてしたことが無かったとのことで僕はこの小唄を、自分の楽しいことだけはやる自分勝手な犬だと思っていた。
お手もオカワリもしなければ呼んでも決して来ない。言う事なんてまったく聞きもしないからだ。
しかも首輪が外れやすいのかよく脱走していた。(まあ田舎というのもあり道も分かりやすいのか最終的には自分で帰ってくるのだが)
そのくせ前飼い主からの頼みで毎日一日一回30分は散歩させてたので同じようにやって欲しいということで親は手がかかるなあとは言っていたが雨の日も毎日散歩に行っていた。
そして高校1年生で楽しい夏休みの僕がそんな犬をカワイイと思うはずがなかった。
当時僕は調子に乗ってバンドなんか組んでいたが練習と言っては夜出かけて友達と遊んで朝方帰ってくるというような事をよくしていた。
そしてそういうのが一番楽しいと感じていた。
ある日僕はいつものようにバンドの練習に行くと言って23時くらいに家を出た。
自転車で走り始めると小唄が追いかけて来た。
いつもの様に鎖から脱走したのだ。
その時僕は家に連れて帰って鎖につなぐ事を面倒くさいと思った。
いつもの事だし田舎だし問題ないだろと思った。
まあ飽きたら自分で帰るだろと僕は自転車のスピードを上げた。
しかしまだ付いて来る。
道のT字路を左に曲がる時、ちょうど自転車のかごに入ってた野球ボールを右の道に勢いよく投げた。
小唄の気を逸らそうと思ったのだ。
案の定小唄はボールの方へ走って行った。
よし!馬鹿な犬だ。その時僕は確かにそう思った。
僕はそのまま駅の方へ自転車で急いだ。
朝方5時過ぎ、僕はいつものように家に帰って来た。
いつものように玄関のドアの前に立ったがふと小唄が帰って来てるか気になった。
家の庭の方に回りちょっとだけ顔を出して覗いてみると犬小屋の前に小唄が寝ていた。
ああやっぱりちゃんと帰ってきたと思った瞬間僕は目を疑った。
犬小屋付近一帯に赤黒い血の痕があるのだ。
そしてそれは明らかに小唄の吐いた血だった。
よく見ると口から血が垂れている。
足も変な方向に曲がってるように見える。
僕はもしや!と思った。
昨日T字路でボールを投げた後遠くで何かバンと小さな音がしたような気もしてはいたからだ。
おそらく僕の投げたボールを取りに行って小唄は車にはねられたのだ。
犬小屋の近くに落ちているボールはまさに僕が投げたボールだった。
はねられた後もわざわざくわえて帰ってきたのだろうか。ボールは血まみれだった。
痛いのだろう。小刻みに震えている小唄。
僕は急に怖くなった。
近づいた私に気付いた小唄は鼻をならした。
こんな小唄の声は聞いた事がなかった。
口から流れ落ちる赤黒い血と血痕の中にいる小唄。白目にも赤い血がにじんている。
それを見て僕は初めて感じるオソロシサの様なものを感じた。
怖くて小唄をサワルことができなかった。
それだけは覚えている。
僕は急いで母を呼びに行った。
大量の吐血した小唄を見て母は悲鳴を上げた。
もう小唄は死んでいた。
僕が母を呼びに行っているホンノ1分くらいの間に。
とても長い時間だった気もしたが後から考えるとそのくらいだと思う。
その後父が来て僕が事情を説明すると「馬鹿野郎!!」とすごい剣幕で怒られたが父はその馬鹿野郎以外は何も言わなかった。
ふと僕は小唄の位置が少し移動してるのに気付いた。
小唄は野球ボールにあとと15cmというくらいのとこで絶命していた。
僕はそれは両親には言わなかった。
小唄の死の原因を作ってしまった罪悪感はもちろんだったが、小唄が死ぬ間際にやろうとした事と小唄が誰にも看取られることなく一人で死んで行った事を考えると、とても気の毒な申し訳ない気持ちで一杯だった。
最後にボール投げをしたかっただろうか。
一人で寂かっただろうか。
そんなことをずっと考えた。
そして前の事も考えた。
僕が買ったばかりとはいえスニーカーを小唄に食い破られた時になんであんなに怒ったんだろうかとか、
小唄が暴れて僕の服が汚れた時なんであんなに腹立たしく思ったのだろうとか、
たまにしか頼まれない散歩なのになんで嫌がったのだろうとか、
TV観たさに小唄がウンチしたことにして帰ってきたことなど。
考えれば考える程”ごめんと”いう言葉と、”どうしてもっと優しくしてやれなかったんだろう”というありきたりだがそういう後悔の言葉だけが頭を回っていた。
そして小唄が寝ているところに近づいて大きな声でおどかした時の顔や、大雪の時いらなくなったセーターを着せて家族で笑ったことなんかを思い出していくと僕は、ホントは小唄が大好きだったんだと気が付いた。
・・でももう遅かった。
小唄はもういない・・。
そして涙が止まらなかった。
僕はもしかしたら自分が小唄に好かれてないかもと思っていたから自分は小唄を好きではないと思っていたのかもしれない。
・・そうではなかったのに。
今はそう思う。
僕は小唄に感謝している。
もし小唄がいなければ僕は獣医になんてなっていなかっただろう。
そしてあの田舎街で特に何の目標もないまま過ごしてたかもしれない。
たまに小唄によく似た犬が院にやって来る。
その度に僕はあの日を思い出すんだ。・・・・もちろん小唄との楽しかった日々をね。
(終わり)