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深心

まだ沈みきれぬ夏の陽が、外を照らしていた、夕暮れはすぐそこまで迫っていた。

蘭が注文した料理もかなり運ばれ、ビールで乾杯した。

蘭の豊富な面白い話題で盛り上がり、楽しいひと時が過ぎていた。


「マダムはいつからこの仕事してるんですか~」3杯目のビールに入り、かなり酔ってきた蘭が聞いた。

「相変わらずお前は、仕事以外は弱いの~」マダムは苦笑いしながら、話始めた。

「ワシは闇市から商売はしちょるよ・・・」

マダムは戦後の混乱期、闇市で芋粥などを売って生計を立てていた。

必死に働いて少しのお金を貯めて、日本の成長と共に小料理屋を持った。

小料理屋も軌道に乗り、時代も安定してきて飲み歩く客も増えてきた。


「時とは残酷なもんじゃよ、ワシはその時スナックをやりたかったが・・・」

しかしマダムは自分の年齢を考え、客は呼べないと諦めて、誰か任せられる女性を探していた。

そんな時期も5年が過ぎた頃には、もう諦めていたらしい。

そんな時、その頃はチンピラを生業にしていた、常連客の若い徳野さんが来た。

「女将、この子がどこかスナックで働きたいらしいんやが、良い所紹介してくれんね」と18歳のユリさんを連れてきたのだ。

マダムはユリさんを見て話して。

「私に預からしてくれんね」と徳野さんに言って、ユリさんを預かった。

次の日、マダムはユリさんを連れてその頃台頭始めた、地元では大きなパチンコチェーンの社長を訪れて、ユリさんを紹介し。

「この子がトップになる、必ず返すからワシに融資してくり・・・あんたも夜の帝王ならわかるはずや」と頭を下げた。


「そんなに凄かったんだ」蘭が口を挟んだ。

「凄かった、化け物やと思ったよ、夜の為に産まれてきたと思ったわい」沈黙が流れた。

「じゃがな、どんなに才能が有ってどんなに努力しても、自分が幸せになるとは限らんよ」マダムは蘭とケイを交互に見た。

今を生きる者と、これから挑戦する者を、その目は厳しさを湛えていた。


「どうして西野さんなんですか?」ケイは意を決してマダムに聞いた。

「愛しただけだよ、その時は本気で愛していた」そのマダムの言葉に、蘭も頷いた。

「よかった~」ケイは嬉しそうに微笑んだ。

「ケイは幸せだよ」蘭が言った「えっ!」驚くケイに。

「私もマダムとユリさんに拾われたかった」と蘭が真剣な表情で言った。

ケイは黙って目を閉じた、思い出していたんだろう、行き詰まった時を。


「それも違う」マダムが割り込んだ「お前(蘭)は一番街でしゃがみこんだりしない、自分で切り開くタイプや、だからユリも一目で認めて、自分のヘルプに付けたんじゃよ」とマダムが笑顔で言った。

「本当ですか?」と蘭が叫びに近い大声で言った。

「ああ、自分と違う力があるとな、きちんと仕事としてやり、きちんと辞められる人間だとな」マダムの言葉に、蘭はその大きな瞳から大粒の涙を流した。


「忘れんでいてほしい、人は皆それぞれや。」二人に染み渡るように。

「皆同じなら家で酒を飲む、皆同じなら全てユリの客や、だが違う・・・愛する者も好きな事も、受け入れられない事もな」暖かい静寂が包んでいた。

「お前達は幸せや、ユリと同じ時代を生きれる、ユリは女帝と呼ばれる覚悟をしているからな」私には昨夜の嗚咽が響いてきた。

「ユリはユリ、蘭は蘭、ケイはケイじゃから・・・信じるようにやればいいんじゃよ、ユリは必ず応えてくれるかい」マダムの静かな言葉に、蘭とケイは俯いて泣いているようであった。


「それとなケイ、お前がフロアーに出るからには、一つだけ話しておかんといかん事がある」とマダムがケイを見た。

「はい」とケイは言って、顔を上げた。

「本人に固く口止めされたから、今まで黙っちょったが、本人がいるからいいやろう」とマダムが蘭を見た。

「マダム」と言った蘭を、マダムが手で制した。

「蘭、ケイにとっては、大事なことなんじゃから」そう優しく言いながら、蘭を見ていた。

「なんなんですか?」ケイが不思議そうに聞いた。


「蘭なんじゃよお前を見つけたのは」マダムの言葉に、ケイは蘭を見た。

「お前が一番街でしゃがみこんだのを見て、ワシに電話してきての、早く来てどうしても見てほしいと、懇願したのはここにいる蘭じゃよ」とマダムは静かに言った。

ケイは蘭をずっと見たまま、何も言えずに涙だけ流した。

「蘭姉さん」ケイのそれだけの言葉で、皆には感謝の意が充分伝わっていた。

「いいのよ、私はきっかけだから」蘭は照れくさそうに、「あなたが頑張ってきたからここにいるんだよ」その優しい言葉にケイは静かに泣いていた。


私は昨夜の徳野さんに頭を下げてる、蘭を思い出した、その大きさを再確認して蘭を見た。

それに気付くと、困った表情でおどけて見せた。

私は蘭に魅入られていた、その心の底知れぬ深さに。


「マダム、私、明日から毎日出てもいいですか?」と蘭が突然切りだした。

「お前に出るなと言う理由がないよ、チャピーにも仕事があるし」マダムの笑顔の言葉に。

『ドレスは着ないよ』と私が言うと、皆が大爆笑した。

「さすがに蘭が拾っただけの事はあるわい」そう言った、マダムの本当の笑顔を私は見ていた。


居酒屋を出て、マダムにお礼を言いケイにバイバイをして、橘通りを歩きながら。

『マルショクまだ開いてるかな~』と蘭に言った。

「何かいるの?」・・『着替え』と私が言うと。

「あっ!」と言って、蘭は時計を見て私の手を握り。

「走るよ~」と言うが早いか走り出した。


マルショクに入ると、閉店のアナウンスと君が代が聞こえて。

「あんたは1階で下着を買いな、私は上で着替えを見てくる、お金持ってる?」の問いに私はポケットの1万円を見せた。

「今度おごってね」笑ってそう言うと、階段を駆け上がって行った。

私は下着の柄は見ないでサイズだけ見て買い、必要な物が分からずに蘭を待っていた。

閉店特価のケーキが目に付き、イチゴのショートを2個買った。

蘭が降りてきて、「なんだそれだけ?」と聞いたので、ケーキの箱を見せると「上出来」と笑顔になった。

蘭のチャリに二人乗りして家路についた、途中蘭が【名物大盛りうどんの伝説】を話し、二人で爆笑しながら帰った。


部屋に着くと、「先にシャワーしな、覗かんから」と言ってタオルをくれた。

シャワーで汗を流し、脱衣所に戻るとジーンズがなくて、赤いジャージが置いてあった。

しかたなくそのジャージを穿いて蘭の所へ帰ると、その姿を見て、蘭は足をバタバタさせて笑い転げ。

「私の高校のやつやから、似合うよ・・匂い嗅ぐなよ」と言いながらシャワーに行った。

私がTVを見ていたら、蘭が戻ってきて二人でケーキを食べた。


「ほい!」とマルショクの袋をくれた、中にはTシャツ4枚とジーンズ1本に、歯ブラシが入っていた。

『お金は?』と言った私の言葉に、蘭は急に真剣な顔で私を見て。

「いる時は私が請求する、だから1つだけ約束して、黙って居なくならないって」なぜか少し悲しそうな目で私を見ていた。

『約束するよ』私は素直に言った、蘭は満開で頷いた。


「アルバム見る、見たいよね~」蘭はいつもの笑顔になり聞いた。

『みたいな特に中1の頃とか』と返した、蘭は嬉しそうに。

「惚れるなよ」と笑った、《惚れてるよ》と心の中で返した。

アルバムを見ながら二人で笑った、吐息がかかるほど近くに蘭がいた、時間が止まればと願っていた。


「そろそろ寝ようね」と11時を過ぎた頃、蘭が言って不適な笑顔になった。

「あっちでねる、それとも一緒に寝る?」と聞いた、私は余裕で。

『昨日の夜、ユリさんに同じこと言われたよ』と言い右手でVサインを作った。

「うそ!で、なんて答えたの?」興味津々で蘭が聞いた。

『ガキだから、ソファーで寝ますって言った』と私が笑顔で言うと、蘭は満面の笑みで。

「やるねー、てことは今夜私がチャッピーを落とせば、初めてユリさんに勝てるって事だ」蘭はわざと舌なめずりをした。

『襲うなよ』私の言葉に「がんばります」と蘭が答えて、お休みをして部屋に戻った。


布団を敷きタオルケットをかけて寝転ぶと、蘭の匂いに包まれた。

蘭は特別な存在だと思っていた。


目を閉じると。

「黙って居なくならないで」そう言った時の、蘭の瞳の悲しげな影が、いつまでも私を見ていた。

「そんな悲しい顔をするなよ、ずっとそばにいるから」瞑想の世界の私はそう言って、蘭を抱きしめていた。


逃げていかないように、消えないように・・・。

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